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2005/11/21(月) おでん追想
 東京にいたときの事、一人暮らしの僕は仕事と学校の往復でほとんど遊んでいる暇はなかった。夜中の一時ごろ仕事が終わり、行きつけである新潟出身の親父がやっているおでん屋に行くのが唯一の楽しみだった。
 そのころの僕には、色気のある話はあまりない。都会の隅でゴキブリのように生きていたという感じだろうか。
 地方出身者はなぜか地方出身ということを隠したがる。つまり過去を隠すのである。そうする事で背伸びをしようとする。そして顔の皮膚をひきつらせながら尖った顔になってくる。こうなればしめたものである。間違いなく東京人だ。
 たまに東京に研修会などに行くと、田舎の人か都会の人かはすぐにわかる。顔である。しっかりと顔に書いてある。その顔には「私は東京に来て10年です」「私は東京に来てまだ一年です」などと書いてある。
 さて、そんなふうに突っ張っていても、地方出身ということをさらけ出したとたんにみんな田舎の人なっっこい顔に変わる。
 

 おでん屋の屋台でいつものようにおでんをつっつきながらコップ酒を飲んでいると、けばけばしい化粧をした女がやってきた。この人も馴染みの客らしく屋台の親父は親しげに声をかけた。

「京ちゃん、今日はやけに早いね」
「う〜ん、ちょっとトラぶっちゃてさ、今日は頭にきて帰ってきちゃった」
「まぁいろいろあるわなぁ、、焼酎のお湯割りでいいか、、」
「うん」

 屋台の客はたった二人、なんか黙って飲んでいるのも気まずい雰囲気である。そんなことを察してか親父が僕を紹介した。

「京ちゃん、こちらのお兄さんは新潟出身だよ、あんたんとこと近いんじゃない?」

 そう言われると、けばけばしいアイシャドゥの目がじろりとこちらに向けられた。

「新潟のどこよ?」

 つっけんどんな言い方で、面倒くさそうに話かけてきた。

「長野との県境です、十日町の隣くらい、、」

 そう答えると、いきなりのこの女は顔をほころばせた。
「近い、近い、私信州の飯山」
「あ、そうなんですか、家から車で一時間くらいですね」

 こんな会話で人と人とが知り合っていく。それからちょくちょく屋台で一緒になった。ご馳走になったことも何度かある。だんだんこの女の素性もわかってくる。年齢は僕よりひとつ下。しかしついに恋愛には発展しなかった。
 一度だけ僕のアパ−トに来たことがある。屋台にたばこを置き忘れただけなのだが、わざわざそんなものを届けてくれた。試験前日だった僕は夜中の2時から試験勉強である。それを察してかお茶でも飲んでいかないかという僕の誘いを断って帰っていった。
 どんなに機会に恵まれても、相性というものがあると思う。運命の赤い糸などという気はないが、うまくいかないものは絶対にうまくいかない。それが何なのかよくわからないが、なぜかまれに相性が悪くてもくっついてしまう場合がたまにある。これは絶対にうまくいかない。どうしてそうなるのかというと、スバリ肉体関係である。これにもつれ込んでしまうと修羅場である。
 さびしがりや男と女である。肉体関係でさびしさをまぎらわしても、お互いの束縛だけで休まる時間が存在しない。別れるときには血を吐くような苦しみをもちながら、なぜか未練が残らない。
 これとは別に、肉体関係などなくても一緒にいるだけで気持ちが休まる相手というものがある。こういう場合はうまくいく。結婚まで考えてもいいと思う関係とはこんな関係であろう。

 東京ではついぞ結婚の相手として考えられる女とはめぐり合えなかったが、あの3年間は充実していた。金はバイトで必要最小限は稼げたし、学費もなんとか払えた。

 田舎に帰ってきたとき、時間が止まっていると感じるのは僕だけではないだろう。この止まった時間をどう使うかということで一時は頭がおかしくなる。自分が社会から置き忘れられた存在に思えてくるからである。

 今晩の夕飯は僕がおでんを作った。あの親父の味に近づけたいといつも思うが、とても近づく事はできない。おでんを食べるときいつも思い出すのは、あの親父の顔である。もう商売はやめたんだろうなぁとふと思う。こんな日はなぜか日本酒である。ぬるめに温めたコップ酒が喉を通って胃にしみわたるとき、出汁のしみこんだ大根に箸を入れておでんを二つに分けるとき、親父さんの顔が目に浮かぶのである。これじゃぁまるで演歌の世界であるが、僕の心の演歌にはなぜか色気が存在しない。

 


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