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2005/05/12(木)
みのかんの名前の由来
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みのかんという文字で検索すると一発でここにたどり着くようになった。HPをはじめるとき、銀塩カメラ研究室にしようか研究所にしようかずいぶんと悩んだが、研究所がすでにあることを知り、研究室に改めた。ついでに子供のころからのあだ名であるみのかんをつけただけである。
このあだ名は隣の先輩であるkobaさんがつけてくれたものである。それをそのまま使っているだけである。しかし、そのおかげで検索の条件がひとつ増えたわけである。
子供のときからカメラと写真は好きだったが、カメラというものはとても高貴な存在であり、あるとき親父のカメラをいじっていたら、兄貴に怒られたことがある。おもちゃじゃないんだぞというわけである。
写真が好きだカメラが好きだといっても、その気持ちを持ち続けることは並大抵なことではない。いい写真が撮れないとすぐにその気持ちがしぼんでしまう。 モノクロ−ムにはまっていたとき、一枚の写真が僕を別の世界に向けさせてくれた。それはヨデフ・スミスの一連の窓の写真である。どうということもない写真なのだが、なぜか僕をひきつけて離さなかった。 あんな写真は僕には撮れないが、奇をねらった写真ばかり見せ付けられていた僕にはとても新鮮に見えた。
あれから十年経った。今ではその情熱はうせたにしても、ふと思い出す写真はやはりあの窓辺の写真である。 あの写真は文学そのものであった気がする。永井路夫の地味な小説に似ている。読んだ直後はそれほど面白いと感じなくても、ある時ふと思い出してしまうようなそんな感じ、、、かな。
事実は小説よりも奇なり、、という言葉があるが、そんなことはめったにない。事実は地味なものである。でもその地味な日常が生活であり、そして人生であると感じ始めたのは三十代の半ばを過ぎてからである。
ゴ−リキィとかの小説に出てくる地味で小心者の官吏官でも、家に帰るとそれなりの人生の楽しみ方を持っていて、そのことだけのために人生が終わっていく、、そんな人生もいいものだと思う。
人はそれぞれである。カメラだけが好きで、写真には興味のない人、逆に写真だけが命といい、カメラにはまったく関心を示さない人、それぞれがあっていいと思う。
それぞれの人生に、サントリ−のトリスで乾杯!
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