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2005/07/31(日) 暑い
暑い、、夏だから暑いのはあたりまえだが、ついこの間まで雪が残っていたのだから、今考えると信じられない。
あの雪を保存できたらいいのにと思うのは僕だけではないだろう。
保存といえばパソコンであるが、うっかり保存をしなかったためにえらく大変な思いをすることがある。
アドビのソフトにイラストレ−タ−というものがあるが、このデ−タを保存するのを忘れていて、、アウトライン化したものをやっと見つける。CDの片隅に入っていたのである。
ところが、これをPDFファイルのWEB用にする必要が出てきた。アウトラインはすべて文字まで画像処理されるので、とんでもなく重いファイルとなる。印刷原稿としてはまったく問題ないが、これをWEBに載せるとなると、いかに軽くするかで頭をひねらなくてはならない。
で、、どうしたかというと、どうにもならないので、文章の部分はすべて打ち直した。(ノ_+)

できたものをまた打ち直すというのは苦痛な作業である。修行である。まぁしかしなんとかなった。今度からちゃんと保存する癖をつけよう。
どうしてファイルがなくなったかというと、あの頃、やたらとパソコンをいじっていた。そのたびにデ−タをあちらにやりこちらにやりしたので、どこかへやってしまったようである。
反省、、、(-_-;)

2005/07/30(土) 体験実習
土面作りの体験実習の講師を明日引き受けていたので、その準備で帰りが11時過ぎとなる。
講師は簡単だが、その準備のほうが大変である。

ほかの講師はどうなのだろう?
なんだか僕の体験実習ばかりが準備に時間がかかるような気がする。
ふう−(ため息)(・・;)(・・;)

2005/07/29(金) 猫に小判
江戸時代の話である。
ある男がたまたま富くじにあたった。なに、たいした額ではない。それでも桶職人でしかない男としては2両という額はたいへんなお金である。
その夜はかくそうとしても笑いがとまらない。居酒屋で食べ放題に食べ、飲み放題に飲んで、長屋へと続く道を歩いていた。
するとそこに野良猫が一匹現れた。
男は、手元にまだ小判が一枚ある。一晩に飲む金額はしれている。一分もやればおつりがくる。袂に小銭をじゃらじゃらさせながら、猫を見ていた。
すると猫もまたこちらをじっと見ている。
「しっしっ、食いもんなんて持っていねぇよ、あっちにいきな」
追い払うように言ったが、猫はまったく動かず、あいかわらずこちらを見てじっとしている。
「気持ち悪い猫だなぁ、、」
男はそう思ったが、ふと冗談で
「おまえに小判を一枚やろうか、、はっはっは、猫に小判とはよく言ったものだ、価値のわからんものにやってもしょうがないが、ほら、猫に小判だ」
そう言って、袂に入っていた小判を一枚猫の前に放り投げた。
するとどうだろう、猫は迷いもせず、その小判を口にくわえたと思うと、山のほうに一目散に走り出した。
「ま、待て!」
思わず男は追いかけたが、もとよりぐでんぐでんに酔っ払っている男の足で追いつけるはずもない。
男はまんまと猫に小判を取られてしまった。

猫に小判と世の中では言うが、猫も小判の価値を知っていたと後ほど男は友達に語ったそうである。

あなどるなかれ、猫のずるがしこさ。

2005/07/28(木) 女房は、、
女房は看護師である。
ある時、ストレスがたまって、、などと女房がいうので、ストレス学説を提唱したのは誰でしょう?フルネ−ムで答えられたら正解者には賞金2千円進呈!とやったら、子供はもちろんわからないが女房はどうだろう、、2千円の賭けだ!!たぶんわからないだろうと思ったら、、、やっぱり知らなかった。
賭けには勝った。
正解はハンス・セリエ。

2005/07/27(水) ハ−ドディスク
昔友人より壊れたノ−トパソコンを子供のおもちゃにといただいた。これを思い出し、2.5インチのハ−ドディスクを取り出した。容量は4.3Gである。これをUSBの外付けハ−ドディスクケ−スに入れて持ち歩いている。
なかなか便利である。今、全部で6台あるパソコンであっちに入れたりこっちに持ってきたりしてデ−タ移動をしている。
このケ−スの値段はなんと1500円だった
これが価値のある商品というのだろう。

ところでDVDの内臓マルチドライブが5000円台の大台についにのった。計算すると半年待って3000円の値下がりである。まだまだと思うが、この辺で落ち着くのではないだろうか。
パソコン関連は本当に安くなった。

2005/07/26(火) 写真
沢田教一というカメラマンは帰らなかった。
一の瀬泰三も帰らなかった。
彼らの骨は、南方の土に眠っているのだろうか。
戦場カメラマン、あの頃、社会正義の名の元に真実を伝える手段は写真だった。

今はそんな時代ではない。カメラマンといえば、フォ−カス、フライデ−における張り付きスク−プ写真。EOS−1の馬鹿でかいHSモデルに外付けの大光量ストロボのバッテリ−を腰にぶらさげて暗闇にひそむ。殴られてもかまわないからネガだけは渡さないというのが本当のプロ。
このカメラマンに社会正義という概念はまったくない。あるのはカメラマンとして明日へ食いつないでいくことだけ。

しかし、僕は尊敬する。なぜか、、それはプロだからである。
我々アマチュアはしょせんアマチュア。写真で生きることなど考えた事もない。また食えることもない時代である。

仕事に失敗すれば明日から食えなくなると歯をくいしばりがんばる姿に僕は感動する。たとえはそれが乞食であっても、それがプロであるなら僕はやっぱり尊敬する。
プロはすごい!!

2005/07/25(月) まつりのあと
吉田拓郎の歌に「祭りのあと」という歌があった。作詞は岡本おさみだったと思う。彼の詩はなかなかよかった。
中学生の僕には少し高度な詩だったが、大人ぶっていた自分には生意気にもわかったような気がしていた。
しかし、本当にわかってきたのは実は最近である。「おきざりにした悲しみは」という歌を酔っ払っているときに歌うときがある。そのとき、あっと思うのだ。詩のうわった面だけをなめてわかったふりをしていただけだったのである。

おまえだけはもう裏切らないさ
激しさが色あせても
やさしさだけ抱きしめて
そうさお前は女だからね
ああまたあの悲しみを置き去りにしたまま

、、、泣ける。

2005/07/24(日) アナログとデジタル
友人の奥さんより、音楽テ−プのダビングを頼まれた。東京の親戚の人に、地元の「からす踊り」の曲を送ってほしいと頼まれたらしい。
なんでも自宅にテ−プを聴けるシステムが一台もないとのことである。時代はCDとMDの時代、最近はこれにMP3が加わっている。
了解と快く引き受けたが、コンポのステレオのテ−プデッキが2台あるうち一台がいつのまにか故障。我が家も事情は同じみたいである。

他に2台あるミニコンポのWデッキでダビング。ついでにパソコンに取り込んでCDに焼いてあげる。初めてなのでやり方がよくわからずに苦労した。しかし元が元なのであまり音がよくない。

2005/07/23(土) まつり
仕事が終わってから、珍しく女房と二人で町の祭りに出かける。子供達はもう中学生、小遣いだけをもらって友達たちと勝手に出かけた。

考えてみれば女房と二人で食事をするのは久しぶりのような気がする。子育てで大変で二人だけの時間などはなかった。
しかしである、、、食事を頼んでから待つまでの間、あまり話がないのである(笑)。これは困った。
取り留めのない話をしたが、なんか変。

現実的な話ばかりで、夢のあるような話ができないのである。いつのまにかそういう年になった。
子育てが一段落してみると、子供中心の生活しかしてこなかった二人には、少し軌道修正が必要みたいである。

2005/07/22(金) 夏休み
中学生2人が明日から夏休み。
通知表を持ってくる。あまりいい成績ではない。
僕の中学生の頃より、、、、悪い。

だけどこれは結果。別に頭が良くなれという気はさらさらない。人生は中の上くらいでいいと思う。本気になればベスト3くらいになれるけど、部活とかでいろいろ忙しくてまぁこんなものかなという成績でいいと思う。
このほうが人生はうまく行くような気がする。

自分もそれほど成績が良かったわけではない。赤点はとった事はないが、百点ももちろん取った事はあまり記憶にない(とったことはあるがたぶんまぐれ)。
専門学校の赤点は60点。私立なので赤点をとると追試一回に付き千円をとられた。これを僕たちは罰金と呼んでいた。

しかし、補習は一回だけ受けたことがある。バイトが忙しくて、単位の計算間違いをして出席日数を1単位のがした。僕の手帳には各教科ごとに単位表が書いてあり、ぎりぎりの出席日数以外はさぼりである。働きながら学校に行っていたので、授業料がはらえなければ大変なことになる。成績よりも授業料のほうが大事なのである。ただし、赤点は千円もとられるので絶対にとらない。

という自分から見れば、子供にもっとがんばれなどとはいえないのであるが、やはり子供の将来を考えるとねぇ(笑)。

2005/07/21(木) 電車男
TVのドラマを見た、「電車男」。
はっきりいってあまり面白くない。本のほうが断然面白い。それは掲示板をみなれているせいかもしれないが、掲示板のリアルさが伝わってこないのである。
もちろん本よりも本物の掲示板のほうがもっと面白い。ついで参加したらもっと面白いだろう。

ドラマではエルメスの私生活や電車男の私生活まで出てくる。これも予想外である。エルメスの女友達もあんなに悪い性格ではないと思う。
友達に聞くとみんなが同じ事を言う。「エルメスっていい女だなぁ」と。確かにいい性格である。心遣いなどはいまどき珍しい女である。さりげなく電車男をサポ−トしている。

映画の女優よりもTVの女優のほうがいい。電車男は逆に映画のほうがいい。これは娘との共通した意見。

さて、電車男はオタク族である。よく考えてみると僕自身もすごいオタクであることに気が付く。カメラ、写真、陶芸とオタクの塊である。しかしオタク族はしっかりと自分の世界を持っている。そしてそれを大事にして生きる糧としている。
がんばれ電車男といいたい。カメラオタクは声援を送ります。

2005/07/20(水) 人生半ば
人生の折り返し地点である。ここで折り返してゴ−ルは死である。もう半分も生きたのかと感動、、もしないか(笑)。
あっという間だった。あ、、
この瞬間に人生の半分が終わった。

さて、先日のモデル撮影の現像をしようと思ったら、すべての道具が体験実習館に置きっぱなしだった。明日とりにいこう。

2005/07/19(火) 最近、、、
パソコンのせいだろうか、、小さな字が読みにくい。
老眼もあるのだろう。パソコンのマザ−ボ−ドの文字は完全に読めない。が、、なんと、100金で買った一番軽い度の老眼鏡をかけるとちゃんと読める。
ただし、眼鏡をかけて遠くを見るとくらくらする。

しかし、本は眼鏡なしで読める。なぜか、、それは大脳で判断するからである。面白くて夢中になる本ほど大脳で読んでいる。つまらない本は活字を読んでいる。

漫画家の手塚治虫は本を斜め読みできたそうである。こういう人は確かにいるのである。指でペ−ジを斜めにたどるだけで頭に入ってしまうらしい。
自分もやってみたが無理。訓練である程度はできるらしい。世の中には速読術なるものがあるらしい、身に付けたいと思うが、一生身に付きそうにもない。

さて、今夜の読書?
山岳小説である。結構面白い。
山岳小説といえば、名著、新田次郎の「孤高の人」、これは面白い。ほかにもいろいろあるが、「マ−クスの山」これも山岳ものに近い推理小説、面白い。

カメラ好きにも楽しめる山岳小説は、夢枕漠の「神々の頂」だったかな?これは最高に面白い。この作家、ほかには陰陽師シリ−ズなども書いているが、ぜんぜん面白くない。でもこの小説は最高に面白い。絶対おすすめ。

面白くない小説で印象に残っているのは、すばり志賀直哉の「暗夜行路」これは2回読んだが、やっぱり面白くなかった。だいたいあの時代の小説は自分には合わない。白樺派というのか、なんか庶民の、貧乏人の自分には合わない。
武者小路実篤などは、そこそこ面白いが、今の時代にはふさわしくない。まっすぐすぎてどうも、、、。

ところが、今読んでも面白いものは、やはり漱石である。これは前の千円札になるだけの価値があると思う。ジャンルの幅が広い。それでは、今の五千円札の樋口一葉、、これはあまり面白くない。そこそこ、、。
小説は時代とともに変わるし、変わっていくから小説なのだともいえる。だから昔の小説が面白いとは限らないが、時代が変わると歴史的価値が出てくる。

つまらない小説で印象に残っているのは「風とともに去りぬ」。これは映画はいいが、小説はつまらない。文庫本で全5巻あったが、がんばって4巻のまでは読んだが、つまらなくてとうとうやめた。時間の無駄。あれは自分には合わない。

歴史ものはすべて好きである。時代ものでは、池波正太郎と藤沢周平がいい。これは文学。すべて現代に通じる時代物である。
とくに藤沢周平の「一茶」はいい。最高にいい。田辺聖子の「一茶」も悪くないが、藤沢一茶のほうがわびさびがある。

文学といえば、今話題の「電車男」、これは文学かな、、。ああいうタイプをどのカテゴリ−に入れていいのか見当がつかない。
すべて読んだ。面白かった。
ただし、それだけ。何の印象も残らなかった。ただ面白かった。
しかし、2ちゃんねるの全レスを読めば、やっぱり2チャンネルである。かなりひどいことも書いてある。ところが本では、そういうのはすべてカットされている。
結論は、、「電車男」は間違っても文学ではない


それほど読んでいるわけではないので、えらそうなことはいえないが、年の40を過ぎたら、小説に限り、1/3ほど読んでつまらないと思ったらやめたほうがいい。時間の無駄である。
なぜなら自分の人生はすでに固まっているからである。自分と正反対の本は絶対に面白くない。
読書は若いうちがいいというのは、このあたりに理由があると思う。手当たり次第に読めるのは20代まで。30を過ぎたら読んでいる時間がなかなかない。専門書や仕事関係の本に追われて楽しみの読書などはしている時間がない。
本を読んで身に付くのはやはり20代までである。

2005/07/18(月) 撮影
陶芸だけをやっているわけではない。午前中は仕事。終了次第に所属する写真団体の撮影会。
銀塩はモノクロのみでベス単改造レンズ1本。
早くフィルム現像したいが、暇がなかなかない。

2005/07/17(日)
暑い、熱い、、汗だくだく。
こんな暑い日に窯焼。
夜のビ−ルだけを楽しみにがんばる。すっかりおじさんである。

2005/07/16(土) 校正
本日広報誌の校正があがってくる。
もう見るのもいやになるほどチェックしているつもりだが、それでもまだ間違いがあったりする。
これからじっくりとチェックを入れてみよう。

2005/07/15(金) 広報部
なじょもん友の会の広報部を担当してから1年以上が経過した。
昨年の今ごろはイラストレ−タ−というソフトを購入して必死に勉強したものである。あれから一年、、、。
今ではこのソフトだいぶ使えるようになった。
今回、第6号のデ−タを印刷会社に渡した。これをひとつ出すたびにほっとする。結構責任が重い。

2005/07/14(木) またまた土器
ようやく土器が乾燥してきた。これで持ち運べる状態である。さて、次の土器の構想を考えている。

粘土は今の土器を乾燥中に作っている。つまり陶芸用の生成された粘土ではなく、地元で採取した粘土を使うのである。つまり石がたくさん混じっていて、これを取り除くのに一苦労。多少の小石は仕方がないし、石はぜが出たほうが趣があっていいと考えている。これに砂を一割五分ほど混ぜて粘土の完成である。

この練りこんだ粘土を一晩寝かせて、明日は次の土器作りに挑戦である。

どうも自分の場合は何かをやっていないとだめみたいである。作るということはストレス解消にすごくいいことに今回改めて驚いた。

2005/07/13(水) 蜘蛛の糸
蜘蛛の糸を書いたのは芥川、蜘蛛の糸にごみをひっかけて遊んでいたのはうちのバカ娘。
彼女いわく「蜘蛛のオブジェ」だそうである。
あきれたが、仕方ないので夏休みの模型工作に出品したらと言っておいた。
ごみを引っ掛けるたびに蜘蛛は、虫が引っかかったのかと思い喜んでごみに寄ってくるらしい。
かくして蜘蛛のオブジェは完成したわけである。

2005/07/12(火) 仕事ときどき土器
暇があると土器を作っている。
しかし梅雨時、なかなか乾かない。ある程度乾いてくれないと次の工程に移れない。
成型はこれで完了。次は磨きをかける工程である。これが作るよりも大変である。
これだけ苦労して作って、野焼きで割れることもあるのだから野焼きの工程も手を抜けない。いやでも神経質になってくる。
それにしても乾かない。

2005/07/11(月) 朝顔
ようやく朝顔のネットを張った。写真のように仕掛けがすごいので、ちょこちょこというわけにはいかない。
これを張っていると、通りがかり人が何人も声をかけてくれた。
「また今年も楽しませてもらえますね」
「今年もやるねぇ、、この朝顔を見ながらゴミ出しをするのが楽しみでねぇ、、、」
などと、すでに恒例化しているのにビックリする。思えばもう10年以上これを続けている。こうなると何がなんでもやらなくてはと思う。

2005/07/10(日) 土器
何かを作っているときは楽しい。何もかも忘れさせてくれる。
午前中、朝顔のネット張りやら庭の草取りをして午後より陶芸サ−クルにちょっと顔を出して、夕方まで土器に文様を入れる。
どことなく火炎土器に似てきてしまうのは仕方ないが、モチ−フして取り入れるにはこのデザインになる。
問題はこの後、縄文をあしらった下部をとのように処理するかである。
底部口径20センチ、最大口径部、35センチ、高さ、55センチというところか。

2005/07/09(土) 縄文土器
何かをやらなくてはと思い、土器作りをはじめた。
やっているときはすべてを忘れさせてくれる。こいつはいい。
本などを読むよりもずっといい。

2005/07/08(金) 何を
何をやっているのだろう。
いったい何を。

自分がみじめに思えてくる。
何で惨めに見えるのだろう。
わかっている、心の貧しささ。

センチになったって何も変わりはしないのもわかっている。
年老いていくのは自分だけではない。父も母もみんな年老いていく。わかっているのに、、どうしようもない。
世の中の出来事は努力してもどうにもならないことが沢山ある。

こういうスランプのときはカメラもいじる気になれない。
田中長徳氏の「名機礼賛」の中で、父親がペンタックスS2を買ってきたときのことが書いてある。そのとき、こんなことでも人はなんとか生きていけるものである、、、と書いてあったような気がする。
この文章が好きだった。

人生とは、、と書くと大げさだが、そんなものかもしれない。
どうも同級生の死がいつまでも尾を引いている。
しかも、どういうわけか就寝前の読書が坂東真砂子、どうしてこういう組み合わせなのかよくわからないが、そうなってしまった。これはまずい。写真といえば竹久夢二の写真が妙に心に残っている。これもまずい。

なんとかこのスランプを抜け出さなくては、、、。

2005/07/07(木) 紅すずめ
小学生の頃、紅すずめを飼っていたことがある。
ある日、自分の家の飼い猫に食べられた。
紅すずめをかわいがっていたので、猫が憎くなって、2階の窓から猫を放り投げた。猫はキャット空中三回転をして、すたっと着地して何事もなかったように歩いていった。

ただそれだけのことである。
ただそれだけの、、、。

生きることとはそういうことである。
生きることとは、、、。

今夜は七夕、子供たちと七夕を飾ることもなくなった。
今年も天の川は見ることができない。
七夕の日に天の川を見たのは一度くらいである。
しかし、本当の七夕は旧暦、梅雨時に見れないのは当たり前といえば当たり前。

2005/07/06(水) 何事もなく
何事もなく過ぎていく日々、梅雨時のうっとおしい日々の中で確実に時間だけが過ぎていく。
朝顔のつるが延びて、ひまわりの背丈も確実に伸びている。
ひまわりを植えても眺めている余裕などなく、朝顔が突然咲いたことに驚く日々。
疲れて帰ってきてパソコンの前に座り、どうでもいいようなことを打っている。酒を飲み、明日のためなどということもなく、布団の中に入り、睡眠剤がわりに本を読み眠る。

あれはいつの頃だったろう、深夜映画に感動して眠れず、一冊の本がやめられず朝の白々とした空気の中で眠りに付いたのは。
いつのまにか変わってしまった。時間という確実に流れていく真実だけが、今の自分にわかる精一杯の努力である。

明日は朝顔のネットを張ってやろう、そう思いながらもう3日も経過してしまった。
今はただ目の前に見えることをひとつひとつやっていこう。それしかない、、、、。

2005/07/05(火) 憂鬱
雨が降っている。梅雨時だから仕方がないか。
本日、体験実習館の友の会の会議で遅くなる。会報を作っている。つまり広報部の役目である。
任期は2年、一年半くらい経過したところか。

写真、陶芸と趣味はあるのだが、何をやっても乗り気になれないときがある。今がそのときである。

重く、暗い扉を開けて、またあいつがやってくる
夜の暗闇よ、おまえの中に溶け込ませてくれ
あいつに見つかると俺は逃げることが出来ない。
闇よ、お前の中に溶け込ませてくれ

つまらない詩を書いてしまった。
しかし、正直こんな気分である。

2005/07/04(月) 同級生の死
同級生の女性が死んだ。享年45才。
女性として、結婚の喜びも知らず、子供を生むことも、もちろん育てることも、、、、何も知らずに死んでいった。
彼女とはパンフレットの撮影で一緒に仕事をしたことがある。仕事が終わった後、飲みに行こうという話しになりスタッフと一緒にカラオケに行ったことを昨日のことのように思い出す。
15年におよぶ長い闘病生活、やつと楽になれたね、、真理ちゃん。

2005/07/03(日) TV撮影
朝から忙しかった。
とにかく撮影が終わったが、リポ−タ−の作った土面、作った後は動かしてはいけないのに、手に持って「こんな土面ができちゃいました〜」なんて撮影しちゃったので、当然のことながら、あとで確認したら見事に割れた。
5時ごろには後片付けまで終わったのだが、あとで聞いてびっくり、このリポ−タ−の作った土面、のちほど大阪のほうで撮影に使うらしい。そんな、、、と思いながら、修復作業、、、これで7時過ぎまでかかってしまった。
まいったなぁ、、、、それならそうと最初に言ってくれればいいのに、、、。

2005/07/02(土) 明日のTV撮影のための準備
明日は野焼きと土面作り、土器作りの体験実習である。TVが入るとのこと、なんだかんだで忙しい。
野焼き、、、一応大事なものは陶芸の窯で素焼きしてあるが、それでも野焼きは割れる確立が高い。
祈るばかりである。

2005/07/01(金) 写真
きれいなだけで終わる写真がある。
汚いけどなんとなく気になる写真がある。
ぼけっとしているときに、ふと頭に浮かんでくる写真がある。
いったい、いい写真というのは何なのだろう。何を根拠にいい写真というのだろう。
写真を撮らなくなった自分を省みると、そこのところで止まっている。そこから一歩も前進していない。
撮らなくなったのではない、撮れなくなったのかもしれない。


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