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2004/12/27(月) 餅つき
餅つきは暮れの29日にはついてはいけないという迷信がある。
何でとお袋に聞いたら、9がつくからよくないということだった。
迷信とはいえ、そう言われると避けたくなる。

考えてみれば厄年もまったくの迷信である。
ゴロが悪い数字となっている。
たとえば13(忌み嫌う)42(死に)39(身を苦しめる)などなどである。
ただし、すごいと思うのは、年代の変わり目になっているということである。うまく当てはめたものである。

もうひとつの迷信が、大安とか仏滅とかである。何かで読んだが、もともとは三国志に登場する諸葛孔明が、骨の割れ方で作り出したものらしい。
日本では江戸時代にかなり流行したそうな。

そもそも日本人は占いとかが好きな民族である。陰陽五行説は僕の専門分野であるが、これを基本にすべてが作られている。
かのえかのと、、とかもそうである。基本は60で一回りする。これを一回りした年齢が60歳で還暦である。

ま、あたるも八卦、あたらぬも八卦である。すべては自由。

2004/12/26(日)
爪をじっと見ている
そこに見飽きた僕の手がある
この手で何をしてきたのか
この手で何をつかんだのか

右手に未来
左手に過去
両手で包み込んだものが今の自分

ぐっと力を入れると小さくなり
大きく膨らませると大きくなる
そんなふうに生きてきた

ふと気が付くと
両手の中から飛び出した自分が見える
だけどこの手から遠く離れることはない

その手の指先に付いた疲れた爪
見飽きた疲れた爪
これが僕のたった一人の友達

2004/12/25(土) 何事もなく
昔、というより子供のころ、お正月におめでとうございます、、というのが不思議だった。何がめでたいのだろうかとずっと疑問に思っていた。
何事もなく一年が過ぎて、とにかくこうやって生きているということ、、、、。そう、何事もなく。

2004/12/24(金) レコ−ドとCD
時代はずいぶんと変わった。価値観もすべて変わっていく。
かつて大切にしていたレコ−ドは、埃をかぶりながら部屋の隅で眠っている。
人間も変わっていく。風景も変わっていく。
変わらないものなど何もない。
変わらないと信じているものでも、変わっていてく速度が遅いだけである。
何を信じていいのかわからない時代でもある。

僕たちの若いときに信じてきたものが色あせて見えたとき、人は年をとったというのだろう。

2004/12/23(木) 本日障子張り
障子貼りと聞くと、たいがいが面倒だという人が多い。僕も面倒だという気持ちに変わりはないが、はじめるとつい夢中になる。

子供のとき、かやぶき屋根の家の経験を持つ僕としては、障子貼りの終わった後に、家の中が明るくなるのを感動したものである。
何か新しいものが始まる予感がして嬉しかった。

最近の障子紙はナイロン系のものが多いせいか、2年も張り替えないでいると、自然と穴があいてくる。太陽のあたりが激しい場所ほどその現象は顕著である。
だから何がなんでも2年に一度は張り替えなければいけない。

木と紙でできた家、、と外国に紹介された日本の家屋であるが、たしかに貧乏くさい(笑)。
しかし、この障子越しの光は写真を撮るのにちょうどいい光を与えてくれる。奥ゆかしさと恥じらいは日本の美点と欠点であるが、これは障子越しの光から生まれたものだと思う。
しかし、今後は間違いなく失われていく文化であろう。

2004/12/22(水) 初雪
いよいよ初雪のご登場である。
だらだら降っているわりには、なかなかやまない。
しかし、降ってみるとやはりこれが本当なのだろう。暮れらしい雰囲気でなかなか趣がある。
なんとなく枕草紙を思い出してしまう。
これもまた「いとおかし」というところである。

2004/12/21(火) KISS
息子がロックを聴いていた。
なんかなつかしいなぁ、、と思い、息子のドアを叩いた。
「俺たちの若いときのヘピメタに似ているなぁ、、ちょうどKissみたいだなぁ」
というと、なんと息子の答えが、
「そうだよ、これKissだよ」

これにはびっくり。パソコンでダウンロ−ドしたmp3だということである。僕が高校生の頃が全盛期である。
つまり、すでに一世代変わってしまっているわけである。

2004/12/20(月) さとうきび畑
森山良子の「さとうきび畑」という歌がある。こういう歌もいいものである。

実は、大好きな歴史の本を何気なく読んでいたら、当時の沖縄決戦のことが載っていた。読んでびっくりしてしまった。
本土の人間が沖縄の人たちに行なったこと、、それは見殺しである。海軍は沖縄を主力決戦場として戦力を沖縄に集中しようというのを、陸軍、東条英機は、本土決戦を主張して、戦力を沖縄から引き上げてしまったのである。

残された沖縄の人々は学生と年寄りと女性ばかり。
そこへ決死隊として残された帝国陸軍は、特攻隊だけ。この特攻隊とは名ばかり。地雷を積んだボ−トで特攻隊として自滅するはずが、ボ−トを地雷で爆破させ、沖縄の人たちから食料を略奪。あげくのはてに自決を進めて自分たちは逃げることを考える。

その結果として、悲惨このうえない現状が沖縄戦で繰り広げられた。
歴史というものは作られていくものなのか、それとも運命としてそこにあるのかを考えてしまう。

今、森山良子の歌を聞いて、この歌の持つ深い意味を考えてみた。さりげない歌の中に、重い歴史が刻まれている。

2004/12/19(日) 本日は晴天なり
二日酔い気味の頭をかかえながら10時になるのを待って温泉へ出掛ける。すっきりした頭で自宅に帰り、その後家中の障子貼りをした。そして夕方から、じゃがいもコロッケを作る。われながらなかなかうまかった。

今夜は酒を一滴も飲むまいとがんばり、就寝する。なにしろここのところかなりの酒を飲んでいる。この時期はかなりつらいものがあるが、乾杯の掛け声と共に元気が出るのだから困ったものである。

正月になると、また、なんだかんだで飲まなければならないので、それまでは休肝日にしたいものである。

2004/12/18(土) 忘年会
本日、僕の所属する写真団体「猫の眼」の忘年会。2次会まので付き合い、結局午前様。
もともと僕の作った写真団体ではあるが、今は隠居みたいなものである。とはいっても、今回、会計担当者が地震でリタイアしたので僕が決算をまとめたが。
気の合う仲間と飲むのは楽しい。そのときだけは、いろいろなことを忘れさせてくれる。
もっとも仕事以外に気を使うものだったら、最初からそういう会には所属していないだろう。

2004/12/17(金)
今夜は鍋。鍋といえば熱燗といいたいところだが、子供の部活の送迎で晩酌などはできない。白菜、ねぎは自家製なので、他の材料を仕入れてくる。
まず牛肉。牛肉というと贅沢に聞こえるが、半額のものがあったので迷わずこれを購入。
次にきのこ類であるが、ぶなしめじなるものが98円なのでこれを一袋購入。
次に一番好きな大津屋の豆腐、これはかかせない。で、ス−パ−で考えたが、何か足りないと思ったら白滝。これを一袋98円で購入。
鍋の基本汁は何にしようかと思い悩んだが、最近韓国ドラマがブ−ムなので、ここはひとつヨン様になった気分でキムチ鍋の素、エバラ製品を一瓶購入。これは意外と高くて398円。
これを自家製土鍋に入れてぐつぐつ煮ること20分。キムチ鍋の出来上がりである。

ごはんも炊いてあるが、ついでにうどんをぶっこんでできあがり。
今夜の夕食でした。
ただし、ごはんと鍋のほかには何もない。

2004/12/16(木) HDD
僕の関係している体験実習館「なじょもん」の整理室のパソコンのHDDがクラッシュしたということで、なんとかBuをとれないものかと苦心していた。
僕はもともとHDDなどというものは信用していないので、どうでもいいことであるが、結構みなさんはパソコンを信用しているらしい。パソコンは機械である。だから壊れる。
機械でなくても、世の中のすべてのものは壊れる。永久に変わらないものなど何もないと思う。
この地球でさえもいずれは消滅する。

僕は今までいろいろな事をやってきた。しかし流行のないものはひとつもない。僕自身の仕事でさえも流行はある。
だけど流行に合わせる気はまったくない。なぜなら流行には年齢が関係する。ファションデザイナ−やミュ−ジシャン、建築デザイナ−など最先端の流行の仕事などは、よそを向いているあいだにどんどん変化していく。
その変化について行くためには、年齢がどんどん若返っていなければならない。つまり世代交代である。
一番のいい例が芸能界であろう。あれほど変化の激しい業界も珍しいのかもしれない。時代が流行を作るのか、世代が流行を作るのかわからないが、とにかく激しい。

変わらないものがひとつだけあるとすれば、それは人間は必ず死ぬということである。それだけは変わらない。
仏教に悟りという言葉がある。悟るとは真理を見極めることだと思う。なんて偉そうなことはなかなか書けないが、かなり近いのではと思う。
般若心経というお経はそのことを言っている。
色即是空、空即是色とはまさに真理である。世の中に変わらないものなど何もない。

二十歳のとき写経をやった。半年くらい続いたと思う。そうこうしいるうちには意味を知りたくなる。いろいろな本を読んだ。なぜ仏教がこれほど多くの人に愛されてきたのか。
やがてひとつの疑問にぶちあたる。なぜ日本は葬式仏教なのか。
なぜ日本の僧侶は嫁さんをもらい、肉を食らうようになったのか。
答えは江戸時代にあった。当時の江戸幕府はキリシタンを撲滅するために、儒教と仏教を利用したのである。
つまり戸籍登録は寺の管轄になった。そのときから寺に権力が生まれたわけである。生まれたら必ずどこかの寺に属し、宗派を決めなければならない。そして人別帳に記されて死ぬまで百姓は百姓として縛り付けておく必要があった。
封建社会の中でこれほど便利な宗教があるだろうか。家康自身も若いとき一向宗でさんざん苦労しているから、それを逆手に取ったわけである。
これとまったく逆な宗教がキリシタンであったわけである。キリシタンにとって一番偉いのは、キリストであり、権力者ではない。その信仰心の恐ろしさに秀吉も家康も気づいていたのであろう。

話が脱線したが、とにかく日本の仏教は葬式により生業が立つので、俗に葬式仏教という名前で皮肉られている。
もっとはっきりいえば、日本のお寺はすべて仏教ではないといえるのではないだろうか。何々宗、何々派、何々寺などいうふうにどんどん分派ができて、とても仏教といえるものではない。
口ではみなさん僧侶を立ててはいるが、本音は軽蔑している人が多いのではないだろうか。
もちろん立派な人もたくさんいるが。

さて、変わらない真理である死が、間違いなく僕にも近づいている。しかしこれだけはどうしようもないこと。
誰でも一度は死ぬ。わかってはいるが、、死ぬのが怖い。これもまた真理である。
病院に通っているじいさんとばあさんの会話の中で
「あたしゃもういつ死んでもいいんたよ」
「それじゃばあさん、なぜ病院にいくんだ、、、死にたくないからだろうに」
これこそまさに真理。

2004/12/15(水) 屋根裏と本
本がたくさんたまってしまった。何冊あるのか数えたこともないが、自宅の屋根裏にまとめてある。
地震のときは、この本棚が倒れて悲惨であった。ようやく整理もついて、少し落ち着いた状態である。

年末というものは嫌いである。正月を楽しみにしていたのはずいぶん昔の話だ。年末年始は忙しいだけである。俗に正月3が日というが、ほとんど酒を飲んで終わる。
来年は平成17年になるわけか、、、。酉年である。酉といっても、干支の酉は鶏を指すみたいである。飛べない酉である。

2004/12/14(火) 年末
雪が降らないせいか年末のあわただしさは感じない。
仕事も暇である。家にいる仕事なので、こんなふうに時間があると文学書でも紐解きたくなってくる。
年賀状の宛名書きもあるし。

形だけでも大掃除なるものをして障子などを張り替えたいなどと思いけるも、心はここにあらず、ただひたすらに日の暮れるのを待ち、酒にあけくるる年の瀬となりける。

などと気取ってみてもしかたないか、、、。ふぅ、、、ため息。

いい写真を撮りたいと思う。モデル撮影でもなく、最近大流行のネイチャ−フォトでもない写真。地味で目だたないけど、どこか懐かしくて心のあたたまるような写真。

ダイド−とかの前衛写真の中には僕の求めているものはないことは10年も前から気がついている。しいていえば飯田鉄の写真が僕の求めている写真に一番近いかもしれない。

フォトコンをねらうような写真も僕には縁がなくなったような気がする。撮れないのかもしれないが、それよりも撮る気になれないのである。

僕の求めている写真は、もしかしたら文学の中にあるのかもしれない。向田邦子の小説なんかは好きだし、僕の求めている写真と共通している気がする。

 その夕方、夕日に染まりかけた自宅までの坂道を、父は汗をかきながら自転車をこいで上った。
 何でわざわざ自転車にまたがり急な坂道を登るのか、小学生だった僕には不思議だった。 
 ランドセルを揺らしながら、坂道を自転車で登る父の後姿を追いかけた。その父の背中に近寄りがたい気配を感じて坂の途中で立ち止まった。父は大きな赤い夕日の中に吸い込まれていくように見えた。
 やがて父は母と別れた。僕たち兄弟は母と共に母の実家に帰ることになる。あのときの父の後ろ姿は、自分自身が父となった今、言葉では言い表せない郷愁を持って理解できるのである。
 
とまぁ、いろいろと書いてみると、このとき読者は夕日に吸い込まれていく父親の後姿を当然連想するわけである。これを写真で表現してみるのも悪くないのであるが、現実にはこんな場面はなかなか出くわさない。

僕は若い女の子にはそんなに興味はない。むしろじいさんとかばあさんの写真を撮りたいと思う。そのうしろに人生を感じるような写真。笑っている写真でも、痴呆となり、横たわっている写真でもいい。それだけでドラマがある。それだけで詩になり、小説になる。
人に歴史あり、ドラマありである。

いつになったらそんな写真が撮れるのか、、、本当の答えはわかっている。それは僕に死が近づいてきたときなのだろう。そのときに見えるものが本物であると思う。なぜなら生きる喜びと生きる悲しみがすべて他人と共有できるからである。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、、、」ではないが、そんな人に私はなりたい。

2004/12/13(月) 池上線
西島三重子「池上線」という歌が気になって仕方がない。
以前からいい歌だとは思っていたが、今頃になって自分の思い出とオ−バ−ラップして心の中でリフレインしている。

あの頃、、といっても青春の終わりかけた頃、東京の電車の中で知り合った一人の女性。この人と恋愛になったわけではないが、ほとんど毎日のように顔を合わせていたわけで、時々話をするようになったというだけである。
新潟へ帰る一週間前にそのことを告げると、元気でがんばってね、、と言ってくれた。それだけのことである。

この歌を男性歌手も唄っていて、誰なんだろうと思っていたら、高山巌だった。他にもう一人、女性歌手もカバ−している。

ただ、誰にも少しは経験あると思うが、別れというものがあり、そのことを告げることができないもどかしさはつらいものがある。
そして、そのことにうっすらと気づいている相手。
このあたりの心のやり取りを見事にこの歌は表現している。

今、僕が恋愛をしたら不倫となるわけだが、僕は愛妻家であると思っているし、不倫する相手と出会う機会もまずないだろう。
しかし、世の中はそんなことが多いのだろうと思う。一昔前に話題となった「マジソン群の橋」は不倫ではあるが、たった一夜の思い出を胸に二度と会うことはない相手を思い続けて死んでいく。
二人の恋愛は、マジソン群の橋に、自分の灰をまくことで完結する。
この映画はカメラマンがニコンFを使っていることで、写真関係でも話題に上った。
賛否両論でかなり意見の分かれた映画であった。もっともそれ以前に小説があり、そちらが本家で話題になったから映画化したわけであるが。

池上線という名前がいい。これが山手線だとちょっとかっこ悪いと思う。野口五郎の私鉄沿線も具体的な名前は出てこないが、私鉄なわけで、これがJRでないところがいい。

2004/12/12(日) 温泉
昨夜午前様だったので、10時ごろ、久しぶりにクアハウスの温泉のほうに行った。誰もいなくてのんびりと温泉を楽しんだ。

昨日の酒を追い出すには成功したようであるが、お昼からまた酒が体に入る。ビ−ルをコップに2杯くらいちびちびやった。

4時ごろまでやっていて、2次会というのを断り、少し休んで陶芸の飲み会。これも、生の中を一杯にチュ−ハイの梅割りを一杯にしておく。これくらいが僕の適量かなと思う。

年末の日曜日、やらなければならないことが沢山あるが先送りである。もっとも、付き合いの忘年会も年末にはやらなければならないひとつではあるが。

2004/12/11(土) コンサ−ト
クリスマスチャリティ−コンサ−トを聴きにいった。というよりスタッフとしてスポットライトを手伝ってきた。帰宅は夜中の2時。久しぶりの午前様。
明日はまた、お昼から地区のクリスクスパ−ティそして夜6時から陶芸の仲間の忘年会。まったくよく続くものである。

ところで、昨日久しぶりに陶芸なるものをやった。地震以来初めてである。勝手に手が動くのは、修練の賜物であるが、最後の詰めが甘い。緊張感がない。そしてそれが自分でもはっきりわかる。
なんとか、この泥沼から脱却しなくては、、、。

2004/12/10(金) 本物
何が本物で、何が偽者なのかわからない時代になってきている。
かっこをつけて、着飾っていてる。
しかし、その身包みをはがすと、みんなおんなじ裸。
俗に「裸の付き合い」という言葉があるが、その言葉自体も飾り物である事に気がつく。
本物というのは、日常生活の中のため息にあるような気がする。

2004/12/09(木) 古いJAZZ
古いJAZZを女房が珍しく聞いていた。
チェット・ベイカ−である。甘い旋律なのだが、どこか弱々しい音色は不思議と魅力がある。マイルス・ディビスの研ぎ澄まされた緊張感とは対照的である。
僕の一番好きなジャズメンはクリフォ−ド・ブラウンであるが、残念ながらCDは一枚も持っていない。
20歳の頃、一枚のレコ−ドを手にして以来、聴きつづけてきた。
しかし、あるときからぷつりとJAZZから離れてしまった。
原因はわからないが、クラシックのよさがわかりかけたのもその頃であるから、多分そういうことなのだろう。

2004/12/08(水) 写真コンテスト
地元新聞の写真コンテストの締め切りが近づいたので、改めて写真をセレクトしようと思いきや、ない!
なじょもん友の会という、地元の体験実習館の広報部を担当してから、とにかく今年は忙しかった。写真はもちろん撮っているが、すべては記録写真。広報やホ−ムペ−ジに使用するための写真ばかりである。

それにしても思うのは、この町がどうしようもないということである。これだけボランティアでがんばっているのに、町からの評価がないということ。
僕の任期はあと1年以上あるが、今度の町との交渉しだいでは、早めの卒業も考えなければならない。それを引き止める理由は何もないわけだし。
あ〜ぁ、やんなった!!!

2004/12/07(火) うまい酒
温泉健康施設の会員になっている。今夜女房と二人で、めずらしく出掛けたが、冬季開館時間が8時までなのを忘れていて、施設の中に入った時点で初めて気がつく。
仕方がないので、夫婦ともに友達であるMさんのところに突然お邪魔して、酒をご馳走になる。
Mさんも10分前に帰ってきたばかりという。長岡の地震後の仮設住宅の仕事に携わっているらしい。
やはり気の合う友人と飲む酒はうまい。適度に酔い帰宅する。

2004/12/06(月) 平穏な日々
何事もない平穏な日々が続いている。
地震の後だから特にそう思うのだろうが、なんだか平穏な日々が不気味に感じる。
嵐の前の静けさのような感じである。

これから大変な世の中になってくるような気がする。戦後からの復興では、貧しい中からのエネルギ−というものは、上昇気流に乗りやすいが、下降していくエネルギ−に乗って落ちていくのは、なかなか難しいことである。

2004/12/05(日) キャノンA−1
いきつけのカメラ店より修理を依頼されたCanon A-1。
修理の内容はファインダ−部のカビ取り。
よく見るとうっすらとカビが出てきている。店主いわく、このためにオ−バ−ホ−ルに出すのも面白くないので、なんとか取れないかというもの。
正直なところ、A-1は持ってもいないし、分解するのも初めてなので、ちょっと心配であったが、なんとか挑戦してみることにした。

やってみて気づいたことは、キャノンのカメラは非常に部品が多いということ。軍幹部をあけるのにいくつビスをはずしただろう。
こういう場合、広い机の上で順番に部品を置いていき、組み立てるときは、逆に部品を組んでいくに限るわけである。

とにかく部品をひとつもなくさず組み立てることができた。
問題のカビであるが、接眼部のレンズの裏側だったので簡単に拭き取ることができた。
これでまたカメラ雑誌を遠慮なく借りて来ることができる(笑)。

そうなんです、最近はカメラ雑誌を自費で買わなくなりました。
ちょっと遅れて借りてくれば、雑誌が溜らなくていいわけです。
それに最近はデジカメばかりで面白くないので、買うほどのこともないかなと思っている。

2004/12/04(土) DVD+-RW
昨日お金を振り込んで、本日の午後、もう手にしている。
なんて便利な世の中なのだろう。
こんな土田舎にいても、ネットのおかげで何でも簡単に手に入る。(お金が簡単ではないが、、笑)

これを手にして、また考えてしまう。4台あるパソコンのうち、ハ−ドが大きいものが2台ある。そのどちらにつけようかということである。
ところが女房に半分金を出してもらったということは、やはり自宅の家族用パソコンしかないという結論になる。

ついでにHDDとメモリ−も必要だと説得すればよかったと考えたが、女房の弟がかなりパソコンに精通しているので、ばれる恐れがあるので、その作戦はやめにした次第である(笑)。

2004/12/03(金) DVD
さて、いろいろと検討して、古いハンディカムの沢山のテ−プをデジタル化する計画を立てた。女房に相談すると、案の定二つ返事でのってきた。(子供の事になると、なんでもOKなんです、このやり方で何台カメラを買ったことであろう、、笑)。
半分の費用をもってくれるということで承諾を得ることに成功。
早速注文してしまいました。

女房を説得するためのポイントは、テ-プは経年変化で悪化するので、DVDで残せば、悪化しないし、CDを傷つけない限り半永久的である、、、ということである。
実際にはCDの耐久性はたいしたことはないのであるが(笑)。
まぁテ−プよりはましである。

2004/12/02(木) ビデオとカメラ
昨日、子供の小さい頃のビデオ(ハンディカムの8mmのアナログ)を見ていた。10数年前のものだけにかなり画質が悪化している。
これをパソコンに入れれば、デジタル化するわけである。
どうせならDVDに入れたいところである。

しかし、よく考えてみると、DVDに焼けるハ−ドがない。(ソフトもないけど)。そろそろ価格も下がっているし、この際DVD +-RWを購入しようとネットで調べたら、びっくり。かなり安くなっているのである。

アナログからの取り込みは、USBのキャプチャ−が以前よりあるのであるが、これは写真を取り込むのに数年前に友人より購入したもの。フジのFV7から取込んでいたが、本格的なフィルムスキャナ−と違い、端のほうがぼけるのであまり使わなかった。
ネガのチェック用には、手軽でもってこいであったが。

さて、ここで歴史を振り返る。子供が生まれた頃、ソニ−のハンディカムは最新型であった。新品を買って、どんどん子供たちを撮影していた。同時にカメラ集めも進行していたわけだが。
それがいつの間にかデジタルの8mmとなり、古臭くなった。
この10年間で変化したものの原点は何かといえば、映像のデジタル化の一言に集約できる。

さて、パソコンの中にはデ−タ化された8mmが入ったわけだが、これがとんでもなく要領があるわけで、ハ−ドが40Gしかない僕のパソコンでは少々きつい。
それじゃついでにハ-ドも160Gになどときりがなくなってくる。その後はメモリ−の拡張。
金がいくらあっても足らない。

2004/12/01(水) そろそろ年賀状
年賀状を書かなければと思いつつ、いつもぎりぎり。
どこかの偉い小説家と同じように、締め切りが近づかないとなかなかやりません。
今年は何をと考えています。以前はモノクロ写真を焼いてべた貼りしたものですが、最近はパソコンという便利なものにならされて、原始的な基本を忘れてしまっています。


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