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2005/05/31(火) ドライバ−とドライバ−
夕食時、息子と会話をしていた。

「モデムのドライバ−がないんだよなぁ」
「ネットで探せばどこかにあるはずだよ」
「それが海外のは有料が多くて、、」
「ふ〜ん、でもモデムなんていらないじゃん、LANがあれば」
「そりゃそうなんだけど、やっぱりディバィスマネ−ジャ−に黄色い?マ−クがついているといやなんだよなぁ」
「まったく、お父さんはA型なんだから、、、」

これを聞いていた女房が、
「ドライバ−ならあの引き出しにいっぱいあったはずよ、探してみたの?」

息子と顔を見合わせて苦笑い。
この手の女房の天然には慣れてしまって、すでに笑う対象にはならない。

女房のいうドライバ−は写真に写っている赤いやつである。

2005/05/30(月) 夜勤
今夜は女房が夜勤。
夕食の準備は娘がしておいた。息子は明日の米とぎなのだが、勉強に夢中?なのか自分の部屋から出てこない。
ということで今米とぎをやってしまった。

今、これを打っている最中に洗濯機のブザ−が鳴っている。これを打ったら洗濯物を干さなくてはならない。

我が家は2世帯住宅にしてある。だからやることがたくさんある。もっとも女房が夜勤の時だけであるが。

パソコンをチェックして、それから水割りをなめながら好きな本を読む時が至福の時である。ただし最近面倒な本は読まなくなった。気楽なものがいいと思う。
先週買ってきた古本、100円である。ただしサ−ビス券を使って50円。この本を読むと、パソコンの進歩のすさまじさがよくわかる。

詳しいことの説明はさけるが、この本の一番言いたいことは、ズパリ、「パソコンは書斎である」と。なるほど言いえていて妙である。
パソコン雑誌の説明の中に、CPUは頭の良さ、メモリ−は机の広さ、ハ−ドディスクは引き出しの多さ、と書いてあったような。
これにインタ−ネットの検索が加われば図書、蔵書。まさにパソコンは書斎である。

この頃はウィンドウズはまだ駄目で、まだ買うなと書いてある。3.1の頃である。つまりPC−98の全盛時代。マックは画像処理がいいというのもうなずける。
DOS−V互換機は今後は期待できるので優良株だそうである。ただしパソコンは進歩が早いので、高いものは買わないほうがいいと書いてある。すべて正解である。

その他面白いことがいろいろと書いてある。50円の古本にしては、結構楽しませてくれました。

2005/05/29(日) 本日田植え
一応農家である。
本日田植え。なれない仕事で疲れたなぁ。
米は越後の魚沼コシヒカリである。だからどうしたということなんだけど、毎日食べているとなんとも思わなくなる。
それに気がつくのは外食したときである。

子供が小さいときよく旅行に連れて行った。ホテル等で出されるごはんは当然まずいのだが、そこは当然ながら大人だから、そんなことは言わない。ところが子供は正直である。
「お父さん、、、このごはん、まずい!」
あろうことかホテルの人がいる前でである。仕方ないので魚沼地方から来たことまで説明しなくてはならない。

まぁ米に関してはまだいいほうで、ある食堂に入って、ラ−メンを食べていた。あまりの不味さに辟易。小さい声で子供に聞いた。
「カップラ−メンとどちらがうまい?」
今度は子供が答えた、しかも大きな声で、
「カップラ−メンのほうがうまい!!」
これは魚沼地方から来たことでは説明できなかった。

2005/05/28(土) カッパ
CPUである。2000円で落札。socket370でslot1の下駄履き。800MHz、133Mhzなので安かった。が、、、しかし、これがかっぱであった。

と書いて、うんうんといえる人はかなりパソコンに詳しい人である。僕自身も素人、カッパとはCopperMineの通称で、比較的新しいPentiumVのCPUである。新しいといってもPen4の時代なのでかなり古いのだが、なにせ安物買いしかしないので、これに合うマザ−がない。
もっともDIMMの133のメモリ−もないし、ハ−ドディスクもない。あるのはこのCPUだけである。だから当分は買うつもりはない。理由は、、、金がないだけですが(笑)。

こんなことやってないで、いきなりPen4とかで作ったらどうだ、、と言われるのだが、高いものだとショップ組みパソコンのほうが安いような気がする。
もっとも、もっと高いものだと組んだほうが安いのだが。

問題はパソコンの使い道である。せいぜいネットとアドビの画像系ソフトを使うくらいだと、今のシステムマシンで充分である。パソコンを作るのを楽しむには、いかにに安いシステムで組めるかを自慢するのが関の山である。
だからもう卒業しようと思っている。

我が家のパソコンはすでに98SEが2台、XPのProが5台もある。家族6人で一人一台といいたいところだが、ジジババが使うわけがない。中学生の二人の子供が使う程度、女房はパソコンはいまいち。

問題はこのCPUをどうするかだが、やはりここはカッパ対応のマザ−を用意したいところ。でもなかなか安いものがない。予算は3000円以内、、、、無理か(笑)。

2005/05/27(金) 縄文土器の製作
最近作った土器である。
十日町博物館より依頼されたもので、この土器の出土した場所を公園化しているのだが、建設中の住居の炉にこの土器を置きたいということである。
当然ながら、その土地で出土した土器と同じデザインがいいわけで、まさか本物を置くわけには行かないので、複製品となったわけである。
仕事が終わって夕食を食べてから、夜10時ごろまで、こつこつと作り続けて2日間、ようやく完成である。

面倒なのは焼き上がりの色と大きさである。これは土によっても違うので焼きあがってみなければわからない。

それにしても土器というのは不思議なものである。子供のころから親しんできているし、我家の畑の中から子供の頃はやたらと欠片が出てきた。それでいながらも、ついはまってしまう。
別段興味もないというのが本音だが、作っているうちに太古のロマンを感じてしまうのだ。
土のひねり方、ヘラの使い方など、5000年の時を超えて、当時の人の息遣いが聞こえてくる。
やはり本物を見ながら作るというのはいいものである。写真だとこうはいかない。

2005/05/26(木) カ−ド
仕事から帰ると、親父とお袋が困った顔をしている。
「どうしたの?」聞くと、
「実はこんなものが郵便局から届いたんだが、、」
手渡されたものを開いてみると、書留郵便物で親父の名前で届いている。留守中だったため印鑑をもらえず持ち帰ったらしい。
本人が身分証明書と印鑑を持っていかないと郵便物を手渡してくれない。
差出人の名前を見ると(株)ライフとなっている。ライフはクレジット会社である。その程度の知識は年寄りにもあると見えて、
「お前まさか親父の名で金を借りたんじゃないだろうな?」
まさか、、苦笑してしまった。
親父とクレジット会社、、どう考えても結びつかない。
姉や兄にも電話したがまったく知らないという。

クレジット会社からは宣伝のための郵便物はよく届くので、そういうものではないかということで、とりあえずは、明日受け取ってくればわかることだよ、、とその話は終わった。
親父とお袋はそれでも不安な夜を過ごしたことだろう。

さてよく日、親父が郵便局に寄った後僕のところに来た。早速郵便書留をあけてみると大笑いをしてしまった。
コメリカ−ドである。
コメリは農業の肥料、消毒薬等から工具までそろうホ−ムセンタ−である。親父はよく買い物にいく。
たぶん店員に進められたのだろう。買い物のたびにポイントたまるカ−ドである。ただしクレジット機能がおまけでついている。

親父に聞くと
「そういえば申し込んだなぁ、、、」

なんのことはないのである。ただし、クレジット機能がついているので、親父には絶対に失くさないようによく念をおした。

今回思ったのは、年よりはこういうことには不慣れであるということ。たった一通の郵便物が年寄りには一晩ではあるが不安な夜を過ごす事になった。
これだからオレオレ詐欺にいまだに引っかかる人がいるんだなぁと痛感した。

それにしても、たかだかポイントカ−ドにクレジット機能なんてつけないでほしいと思うのだが、、、。

2005/05/25(水) 夏の花
ひまわりの種を植えた。朝顔の種も植えなくてはならない。
どちらも花としては成長が強いほうである。
この時期、雑草がまだ目立たないので、花をいじるには楽しい。これがあと一ヶ月もすると雑草のほうが元気を出してしまい何もやる気をなくしてしまう。

ひまわりというと当然夏のイメ−ジであるが、夏休みという長い休暇が学生のときにあったことを忘れそうになる。
古い扇風機の前で汗をかきながら本を読んでいて、いつのまにか昼寝をしてしまい、夕立の雷に目覚める。外を見ると激しい雨で夏の景色が一転している。やや暗くなった空を見るとあちらこちらでごろごろと音がして、ランニング一枚のままで外に飛びしたくなる。

今はもちろん夏休みはなくなったが、同時に季節感もなくなった。トマトやきゅうりは毎晩のように冬から食卓に並び、自家野菜が収穫できるようになると、みんなが飽きている。
もう2年くらい海にも行っていない。子供が中学生になってからである。これも季節感のなくなった理由のひとつでもある。

季節は毎年必ず訪れ、新しく生まれかわっているが、自分だけは四季を感じる事もなく、ましてや新しい自分に出会うこともなくなった。
今年の夏はどうだろう、、ひとつ新しい自分を発見してみるかな、、なんてね、、、、言ってみるだけ(笑)。

2005/05/24(火) 制服
今年もまた春がめぐってきた。新しい制服を着た高校生が歩いていると、なぜかまぶしくて目を細めてしまう。そしてそこに気恥ずかしさが伴うのは、たぶん高校生のときにやり残してきたことへの後ろめたさなのかもしれない。

高校生のとき、汽車通学だった僕は汽車に乗っている30分の時間が一日のうちで一番充実していた。好きな本を読んで、読書に疲れたら流れる景色を見ることもなく眺めていた。
 春には桜、夏にはひまわり、そして秋には紅葉と田舎の景色は汽車の窓から十分に季節を満喫できた。進学校でなかった僕の高校はどこかのんびりしていて、ある意味では幸せだったのかもしれない。
 高校生活の3年間は音楽と読書であけくれた。そしてこのときの読書癖は今も続いている。活字をある程度読んでいないと不安になるのである。小遣いの大半は文庫本に費やされて、他に図書室から借りてきてはむさぼり読んでいた。
 今のように古本屋が社会認知されていないころなので本は高かった。あのころ、今のようにリサイクルショップがあれば事情はまた違っていただろう。

 3年生の秋に自動車学校に通った。仮免許の試験の前後より急速にある女の子と親しくなった。彼女の名前は淳子といい、おかっぱ頭で黒髪のとてもきれいな娘だった。時間があるときの休憩室ではいつも声をかけあった。
「今日の実技はどうだった?」
という程度のとりとめのない会話ではあるが、いつのまにかお互いが意識しあうようになった。あとで知ったのではあるが彼女は僕と違う高校に通う同い年であった。
 自動車学校でももちろん卒業式があり、終わった後、近くの喫茶店でお茶を飲もうということになった。残念ながら二人だけではなく同期の卒業生の5〜6人でである。
 喫茶店に入ると、いきなり淳子が僕に聞いてきた。
「Wさんて彼女はいるの?」
しばらく考えた。いることはいる。しかし今は冷戦状態である。黙って考えている僕に淳子は何を思ったのか
「もしいなかったら付き合ってほしい人がいるんだけど」
どう答えていいのかわからなかった。同席のみんなを見渡すと、一人だけうつむいて恥ずかしそうにしているおとなしい娘がいた。
 そういうことか、、、すべては仕組まれていたんだ。察知した僕は淳子に言った。
「今の時期、彼女ができてもねぇ。高校を卒業したらすぐにお別れだし、お互いに傷つくだけだよ」
 なんだかへんな理屈ではあるが、そう答えるしかなかった。淳子は意外にもあっさりとうなずいて、その話は終わりになった。
 自動車学校を卒業してから彼女と会うことはなくなったが、卒業間近のある日、発車のベルぎりぎりに駆け込み乗車してきた娘がいた。淳子だった。
僕を見つけると、お久しぶりと笑いながら僕の向かい合わせに座った。聞いてみるとなんと汽車通学だという。僕のほうではまるで気付かなかったが、淳子は僕を毎日見ていたという。
 汽車がすべりだすと、彼女は急に黙りこくった。流れる車窓の景色の中に彼女の横顔が映ったとき、驚いたことに淳子もまた車窓に映る僕の顔を見ていた。一つ目の駅が近づくと淳子はさよならと言って席を立った。

 あれから27年、淳子と会うこともない。高校の卒業後、冷戦状態だった彼女とは完全に別れて、社会人として就職した。それからしばらくして専門学校に通うことになるが、淳子のことを思い出すこともなく年を重ねてきた。
 人生にはいくつものすれ違いがある。そのすれ違いに気付くことはあまりない。若い時にはただまっすぐに突き進んでいく。先に突き進むときに、失敗か成功かという選択肢は考えていない。ただ成功することだけを考えている。選択肢を考える時はすでに年をとっているのだ。
 遠い昔に忘れてきた思い出は、忙しい今では思い出すこともないが、どこかで大切にしておきたいという気持ちだけはもっている。もしもあの時、、、、と思うが、Ifは歴史には禁句である。道はたったひとつ、この道を進むより他に道なしである。

2005/05/23(月) キヤノンA−1
このカメラにどれほどあこがれただろう。
キヤノンという響きはなんだかいいのである。若者というイメ−ジが強いのではないかと思う。
これに反してニコンはおじさんのカメラという感じである。

このカメラは僕の所有ではない。いきつけのカメラ店から借りてきたものである。ボディはとにかく、28mmF2がくっついていて、このレンズは2.8のレンズとどう違うのかということで話が弾み、結局僕が試写するということになった。

試写結果は特に変わったことはない。半段明るいだけである。
ただ、この半段というところに魅力があるのである。
理由はよくわからない(笑)。

2005/05/22(日) レンズ
標準50mmレンズ。
ジャンクで購入したものからはずしたものである。残念ながらボディはどうにもならないものであきらめたが、レンズだけはル−ペ代わりに使っている。

机の隅にほこりをかぶっていたのを、ティシュでふきながらたまには使う。
このレンズを見ていたら、なんだか悲しくなってくる。忘れ去られていくもの、、、。デジタルの大きな波の中では、こういうマイナ−なレンズは使える状態でも、いずれは埋め立てゴミであろう。かわいそうでとても捨てる気持ちにはなれない。

これはフジノンXマウント。この写真を撮ったのが富士のデジカメ、、、、時代の流れを感じずにはいられない。

2005/05/21(土) 散策
仕事が暇だったので、たまにはいいかと夕方早仕舞いをする。天気もいいし、女房と地元の体験館の周囲をぶらつく。
善光寺街道にはまだ雪が残っていたのでぐじょぐじょで歩けない。かわりに友人である学芸員の案内で山菜とりをする。木の芽の宝庫である。これからまだまだ伸びるのでシ−ズンは食べていられるかも。
女房がぶなの実を拾ってきて僕の作った志野の一輪挿しに挿した。こんなものでも、ひと時幸せな気分になれる。

啄木の歌に

友がみな 我より偉く見ゆる日に 花を買いきて妻と親しむ

というのがある。今日はなんだかそんな気分であった。自然はいい。素直になれる。僕の場合花は買ってこなかったが、ワインを買ってきて女房と飲んだ。ただし一升瓶のワインであるが(笑)。

2005/05/20(金) 趣味
趣味が多いですね、、と人からよく言われるが、そんなことはない。写真と陶芸だけである。

夕方暇があったのでこんなものを作ってみた。板作り。たたら作りともいい、粘土板を組み合わせて作るもの。
これは「花入れ」という。決して花瓶とはいわない。

これは釉薬はかけずに焼き締めで行く予定である。椿の一輪ざしを予定している。一輪といっても50センチくらいの長さの枝をぽんと入れるだけ。かならず花はひとつだけである。二つ咲いている枝はだめである。ふたつあるものをひとつとってしまうのもだめである。必ず一輪しか咲いていない枝を選ぶこと。
しかもむ8分咲き。こだわります(笑)。

このこだわりがすなわち茶の湯の道と心得ている。

2005/05/19(木) 完成したあとのむなしさ
子供のころ、プラモデルを作るのが楽しかった。もちろん安いプラモである。小遣いが少なかったから買えるものはしれているが、出来上がったものを大切にした覚えはあまりない。
作る過程が楽しいのである。

これはすべてにおいて言えるわけで、ジャンクカメラの組み立てなどもそうだし最近やっと卒業したジャンクパ−ツによるパソコン組み立てもそうである。送料を加えても4000円でできたパソコンは98SEではあるがサクサク動く。
ケ−スは富士通のメ−カ−パソコンジャンクで500円、マザ−はヤフオクで落札したEP-51MVP3E-MにCPU、K6−2の300MHz、ヒ−トシング、ファン付、これが110円。
メモリ−はPC100の64Mを一枚、これが200円。ほかになつかしいCIMMの32Mを2枚さした。これは古いパソコンNEC9821に刺さっていたものでタダ。
電源は300円で買ってきた250Wのもの。これで十分。
CD−Rは300円の4倍速。一番高いのがHDD。ここは10Gで我慢して800円である。
送料がつまらないとはいえ、約1000円くらいはかかっているだろう。
もし秋葉原あたりに住んでいて、送料がいらないとすれば、この価格でかなりのパソコンが組めることになる。
この程度のパソコンでも10年前では20〜30万円したのであるから驚きである。

さて問題はここからである。組み立てるのはいいが、できたパソコンで何をするか、、?
結局は姉にネット専用パソコンとして差し上げることにした。

ジャンクを集めて完成品を作るという点では、カメラの修理とまったく同じである。カメラもパソコンも検索条件は必ず「ジャンク」である。
もうひとつは振込みが郵便振替であること。通帳から通帳の振込みだと手数料が130円。銀行だと420円もする。
送料はなるべく定型外にしてもらう。保障はないが、いいまででトラブッた事は一度もない。

しかし、何度も書くが、完成した後は野原に秋風が吹くような気持ちである。実にむなしい。
では、どうすればいいか、、答えは完成させないことである。及ばざるは過ぎたるより勝れりというところである。

ということでもう一台のジャンクパ−ツをそろえつつある。でも今度は安いものではなく、そこそこの性能のものを作ろうと思う。ということは金がないので、2年くらいかけてパ−ツを集める。これで2年は楽しめる。マザ−はDualにしてクロックを稼ぐ。これを基本にしていこうと思う。

2005/05/18(水) XPのありがたさ
また一台パソコンが完成した。しかしXPは無理である。WIN98SEをインスト−ルする。ところが、、、、
いちいちドライバ−だと聞いてくる。面倒である。そもそもカ−ド類がジャンクパ−ツなので古いものばかりである。いちいちドライバ−を探すのに少々疲れた。

2005/05/17(火) 思い出
気まぐれに見るモノクロ写真。へたくそなプリントである。
一枚一枚に思い出がある。この頃はよく暗室にこもった。最近は写真展用以外では暗室にこもることはなくなった。
このパソコンというやつがどうもいけない。便利すぎて、これで確認が済むと終わってしまう。
紙焼きが本当の写真なのだと思うが、パソコンでネガを確認するとそれで終わってしまう。

家族の写真というものは大切な思い出である。どこの家にもある家族のアルバム、たぶん最近の若い親はパソコンにデ−タを入れて終わりなのだろう。時代の流れといえばそれまでだが、CD−Rと銀塩写真とどちらが耐久性があるのかは、まだ答えは出ていない。あと100年まてば答えは出るだろう。

2005/05/16(月) 山の人生
この本、あまりに有名なので説明の必要はないと思うのだが、ときどきこれを読みたくなるのはなぜだろう。

人生を考えるなどと言うと大げさであるが、ときどき思い出すのである。そしてまた読み始める、、するとまた新しい発見がある。そんな繰り返しである。この本は実は2冊目である。一冊目は東京から田舎に戻ってくるときの引越しでどこかにやってしまった。

ベットがきらいな自分は、万年床に近いのであるが、枕元にはいろいろな本が置いてあり、ほぼ一週間で入れ替わる。読書などというと聞こえはいいが、パソコンの本であり、写真の本であり、そういう類の雑誌でありとさまざまである。
一週間たつと女房に怒られるのでまとめて屋根裏の書斎に移動する。だから自然にいろいろな本が入れ替わる。自然の原理である。

一回読むとなかなか同じ本を読まないのだが、この本だけは何回も読んでいる。というか、、思い出してしまうのである。
この本のよさは、口で言えない。
ただあまりにも奥が深い。簡単に読んでしまえばそれまでだが、また読みたくなる。
そんな本がやはり自分にとっては名著なのだろう。

2005/05/15(日) パソコン環境整備
ようやく自宅でのパソコン環境が決まってきた。今、屋根裏にあるパソコンは3台である。全部自作である。NECのパソコンも中身のCPUをいじっているので、、あ、電源も付け替えた、自作みたいなものである。
一台を除きすべてジャンクでパ−ツをそろえた。パソコンディスクはリサイクルショップで1000円で買ってきたものである。ハ−ドオフでそろえたパソコンのパ−ツも多い。
先日ハ−ドオフでCD−Rを300円で買ってきたら、これがなんとSCSIであった。まぁそのうち使うこともあるだろうと思って保管してある。
いじる事が好きなので、いじりすぎて壊したものもある。研究費として計上しておいた。
とにかく、この悪い癖(やたらとジャンクを買ってきては壊してしまう)をやめないことには、いくらジャンクといっても小遣いが足らなくなる。
実はあと2台分のパソコンができる分のジャンクパ−ツがある。さすがにこれでやめようと思うが、作る事の楽しみはあったほうがいい。メ−カ−パソコンにはこの楽しみがない。

2005/05/14(土) 長い付き合い
今年のお盆の頃になると19才になる猫がいる。ずいぶん長い付き合いである。女房や子供よりも長い付き合いであることに不思議を感じてしまう。

生まれたときから猫がいて、今も猫がいる。
近所の猫好きのおばさんと以前話をしたことがある。近所のたくさんの野良猫を大事にしているらしい。猫好きという点では話が合うのである。
帰り際に
「これだけ、いろいろな猫の面倒を見てきたんだから、少しはいいことあるかしらねぇ、、、」

しばらく考えてから僕はこう答えた。

「いいことはないかもしれないけど、家の人が病気もしないで、なんとか人並みな生活ができていることは、とにもかくにも幸せなんじゃないかな、、、。いいことはないけど、悪いことがなかっただけでも、、もしかしたら猫たちに守られているのかも。もしかしたら交通事故にあっていたかもしれないしね。その身代わりをしてくれていたのかも、、」

その人はにっこりとうなずいて
「そうよねぇ、、そう考えれば私たち家族は猫たちに守られていたのかも、、、」

僕はそのときのあの人の笑顔がとても素敵だと思った。
年上に向かって生意気なことを言ってしまったかなとちょっと気恥ずかしかったけど、出した言葉は引っ込めることはできない、でもちょっとだけでも、あの人を幸せにしてやれたのかもしれない。

2005/05/13(金) 山の幸
山菜の時期である。山に出かけないのに、頂き物で一通りのものは口にした。今日の夕飯は、木の芽である。これはこの地方独自のもので、あけびのつるの若芽をつんで食べるもので、少し苦味があり、なかなかの珍味である。

さて、山に行くと最近はぜんまいがたくさんあるらしい。これはぜんまいをとる人が高齢化したことと、畑に自家用のぜんまいを移植して、わざわざ山の危ない場所にいかなくてもよくなったことによるらしい。

では若い人たちはどうかというと、採ってくるのはいいが、干して揉んでいる手間がないので(実際あれほど手間のかかる食べ物はないだろう)、結局は採りにいかないわけである。
世の中すべて時短である。山菜採りにいったら、その日の夕食に出せるものに限られてきた。

2005/05/12(木) みのかんの名前の由来
みのかんという文字で検索すると一発でここにたどり着くようになった。HPをはじめるとき、銀塩カメラ研究室にしようか研究所にしようかずいぶんと悩んだが、研究所がすでにあることを知り、研究室に改めた。ついでに子供のころからのあだ名であるみのかんをつけただけである。

このあだ名は隣の先輩であるkobaさんがつけてくれたものである。それをそのまま使っているだけである。しかし、そのおかげで検索の条件がひとつ増えたわけである。

子供のときからカメラと写真は好きだったが、カメラというものはとても高貴な存在であり、あるとき親父のカメラをいじっていたら、兄貴に怒られたことがある。おもちゃじゃないんだぞというわけである。

写真が好きだカメラが好きだといっても、その気持ちを持ち続けることは並大抵なことではない。いい写真が撮れないとすぐにその気持ちがしぼんでしまう。
モノクロ−ムにはまっていたとき、一枚の写真が僕を別の世界に向けさせてくれた。それはヨデフ・スミスの一連の窓の写真である。どうということもない写真なのだが、なぜか僕をひきつけて離さなかった。
あんな写真は僕には撮れないが、奇をねらった写真ばかり見せ付けられていた僕にはとても新鮮に見えた。

あれから十年経った。今ではその情熱はうせたにしても、ふと思い出す写真はやはりあの窓辺の写真である。
あの写真は文学そのものであった気がする。永井路夫の地味な小説に似ている。読んだ直後はそれほど面白いと感じなくても、ある時ふと思い出してしまうようなそんな感じ、、、かな。

事実は小説よりも奇なり、、という言葉があるが、そんなことはめったにない。事実は地味なものである。でもその地味な日常が生活であり、そして人生であると感じ始めたのは三十代の半ばを過ぎてからである。

ゴ−リキィとかの小説に出てくる地味で小心者の官吏官でも、家に帰るとそれなりの人生の楽しみ方を持っていて、そのことだけのために人生が終わっていく、、そんな人生もいいものだと思う。

人はそれぞれである。カメラだけが好きで、写真には興味のない人、逆に写真だけが命といい、カメラにはまったく関心を示さない人、それぞれがあっていいと思う。

それぞれの人生に、サントリ−のトリスで乾杯!

2005/05/11(水) 自作パソコン
今、自宅にあるパソコンは全部で5台、仕事場に2台ある。富士通の一台を除きあとはすべて自作である。
ただし使うのは一人一台である。娘専用、息子専用、自分専用で3台あればいいのだが、、、。

2005/05/10(火) 結婚式
日曜日、結婚式の司会をやった。カメラマンもついでにやったので忙しかった。子供にも頼んでおいたが、何しろ恥じらいの中学生、声をかけて撮るということができない。結局すべて引いた写真になってしまっていた。
結婚式など久しくなかったのでなんだか新鮮であった。たまには日常の中にこういう変化があったほうがいいと感じた。


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