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2005/06/14(火)
感動というエネルギ−
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本日は子供の陶芸教室の窯焼きをやった。仕事をしながらなので、結構大変である。 初めて陶芸をやった場合、出来上がりを見て、当然へたくそなのなのだが感動するかどうかでその後の道が決まる。 僕の場合はすごく感動した。あの感動はなんともいえない。 ぐい飲み一個と厚厚した湯飲みを作ったわけだが、自分が作った世界でたった一個の茶碗である。これで感動しないはずがない。
ところが中には、こんなものかなで終わる人がいる。こういう人は何の趣味に手を出しても、はまることはない。写真にしても陶芸にしても、感動がなければ続かない。 この感動を維持するには、自分が上達していくことである。これが難しい。上達するにはそれなりの努力が必要である。 この努力するための最初のパワ−が「感動」である。
人生には感動が必要である。初めて自転車に乗れるようになったときの感動。バイクに乗ったときの感動。初めて童貞を失ったときの、、、初めて結婚したときの、、、(これは適当でない)。 適当なのは、初めて子供が生まれたとき、、かな。
僕の場合はどちらかといえば感動屋である。ドラマを見るとすぐに目頭が熱くなる。いい歌を聴いても感動する。だからいろいろなことに手をだす。趣味が多いと言われるのは以上の理由からである。
さて明日の感動は何だろう。やはり窯出しの感動だろうなぁ。子供達の作品でも、自分の作品でも窯出しするときの感動は一緒である。
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