|
2004/09/06(月)
ひまわり
|
|
|
夏の終りを象徴するようにあちこちのひまわりも枯れはじめた。 ひまわりというとまず最初に思い出すのは、チェリッシュの「ひまわりの小径」である。そしてこの唄を聞くと、夏の出機(でばた)まわりを思い出す。
出機(でばた)というのは、織物会社が各家庭の作業場に機織の機械を設置し、内職として織らせるもので、あの頃はあちこちで機織の音がしていたものである。
僕も学校が終ると、芸術関係の仕事がしたくて織物会社の図案書きの仕事についたわけである。ところがこの会社、小さい会社だったのであらゆる雑用をしなくてはならない。図案書きもしなくてはならないが、時々出機まわりをやらせる。織りあがった反物を各家庭を回って集める仕事である。
一番遠いところが飯山市でほぼ60Kmの距離をまわる。1日がかりである。頭を使うわけではないので、ちょつとしたドライブである。免許も取りたてだし、車の運転が楽しくて仕方がない頃である。
このときの会社の軽のワゴンに、当時すでに無くなりつつあるの8トラのカ−ステレオ(死語)が積んであり、ここに差し込んであったテ−プがチェリッシュの全曲集というわけである。
この「ひまわりの小径」を今聞くと、家庭の事情で大学に行けなかった切なさも手伝って、あの頃の自分がありありと浮かび上がってくるのである。
ところでこの会社、僕が入社してから約半年後に倒産する。ここから僕の人生の激動期に突入する。僕は最後の給料の半端までもらい、倒産前に退職したが、最後までがんばっていた社員は、給料分は反物で支給されたそうである。
|
|
|