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2004/12/14(火) 年末
雪が降らないせいか年末のあわただしさは感じない。
仕事も暇である。家にいる仕事なので、こんなふうに時間があると文学書でも紐解きたくなってくる。
年賀状の宛名書きもあるし。

形だけでも大掃除なるものをして障子などを張り替えたいなどと思いけるも、心はここにあらず、ただひたすらに日の暮れるのを待ち、酒にあけくるる年の瀬となりける。

などと気取ってみてもしかたないか、、、。ふぅ、、、ため息。

いい写真を撮りたいと思う。モデル撮影でもなく、最近大流行のネイチャ−フォトでもない写真。地味で目だたないけど、どこか懐かしくて心のあたたまるような写真。

ダイド−とかの前衛写真の中には僕の求めているものはないことは10年も前から気がついている。しいていえば飯田鉄の写真が僕の求めている写真に一番近いかもしれない。

フォトコンをねらうような写真も僕には縁がなくなったような気がする。撮れないのかもしれないが、それよりも撮る気になれないのである。

僕の求めている写真は、もしかしたら文学の中にあるのかもしれない。向田邦子の小説なんかは好きだし、僕の求めている写真と共通している気がする。

 その夕方、夕日に染まりかけた自宅までの坂道を、父は汗をかきながら自転車をこいで上った。
 何でわざわざ自転車にまたがり急な坂道を登るのか、小学生だった僕には不思議だった。 
 ランドセルを揺らしながら、坂道を自転車で登る父の後姿を追いかけた。その父の背中に近寄りがたい気配を感じて坂の途中で立ち止まった。父は大きな赤い夕日の中に吸い込まれていくように見えた。
 やがて父は母と別れた。僕たち兄弟は母と共に母の実家に帰ることになる。あのときの父の後ろ姿は、自分自身が父となった今、言葉では言い表せない郷愁を持って理解できるのである。
 
とまぁ、いろいろと書いてみると、このとき読者は夕日に吸い込まれていく父親の後姿を当然連想するわけである。これを写真で表現してみるのも悪くないのであるが、現実にはこんな場面はなかなか出くわさない。

僕は若い女の子にはそんなに興味はない。むしろじいさんとかばあさんの写真を撮りたいと思う。そのうしろに人生を感じるような写真。笑っている写真でも、痴呆となり、横たわっている写真でもいい。それだけでドラマがある。それだけで詩になり、小説になる。
人に歴史あり、ドラマありである。

いつになったらそんな写真が撮れるのか、、、本当の答えはわかっている。それは僕に死が近づいてきたときなのだろう。そのときに見えるものが本物であると思う。なぜなら生きる喜びと生きる悲しみがすべて他人と共有できるからである。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、、、」ではないが、そんな人に私はなりたい。


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