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2005/06/30(木) 狂牛病
女房が夜勤でいない夜は明かりが消えたようである。夕食時に帰ると子供達は各自部屋にいて誰も居間にいない。
「飯は食ったか?」と聞くと「食べた」、それで終わりである。
今夜は女房がいる。にぎやかである。これぞ家庭という気がする。

TVを見ていた。狂牛病の牛肉がどうのこうのというNEWS。
画面に茶色の牛が映し出されている。これを見ていた女房、
「あれは牛じゃないよね」
いきなり全員がシ−ンとなる。
息子が言う、、、
「狂牛病のNEWSに鹿は出ないからねぇ、、」
「それもそうねぇ、、、」と女房。

このおおらかな天然さ加減がなんともいえない。

2005/06/29(水) 野焼き
土器を焼くということは普通野焼きである。
しかし気をつけないと温度差で割れてしまう。
焼き物は普通、元の大きさよりも収縮する。このとき収縮できない部分と収縮しようとする部分がお互いに引っ張り合い割れてしまう。
難しいものである。

2005/06/28(火) 豪雨
ものすごい雨である。ほぼ一ヶ月雨が降らずにいたと思ったら、今度は降りすぎ。
またまた新潟は災害である。
「雪は降るけど地震も台風も来ないし、まぁまぁいいところだ」などとのんきな事が言えなくなった。

災害の新潟、雪の新潟、、、。

2005/06/27(月) 土面
またまた作っている。だんだん創作になってきた。
今回のテ−マは「女の顔の2面」である。右は恐ろしく蛇がうずくまり、左は優しい顔である。
どんな女にも二つの顔があるということである。

2005/06/26(日) 一日陶芸
本日は僕が会長を務める陶芸サ−クルの定例日である。月に2回であるが、ここのところ、みなさん忙しいのか出席率が悪い。
本当は今日は女房と出かける予定で、ちょっと顔を出してと思っていたが、新人さんが3人も来たので帰るわけにもいかず、教えているうちに午前中があっという間に終わってしまった。
お昼を食べに帰ったら、やっぱし、、、女房の機嫌が悪い。
あちら立てればこちら立たず。
なかなか面倒である。

もっとも女房と出かければ、金もないのに使ってしまうので、その点では陶芸をやっていて良かったのかもしれない。結局どこにも出かけないで一日中陶芸。
会員がもっと若い女の子だったら、、、あ、それを言ったら終わりか(笑)。

下では息子がプラモ塗装のミニコンプレッサ−をオ−クションで落札しようとがんばっている。予算は2500円以内らしい。
それでは、オ−クションのプロフエッショナルが手伝ってやろう。
よっこらしょっと。

2005/06/25(土) 陶芸と土器
土器づくりにも飽きてしまった。というのはどんなにがんばっても縄文人にはかなわないからである。
あのセンス、あの雰囲気、あの時代を生きていなければ超えられないということをひしひしと感じる。

ということでちょこっとだけ縄文時代のエキスをいただいて、自分なりのセンスで塗り替えてみる。つまりいきなり創作に走ってしまうわけである。
当然土面作りということで、ア−トをしているわけだが、これが意外と好評である。

そんでもってまたまたTV出演となってしまった。学芸員のY氏が乗せ上手でついはまってしまう。
今度はTV朝日系で全国ネットの旅サラダという番組らしい。残念ながら見たことがない(笑)。
土面作りを体験させるということみたいである。
今度の日曜日に撮影。
ま、自然体である。

2005/06/24(金) 猫の額についての考察
俗に猫の額ほどの狭い庭という言葉がある。しかしよく見てほしい、猫の額というものは顔の面積から言うと広いのである。
どうして猫の額が狭いのだろう。
これは以前から疑問に思っていたことである。

その猫の額ほど狭い我が家の庭であるが、ここのところの雨不足で植木鉢への水遣りが大変である。
雨あめふれふれもっと降れ、、と歌ったのは八代亜紀。

2005/06/23(木) 童謡
息子がいきなり歌いだした。
「こぎつねこんこん、、、」
すると女房が歌いだした。
「あられやこんこん、、、」

息子、あきれた声で
「おかあさん、、、天然、、、、」

ついさきほどの出来事である。

歌には童謡というジャンルがある。歌いつがれているだけに、あるとき、ふと思い出し懐かしくなるときがある。
それでいてCDの全集などを聞くと、ぜんぜんよくない。
それはどうしてかと考えると、たぶん頭の中で自分なりの思い出を作り上げているのではないかと思う。
思い出とオ−バ−ラップすることで懐かしさを呼び起こしているのだろう。

たとえば山田耕作の「赤とんぼ」などは僕くらいの世代の田舎の育ちだと、ほとんど歌のままの情景が浮かび上がる。
「15で姉やは嫁に行き、、」はないが、桑の実を摘んだこともあるし、具体的に桑畑の場所が浮かんでくるのである。
「赤とんぼ」は日本の歌の名曲であるとおもう。

僕は年代が違うが、美空ひばりや三橋美智也が好きである。三橋美智也の「母恋吹雪」を初めて聞いたときは泣いてしまった。

同じく泣いた歌に軍歌がある。タイトルは忘れたが「ここはお国の何百里、、」で始まる歌である。この歌は戦争を鼓舞するふりをしながら、戦争の悲しさを表現しいるという、隠れた反戦歌ではないかと中学の時に感じた。
ここまで打って今思い出した、「戦友」というタイトルである。
フォ−クソング全盛時代にこんな歌をギタ−を弾きながら歌っていたのだから、ある意味ちょっと変わった中学生だったのかもしれない。

友人の家の祭りなどに呼ばれていくと、演歌から軍歌まで歌ってしまうものだからスタ−扱いであった。覚えようとして覚えたわけではなく、好きな歌だからいつのまにか覚えてしまったのである。

とまれ、今でも時々ギタ−を持って歌うことがあるが、口ずさんでしまうのは、そういった古い歌である。
どうしてそんな古い歌が懐かしいのかというと、幼少の頃病弱だった僕は入退院を繰り返していた。当時病室にTVなどはもちろんない。かわりに当時最新のトランジスタラジオを親父が置いていってくれた。
今思えば、ラジオから流れる歌を聴くことはなしに聴いていたのではないかと思う。
そんな幼少体験が今の自分を作ってくれたのではないかと思う。

2005/06/22(水) 猫の顔
土面作りをやっていると人間の顔が不思議に思えてくる。
優しい顔、恐ろしい顔、笑った顔などいろいろとあるが、本当に作りたいのはそんな顔ではない。

忙しさの中でふと見せるさびしい顔、楽しそうに笑ってる中に見える悲しい顔、そんな顔が本当の人間の顔なのではないだろうか。そんなものを作ってみたい。

ペットを飼っていると、その顔にも表情がある。我が家は猫であるが、連れ添って19年ともなればお互いに歩いてきた長い履歴書が顔に書いてある。ほかの家人にはそれがわからないが、僕にはそれがわかる。
時々猫に向かって語りかける。独り言のように家人には聞こえるかもしれないが、僕は猫と会話しているのだ。
そんなとき、あいつは遠い目をする。
もらわれてきたばかりの頃から、田舎に越してきたとき、嫁さんをもらったとき、子供が生まれたとき、そんな出来事をあいつはずっと見ていた。

中越地震のとき、あいつは具合を悪くして2泊3日の入院をした。獣医師から見放されてもうだめだと思ったとき、いろいろなことが思い出されて涙が止まらなかった。

しかし奇跡的に回復した。
抱いてやったときにあまりの軽さにびっくりしたものである。今はずいぶん太ってきている。しかもわがままの猫に戻った。

生きていて欲しい、どんなことになっても生きていて欲しい。
お前が生きているだけでみんなが幸せなんだよ、、、、。
そんなことを考えながらあいつの顔を見ていたら、
「わかった」
そう答えた。いやそういう顔をした。

2005/06/21(火) 豚の蚊とり線香入れ
今夜は異常に暑い。
網戸を潜り抜けるような小さな虫が大量に発生している。
今年初めて蚊とり線香を焚く。
夏の香りである。

蚊とり線香といえば、陶器の蚊とり線香入れで豚の形のものを中学生のとき買い求めたことがある。
当時かぐや姫の「神田川」に代表される四畳半フォ−クの全盛時代、上村一夫の「同棲時代」なんかも流行っていた。
長髪にベルボトムジ−ンズ、それでいてなぜか下駄や雪駄などもあり、新しい文化というより古い文化の見直しみたいなものがあったように思う。

そんな中、当時、この町ではお祭り的な農協の売り出しがあり、夜間まで開催されていた。生意気盛りの中学生二人がわくわくしながら出かけた。小遣いは500円程度しかなかったが、なぜか楽しかった。
豚の蚊とり線香はたしか400円前後ではなかったか。少しはおつりがきたような気がする。もう一人の中学生もこれを買った。
二人とも小遣いでこういうものを買うことによって、ちょっぴり大人になってみたかったのかもしれない。
このもう一人の中学生というのが、写真サ−クル「写団 猫の眼」の会長である。

この蚊とり線香入れは大事にしていたが、机から落としたとき欠けてしまい使えなくなった。高校生くらいのときだったと思う。

あの頃、何が楽しかったのかを分析してみようと思うが、まずは大人の仲間入りをしようとしていたこと。集会などに参加したかったこと。プロテスタントという言葉にあこがれたことなどだろう。

だから青年祭という町で大きなイベントがあった時も、例の中学生二人で出かけた。今で言うフリ−マ−ケットがあり、浅川マキのシングル盤(死語)「少年」をかなり安く買ってきた。
ステ−ジでは、長髪のお兄さん達がベンチャ−ズの「ウォ−ク・ドント・ラン」を演奏していたのを覚えている。

にきびだらけの中学生は大人になりたかった。自分の手でお金を稼ぎたかった。稼いだ金で何を買いたかったかというと、スバリ、カメラである。自分専用のカメラが欲しかった。もうひとつ欲しかったものがある。ギタ−である。ギタ−は小学生のときから兄のクラシックギタ−を弾いていたが、あの黒い半円形というのか、ピックガ−ドのついたものが欲しかった。
2年後には兄のお下がりのフォ−クギタ−がきて、それが実現する。

今夜みたいな暑い夜はいつもあの豚の蚊とり線香入れを思い出す。うちわと浴衣、風鈴なども夏の風物詩のひとつであるが、蚊とり線香入れは自分が初めて大人の仲間入りをした記念碑なのである。

エアコンの効いた涼しい部屋で勉強している自分の子供と比較すると、今の子供たちは幸せだなという反面、何か大切なものを失っている気がする。それが何なのかは言葉では言い表せないが、ひとつだけいえることは、間違いなく自分たちの中学生時代のほうが幸せだったということである。

2005/06/20(月) 竹久夢二
お昼休み、銀行に寄ったついでに美人ママのいる喫茶店に久しぶりに顔を出す。
ここには僕のクラカメが何台か展示してある。なんでも大正時代のイメ−ジに店を仕上げたいとの事である。
とくれば竹久夢二なわけで、僕も夢二は好きである。一時間近くカメラや大正時代のことを話をして過ごす。

大正は激動の時代の狭間であり。日本人が初めて文化というものを意識した時代ではないかと思う。
どことなく夢があり、独自のイメ−ジとして定着しているように思う。

ベス単にあこがれて、フ−ドはずしで沢山写真を撮ったこともあるが、あのイメ−ジに合う風景がなくなってきた。
かやぶき屋根や着物姿の女性、浴衣や草履や下駄、そういった文化がなくなりつつある。

あの時代の写真に惹かれるのは、日本人の持つ生活、文化に対するノスタルジィ−なのだろう。

ここに載せた画像は1978年、アサヒカメラ増刊、「竹久夢二、その写真の世界」からである。
夢二は写真の世界でも、絵画とまったく同じイメ−ジを貫き通している。

2005/06/19(日) モノクロ引き伸ばし体験実習
本日は一日モノクロ引き伸ばしの体験実習の講師をした。
前回と違い、今回はコダックの、カラ−ネガ現像処理でモノクロの引き伸ばしができるフィルムを使った。
協力として地元のカメラ店の主人が手伝ってくれることになっていて、一緒に講師をやってくれた。
二人で引き伸ばしを教えながら、なんか変だなと感じていた。どうも黒のしまりが悪い。???
おかしいなぁ、、、。カメラ店の主人は、このフィルムでできるはずなんだけどなぁ、、こんなにひどかったかなぁ、、今度はイルフォ−ドのフィルムを使ってみますか、、などとこぼしていた。
その原因に二人が気づくのはほぼ一緒だった。

かぶっている!!!!

つまり午前中はまぁまぁ何とかよかったが、午後になって西日が強くなってきて、かなりの光漏れになっていたのである。しかも完全な暗幕ではない。少し透けてみえるくらいのものである。徐々に西日が強くなっていたのに二人とも気づかなかった。
それではと、試しに窓側のところに黒板のボ−ドを置いてみた。あっ、、、、試し焼きをしたら途端に露光時間が倍になった。黒のしまりもいい。

そのときは終盤戦である。印画紙があと5枚しかなくなっていた。予算と時間の都合もあり、結局これで写真展に臨むことになった。
久しぶりとはいえ、暗幕として用意した体験実習館のスタッフも、かぶりに気づかなかった我々講師もともに失格。

しかし子供達の撮影したネガは素晴らしかった。我々も勉強になった。今度は気をつけなくては。
でも次にやるときには、また忘れているんだろうなぁ(笑)。

2005/06/18(土) お好み焼き
本日の夕食はお好み焼き。3枚も食べるとお腹がいっぱいになる。しばらくは食べたくない。

ところで夕食の会話、娘がめざとく親父の着ているTシャツを見て言った。
「すごい、ナイキのTシャツじゃん」
「そういえばナイキだな、、、」と親父。
「ナイキって何?」と女房。
娘と顔を合わせるて「、、、、、」。

すかさず僕が女房に聞く。
「おまえ、アディオスって知っているか?」
「知らない」
「アディダスは?」
「知らない」
「それじゃグッチは?」
「知らない」
「バレンチノは」
「それなら知ってる、、バックの名前、たしかVのマ−ク」
「ピンポン、正解」
「エルメスは?」
「聞いたことがあるような???」
この後息子に言う、
「お前もこういう女房をもらえよ、一生の宝物になるぞ!」
娘、
「そうだねぇ、いまどき珍しい宝物」
女房
「それってほめてもらったの?」

「うん、もちろんだよ、俺はお前を嫁さんにもらって本当によかったと思う」
女房
「ありがとう」

この後女房は機嫌が良かった。もちろん僕も機嫌が良くなった。

2005/06/17(金) 歴史
中2の娘の勉強をちょっと見てみる。社会の中の歴史。時代は江戸時代。綱吉からはじまって天保の改革までが試験範囲である。
う〜ん、この時代はあまり好きではない。ヒ−ロ−が登場しないからである。そのわりには長い。しかも暗記することが多い。

しかしである、教科書を見て驚いた。簡単に済ませてある。あれ?俺たちの中学の時もこんなに簡単だったっけ。
もちろん中2だとこれでも難しいかもしれない。娘は暗記ができないという。丸暗記するつもりらしい。そりゃ無理である。
ここは歴史の好きな親父の登場である。
註訳と薀蓄をつけながら、うろ覚えの知識を混ぜて教科書を説明する。天保の大飢饉では犬猫も食いつくし、しまいには人肉も食べたとかである。そこまではいいが、ジョ−ジ秋山の劇画「アシュラ」まで登場してくる。
大塩平八郎の乱では、陽明学が登場して、その流れが新潟県の名士、河井継之助まで結びついてみたり、後で考えるとなおのこと混乱したのではないかと思う。

「面白き事もなき世を面白く」と言ったのは次の時代の登場人物であるが、歴史も一緒である。つまらない教科書も、どうしてそうなったのかを考えて読むと面白いよ、、ということで最後はまとめた。
わかったかな、、、?

さて、昔の参考書、高校時代の参考書を引っ張り出してその時代を見てみる。やっぱ面倒である。
面倒だけど面白い。いろいろな事が参考事項として載っているからである。あ、だから参考書というのか、、、、納得。
このことにもっと早く気づいていたらもう少しまともな大人になっていたのに。

ついでに縄文時代を見てみる。この参考書だとわずか2ペ−ジ。まったくつまらない記述である。縄文土器などを作っていると学芸員がいろいろとアドバイスをしてくれるので、少なくともこの参考書よりはましな知識を持っているようである。

今でこそ歴史は好きなジャンルであるが、学生時代は苦手であった。もうひとつ苦手なのが化学。亀の甲を見ると今でも頭が痛くなってくる。
ところが、今の趣味を考えると、縄文で歴史を学び、陶芸で化学が必要となってくる。まったく人生とはどこでどうなるかわかったものではない。

2005/06/16(木) またまたパソコン
BIOSの設定画面を見てにやにやしていた。
それからOSの画面を見て、マイコンピュ−タ−を右クリック。またまたにやにやである。
どういうことかというと、PENVのCPUの600MHzを866MHzにしたのである。BIOSのアップデ−トも無事にできたし、もうこれ以上望むべきことはない。
このCPUは2350円で購入。今度は河童ではない。送料着払いだったのでCPUなら小さいからたかが知れていると思ったら、なんと920円。、、、北海道からである。これは予定外。

さてパソコンの動きが少しは早くなったかというと、????
たいして変わらない。やはり心の満足度の問題である。

それにしても、パソコンが順調だと何だか面白くない。いじるところがないのである。これは何だか変である。カメラのジャンク修理もそうだが、安く購入するとだいたいジャンク扱い。どこか不具合があったりする。これを修理することが楽しくなってきている。順調に動くカメラだと何だか損をした気分である。

もしかしたらこれは病気かも知れない。
つまりジャンク病。

2005/06/15(水) 梅雨
梅の実る頃の雨なので梅雨。なんでもエベレストの山がなくなれば日本に梅雨はなくなるらしい。この町も苗場山と八海山をなくせば雪は降らなくなり、全部太平洋に抜けていくらしい。

「雨」という歌がある。三善英二だったかな、、。この歌は好きである。じっと耐える女。まさに演歌の世界であり、これが演歌離れの原因ともいえるが、こういう女がいたらいいなとという願望は老若問わず男にはあるのでは、、。
もっとも最近は男女が逆になっているのかもしれない。じっと耐える男。、、と考えて、何だ俺の事ジャンかと思ってしまった。耐えるのはいろいろな意味ではあるが。

雨というと暗いイメ−ジである。千代紙折りましょたたみましょう。という歌もあった。あの歌を初めて聞いたときは小学生。なんて暗い歌だと子供心にも思ったものである。

アベック(死語)だと雨の日は、、、、、であるが、結婚して17年も経つと、雨の日は家でゴロゴロである。同じゴロゴロでも意味がぜんぜん違う。だいたいはパソコンの前にいることが多い。

雨、あめ、アメ、、、、。

2005/06/14(火) 感動というエネルギ−
本日は子供の陶芸教室の窯焼きをやった。仕事をしながらなので、結構大変である。
初めて陶芸をやった場合、出来上がりを見て、当然へたくそなのなのだが感動するかどうかでその後の道が決まる。
僕の場合はすごく感動した。あの感動はなんともいえない。
ぐい飲み一個と厚厚した湯飲みを作ったわけだが、自分が作った世界でたった一個の茶碗である。これで感動しないはずがない。

ところが中には、こんなものかなで終わる人がいる。こういう人は何の趣味に手を出しても、はまることはない。写真にしても陶芸にしても、感動がなければ続かない。
この感動を維持するには、自分が上達していくことである。これが難しい。上達するにはそれなりの努力が必要である。
この努力するための最初のパワ−が「感動」である。

人生には感動が必要である。初めて自転車に乗れるようになったときの感動。バイクに乗ったときの感動。初めて童貞を失ったときの、、、初めて結婚したときの、、、(これは適当でない)。
適当なのは、初めて子供が生まれたとき、、かな。

僕の場合はどちらかといえば感動屋である。ドラマを見るとすぐに目頭が熱くなる。いい歌を聴いても感動する。だからいろいろなことに手をだす。趣味が多いと言われるのは以上の理由からである。

さて明日の感動は何だろう。やはり窯出しの感動だろうなぁ。子供達の作品でも、自分の作品でも窯出しするときの感動は一緒である。

2005/06/13(月) 悲観主義と落感主義
人間には二通りの種類がある。物事を悲観的に考えるタイプと楽感的に考えるタイプである。別な言い方では、マイナス思考とプラス思考。

日本人の多くは前者ではないかと思う。日本に仏教が広まったひとつにこれがあると思う。五木寛之も「大河の一滴」という著書の中で書いているが、仏教は究極のマイナス思考である。ところが、ブッタは徹底的に悲観的に考えた挙句に出した結論は、欲を捨てるということである。捨てることにより自由になるということを打ち出したのである。
東洋医学では、これを「陰きまわれば陽となり、陽きわまれば陰となる」と書いてある。これが基本となっている。理屈はよくわかる。たとえば寒い思いを持続した場合、抵抗力が衰え風邪(かぜのウィルス)が侵入し、これを追い払う場合に熱をだすという具合である。

血液型で言えば、(根拠はないがなぜかよくあたっている)A型。常に悲観的に考えて、最悪の場合を想定して行動するタイプ。これに対して後者はO型である。究極のA型がAB型で、究極のO型がB型であると勝手に考えている。商売柄、前者が陰なら後者が陽。

僕自身は間違いなく前者であるマイナス思考。常に最悪の場合を考えて行動するタイプ。だから事前の準備などは周到にするタイプである。この性格を損だと思うこともある。日本に一番多いサラリ−マンタイプではないかと思っている。

ただし楽感的なところもあるが、これは開き直りである。いわゆる努力して準備して、やってみてそれでもだめなときは、しばらくは落ち込むが、もっともっと落ち込んでも自殺とかは絶対に考えない。
陰きわまれば陽となる、、つまり開き直るのである。なるようになれ、後は天にまかせたといって楽々と寝てしまうこともできる。

努力して、それでも駄目なときは、自分の努力がたりなかったなどとは思わない。それでも駄目なときは、自分が悪いのではない、環境が悪いのだと。すごい開き直りである。そして、そのときは酒がかたわらにある時が多い。

まったく、、、しかし酒はこんなときはいいものである。

2005/06/12(日) 日曜日
午前中は地区の運動会、午後から体験実習ということで小学3年生の子供たちに土面作りの講師をする。
さすがに小3のお母さんたちはみんな若い、、ムフフ。父兄代表のお母さんが特にきれいな人でした。(人妻)
しかも引率の先生がまた若くてきれいです。(たぶん人妻)、またまたムフフ。
これが本日の収穫。

さて、今息子の部活を迎えに行ってきたところ。これが終わらないと酒が飲めない。息子が帰ってくると、シャム猫のチンタが息子に食事をねだる。
ところがだんだん贅沢になってきて、缶詰のカルカンを食べなくなった。なぜ食べないのか、、息子も気がついたらしい。缶詰はまずいという結論である。
どうしてそういう結論を出したかというと、息子自身が食べ比べたのである、レトルトパックと缶詰のカルカン。その結果レトルトのほうが味が濃い、そして見た目にも魚の白身の部分が多いというわけである。
息子は缶詰の空けたてのときは猫と一緒に食べている。塩分控えめなので、醤油をたらりとたらすとうまいらしい。
しらす入りまぐろ、あじ、カニカマ入りといろいろとあるが、一番うまいのはマグロだそうである。息子いわくシ−チキンと同じ。今度キムチ鍋に入れようと話していた。

さて、運動会で汗をかいたし、などといいたいが出た競技は5人ムカデだけ。本当はあとふたつ出る予定だったが、中2の娘が代わってくれた。親孝行娘である。

こう書いて、今気がついた。もしかしたら今日は父の日ではないだろうか。家族全員忘れている。
動物のオスというものは惨めなものである。子孫繁栄の道具。性交を終えた後の生き物はみな悲し、、の気分である。
女は弱し、されど母は強し。

2005/06/11(土) ギタ− 
昔ギタ−というものを弾いていた。今も時々弾くが、もう指が動かない。ゆっくりとしたアルペジオ(分散和音)や2フィンガ−や3フィンンガ−なら指が勝手に動いてくれる。
あの頃に作ったオリジナルの歌も今はあまり歌えなくなった。おそらく200曲くらいは作っただろう。僕の二十歳の頃は、素人コンサ−トを有料で開催するときには、すでに音楽著作権協会がうるさくて、オリジナルのコンサ−ト以外はできなくなっていた。
ほとんどの人たちがそんな環境の中で撤退、引退していった。オリジナル曲をたくさん持つ僕だけが取り残された。しかし、歌というものは時代とともに変わる。
その時代の歌い手はやはりその時代をしょっていると思う。流行という波は確実に流れていて、それに逆らうことはできない。
しかし、いい歌は歴史のふるいにかけられてやはり残っていくものだと思う。

先日、中学のときのバンド仲間のドラムスだった友人がひょっこり訪れた。今では社長であるが、昔の話を始めると中学、高校のときと変わらずに深夜まで話し込んでしまった。
そのとき、ラジオで流れた昔の曲で、女性シンガ−が一人で歌っている曲名と歌手名がわからないという。懐かしくてとてもさわやかな曲だったという。
いくらなんでもそれだけの情報で昔の歌は思い出せない。2、3の歌と歌手名を言ったが違うという。
さんざ考えた挙句に僕がギタ−を持って適当に歌い始めた。すると、それだと言った。
なんだこれか、なるほど。ところが今度は僕の方でもそのシンガ−が度忘れしてしまい思い出せない。
順番にもつれた糸をたどるようにして、連想ゲ−ムをしてみた。
そしてついにわかった。

高木マサである。たしかヤマハのポプコンで優勝したシンガ−である。ちなみに中島みゆきもここの出身である。

さて、そこまではよかったが今度は曲名が思い出せない。歌はすらすらと歌えるのに。

そこで、この名前でネットで検索してみた。あった、、、「ひとりぼっちの部屋」である。どこかでダウンロ−ドで買えないかなと調べたが、さすがになかった。

この歌で中学時代に二人が瞬時に戻ってしまった。
彼が帰るとき、たまには昔のバンド仲間で一緒に飲もうやと言って帰った。たった一曲の歌が、二人を昔に戻してくれた。こんな曲はやはり名曲なのではないだろうか。
それにしても、一緒に飲もうという話はなかなか進展しそうにない。

2005/06/10(金) 努力
息子が卓球部に入っている。あいちゃんのおかげで卓球が明るいスポ−ツになったと以前言っていた。
今回、中学の郡市大会で見事団体戦で優勝である。これは親としては手放しでほめてやりたい。
というのは、毎日の練習、休日も練習。春の連休では合宿までやっていた。努力は実るということを感じたのではないだろうか。
息子が一年生の時は、顧問の先生がどうでもいい先生で、卓球部はさぼりクラブと言われたそうである。
ところが、2年生になって顧問が変わったとたんすさまじい練習が始まった。この先生、S先生といい、ちょうど息子の担任で独身。息子もサボるわけにはいかなかったのだろう。
この2年間の努力が3年生になって実ったわけである。
親としては、S先生が担任なので、当然内申書に書いてくれるものと信じている。
ははは、、、僕も人並みに親ばかである。

2005/06/09(木) 新刊本
珍しく中2の娘が屋根裏に上ってきた。いきなりパソコンの前に座るとガチャガチャやり始めた。
こういうときは何かを買ってほしいときである。
「おっ父、これ買って、小遣いで買えるから、、」
見てみるとヤフ−のところの本である。
本のタイトルは「電車男」。映画化されたものである。

セブンイレブン受け取りで郵送料、手数料無料。ところが1500円以上にこれは適用される。それじゃ親父も一冊、久しぶりに新刊本でも買うかと検索。当然検索条件はカメラとパソコンである。
で、見つけたものはこの本である。

ところで、本は届いて読んでいるが、娘からまだお金をもらっていない。

2005/06/08(水) ハワイアン
なんだか場違いなタイトルである。ハワイアン、、行った事がない。ダイヤモンドヘッドといえばベンチャ−ズで知っている。

なんでハワイアンなのかというと、女房が、これまた場違いなのだがハワイアンを習っている。ム−ム−も持っている。
先生は西条八十のお孫さんにあたる人で結構高齢である。

しかたないのでパソコンでハワイアンの曲を15曲ダウンロ−ドしてあげる。曲名、タイトル、歌手などは知らないから適当である。それで気がついたが、ベンチャ−ズもハワイアンの一種に入るらしい。
ハワイアンのラップもあったり、プレスリ−が出てきたりとなかなかに多種多様である。

今日は蒸し暑かったからハワイアンでも聞きながら冷たいビ−ルでもと思ったら、発泡酒もない。
ハワイには移住した日本人も多いからと、結局日本酒を飲みながらハワイアンを聴いた。なんだか真珠湾、リメンバ−パ−ルハ−バ−の気分である。

結局体がほかほかと温まり、ますます暑くなった。
やっぱここは日本酒に合わせて演歌である。酒といえば吉幾三である。「雪国」は名曲である。
東京にいたとき流行った歌で、新潟の恋人がありありと浮かんで消えていった、、なんてのはうそで、やはり望郷の感が強かった。

でも結局今聞いているのは、JAZZです。コルトレ−ン。いいですねぇ。晩年のトレ−ンはクラシック界のブラ−ムスみたいでかなり精神的境地に入っているが、僕の好きなのは中期の演奏。スタンダ−ドJAZZをさりげなく自分の世界にもっていくのはこの人の天性の才能なのだろう。

2005/06/07(火) 喫茶店
田舎でこのごろ見かけなくなったものに喫茶店というものがある。昔は常連などといってコ−ヒ−一杯で閉店までねばったものである。
酒を飲める人は当然スナックなどに行くが、飲めない人は純喫茶(死語)に行くものと相場が決まっていた。
僕も昔は飲めなくて、宴会とかいうものが苦手だった。今では信じられないことだが。だから飲めない人の気持ちは結構わかる。

ではなぜ飲めるようになったか?
土方をやってからである。ヒョロヒョロしてたのがとたんに筋肉もりもりになった。まぁしかしこの筋肉は今はすべて脂肪にかわっているが(笑)。
やせていたときは胃が悪く、肝臓もいかれていたのかもしれない。酒を少しでも飲むと手のひらに紅班がでた。

もとに話を戻そう。喫茶店といえば僕の二十歳のころがテ−ブルゲ−ムの全盛時代。一時期はものすごいブ−ムだった。ブロックくずし、スペ−スインベ−ダ−などがあった。
これが一回百円。僕もご他聞にもれず、ずいぶんとお金を使った。
こういう類のゲ−ムは今ではフリ−ソフトダウンロ−ドで無料で遊べる。今やってみるとつまらないの一言。
あのころパソコンなどはもちろんない。あったにはあったが、ほとんどゲ−ム用。

今この町で喫茶店を開業したらまちがいなくつぶれるだろう。そういう時代ではないのかもしれない。人が集まるということが少なくなった。今の若者にはそういうパワ−はないのかもしれない。今パワ−をもっているのは老人パワ−である。ゲ−トボ−ルなどという世界はものすごいパワ−である。
コ−ヒ−よりも抹茶や煎茶、そして羊羹、饅頭のほうが受けがいいのかも。

2005/06/06(月) ときどき土器
またまたこんなものを作っている。
なんか、こんなものばかりやっていて人生が終わりそうな気分である。

2005/06/05(日) 体験実習
朝9時から準備して、10時からモノクロ引き伸ばしの体験実習を行った。参加者は8名。今回はデモストレ−ションということで、参加者のポ−トレイトを僕が撮り、手伝いにきてくれた猫の眼の会長と地元写真店の協力でフィルム現像を即、していただき、それを参加者に引き伸ばしをさせてみた。
レンズ付フィルムなので周辺の画像は流れているが、ノ−トリミングではなく周囲をわざと切って引き伸ばしたので、それなりにごまかせたと思う。

それにしても疲れた。人に教えるということはこんなにも大変なものかと思った。
でも女の子たちは、ソフトフィルタ−をかけた写真を喜んでくれてよかった。このソフトフィルタ−は、カメラのレンズ用なのだが、写団 猫の眼の会長がどういうわけか持っていて、思いつきでやったものである。なんのことはない、引き伸ばし機のレンズに手でくっけて引き伸ばしただけなのだが、レンズ付フィルムの欠点を見事にごまかしてくれた。

2005/06/04(土) 久しぶりにマミヤプレス
明日の体験実習の際にカメラの仕組みの説明をしようと思うが、百聞は一見にしかずという。そこでマミヤプレスのガラススクリ−ンで説明しようと思う。
これで確認してもらい、被写体が逆さまに写っていることがわかればレンズの説明は半分は終わったようなものである。

このマミヤプレス、今となってはかなり原始的なカメラである。うっかりするとすぐに多重露光となる。
一応2台のフルセットで持っている。このカメラ、赤窓を使ってフィルム送りをして、ファイダ−マスクをつければ、645、66、67、69
として使えるという優れものである。フィルムバックが3本ある。一台のボディでモノクロ、カラ−ネガ、ポジと使える。
いじるには楽しいカメラである。

レンズもなかなかいい写りをしてくれる。重いのが欠点といえば欠点であるが、この金属の重さがなんとも言えない魅力ではある。

2005/06/03(金)
本日、夜より雨。
タイトルに雨とつけて、さて今日の日記は何を書こうかと考えている。いつものやり方である。

俗に雨男、雨女というものがある。ある人物が行事に参加すると必ず雨が降るということであるが、そんなことはありえない。2回くらい偶然が重なるとそれがジンクスとなる。しまいには本人でさえも「俺は雨男だから、、」なんて言い始める。

ジンクスといものは偶然から始まるが、偶然をジンクスにしてしまうのは結局本人である。金がない、金がないと思っていると本当に貧乏人になる。まぁこれは今の自分であるが(笑)。

昔パチンコにはまっていたときに、ある人物に会うと必ず負けるというジンクスがあった。逆にある人物に合うと必ず勝つというジンクスもあった。これは不思議である。
同じ事を作家の宮元輝がエッセイの中で書いていたのでびっくりした。競馬の世界ではあるが、一時期かなりはまっていたみたいである。もっともただでは起きない、その経験かどうかわからないが「優駿」という名作品が生まれている。さすがである。

ある作家にほれ込むと、その作家の作品を初期のものからすべて読むというやり方は今でも変わってないないが、そうやってある作家を追及していくと、あ、またこの手法で書いているな、とかが見えてくる。そしたらその作家は卒業である。

高校生から二十歳の頃、五木寛之にはまっていて、とうとう全集本の月一回2冊の配本で全巻そろえた。今この年齢になって読み返すと、かっこいいのだが、やはり小説、現実離れという感は逃れられない。最近の五木寛之はエッセイばかりである。
そういえば大巻「青春の門」はどうなったのだろう、伊吹信介がソ連に渡るところまでは読んでいる。あの小説に完結編はあるのだろうか。僕の青春時代の愛読書だった。文庫本で全巻そろえたのだが、高校生のとき付き合っていた彼女にあげてしまった。今思えば本を読むような女じゃなかったがなぁ(笑)。

今読み返しても面白いし奥が深いと思うのは、やはり自伝的小説である。いろいろな作家が書いているが、まぁ誇張はあるにせよ、伝わってくる感覚はあきらからに違う。
水上勉という作家の作品はとうとうパタ−ンがつかめなかった。あと10年生きていてくれたらパタ−ンを読めたのに。惜しい作家を亡くしたものである。

逆にパタ−ンが読めても面白すぎてやめられなくなるのが、司馬遼太郎である。この人の歴史小説は時々脱線するのが魅力である。だから歴史上の人物が見事に浮かび上がってくる。

さて、雨というタイトルをつけて、しかもちびちびとやっていた酒がまわってきたせいか、かなり余計なアトリブ調になってきた。雨は本降りになったみたいである。蛙もなき始めた。ところで蛙はどうしてなくのだろう。やっぱり交尾かな?

詩人の草野新平が蛙を使った擬人法で面白い詩をいっぱい残している。中学生の教科書にも載っているくらいだから知っている人はかなり多いと思う。

彼もそうだけど、小林多喜二などのプロレタリア作家が今生きていたら、北朝鮮のことをどう思うのだろう。
まぁだいたいはわかっている。社会主義は間違っていない。指導者が間違っているのだと。

僕の兄は、若いとき民青に一時期参加しながらも、池田大作の「人間革命」も読んでいた。この二つは両極端である。唯心論と唯物論である。はてな、、。

いきなり雨がやんだ。蛙もなきやんだ。この関係は湿度が関係すると何かで読んだ覚えがある。
蛙というものは不思議なもので、なき始めるといっせいに団体でなくが、なきやむときもいっせいになきやむ。
これはどういうことかと女房と話したことがある。女房の言うには、音頭とりがいるとのことである。「本当かよ、、」と聞くと、中には人間と同じでアウトロ−したやつがいて、間の悪い蛙がいるとの事である。

すかさず僕が聞く
「ということは何か、、高台のうえでクラシックの指揮者みたいにタクトを振っているのか、、、」
女房答えていわく
「そうねぇたぶん。でも見たことはないからなんとも言えないけど、、、、」

見たことがないことは言わないでほしい。

さて寝る時間になった。ほろ酔い気分である。
壺中の天に入るとしよう。

2005/06/02(木) 写真展
所属する写真団体の写真展の準備を、夜8:00より行う。
いつも思うのは、写真の見せ方の難しさである。組み写真、単写真とそれぞれあり、メンバ−全員が言っていたがタイトルの難しさである。
普段何も気にせず撮っていて、いざタイトルとなるとかなり考えなくてはならない。
ともあれなんとか形になった。タイトルと名前のキャプションは僕が今夜付けに行くことになっている。

2005/06/01(水) 引き伸ばし機
今度の日曜日に地元の体験実習館で、写真引き伸ばしの体験実習の講師をやることになっている。
本日引き伸ばし機2台とパレットとかセ−フライトとかを搬入した。果たしてどれだけ参加者がいるかはわからないが、暗室の面白さをわかってもらえればと思っている。

ほかにも土器作りの講師とかもやることになっている。講師料はガソリン代程度だが、子供たちが喜んでくれれば本望である。

さて寝るか、、、。
今日も一日いろいろなことがあった。それにしても何でもかんでも引き受けてしまって大丈夫なのか、、という不安がふと頭をよぎる。ただ自分の趣味が町のために役立っていることは確かである。やるのも一生、やらぬも一生。

この町に住み続けていると、この町の良さがわからない。願わくば若者が定着できる環境を望みたい。そのためには職場が必要である。農業立町などと町長は言っているが、農業で食えないから若者が住みつかないのだ。
有機農業とか無農薬とか言っても、その販売ル−トが確立していない。農業を主体にして町を成り立たせようとするならば、これからはこの道しかない。しかし、これまた大変である。

あ〜、、、もう寝よう。


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