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2005/12/31(土) 大晦日
 午前中まで仕事。帰宅してから大掃除をして、神棚を祭る。カレンダ−をすべて付け替えるのが意外に手間である。
 年越しそばは、しなそばである。つまりラ-メン。ス-プから仕込むので結構手間がかかる。
 お決まりどおり紅白歌合戦。中学生がいるせいか結構若い歌手やグル−プがわかるので、こいつはあと3年はもつ。こいつらは一発屋、などと批判しながら斜めにTVを見ていた。
 毎年2年参りということで夜中の12時前後に出かけるのだが、今年はパス。あまりに雪が多いためにそういう気分になれない。なんとなく酒を飲み、何となく眠る。

2005/12/30(金) 雪の中での思い出
 今の女房以外に、本気で結婚しようと思った女性が一人だけいる。男というものは勝手なもので、遊ぶのに適した女と結婚するのに適した女とを心の中で自動的に振り分ける。
 その結婚を考えた女はまじめであった。母親が若いときに蒸発してしまい、子供3人を男手ひとつで育てたという家庭の娘である。真面目すぎて遊ぶにはまったくつまらなかったが、たぶん家庭を持つならこの女と決めていた。
 それではどうして別れたかというと、、、そこが自分でもわからない(笑)。これが運命の赤い糸というやつで、つながっていなかったのだろう(笑)。
 この女と一度だけ飲みに行ったことがある。時はクリスマスイヴ、お決まりでブレゼントの交換。僕はグレ−のマフラ−をもらった。僕が彼女に何をブレゼントしたのかはどういうわけか思い出せない。
 そのマフラ−であるが、ちょうど今年のような大雪の年、雪の中の小路をそのマフラ−をしながら飲み歩いた。雪の中の小路はまるで迷路のようでもある。何軒かはしごをしているうちに、どこかの飲み屋を忘れてきてしまった。その後、なんとなく彼女とは会わなくなった。
 彼女とは一度だけ、地元のアマチュアコンサ−トで歌を歌ってもらったことがある。渡辺真知子の「迷い道」である。僕がキダ−を弾いて、リ−ドのエレキは、同級生に手伝ってもらった。その頃が付き合いのピ−クであろうか。
 今思えば、マフラ−を飲み屋に忘れてくるような程度の付き合いだったのかもしれない。遊びたいと思う女、結婚したいと思う女、そこでもうひとつ、結婚したいけどできない女というものがある事に気がつく。
 雪の中で歩いていると、あの頃の、マフラ−を忘れて飲み歩いていた時代がよみがえってくる。人生を半分投げていたような頃である。やけっぱちな気持ちで生活していた頃である。そんな頃に、今だからこそ分かるが、真面目な彼女とそりが合うはずがなかったのだろう。
 ちなみに今の女房から最初にもらったブレゼントは、ステンドグラスの壁掛けであるが、やはりというべきか、今でもちゃんと僕の屋根裏部屋にかけてある。
 すれ違いといえばそれまでだが、やはりどこかで運命の赤い糸があるような気がする。柄でもないが、、(笑)。

2005/12/29(木) フォトコン
 フォトコン、以前はよく出品したものである。しかしここ3年ばかりぜんぜん出さなくなった。フォトコンで入賞しなしてはいけないという重荷がプレッシャ−となり、写真がつまらなくなったからである。
 写真を撮ること、それは目の前にある情景を盗る、つまり盗むことである。盗むと言うと相当聞こえが悪いが、自分でつくりあげることとは違うわけで、いつも目を盗人の目にしなくてはいけなくなってきた。これがイヤになりフォトコンに出さなくなった。
 どうしてそう感じるかというと、もうひとつの趣味、陶芸がこれとまったく逆だからである。これは土の塊から作品を作り出していく。自分がすべて作るものである。このふたつの相対する趣味を使い分けるには相当難しい。

 まぁさしずめ今なら雪景色でも撮ればいいところであるが、この大雪、とても心の余裕がない。というより、雪は見るのもイヤである。ましてやファインダ−の中になど収めたくはない(笑)。関東、関西の人たちからメ−ルをいただくが、雪の写真を撮れていいですねぇという意見が多い。しかし、ここに住んでみると、とてもとても、、、、。

 ふるさとは遠くにありて思うもの
 そして悲しくうたうもの
 よしやうらぶれて井戸のかたいになるとても
 帰るところにあるまじき

 室生犀星の詩である。間違っていたらごめん、たしかこんな感じだったと思う。この詩はまさに真理である。遠くからの傍観者にのみ、叙情的な感情が許される。富士山に苦しみながら登っている人と、富士山を遠くから眺めている人との違いであろうか。ちょっとたとえが悪いけど。

2005/12/28(水) またまた雪の事
 雪が、、、、異常に多い。
 たばこを口にくわえて屋根裏部屋から外を眺めている。次から次へと落ちてくる雪がまるでゴミのようである。
 この地域に雪が多いのは苗場山があるためだという。つまり苗場山の高さを低くすればこの地方に雪が降らなくなるらしい。ただし、この地方は魚沼コシヒカリの名産地である。この米がうまいのは雪が降るためだともいう。
 苗場山を削って低くすれば、米はまずくなり、水もまずくなる。それは分かっているが、、低くして欲しいところである。苗場山。

2005/12/27(火) パソコンで作曲
 ついに屋根裏部屋が作曲のできる環境が整った。というのは、パソコンの中で作曲ができるようになったからである。このソフト、なかなか使える。
 譜面を打って、プレイボタンを押すと、そのままメロディ−が流れるので間違いにすぐ気づくからである。手書きの譜面はずいぶん間違っていた。
 今年のお正月はこれで楽しめる。問題なのはこのソフトをあまりよく理解していないことである。まぁぼちぼちというところである。あとはキ−ボ−ドとギタ−を横に置けば完成。むむ、、エレキギタ−も欲しくなってきたなぁ(笑)。

2005/12/26(月) 記録更新
 毎日、毎日雪が降る。何十年ぶりの大雪なのだろう。父親に
「自分が生まれてから12月にこんなに降るのは初めてだよ」と言ったら
「あたりまえじゃないか、俺だって初めてなんだから」
と言われた。
 さて、この雪、何かメリットがあるのだろうかといろいろ考えるが、何にもいいことはない。しいていえば夏場の水不足になりにくいことくらいだろうか。
 いくらため息をついてもしょうがない。前向き、前向きと窓の外を見ると、心がいつのまにか後ろ向きになる(笑)。

2005/12/25(日) お葬式
 本日は晴天なり。雪はまた明日から降るらしい。とんでもない量である。雪を片付ける場所がもうない。ということは晴天となってもどうしようもないのである(笑)。
 さて、今日はお葬式に参列。遠い親戚であるが、この地方には同じ苗字を持つ先祖からの仲間である「やごもり」というものがある。だから遠い親戚と言っても、江戸時代くらいにまでさかのぼるのだが、この組織により葬儀は行われる。お互いに助け合う精神からきているので、僕も我が家の代表として出席した。
 それにしてもお寺のあげる線香は臭い。いい臭いとはいえない。まだ鼻に残っている。いずれは自分もこんな感じで葬儀が行われるのだと思うと、死後の世界ってあるのかなと考えてしまった。死んでみなくてはわからないが、長いお経の間、ずっとそのことを考えた。永遠の課題である。

2005/12/24(土) パソコンの屋根裏部屋
 またまたパソコンをいろいろと構築した。なかなか落ち着かなかったがこれでどうやら落ち着きそうである。なんといってもこのブログはここで打つのだから、ここが落ち着かないと続けられない。大量の本もなんとか落ち着かせることができた。
 問題なのは、この大雪で僕自身が落ち着けないことである。

2005/12/23(金) お買い物
 午前中、雪片付けもかねて仕事。午後より子供をつれて大雪の中買い物に出かける。クリスマスプレゼントということでお金を渡す。中学生になると何を買っていいのかわからないので、これが一番いい。
 息子は熱帯魚、娘は??何を買ったのかまったくわからない。
 夕方、娘がクリスマスケ−キを作る。手作りである。甘さを控えめにしたらしく、僕にもしっかり食べることが出来た。女の子がいるとやはり便利である。よく考えてみると僕の友達には、不思議なことに女の子がいない。みんな男ばかり作っている。やはり女の子はいるべきである。いろいろ便利。

2005/12/22(木) カポタスト
やっとみつけた、カポタスト。
息子の部屋から見つかった。息子が一時期ギタ−にはまっていてこれを使っていたらしい。
いくら探しても見つからないはずである。

2005/12/21(水) 雪、ゆき、ユキ、逝き
 この雪には参ってしまった。まだ12月だというのに、どうするんだ、これからの3ヶ月を。
 とぼやいてもはじまらない、雪消ししよう。と思いきや、もう雪を捨てる場所がない。日本有数の豪雪地帯であることは知っているし、ここに生まれここに育ったのだから今さらなのだが、どうしてこんなところに住んでいるのかと恨めしくも思ったりする。
 さてと、外を見ると、、、汗、、、また降ってきた。

2005/12/20(火) 500円玉の幸せ
 ス−パ−に買い物に行く。いつもは夕飯のおかずとかを買いに行くのだが、今日の目的はインスタントコ−ヒ−を一瓶だけである。レジでお金を払う。780円税込み。そのときふと昔のことを思い出した。まるでデジャブのようにふっとあの頃に戻ったような気がした。
 あの頃、、二十歳の頃である。十日町の汚いアパ−トを借りていた。トイレ、風呂は共同。6畳一間で中に流しとガスコンロがついていた。男の一人暮らしには十分すぎる広さである。わき道を抜けてからアパ−トの玄関があるのだが、そのわき道の入り口にモスバ−ガ−があり、時々はそこで食事を済ませた。
 塀をはさんで映画館があり、日活ロマンポルノ専門みたいな映画館。土曜日のオ−ルナイトは、塀の下を潜り抜けてタダで映画を見てくる。入るときは裏からねずみのように忍び込み、帰るときは堂々と正面玄関からえらそうな顔をして出てくる。
 そんな環境に2年ほどはいただろうか、仕事が終わるとまずパチンコである。もちろん今のような博打性の高いものではない。チンタラチンタラとやるパチンコである。今で言うハネモノというやつで一台落とすには結構大変であった。中箱ふたつくらいになるとカップラ−メンにすべて交換してもらう。30個くらいもらえるのだ。それがうれしくてまた出かける。あまり大損はした覚えがない。大もうけもした覚えもないが。
 ある程度の時間になると、いきつけの喫茶店に出かける。尚ちゃんという結構かわいい娘がいて、この喫茶店の看板娘。僕と同級生である。ここのママは純喫茶を経営していて、マスタ−は飲み屋のスナックを経営している。みんな知り合いであり、結構楽しかった。コ−ヒ−一杯で11時頃の閉店までいるのだから、あまりいい客ではなかっただろう。
 そういえば思い出したが、ちょうどその頃パチンコでスリ−セブンがはやり始めた頃で、ある日仕事の帰りにパチンコ屋によると、その機械が新台としてあった。たまたま一台空いていたのでそこに座り、500円玉を借りてやるとすぐにスリ−セブンがそろった。ところがこちとらやり方も何もわからない。どうしようと思っていると、たまたま喫茶店のマスタ−が見ていて、ドル箱を持ってきてくれた。
「これってどうなってんの?」
と聞くと
「何だおまえ、知らないでやってるのか!!みんなこれが出したくてやってるんだよ!」
と言ってくれた。ついでに全部でいくらになるのかと聞いたら6000円になるという。これにはびっくりした。その帰り喫茶店に寄り、常連のみなさんにコ−ヒ−を一杯づつおごった。
 思えば、あれが悪夢の始まりで、一時期ずいぶんはまったものである。今はぜんぜん行かなくなったが、パチンコはハネモノに限るようである。
 
 さてコ−ヒ−であるが、今はほとんどブラックである。などというとかっこいいが、なんのことはない、スト−ブの上でいつもしゅんしゅん沸いている薬缶から、ろくに洗いもしない自作のマグカップに粉をぶっこみ、お湯を注ぐだけである。たまに砂糖なんぞを入れてみると、まるで別の飲み物になる。この粉を入れてお湯を入れるとき、写真の現像液を溶いているような気分になり飲む気がしなくなるときもあるが(笑)。
 昔のあの頃は500円で幸せが買えた気がする。どうして幸せだったのだろうかと考えてみる。答えは簡単である。その500円に未来という時間がいつもセットになっていたからである。だから100円でも幸せが買えたのである。
 今は、、、500円は500円の価値しかなくなった。そのまんまである。気がつけば、自分という人間もそのまんまになっている。
 雪が毎日、毎日降り続くとどうも暗くなっていけない。こんなことばかり考えるようになる。今年も終わる。自分にとってこの一年は何だったのだろう。ふとそんなことを考えてみた。暗い一日である(笑)。

2005/12/19(月) 写真エッセイ3
父が亡くなったという知らせが母の元に届けられたとき、母は黙ってその手紙を割烹着のポケットにしまうと何事もなかったように、今晩は勤めを休むからとそそくさと夕食の支度を始めた。
 その晩、母は妙に僕達に優しかった。そのやさしさは遠い街で僕に、ラ−メンでも食べないかと言った父のやさしさにどこか似ていた。

2005/12/18(日) 写真エッセイ2
あれから30年、今にして思えばあの時の父はすでに母との別れを決意していたのかもしれない。毎晩のようにののしりあっていた父と母は、家計が苦しかったという事情だけでなく、そこに一人の女が存在していたことも僕にはなんとなくわかっていた。
 やがて父はめったに家に帰らなくなり、母は勤めに出かけて、帰ってくるのはいつも夜の11時すぎだった。いつのまにか姉と二人で夕食を食べるのが当たり前のようになっていた。

2005/12/17(土) 写真エッセイ1
あれはいつの事だったのだろう。父に連れられてどこかの遠い街にでかけた覚えがある。どこの町かも覚えていないが、記憶の中にだけぼんやりと存在している。
 覚えているのは、父がラ−メンでも食べるかとやさしく聞いてきた事である。いつも厳しい父がその日は妙にやさしく、それが幼かった僕にはとても不自然に感じた。思わず僕はいらないと答えたような気がする。。父は、少しがっかりしたように、そうか、、とひと言つぶやいてまた歩き始めた。

2005/12/16(金) 大雪の大雪
 大雪のため仕事がヒマである。考えてみると無理もない。こんなときは自分でも出かけたいとは思わない。町に人が歩いていない。
 あまりにヒマなので、ホ−ムペ−ジの中にフラッシュを組み込むことを練習する。内容を充実させるのと、重さを軽くするのとは反比例する。ここが難しいところ。

2005/12/15(木) 写真の整理
 たまったモノクロネガをパソコンに取り入れている。これが結構しんどい作業である。なにしろハ−フ判なので枚数が多い。ふぅ〜(ため息)。
 夜、珍しく息子が将棋をやろうというので付き合う。わざと負けてやる。たぶん分かっていたのだろう。だが、さんざん馬鹿にされた(笑)。
 夕食、かにの缶詰がお歳暮で届いたので、それを使ってかに玉を作る。例のすっぱいあんかけを作るのに片栗粉を溶きすぎてだんだん量が多くなってくる。たっぷりかけて食べていただく。
 深夜、なぜか珍しく夢をみる。なんの夢なんだかもう忘れた。しかし、めずらしい人物が登場したということは覚えている。最近夢をみないので(酒を飲んで眠るせいなのだろう)、夢を見ると不思議である。猫がいつのまにか一緒に寝ていた。結局こいつに起される。寒いので早くコタツのスイッチを入れろと言う。時計を見ると朝の5時、もう少し寝かせてくれと、コタツにもぐりこみまた眠る。

2005/12/14(水) 花より男子
 夕食後、みんなで読書。といっても漫画であるが。娘が友達から借りてきた「花より男子」を読みふける。これが結構おもしろいのである。
 TVでドラマ化されていて、この男のほうの主人公、金持ちの鼻持ちならないお坊ちゃまの役をしている男が息子に似ているらしい。まぁ親からみるとぜんぜん似ていないのだが、目と眉毛がちょっと似ているのかもしれない。
 そんなわけで息子もなんとなく読んでいるうちに、家族全員がTVもつけずに静かに読書。ところが息子の読むことの早いこと、親父が一冊読むのに息子は3冊読む。
「おまえ、それで理解できてんのか?」
「もちろんだよ、というより親父が読むのが遅いんだよ!」
 そんなわけで追いかけられるので、こちらもついつい読むのが早くなる。
 すべてが時短の時代、読むことも時短なのだろうか。

2005/12/13(火) 大雪
 早くも大雪。初雪でこんなに積もるのも歴史に残る災害であろう。仕事は超超ヒマなので雪おろしでもと思いきや、落とした雪を片付ける事ができない。毎日自宅から弁当だけを食べに来るだけである。
 さて、こんな暇なときには、やることがたくさんある。しかし・・・やっぱり好きなこと、楽しいことから始める。この冬にパソコンのウェブ用のフラッシュをなんとかマスタ−したいなぁと考えているが、こいつはなかなか手強い。
 ほかにも年賀状作り、これは簡単である。別に年賀状ソフトなどはなくても、イラストレ−タ−で簡単にオリジナル年賀状が作れてしまう。フォトショップだけでも作れる。ワ−ドでも作れる。パブリッシャ−でも簡単にできる。結局パソコンに慣れてくると、一番簡単なのが年賀状作りである。

 僕がパソコンを始めてから約3年、いつのまにかいろいろなソフトをマスタ−してしまった。このことを言うとみんながびっくりする。どうやって覚えたのかと質問してくる。よくよく考えてみると自分でもわからない。必要に迫られてと言うよりほかはない。
 わからないことがあると質問できる人が沢山いる。このことが上達を早めたのだろう。まずは印刷会社勤務から脱サラしてWEBデザイナ−のプロになったU氏、逆に電子会社から印刷会社に転職したT氏、考古学専攻で学芸員であるY氏、この3人がたいがいのことは骨身を惜しまず教えてくれる。おそらくこの3人、わが町でも最強のパソコン使いであろう。これほどの人材が周りにいて上達しないわけがないのである。
 
 パソコンといえば今晩の出来事、先日東京に住んでいる女房の友達にお米を送った。そのお礼のメ−ルが送信されてきた。女房に返信させようと夕食後、パソコンの前に座らせた。まず最初に言われたこと、
「メ−ルを作るにはどうするの?」
みんなが唖然とした。結局息子と僕が手取り足取りとなるのだが、文章を打つのに一生懸命で、文章の内容がめちゃくちゃ。息子と二人で、これはおかしい、これもおかしいと笑っていたら、女房はとうとう怒り出した。
「もう全部消しちゃう!!」
あまりケチをつけるのも悪いと思い、息子と二人で無視することにした。しばらくすると女房がひと言、
「消すにはどうするんだっけ?」
 結局息子とああだこうだと言いながらなんとか3行くらいの文章ができた。よく見るとやっぱり変であるが。結局僕が補足。これだけ打つのに女房は30分かかった。
さて、送信してしばらくすると即返信がきた。女房に伝えると、
「もうイヤ、後は明日、、」。

 雪はしんしんと降り続きやむことを知らない。僕の心にもしんしんと師走のすきま風がしみこむ。パソコンの前に座ること3時間、そろそろ飽きてきた。今度は本を読む。あれ、、、文字がゆれている。老眼なのか乱視なのか、いずれにしてもパソコンのやりすぎである。

2005/12/12(月)
 本日も雪である。どうなっているのだ、昨年の中越地震でまだ仮設住宅に住んでいる人も沢山いるのに、昨年と今年と大雪となると新潟県は破産である。
 雪といえば、子供の頃は熊みたいに穴倉に住んでいるようなものだった。真っ暗な家に住んで、こたつに入って、いろはカルタをしたのをよく覚えている。ひらがなが読めるようになってからだから一年生くらいだろうか、「犬も歩けば棒にあたる」というのが意味がわからなかった。今も実はよくわからない(笑)。
 子供のときは何の責任もなかったから冬は冬で楽しかった。カルタはもちろん、せんべいつり、みかんつりなどもやった。意外と面白かったのはお店屋さんごっこ。いろいろなものを並べて、プライスタグをつけて売るのだ。紙でお金を作って買い物をする。イメ−ジとしては駄菓子屋さんだったのだろう。
 今の子供達は・・・やらないだろうなぁ(笑)。今ならジャスコ屋さんごっこかもしれない。大きな店というとジャスコである。それくらい全国に広がっている。知らない場所でも、ある大きなお店に出かけたとすると必ずそばにジャスコがある。つまりジャスコを中心に大型店舗が軒を並べるのだ。
 商店街などはあってないようなもの。これは実は深刻な問題を抱えている。商店街の跡取りがいなくなるのはもちろんだが、近くにお店がないということは、近くに病院がないのと一緒。生活に必要なものがすぐに間に合わなくなってくる。と、思いきや、セブンイレブンが24時間やっている。この問題も解決してしまう。これから先、流通機構はどうなっていくのだろう。

2005/12/11(日) ジャズダンス
 娘がジャズダンスをやっている。今日はその発表会である。一応親父としては見に行く。ついでに写真も撮る。ストロボ禁止。ISO1600のフィルムを800で撮る。機材はEOS RTである。シグマの望遠ズ−ム70〜210mmF2.8の一本である。このレンズ、最近ではこのジャズダンスでしか使わなくなった。
 それにしてもひどい雪である。今からこんなに積もっては先が思いやられる。外で食事をしようかといったが、雪も降っているし出かけないことにする。乾麺のうどんで我慢する。やはり雪が降っているとそういう気分になれない。
 すべてを閉じ込める雪、この土地に生まれ、この土地に育っているのに、いまだに雪には慣れない。すべての消費が落ち込み、街に人が出歩かなくなる。人だけではない、車も通らなくなる。暖房費はかさみ、経費だけが重荷となる。同じ税金を払っているのに、太平洋側と比べると不公平である。
 そういう不満をやわらげてくれた政治家が田中角栄であるが、東北へ行くと評判が悪い。新潟県だけ良くして、我々のところは何も恩恵がないというわけである。それもごもっとも。

2005/12/10(土) 時代小説
 池波正太郎を読んでいる。この人の小説は面白い。藤沢周平も好きだが、カラ−がまるで違う。
 二人の代表作は、池波は「仕掛人、梅安」「鬼平犯科帳」、藤沢は「小林一茶」、それから映画になった「たそがれ清兵衛」もたしかそうだと思ったが、違っていたらごめん。
 TVだと池波が民放、藤沢はNHKというところ。まぁTVをたまに見ると時代劇をやっていたりすると、民放は勧善懲悪がテ−マであり、NHKは封建社会のひずみがテ−マであるといっていい。
 水戸黄門は大仏次郎だと思ったが、パタ−ンは決まっている。まず角さんか助さんがひとりでいるときに、助けてと村娘かなんかが出てきて、角さんが悪者を追い払う。お礼にと村娘の家に角さんを連れてゆき、夕飯かなにかをご馳走する。だいたいはその地方の名物が出される。そのあと水戸黄門ご一行と合流する。はちべえがやたらと食いまくる。
 その後、事件のことをいろいろと聞く。「よろしかったら訳を聞かせてもらえませんか?」と言うと訳を聞かせてやり、最後に名セリフ「あなた様はどなた様で、、」となる。ここまでが20分、次に悪者の事情が入り、35分に由美かおるの風呂のシ−ン。だいたい悪代官が風呂を覗き、お湯をぶっかけられる。後の説明は省略。

 わかっているくせについ見てしまうところが面白い。それから現代版のドラマではサスペンスもの、これもパタ−ンがある。これは最初の30分間に必ず犯人が登場している。この間に誰が犯人かを当てるのが楽しみであると娘は言っていた。そんなこと考えていないで少しは勉強をしろと言いたくなるが、この娘の性格が一番僕に似ている(笑)。

2005/12/09(金) カメラ
 オリンパスのトリップ35というカメラがある。セレニウムによるEEでピントは目測式、ストロボ用のマニユアル絞りがついている。最近このカメラを取り出してしげしげと見つめていると、どうもカメラというものはこれ一台でいいのでは考えた(笑)。
 これだけの機能がついていればまず写真は撮れる。マクロとか望遠とかは撮れないが、家族用としては十分である。などと考えていると、デジカメも同じことである。僕の持っている310万画素のフジのデジカメ、これで十分なのである。
 

2005/12/08(木) メ−カ−パソコンの功罪
 屋根裏に大工さんが入って棚をかけているので僕の部屋が今はないと同様。屋根裏にパソコンが3台あるのだ。ほとんどの作業は僕の場合屋根裏である。
 で、今居間にあるパソコンを使って打っているのだが、このパソコンは家族用ということで、じじばばは別にしてすべての家族がログインできるようにしてある。ほとんどは子供達専用であるが、ユ−ザ−切り替えをすると重くて大変である。必ずログオフするようにしている。
 このパソコンは僕が初めて買ったパソコンで唯一のメ−カ−パソコンである。富士通であるが、OSはなんとMeであった。このMeが実によく固まる(笑)。かなり苦労したわけであるが、自分でパソコンの内部をいじれるようになり、HDDを交換してXPのOSにしたら快適である。つまり富士通が悪いのではなくOSのMeが悪かったのだ。CPUはペン3の866でメモリ−は128、HDDは40Gであった。今はメモリ−を拡張してある。HDDは250Gに変えた。
 メ−カ−パソコンの欠点はいらないソフトがたくさんついてくること。これにもお金を支払っているわけで無駄である。くっつきソフトと僕は呼んでいるが、必要なソフトはOffice2000とフォトショップくらいなもので、あとはまったく必要なかった。子供達はゲ−ムパックを喜んでいたが、すぐに飽きた。
 今は必要なソフトを自分で購入しカスタマイズしているがいまだに必要だと思うのは数種類である。
だからといってメ−カ−パソコンが悪いということではない。いろいろなユ−ザ−のためにあれもできます、これもできますと宣伝するのは当然なことである。初心者はやはりメ−カ−パソコンであろう。初心者用の入門コ−スなどもついているが、僕にはこれがかえってわずらわしかった。
 

2005/12/07(水)
 日本酒で熱燗、鍋が似合う季節になった。何のために酒を飲むのだろう。理由はない。それは生きることに理由がないのと一緒である。これには反論もあるだろうが、まぁそれはさておき、我が家は酒の飲めない家系である。孫じいちゃんも一口も飲めなかったし、父も飲まない。長男である兄も一口も飲まない。なぜ自分だけが飲むのか、、酒を飲むのに理由はいらない、、、あれ、、、(笑)。
 たぶん無理に呑んでいる部分がある。ありゃ、、いつのまにか自動変換で「飲む」が「呑む」になっている。IMEは優秀だなぁ、、、。

2005/12/06(火) 新聞編集
 まぁなんだ
 こんなものかな
 ほととぎす

大体の枠組みはできた。

2005/12/05(月) 一休み
 とりあえずは一休みというところ。休みすぎて3日も日記を付けなかった。あいすみません。実はこの3日の間に、また仕事を引き受けた。地方新聞が正月の新春特集に、わが「写団 猫の眼」を紹介してくれるという。
 実は昨年度は僕が特集となったわけで、このサイトも紹介されている。昨年度は僕がイラストレ−タ−ですべて段組までやってそのまま印刷原稿となったのだが、今年もそうなりそうである。というのは猫の眼の会長は年末は超忙しい。そんな事情がわかりすぎているので、つい引き受けた。
 引き受けてみると、編集長より連絡があり、また昨年同様まる投げでやってくれと言う。まる投げ、、、、つまりパソコンで編集しろということである。まぁ原稿を打つのも、編集するのもたいして違わないのでそのままOKを出した。
 このまる投げ、、編集者にとってこれほどありがたいものはない。実際にやってみるとよくわかるのだが、原稿だけを書く人、写真のみを持ってくる人、これらをひとつの紙面にまとめるには大変な労力を要する。編集が終わると、印刷会社との調整、そして作者による校正である。僕は高校生のとき新聞委員長だったのでよくわかるが、印刷会社に持っていけるようにするためには、余白にカットやイラストを入れたり、写真を大きくしたり小さくしたりとかなり神経を使う。
 まる投げとは、これらの仕事を作者がすべてやることになるので、沢山の工程が一度に済まされる。最終工程はCD一枚にすべて収めて渡すだけである。
 結局こんなことばかりやっているし、印刷会社、新聞社の知り合いも多いので、いろいろいな知識が自然と身につく。ただし、いいことなのかどうかはよくわからない。ひとつだけはっきりしているのは、自分が忙しくなるということだけである(笑)。

2005/12/04(日) 友の会展、展示終了。
 終わった。やっと、、、。満足のいく仕事じゃないけど。まぁよしとしよう。どうして自分だけこんなに忙しかったのかというと、今回の展示、責任者がいない。信じられない話だが、これだけの展示をするのに企画書がない、テ-マがない。テ-マがなくてはチラシが作れない。仕方ないので僕のほうで勝手に「自然と共に育てるア−ト」という文字をいれた。企画書もなく、テ−マもなく、どうやって広報担当としてアピ−ルすればいいのだろう。

 午後になると、亡くなった同級生の作品の展示のPOPを作った。不思議だった。亡くなった彼女が今僕の目の前のディスプレの中にいる。まさかこんな形で彼女の作品展示をやるとは思わなかった。自然と力が入った。

 夜は写真サ-クルの作品作りと展示。やっぱり気のあった仲間は楽しい。予定通り作業が進み、展示してくる。なんか充実感がある。写真という共通の趣味で結ばれた仲間である。最後の展示で気が晴れ晴れとした。大切にしたい仲間である。やっぱり僕は写真なんだなぁと実感する。今こそ原点に戻るべきである。そんなことを感じた。

2005/12/03(土) 友の会展U
 本日も11時過ぎに帰宅。あいもかわらずPOP作り。あの場所で座ってパソコンをいじっていると次から次へと仕事がやってくる。まぁなんとかこなす。あまり忙しいとなんでこんなことやっているのかと不思議な気持ちになる。
 そもそもこの時代に何人ものメンバ−がいてパソコン使いがいないというのがおかしい。僕自身この会に入って広報部にさせられて、それから必死で勉強してパソコンを使えるようになったのだ。パソコンを一番遅くやり始めたのはたぶん僕だろう、やっと3年である。(根が好きだったせいもあるが、笑)
 愚痴を言っても始まらない。任期期間中は精一杯やりましょう。それにしても、こんなことばかりやっていて家のことをちっともやらないので女房の機嫌が悪い。無理もないのだが、、、。
 

2005/12/02(金) 友の会展
さて、本日も12時ごろ帰宅。友の会展のためのPOP作りである。ほぼできあがった。同時進行で写真サ−クルの作品の構想も練らなくてはいけない。
 お金には一銭にもならない仕事。だからといって自分がこれを投げ出したら友の会展はまず失敗する。パソコンと毎日にらめっこ。このちいさなディスプレイの中で世界が構築される。しかし、そこには僕が存在しない。何故か、、、それは僕が作ったものではないからだ。パソコンのソフトが作ったものだからだ。僕がやっているはパソコンに指示を出しているだけ。ここに盲点がある。いつのまにか自分自身が仕事ができると勘違いしてしまう。とんでもない話だ。
 アナログの世界にはたしかに僕が存在した。しかしデジタルの世界には僕が存在しない。できあがったPOPだけが存在する。少しむなしい。これが手書きだとすれば、その紙切れに僕が存在するのだが。

2005/12/01(木) デジタルとアナログ
 なじょもん友の会の原稿まだですか?とTELしたところ、友の会BOXに入っていたでしょうと言われた。よくよく聞くと、今回はフロッピ−だという。まさか昔のワ−プロじゃないだろうなぁと開いたら、ちゃんとDOS−Vであった。ただしワ−ドや一太郎ではない。メモ帳かな?
 とにかく、これで打つ手間が省けた。この人はアナログなのでいつも原稿でいただくのだが、今回に限ってフロッピ−。どうしてかというと娘さんに打ってもらったのだという。なるほどなるほど。 
 デ−タのやり取りというものは簡単なようで難しい。テキストファイルだとメ−ルに添付できる。文章原稿だとFAXでもいい。しかし、重い写真デ−タやイラストレ−タ−のAiファイルだとそうもいかない。以前はデ−タをCD−RWで持ち歩いたが、このRWはいまいち信頼がおけない。CDだとちょっとデ−タ移動にはもったいないし。
 最近はUSB2.0の2.5インチHDDをケ−スに入れて持ち歩いている。古いジャンクのノ−トパソコンより取り出したもので4.3Gしかないが、デ−タ移動に使うには十分である。
 共有デ−タだとネット上のファイルバンクを借りてアップしたりダウンしたりしている。これは友人より教えてもらったもので、非常に便利である。ただし、WEB環境が悪いとダウンロ−ドに時間がかかる。
 いらなくなったデ−タはどうするかというと、以前はいらなんだから削除していたが、意外や意外、結構あとで必要になるものである。最近はデ−タがまとまるとCD−R700Mいっぱいにデ−タを書き込んで保管している。こうすると一応パソコンのHDD上からは削除できる。
 情報過多の時代というが、TVや新聞、本、雑誌のほかにインタ−ネットというものが首位を占めてきている。この通称ネットというものは広く知識を求めるには便利だが、底が浅い。深く掘り下げるには結局本なのだが。
 我が家では家族用パソコンが居間にあり、家族一人ひとりにXPの窓口を設けてある。メルアドを持たないのは女房だけである。
 ネットはちょっと調べてすぐに必要な情報が手に入る。息子は熱帯魚に今はまっているが、その飼育方法から魚の種類まですべてネットで調べ上げた。娘は最新のニュ−ミュ−ジックをすべてネットで調べ、視聴版で聞いてからCDを購入している。
 しかし、ネットはどこか地に足がついていないという感じがするのは僕の年代のせいだろうか。


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