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2005/03/17(木)
春の喜び
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春である。
先日ご年配の方から聞いた話では、山菜である「ぜんまい」が山に行くと沢山あるらしい。なぜなら、ぜんまいを取りにいく年代が年老いたために山菜取りに行けなくなったためだという。 そして一時期流行した減反の田んぼにぜんまいを植えたもの、これが需要に十分見合う生産がされていることも理由のひとつだという。
さぁ、それでは取りにいくかと我々の年代は意気込んでみても、果たせるかな、ぜんまいを干して揉んでいる時間がない。雪国の人はご存知と思うが、ぜんまいというものは、ただ単に干しただけでは固くて食べれない。干し加減をみながら何度も何度も手で揉んでやらなくてはいけない。 現実にはこの手間ひまがないのである。だからぜんまいを苦労して取りにいっても意味がないのである。
一般に山菜の王様といえば、たらの芽ということになっているが、この地方ではあまり取らない。うどの芽のほうがてんぷらにした場合は風味があってうまい。 またここ数年であるが「こしあぶら」というものも流行っているが、これも地元ではそんなに人気があるわけではない。
やはり、雪国ではぜんまいが王様である。次にこの地方独自ではあるが、木の芽が最高級品である。これはアケビのつるの先を取ったもので、湯がいて食べると苦味がある。これを溶き卵としょうゆに付けて食べると独特の風味があってうまい。これをつまみに熱燗できゅっとやると、つくづく春の喜びを感じる。
また早春の喜びのひとつに、ふきのとうと言うものがある。これはそんなに沢山はいらないが、これを食べるということは、同時に春の喜びをかみ締めるということでもある。
いずれにしても雪国の人達にとっては、山菜は単なる食べ物ではない。長い冬を乗り越えてきたという安堵感と自然に対するの感謝の気持ちが伴っているのである。 だから近年特に増えてきた山菜泥棒やアスパラ泥棒などは絶対に許せないのである。あきらかに畑作とわかっていても、平気で泥棒をしていく。雪国の人の苦労の成果に泥を塗るような行為、これは絶対に許せない。
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