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2004/09/30(木) 便所の1輪挿し
僕の家のトイレにはいつも花がある。1輪挿しは僕が作ったやきもの。それにいつも花を活けるのは女房の役である。
あるとき、

「便所の花はいつも花入れに似合っているよなぁ」

と誉めたら

「あたりまえじゃない、この花入れには、どれが似合うかを選んで花を活けてるんだから」

恐れ入りました。
ちなみにこの1輪挿しは志野という釉薬をかけている。生まれて初めて自分で買った記念すべき釉薬である。

2004/09/29(水) 陶芸
本日。ミュ−ジアムショップの会議があった。
僕の陶器の売上は結構よかった。この売上金を積みたててデジカメ一眼レフを買おうともくろんでいたが、女房のほうがいちまい上手であった。

「どれくらい売上があるかな?そのお金を積みたてて家族で旅行に行こうよ」
「、、、、、、」

なにしろカメラ道楽をさんざんしてきているから、こういうときは何も言えない。言えば

「またカメラ買うの!!もう沢山あるじゃない!いいかげんにしてよ!」 

と言われることはわかっているからである。

2004/09/28(火)
町の広報誌に載せる「ペンリレ−」の原稿を頼まれた。
さて、何を書こうか?
本に関しては薀蓄は沢山あるが、的を絞るのが難しい。400字詰原稿用紙一枚半でまとめることが難しい。

以前地元の新聞にエッセイを頼まれたとき、推敲に推敲を重ねて短くしたのを思い出す。長くかけないという人がいるが、そういう人は、長く書けないのではなく、書くことが最初からないのだと思う。
書ける人はいくらでも書けるものだと思う。

別に作家でなくとも、一人一人に必ず人生のドラマがあるわけで、一冊の本になると思う。

作家は自分の人生の切り売りをしているわけで、人生経験の浅い作家はやはり続かない。若くして作家としてデビュ−してつぶれていく作家のなんと多いことだろう。

若いときの苦労は買ってもしろ、、というが、人生40を過ぎると、できれば苦労はしたくない(笑)。ということは僕は作家にはなれない。もっとも、名作を若いときに沢山書いて、あとは印税でという考えもあるが、それは才能のある、めぐまれたごく一部の人である。

あぁ人生かな、人生かな、、とつぶやいているうちに人生は終わるのだろう。

2004/09/27(月) コンサ−ト
地元で行われる「月あかりコンサ−ト」のために、またまた帰りが遅くなった。今日は女房も帰りが遅いということなので、そのつもりでいたのだが、ちょっとのお手伝いが結局長くなった。
女房の機嫌が悪い。

町のために仕事をして、女房に怒られて、、いったい俺は何なんだ?
といいたいが(笑)、そんなことは昔の話、まぁこんなものさと秋の風ってなもんで、結構僕も人間として丸みが出てきましたです。ははは、、、。

2004/09/26(日) コニカミノルタ
フィルムをなんとなく見ていたら、げっコニカミノルタ。
なんとあのミノルタのマ−クがフィルムの外箱に付いているのである。

コニカとミノルタが合併というは知ってはいたが、まさかフィルムにミノルタのマ−クと名前が入るとは思わなかった。

ってことは、もしかしてアルファのカメラのロゴも「KONICAMINOLTA」と入るのだろうか?、、、、なんか変。

2004/09/25(土) パソコン
昔むかし、ベ−シック語のパソコンがありました。それでしばらく単純なゲ−ムを作って遊びました。
しばらくするとMSXというパソコンが登場しました。これはゲ−ム専用機みたいなやつで、パソコンというよりゲ−ムそのものでした。

それからはパソコンに縁がなく、それに近いものといえばワ−プロを18万円も出して買いました。これは便利とばかりにあらゆる文章を作っていました。
そのころ周りには、マックかウィンドウズかで話題になっていましたがあまり興味はありませんでした。

しばらくするとワ−プロが壊れました。さて困ったなといっているうちに、ウィンドゥズの98が現れました。

あるとき家電の量販店に行ってワ−プロをむ買おうとしたらまったくありませんでした。困ったなと思いました。

いよいよ我が家にもパソコンが必要かなと思い、とうとう買いました。
ディスクトップのパソコン。CPU900でメモリ−128でHDDが40で当時としてはかなりのものでした。

しばらくしてから職場で一台セットでそろえました。これが自宅にあるパソコンより高い性能で5万円。

しばらくして女房の弟からOSがXPのパソコンをいただきました。息子に使わせています。

しばらくして親父の知り合いから98のパソコンをもらいました。IBMのAptivaで性能は一昔前のパソコンです。

しばらくしてCD−RWをIBMのパソコンにつけました。これでなんとかデ−タが引き出せるパソコンに拡張しました。

4年前、パソコンのまったくできなかったずぶの素人が、今ではパソコン4台、ホ−ムペ−ジを5つも管理できるようになりました。
ソフトもフォトショップ、イラストレ−タ−などを駆使して何でもできるようになりました。

昔むかしの物語でした。

2004/09/24(金) 日々の暮らし
だらだらと毎日が流れていく。
これでいいのかと自問自答してみる。
いろいろなことをやってきた。そしていろいろな場所でいろいろな人と出会い別れてきた。
そしてまたここに立っている。

のんびりいきるほうがいい、一生マイナ−な人生でいい。目立たず、貧しく、でも心は誰よりも豊かでありたい。
そんな人生をめざしてきた。

でも地元では結構名前が知れてきている。
写真、陶芸も趣味でやってはいるが、他に作詞、作曲もやる。だから僕のことを趣味の広い人だと評価する人がいる。
とんでもない、僕としてはもっともっといろいろなことがやりたい。いろいろな場所にいってみたいと思う。
しかし、家族を持つとそれは無理。すべてにおいて守りの体制になっている。
これでは行けないと思いながらも、これでいいさというもう一人の自分がいる。

2004/09/23(木) 彼岸市2
彼岸市に参加してから今年で3年目。年々売上は落ちているし、だいいち人出が少ない。これでは、、、。

2004/09/22(水) 彼岸市
僕の住んでいる町では、秋の彼岸の中日に毎年市が立つ。昔はにぎやかで、この市できぴしい冬に備えての買い物をほとんど済ませたものらしい。
いまではさびれてしまい、数件の屋台があるにすぎない。
そこでなんとか昔の伝統を守ろうと地元の商業組合の人たちが出店し、それでは不足なので一般の人参加のフリ−マ−ケットを募集した。
明日は、僕も陶芸サ−クルの仲間と共に出店する。かなり安い値段で陶器を売るのだが、今年で3年目、どれだけ売れるかはそれほど期待できない。売上金はご苦労会でほとんど消えてしまう。
ま、お祭りに参加するという気分とノリである。せいぜいお店屋さんごっこを楽しんでこようと思う。

2004/09/21(火) 文学
文学という言葉は死語になったのかというくらい話題にならなくなった。最近の芥川賞、直木賞が話題になったのは年少者が受賞したからで作品の内容が話題になったわけではない。
太宰治の作品にかぶれた人のことをダザイストなどといったのはすでに過去のこと。そんなに人生について真摯に考える若者はいないのだろう。
田宮寅彦の「足摺岬」は高校生のときは愛読書だった。教科書で読み、小遣いで買った文庫本で読み、図書室の全集本で読み、その都度同じ文章なのに新鮮な発見があった。

高校3年の読書感想文で図書館長賞をもらったのだが、なんとこれが夏休み最終日の夜の一夜漬けの文章だった。
1年、2年と賞をとりたくてがんばったが、いつも佳作どまり。3年のときは賞はねらわず、さらさらと書いたものが受賞するという皮肉である。これは愛読書の「足摺岬」を対象にしたために他ならない。
つまり当時の僕はかなり暗かったのである。大学にはとてもいけない環境の当時の自分と、すべてを棄てて足摺岬にたどり着いた主人公をダブらせて考えていたのだと今では分析している。
学歴なんてなんだってんだとうそぶいてみても、いまだに大学のキャンパスに憧れている大学コンプレックスなのである。

2004/09/20(月) CD-RW
100円ショップでCD−RWを二枚買ってきた。
ダイレクトCDドライブだと二枚とも開始ドライブエラ−で使えず。
安物買いの銭失いとはまさにこのこと。
なんでだろう。このソフトに慣れてしまうと、直接書きこみは面倒になります。なにしろフロッピ−なみにデ−タ移動ができます。
まぁ二枚買って煙草一箱以下、文句はいいません(笑)。

2004/09/19(日) 18年目の猫
我が家は猫を飼っている。おっと飼っているというのは人間の側のエゴである。この猫はシャム猫、、我が家の完全なる家族である。
年齢はなんと18才。人間でいえば88才というところである。長男が13才であるから、中学2年の息子よりも5年も長く生きている。
さすがによる年波には勝てず、高いところへのジャンプはできなくなった。歩く時も時々よろけることもある。

ペットを飼う、これは責任があることである。途中、人間の都合で捨てたりする人がいるが、そんな人は最初からペットを飼わなければいいと思う。
猫も犬も喜ぶ時は態度で表す。犬は尻尾を振り、猫はゴロゴロとのどを鳴らす。
ということは、悲しみもあるだろうし苦しみも、恨みもするだろう。そんなことを考えていると、ペットの幽霊もあっていいわけである。
ペットに恨まれるような人間には絶対になりたくないものである。

2004/09/18(土) おかゆ
中一の娘が昨日から風邪をひいたのかお腹が痛いと寝ている。熱はないのだが、腹が下るらしい。そこでおかゆを作ってやる。

おかゆといえば思い出すのは中国に研修に行ったときの事。毎日の中華料理にうんざりしていて、たまにご飯がでるといっても、異常に農薬くさいご飯で食べられたものではない。
ところが朝食はいつもおかゆ。これは不思議と農薬くさくなくて、持参した梅干をおかずに喜んで食べたものである。というより中国でうまいと感じたのはこのおかゆのみである。

2004/09/17(金) ライカの使い捨てカメラ
パソコンで何でもできる時代、悪乗りでこんなものも作ってしまった。
これって絶対写真仲間に受けると思う。

2004/09/16(木) 使い捨てカメラ
さて、昨夜は写真サ−クルの集まりがあった。
写真展をいつやるかということで、いろいろと話し合った結論は、なんと使い捨てカメラでやる写真展と決まった。

詰め替えできる使い捨てがあるので、僕のほうでフィルムと交換ということで詰めてやることにした。

この企画、なかなか面白い。というのは使い捨てカメラというものは最短撮影距離が1メ−トル、レンズは多分28mmであり、他の機能は一切ない。この条件だとかなり腕の差が出てくると思うが、さていかに。

2004/09/15(水) 軽〜いカメラ
いきつけのカメラ店よりカメラを借りてきた。EOS1000Sである。これがかわいいカメラで、しかも軽い。
以前より注目していたカメラで、1/2000秒まであり多重露出、部分測光までついている。おまけにソフトフォ−カス、4種類のメロディセルフタイマ−が付いていて結構面白い。

日曜日にはこれで何を撮ろうかと楽しみである。かるいノリで軽く出かけるお手軽カメラ、デジカメには無い楽しみがここにはある。

デジカメは軽すぎて、作品を撮るという気分にはなれない。もっとも一眼デジカメとなると話しは別だが。

2004/09/14(火) 秋茄子
「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがある。
これを、秋茄子はうまいから嫁に食わすなという理解する人が多いが、そんなことがことわざになるはずがなく、事実は「秋茄子はアクが強くて体に悪いから、子供を産む嫁さんにはよくない食材である」というのが本当のようである。

女房よりも僕の帰りが早かったので、夕飯のおかずに麻婆茄子を作った。茄子は新鮮なものもあったが、冷蔵庫の中に古い茄子があったのでそちらを使った。
この茄子はいつ頃のかわからないがボケていた。そこでまたひとつ言葉が浮かんだ、「ボケ茄子」。これは人を馬鹿にする言葉だが、油でいためる中華料理には問題がなかった。
これでまたひとつことわざが浮かぶ、まさに「馬鹿とはさみは使いよう」。

2004/09/13(月) 稲刈り
ぼちぼち稲刈りが始まった。
我が家は一応農家であるが、稲刈りは人任せ。

作付け面積30a。収穫後の平均収入48万円。収支計算後の利益、平均18万円。

これに対して、コンバインの価格、250万円。乾燥機70万円、もみすり機、中古で50万円。

農機具の稼動日数、1日。

農機具の償却期間、10年。

これをみれば、普通なら農業はしないほうがいいという結論になる。
これに対して、刈り取り、および乾燥およびもみすり業務委託費年間15万円である。

なんとか自分の食べる米は確保できるという状況。
昔から言われるように、百姓は生かさず殺さず。食い扶持もうけの機械貧乏。
なかなか的を得た例えである。

2004/09/12(日) ペトリというカメラ
このカメラ、修理を依頼された。
カメラ屋さんに出したら断られたそうである。なぜか例によって僕のところに回ってきた。最初は、どこがおかしいんだと思ったが、仔細に観察すると、シャッタ−幕が開いたり、開いていなかったりである。一番タチが悪い故障である。
一応分解してみたが、どうも微妙なずれが原因である。これは無理と簡単にあきらめることにした。
ペトリの一眼は、他のカメラとちょっと違う構造をしている。精度が出ないので有名である。当然何十年も経ったカメラである。ますます精度を出すのが難しい。

依頼者は知人の息子さん。親父が若い時使っていたカメラを是非使いたいということである。気持ちは分かるが、このメ−カ−はちょっと無理である。

ペトリというカメラはもともと修理屋泣かせのカメラである。修理仲間でもペトリには手を出すなというくらい有名。
僕にいわせると、ペトリの一眼レフは、日本のカメラ史上、最低の作りのカメラと言いたい。倒産したのは当然成り行きではないかと思う。
もっともレンズシャッタ−はそれほどでもないのであるが。

機種は、ペトリのペンタである。一番最初の一眼レフカメラ。プラクチカマウントの手動絞り。つまりレンズとボディの間には何の機械的連絡がなく、Pマウントのスクリュ−のねじがきってあるだけである。
ここの部分は故障の仕様が無いほどであるが、いかんせん、ボディの構造は摩訶不思議である。
ペトリ様、降参しました(笑)。

2004/09/11(土) 一次方程式
娘が数学の質問をしてきた。

6x=24
x=4

「何で4になるの?」
「両辺を6でわったから」
「何で6でわるの?」
「左辺の6を消すため」
「わかんな〜い」

これは困った。

2004/09/10(金) 裸電球
電気の球がきれた。取り替えた。
それにしても懐かしいのだが、裸電球=貧乏という図式がどうも面白くない。四畳半、裸電球、銭湯、下駄、どれも立派な日本の文化である。

一時期、トレンディドラマとかいって、東京都心の1DKのマンションの一人暮らしにあこがれるみたいなドラマがあったが、その頃の僕は汚い6畳と4畳半の二間のアパ−トで隠れるように住んでいた。
風呂はもちろん銭湯。まさに神田川の世界である。
アルバイトと学校でほとんど家にいなかったから別にどうでもよかった。一日中日のあたらない部屋なので、家賃は安かった。

トレンディドラマの世界がいかに嘘っぱちかは僕が一番良く知っている。親のすねかじって1DKもないものである。これで彼女を引っ張り込んで愛だの恋だのとほざくなっていうの!
そんな憧れにだまされて、都会に行って挫折して田舎に帰ってくるというパタ−ンは多かったことと思う。都会はそんなに甘いものではない。

日のあたらない部屋というものは当然風通しも悪い。つまり夏は暑く、冬は寒いという最悪の環境。寒いのは同じバイト先の先輩から古い石油スト−ブをもらってしのげたが、夏の暑さはたまらない。扇風機はあるにはあったが、池のにごった水をかき回しているようなもの。
銭湯は坂の下りの遠いところなので、せっかく汗を流しても、帰りは上り坂、部屋に入る頃にはまた汗だくになる。

とまぁ、ろくな都会生活ではなかったが、なんとか生きて田舎に帰ってきたわけです。そんなわけで田舎のよさは、本当によくわかります。ただ、豪雪地帯、雪国だから雪は仕方がないけど、せめてあと1メ−トル雪が少なかったらと思うのは僕だけではないだろう。

2004/09/09(木) 使いきりカメラ
使いきりカメラにフィルムを詰替えたものがあがってきた。なじょもんのひまわりとかが写っていたが、写真は基本的にファインダ−の中で切り取る世界である。
使いきりだろうと、30万のカメラだろうと、いい写真はいいし、ダメな写真はダメ。
こんど、これ一本でいこうかな、、。
おいおい200台のカメラはどうするんだよ!!!

2004/09/08(水) 水上勉先生、ご逝去。
ニュ−スでやっていたが、水上勉先生がお亡くなりになった。日本で最後の巨匠が失われた思いがする。

水上文学に知り合ってから、ほとんどの作品は読んだ。これほどテ−マが一貫している作家も珍しいのではないだろうか。

裏日本、貧困、それゆえの生活、日本の社会における女性の苦しみ。
推理作家という紹介がテレビであったが、全く違うと断言できる。水上勉を推理作家という人は、水上文学を全然読んでいない人だ。水上勉はヒュ−マニズム作家である。

松本清張も推理作家ではあるが、彼も根本に流れるテ−マは人間である。ある意味で二人は似ている。社会派という点ではまったく共通しているが、暗い日本の生活イメ−ジにスポットを当てたのが水上文学であれば、暗い日本の社会構造にスポットを当てたのが松本文学であろうと勝手に解釈している。
もっとも一人の作家をたった3行やそこらで決め付けられるわけがないのだが。

ちなみに水上勉先生の最初の心臓の手術をされたのが、現津南病院長の石川先生である。あるエッセイに書いてあってびっくりした。

水上勉先生のご逝去に当たり、家族および関係者、およびファンの皆様に心からお悔やみ申し上げます。

合掌

2004/09/07(火) 道具としてのカメラ
久しぶりにOM−1を持ち出した。
これだ、これ。この感触。これが男の道具としてのカメラである。
デジカメにはない、質感と重量。
少年のときにあこがれ続けたカメラ、それが今自分の手元にある。

これからひとつひとつ思い出していきたい。モノクロを初めて焼いた時の暗室の感動。一眼レフで、見たままそのまま写るという喜び。
そんな当たり前の感動が失われたのは、デジカメとパソコンによる簡単便利な最強コンビに慣れすぎたからである。

フィルムが高くてなかなか買えず、1枚1枚を丁寧に撮影していたあの頃は、金はなかったかもしれないが、夢と喜びがあった。
今ではカメラが家じゅうにごろごろある。少し反省しよう。

2004/09/06(月) ひまわり
夏の終りを象徴するようにあちこちのひまわりも枯れはじめた。
ひまわりというとまず最初に思い出すのは、チェリッシュの「ひまわりの小径」である。そしてこの唄を聞くと、夏の出機(でばた)まわりを思い出す。

出機(でばた)というのは、織物会社が各家庭の作業場に機織の機械を設置し、内職として織らせるもので、あの頃はあちこちで機織の音がしていたものである。

僕も学校が終ると、芸術関係の仕事がしたくて織物会社の図案書きの仕事についたわけである。ところがこの会社、小さい会社だったのであらゆる雑用をしなくてはならない。図案書きもしなくてはならないが、時々出機まわりをやらせる。織りあがった反物を各家庭を回って集める仕事である。

一番遠いところが飯山市でほぼ60Kmの距離をまわる。1日がかりである。頭を使うわけではないので、ちょつとしたドライブである。免許も取りたてだし、車の運転が楽しくて仕方がない頃である。

このときの会社の軽のワゴンに、当時すでに無くなりつつあるの8トラのカ−ステレオ(死語)が積んであり、ここに差し込んであったテ−プがチェリッシュの全曲集というわけである。

この「ひまわりの小径」を今聞くと、家庭の事情で大学に行けなかった切なさも手伝って、あの頃の自分がありありと浮かび上がってくるのである。

ところでこの会社、僕が入社してから約半年後に倒産する。ここから僕の人生の激動期に突入する。僕は最後の給料の半端までもらい、倒産前に退職したが、最後までがんばっていた社員は、給料分は反物で支給されたそうである。

2004/09/05(日) 手紙
拝啓
お久しぶりです。お元気でしょうか。
昔、△の職場でご一緒させて頂きました××です。覚えていらっしゃいますでしょうか。
お手紙をしたためる気になったのは、私の娘とあなたの娘がお友達になったからです。

今年の夏、商工会議所主催の夏のサバイバルキャンプにあなたの娘さんが参加されていましたね。参加者名簿に苗字が○○とあったので、懐かしい苗字だなと思い、保護者の名前の欄を見てびっくりしました。そこに書いてあったのはあなたのお名前でした。

キャンプの時は私の娘とあなたの娘さんが同じグル−プで、ずいぶん親しくさせてもらったようです。ありがとうございました。

ふりかえってみますと、あなたと別れてからずいぶん私にもいろいろなことがありました。あなたがあの職場を退職されて東京に行ってからも、私は2年ほど務めました。体を壊したのが退職の理由ですが、その後自宅療養を2年ほど続け、ようやく回復しました。
実家の稼業を手伝いまして3年ほど経った頃、ひょんな事から前の夫と知り合いになり結婚にいたりました。
結婚生活はうまくいかず、それでも4年ほどはお互いに世間体をはばかりなんとかすごして参りましたが、ささいなことがきっかけとなり、離婚いたしました。
今の娘を身ごもっていたのを知ったのは別れた後でした。その後出産して、この娘を育てることだけが生きがいとなり今に至っております。
不憫に思ってか実家の両親が、近くに小さい家を建ててくれたおかげで、なんとか貧しい母子家庭ながらも生活させていただいてる次第です。
ごめんなさい、私のことばかり書いてしまいました。○○さんももちろんいろいろあったのでしょうね。でも、キャンプの時の娘さんの明るい笑顔の写真を拝見いたしますと、○○さんが幸せな家庭を築いていらっしゃることは想像できます。
それにしても、娘さんは○○さんにそっくりですね。女の子の父親似は幸せになれると聞いております。

突然の手紙でびっくりされたのではないでしょうか?今計算してみますと23年ぶりでした。
娘から頼まれたキャンプの時の写真を同封いたしました。またご迷惑かも知れませんが娘と一緒に写っている母子の写真も1枚入っております。私もずいぶん老けてしまいました。

娘は○○ちゃんとメ−ル文通するんだとはりきっております。私はパソコンはあまり得意ではないのですが、娘はパソコンなしでは生活できないと話しておりました。時代は変わったものですね。

長文になりました。奥様にもよろしくお伝えください。
暑かった夏が終り、気温がころころ変わる時節です。風邪などをひかぬよう家族ともどもご自愛くださいませ。
それでは失礼いたします。

敬具

2004/09/04(土) 祭り
本日はわが集落の祭りであった。
毎年のことではあるが、酒を飲んで終わっている。神社に行かなくなって何年経つだろう。
子供たちが小さかった頃は必ずいっしょに出かけていたのだが、子供の成長と共に親も年をとっている。
今祭囃子を聞きながら、屋根裏で一人パソコンのキ−ボ−ドを叩いていると、10年くらい前の思い出が走馬灯のように駆け巡ってくる。

、、、祭りというと必ず心が沈んでしまうくせは、いまだに治らない。やはり今年も落ち込んだ(笑)。

2004/09/03(金) O型とA型
明日は祭りである。毎年のことであるが、我が家では寿司を握る。そのために前日から仕込みを始める。
女房はO型、僕はA型である。この性格の違いが見事に料理に反映される。
先日知り合いの人からかんぴょうをいただいた。これを今晩から仕込まなければならない。のり巻きの細巻き用である。

A型 「かんぴょうってどうやってもどすんだ?」

O型 「、、、私に聞かないでよ。ぬるま湯に浸しておけばいいんじゃない?」

A型 「しょうがないなぁ、、インタ−ネットで調べよう!」

A型 「あったあった、、え〜と、塩を少々いれてぬるま湯で軽くもんでと、、、}

O型 「よかったわねぇ、、わかって(にこにこ)」

A型 「さてと、、味はどうやってつけるんだ?」

O型 「私に聞かないでって言ったでしょう」

A型 「おまえに聞いていない。パソコンに聞いたんだ」

O型 「そんなの甘じょっぱく煮つければいいんでしょう」

A型 「そんなことはわかっているよ、、、だしは何でとるんでろう?」

O型 「そこにそばつゆの残りがあるから、それを使ったら?」

A型 「、、、、、」

O型 「いいじゃん、失敗したらまた作れば。かんぴょう、まだたくさんあるんでしょう?」

A型 心の中で、、「それじゃ明日に間に合わねぇんだよ」

万事この調子である。料理を作るときには血液型の違いがはっきりとでる。この性格の組み合わせは意外と凸凹コンビで、結構うまくいっているのかもしれない(笑)。

2004/09/02(木) 雨の匂い
今日は1日じゅう雨が降っている。
時々思い出すのは、雨の匂いがすると言った女性のことである。彼女が「あ、雨の匂いがするよ、、もうすぐ降ってくるよ。傘が必要だね」なんてことを言い出すと必ず雨が降ってくるのだ。
これはもう不思議なくらいで、天気予報よりもよく当たる。特に夏の夕立などはズバリ的中する。

雨の中をスニ−カ−をびしょびしょに濡らしながら、傘を持っているくせに開こうとせず、二人で歩いたのも遠い思い出である。
おっと、、今の女房ではないです(笑)。

2004/09/01(水) 彼岸市
さて今年も彼岸市が近づいてきた。これは僕にとっておおいに関係のある行事である。それは陶芸の仲間で毎年フリマを出すからである。

当然条件は安い事。だから作るにもどうしてもそれなりのものになってしまう。絵付け、掻き落とし、象嵌などは当然できない。そんなことをしていたら300円、500円ではとても売れない。ぐい飲みなどは当然100円である。

もちろん作るのは僕だけではないが、6割は僕が作らないとブツがないわけで、これからそれを作って焼こうというのだから恐れ入り屋の鬼子母神である。

しかも売上はたいしてないが、収入は会に入り、ほとんどがご苦労会で終ってしまう。ま、僕が一番でかい顔をして飲めるのだが(笑)。


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