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2005/02/28(月)
平凡であることの非凡
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最近思うのであるが、あたりまえの生活、あたりまえの日常、淡々と過ぎていく月日というのは、もしかしたら、すごく幸せなことなのではないかと。 なぜそんなことを思うのかというと、家族が6人もいると、まぁいろいろとあるわけである。この6人が何事もなく無事に生活していけるということは、何よりもの幸せであると。
どん底にまで落ちて這い上がってきた人は強いとよく言うが、どん底までいかなくても、かなりやばいところまで行った東京での自分の生活というものは、ここではちょっと語れない。 あの頃の自分を思うと、今の生活は、まぁ幸せというものであろう。電話料金が払えなくて、止められたことなどは、今では武勇伝である。たかが3千円の金が払えなかったのである。
米だけは田舎から送ってきていたので、ごま塩だけで一週間すごしたこともある。 今でこそ、カメラをこんなに沢山持っているが、あの頃はコンパクトカメラの一台も持っていなかった。後輩からヤシカの一眼レフ、FRの標準付をもらったときの喜びはたとえようもない。
たぶんそんな気持ちがトラウマになり、こんなにカメラを集めたのではないかと思う。 今年はもっと写真を撮らなくてはと考えている。
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