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2005/08/31(水) 夏の終わり
今年もまた夏が終わった。
なんだか変である。年々いろいろなことで忙しくなり、暑いと一言言ううちに季節が一軸ずれていく。
田舎に吹き抜ける風は完全に秋である。

またあの憂鬱な季節がきてしまう。9月の下旬、僕は毎年情緒不安定になる。中学のとき家での真似事をしたのもこの時期だし、死というテ−マを考えてしまうのもこの時期だ。
今年はどんなんだろう、まぁいろいろと忙しいから今年は大丈夫だろう。

2005/08/30(火) 銀塩カメラ
さて、使わないカメラがゴロゴロしているわけだが、今だにデジタル一眼を持っていない。そろそろと思っている。
銀塩を売ってデジ一眼でも買おうかなと、、、。
ざっと見て、売れそうなカメラは数台しかない。数だけはあるが、売るとなるとボロクソであろう。
一番高く売れそうなのはキヤノンNF-1、ファインダ−はアイレベルとAE、スクリ−ンは部分測光と中央部重点の2枚。おまけとしてワインダ−付。これで買い取り価格はたぶんよくて7万円くらいと見る。
う〜ん、、、やっぱりやめた (´・ω:;.:...   。

2005/08/29(月) 掃除
 あるきっかけで何かを行うということが時々ある。
たいしたことない事で、今までおざなりにしてきたことが簡単に片付くこともある。

 本日のお昼、女房の愛妻?弁当の中に、季節物の葡萄がちょっと入っていた。最後のぶどうの一粒を食べようとしたらころころと転がり机の下に。
 しかし、どこに行ったのかわからない。この机の下、本や雑誌が沢山おいてあり、葡萄の一粒を見つけるためには、すべての本を整理しなくてはならない。
 結局本をすべて整理し片付けて、当然掃除機もかけてしまった。やっと見つけた葡萄の一粒、もちろん味わって食べた。
 この話、何かに似ていると思ったら、昔話の「おむすびころりん」である。葡萄よありがとう。スタインベックは「怒りの葡萄」を書いたが、僕は「感謝の葡萄」を書いてしまった。

2005/08/28(日) 体験実習講師
 町の体験実習館で講師を務める。今回は室内での土面作りの講師。参加者、親子を含め6名である。悪乗りで子供達に湯のみ茶碗なども作らせる。こっちのほうが喜んでいたみたいである。
 さて、問題はその後、午後より土器鍋である。あいかわらず野焼きである。大きななまずを持ってくれた人がいて、ひとつはなまず鍋、ひとつは鹿なべである。ふと気がつくと狸が死んでいる。とらばさみの仕掛けにかかっていたものをわざわざ持ってきてくれた人がいて、狸なべという案もあったが、ご存知のとおり狸をさばくのは難しい。汗腺を間違って切ってしまうと臭くて食えたものではない。結局丁重に葬った。
 なんだかんだで帰ってきたのが、夜の10時ごろである。一日火にあぶられていたので、くたくたになる。結構カロリ−を消費するみたいである。
 歴史のおもしろ読本をぱらぱらと読んでいるうちに寝てしまう。また一日が終わった。

2005/08/27(土) 朝顔
 ついこのあいだネットを張ってあげた朝顔も、もう下のほうのつるは枯れ始めて、秋の始まりをつげている。
 今年の夏もまた過ぎ行く、、どこかで聞いたようなせりふだが、後何回この夏がめぐるのか。

 この町では集落ごとに祭りがあり、それぞれの神社が盛大に祭られる。町で統一した祭りもある。観光協会が主催し、民謡流し、仮装大会などもある。だから本当の意味でこの日をこの町全体の祭りにしてほしいという意見もあるのだが、商店街の反対もありなかなか実現しそうにない。

 祭りが終盤に近づく頃に、稲刈りがはじまる。本格的な秋である。なんでこんなに時間の過ぎるのが早いのか不思議である。何かにいつも追いかけられているようで、気がつくと人生のゴ−ルになっているなんて嫌だなと思う。

2005/08/26(金) あの頃に
 時々思うことがある。もしあの頃にというお決まりのことであるが、どんな人でも過去に帰ることはできない。
だけど、もし一回だけ過去からやり直しができるとしたら、、。

 どらえもんではないがタイムカプセルなるものが存在し、もう一度小学生からやり直したとしよう、さてどうなるか、、、。
 どらえもんの世界では過去を変えることができない。もし意識的に変えたとしたら、未来からやってきた特別警察に逮捕されることになっている。
 その中で遊んでくることはできても、過去を振り返るとまったく同じ人生を歩んでいることになるらしい。これは実におもしろい。

 そういえば子供達が中学生になり、「どらえもん」や「くれよんしんちゃん」を見なくなった。先日、なんとなく「ドラえもん」を見たら、なんと声優が変わっていて、どらちゃん特有のダミ声がなくなっていた。そのとき、あっひとつの時代がまた終わったと感じたのは僕だけではないだろう。

 自分の人生を振り返ったとき、なんて無駄の多い人生だっただろうと思うが、その無駄が、自分の血となり肉になっているわけで、それは無駄ではなかったといえるのかもしれない。
 効率だけを考えれば悪い人生だが、長い歴史の中で、今の時代を生きてこれたことを感謝しなくてはならない。我々の時代は戦争を知らない。これだけでもありがたいと思う。
 まぁとにかく一日一日を無駄のないように精一杯生きるしかないわけだから、、、、。

2005/08/25(木) 歴史
 今朝、息子に聞かれた。
「犬養毅」って何をやった人?」
 突然言われると、あわててしまう。たしか5.15事件で青年将校たちに殺されたんだよなぁと記憶の糸をたどる。問題はその後である。犬養毅は首相だったと思う。
 とりあえず息子の教科書を見る。なんと、、簡単に済ませてある。なんじゃこりゃ、、唖然。これでは息子が質問するのも無理はない。軍国主義に走るきっかけとなった5.15事件、議員内閣制の終わりを告げる大事件なのにたったの2行。いくらなんで簡単すぎる。
 現今の日本の教育水準が世界的に見て下がっているとという。その原因は教科書にあると思う。これではなんだかわからない。
 歴史というものは、「いつどこで、誰が何を目的に、何をして、その結果どうなったか」ということが大事である。この中で、何の目的でやったかということが一番大切である。
 この事件も、青年将校たちが勝手にやったわけではなく、指導しつつあおった人間が必ずいるのである。歴史が動くとき、必ず誰かが得をするということ。その結果誰かが損をするということ。今国会でもめている郵便局の民営化などはそのいい例である。そのあたりが明確でないために、結果として新しい政党が生まれてきてしまった。せっかくアメリカなみに二大政党になりつつあると思ったのに、残念である。

2005/08/24(水)
 なんとか土面の素焼き終了。乾燥を急いだので、水分が残っていたのか、色見穴から見る限り手前の土面の鼻の部分が欠けている。うまく欠けてくれればボンドという手もあるが、、。
 明日の早朝に窯出しである。ほかも何とかなっていてくれるといいのだが、こればかりはわからない。窯に作品を詰めて火を入れた瞬間から、人間の手ではいじることのできない世界である。昔の職人さんが窯の入り口に神棚を祭り、お神酒を上げた気持ちが痛いほどよくわかる。まさに神仏に祈る気持ちである。いや、これは大げさでもなんでもない、失敗の許されない世界では最後の最後はここにくる。
 キリストでもアラ−でもブッタでもみんな一緒。人知の及ばない世界である。

2005/08/23(火) 本日も
暗室に入れるかと思ったら本日も仕事の都合でだめでした。明日は、、窯だきです。たぶん夕方から夜にかけてになるのでまただめかな(笑)。

2005/08/22(月) 暗室
 夕方時間ができたので、久々に暗室にこもりプリントしようとしたら、整理が悪いため、例の写真のネガがでてきた。ありゃこれはパソコンに入れていないなぁとその作業で結局つぶれてしまった。
 パソコンを始める前はそんなことはなかった。ネガができればすぐに暗室にこもったものである。現像液も濃縮のまま冷蔵庫に入れて小出しに使うため、ちょこちょこ暗室にこもっていたものである。それが最近ではまずパソコンにとり込んでからという事になった。結局余計な作業が増えただけである。

2005/08/21(日) 秋来たりし
 ここのところ朝晩が涼しくなった。暑い夏が終わるといつもの事ながら精神状態が不安定になってくる。古代の人たちが、自然現象や神や死後のことに思いをめぐらせたのもこの時期ではないかと思う。
 人生について考えるなんていうと、トルストイを思い出すが、兄の蔵書の中に「人生の辞典」という分厚い本があり、中学生のときなんとなく読んでみた。この本は人生全般について、各界の著名人が執筆している本で、子供ながらも感銘したものである。
 本当は今こそその本を読まなくてはならないと思い、埃だらけの本をやっと探してペ−ジをめくると、そこに書いてあることは道徳の教科書みたいで、あまり感動しないのである。この本はやはり20歳前後に読むものだと気がつく。
 生涯青春などという言葉があるが、みんなそのときは一生懸命であるが、終わるたびに間違いなく年を重ねていく。などと考えてしまうのもやはり秋のせいだろうか。

2005/08/20(土)
 夕食後、娘が明日から部活の合宿ということでジャスコに買い物に出かける。例によって金だけ渡して、自分はBookOffに。この店は楽しい。貧乏人Xの僕にとっては夢のパラダイス。ここで100円の本を10冊選ぶのは僕の楽しみの一つである。
 ところがBookOffは8時で営業終了。3冊目を選んでいたとき蛍の光のテ−マソングが、、残念。大急ぎであと2冊を選ぶ。レジで会計を済ませて周囲を見ると、なんと、客は僕一人。
 また寝床の枕もとの紙くずが増えたわけである。

2005/08/19(金) 越路吹雪
 最近なぜか越路吹雪の歌が気になる。本日はとうとうギタ−を弾いて歌ってしまった。一番好きなのは「サントワ・マミ−」である。明るいメジャ−コ−ドを使いながら、悲しみを表現するのは日本人には難しいが、この人は外国人のように歌いこなし表現している。
 日本人は悲しいと演歌である。ま、これはこれでいいのである。僕の年代は演歌を聞きながら育った世代である。本当は演歌が好きなのに世間の風潮と若者に迎合して、演歌はいやだと言う人は軽蔑する。うそをつけ!言いたくなる。お涙頂戴の演歌、待つことだけが女の道、なんてのはたしかに歓迎しないが、もっと素直になっていいのではと思う。
 僕は三橋美智也と美空ひばりが好きである。家にLPが何枚かあったせいもあるが、中学のときこの二人の歌もギタ−を弾きながら歌っていた。今でも歌う。この日本人の心をみんな忘れてしまっているのではないだろうか。もっと素直になろうと僕は言いたい。

2005/08/18(木) 豪雨
 夜になるとひどい雨が降る。今回の集中豪雨であちこちに被害が出ている。そうかと思えば、四国地方などは渇水である。どうなっているのだろう?
 仕事が終わって、また土面の修復に出かける。子供達の土面である。これは夏休みの宿題にする子が多い。何が何でも学校が始まる前に手渡してやらなくては。
 しかし、何でこんなことやっているのか自分でもよくわからない。自分のため?町のため?

2005/08/17(水) 多忙
 仕事が終わり、体験実習館へ土面の修復にいく。9時半くらいに写真サ−クルに出席、会費だけ支払い、招待されていた友人の祭りに出かける。多忙な一日。祭りは遠い地域なので、酒はまったく飲まずに帰宅、ダイコ−代のほうが高くつくからである。帰宅が夜中の一時過ぎ。我ながらよくやると思う。

 さて、その祭りで金縛りの話がでる。成長期におこる現象だと僕が言うと、それは違うという。心と肉体のずれが生じたときにおきる現象だという。頭はこうしなくては、ああしなくてはと考えているのに、肉体が極度に疲労した状態のときに起きるのだという。妙に納得。

 写真サ−クルに出席して古いカメラの修理を頼まれる。キャノンの初期の一眼レフ、RPである。この人は写真は超へたくそであるが、カメラ好きでいろいろなジャンクを入手しては僕のところに持ち込む。もちろんお金はいただかない。いただけば一回一万円というところである。
 電池切れの確認をしないで修理を頼まれたこともある。これは論外。ある程度の修理は自分でできなくては集める資格がないと思う。
 まぁいいでしょう。とりあえず持ち帰る。またつまらない金にならない仕事を引き受けてしまった(笑)。

2005/08/16(火) 仏教とキリスト教
 梅原猛の「仏教の思想」という本を眠る前に少しずつ読んでいる。この本は非常に面白い。長い間疑問に思っていた答えがすべてこの本に書いてある。
 キリスト教は殺人の歴史、エホバの神は信じるものだけを助け、信じないものは見捨てる。また異教徒に対しては、殺人を禁止していない。「汝、人を殺すことなかれ」という言葉は、信者同士のこと、ほかの異教徒への殺人のことは書いていないのではないかという推測。
 まぁ本の内容はとにかく、そんなことを娘に話していたら、じゃキリスト教より仏教のほうが優れているじゃん、と素直に反応した。彼女は手塚治虫の漫画「ブッタ」を何回も精読?しているから、仏教の基本的知識はへたな大学生よりももっている。
 そこで娘から、これまた素直な質問、日本のお寺さんって何をやっているの?と。
 これは以前から疑問に思っていたことらしい。これに対する回答は難しいが、とりあえずは葬式で食っていると答えた。つまり葬儀のお経で食っていると。
 すると、そんなんで生活できるの?と聞いてきた。基本的にはお布施と寄付で生活していると答えた。

 娘が、言った言葉はまさに今の仏教の矛盾を言いえている。「それじゃ人が死ななくては生きてはいけないよね」。そういうことになる。素直なだけに結構真理をついてくる。そのあとに、お父さんが言っている仏教と違うよね、と言った。

 まさにそうである。日本の仏教を、別名で葬式仏教と呼ぶのはここにある。本来、経は生きている人のためにあるはず、ところが死んだ人に向かって経を読んでいる。これはおかしい。
 大乗仏教と小乗仏教の違いくらいはわかっているつもりだが、大乗なればこそ、生きている人に経を説かねばならぬはず。どこかおかしい。

 僕自身は創価学会でもないし、立正佼成会でもない。ただ歴史が好きなだけである。その中での仏教に対する興味でしかないわけで、ここで批判する気もないし、しても無駄なことである。

 ただ、あまりにも死と仏教が結びついているのが面白くない。亡くなった人のことを仏様と言い、カメラやその他の機械が壊れて使い物にならなくなったことをオシャカになったという。このあたり、どうも僧徒に責任があると思う。

 結論は、坊主も乞食も、犯罪者も先生も、一皮むけばみんなおんなじということである。本当にえらい人は世の中にはいない。みんな慾の塊にすぎない。
 このことを娘に伝えたいところであるが、まだ中学2年のにきび盛り、ここまでは親としては言えないところが苦しい。

2005/08/15(月) サラリ−マンの日常
「あぁやっと仕事が終わったなぁ、働き蜂は楽じゃねぇ」
「先輩でもそんな愚痴言うんすか?」
「そりゃおめえ、人間なんてみんなおんなじよ」
「そうっすねぇ」
「どうだ、ひとつ帰りに冷たい生でもひっかけて帰るか?どうせ彼女なんていないんだろ」
「いいっすねぇ、先輩のおごりっすか?」
「ばか、ワリカンだ、いきつけの店がある」
「了解」

「よく考えたら、先輩とこういうところくるのはじめてっすねぇ」
「おい、その<す>の付く言葉、いい加減に卒業しろ」
「そういえばそうっすねぇ、、あ、、」
「お前、部長の前でもその言葉使うのか?」
「いえ、使いません。先輩だとつい気がゆるんじゃって」
「まぁいいけど、とりあえず生でも頼むか、親父、生ふたつ!」

「おっきたきた、こいつのために仕事してるようなもんだよな」
「まったくです、それじゃ先輩、乾杯といきましょう」
「なんに乾杯するんだ?」
「そうっすねぇ、とりあえずは二人の健康を願って」
「月並みだな、、まぁいい乾杯!」

「ぷは−っ、うめえ、俺生きてる」
「ほんとだな、このときだけは生きていると感じるよ」
「ところで先輩、庶務課のA子って、部長の女だっていううわさ、本当ですか?」
「まぁ本当だろうな、何人も目撃者がいるし」
「いいっすねぇ、俺も部長に出世して、女がほしいっすよ」
「部長にならなくても、女くらいなんとかなるだろ、平のサラリ−マンでもみんな結婚してるじゃないか」
「違いますよ、本妻のほかに女という意味です」
「馬鹿、今からそんなこと考えていると出世できないぞ」
「まぁ俺じゃ無理っすね、ハハ、、」

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
そうして二人は、、

いつになっても落ちがない。たまにはこういう会話がしてみたい。自営業はこういう付き合いがまったくない。あぁ、今夜も自宅で発泡酒である。
つまみは大津屋の豆腐の冷奴。
こうしてまた一日が終わっていくのである。

2005/08/14(日) 恒例の家族行事
お盆には毎年キャンプである。この時期は雨が降らないはず、ところが土砂降りの雨、散々である。
最近はお盆に雨がひどく降る。今年はでっかいブル−シ−トを3枚用意、このおかげで助かった。予定どおり雨が見事に降ってくれた。テントの上に一回り大きなブル−シ−トをかけて、それを近くの木に紐をつけて四方に引っ張ると、見事に屋根ができる。片側を低く勾配をつけると、そちらのほうに雨水は流れていく。このシ−トを3枚重ねると、雨が降っても快適なキャンプができる。紐はナイロン紐の丈夫なものを一巻用意していく。とにかくどこに木があるかわからないので、充分な長さを用意しておく。場合によっては10メ−トル必要な場合もあるからである。
市販のテント専用のものは駄目である。値段ばかり高くて雨に弱い。その点、ブル−シ−トは雨に強い。しかも10条くらいの広さで1000円くらいである。今年は夜中の土砂降りの雨にも耐えてくれた。

長男は、旅行とかにほとんど一緒に出かけなくなったが、キャンプだけは参加をする。時期的な問題もあるが、そういう年頃なのであろう。
本当はお盆に雨が降るとわかっていたが、それを覚悟で実行したのは、そういうことである。あと何回、子供たちがキャンプに参加してくれるかわからないが、二人の子供が3歳の頃から続けているキャンプ、家族の絆、思い出として大切にしたいと思っている。

2005/08/13(土) お盆
世の中はお盆ということで、民族の大移動が始まっている。地元の人間は、まぁ迷惑というところだろう。
ところが観光関係に携わる人たちは大忙しである。この時期が暇だともうどうしようもない。
この町もずいぶんと観光に力を入れてきているが、まだまだぜんぜん駄目である。
この町から車で一時間くらいのところに、信州、小布施町というところがある。この町は観光のノウハウが実にうまい。よく考えるとたいした事はないのだが、出かけた人をリッチな気分にさせ、旅人気分を盛り上げてくれる。
この旅人気分というのが大事なことだと思う。この町にはそれがない。30万本のひまわり畑が有名になっても、この町に落としていく金はほとんどない。
それはなぜか、町民に意識がないのである。観光で生きていくという緊迫感がないのである。
所詮は魚沼コシヒカリの上に胡坐をかいている。これはこの町のことだけではなく、新潟県と長野県の大きな違いである。
ましてや中越地震の与えた影響は、観光で生きている人たちに大きな影を落としている。
中越地震の直接の被害もさることながら、間接的にいつまでも続くこの商業的被害は、まだまだ続いている。

2005/08/12(金) 飲み会
地元新聞の写真コンテストの講評をお願いしている写真の先生が来町。先生を囲んで飲み会。楽しい夜だった。
昼間は仕事の暇をみて、前回の撮影会の写真をパソコンに取り込み、セピア加工。まとまったら銀塩写真館にアップする予定である、が手間がかかる。デジカメだと簡単なんだけど (^_^;)。

掲載写真はフォトショップにて竹久夢二風に加工。元は普通のモノクロフィルムの自家現像のネガである。忙しくて暗室にこもっている暇がない。

2005/08/11(木) HDD積み替え
家族用のパソコン、名づけて富士通スペシャルにHDDを積み替えた。40Gを250Gに交換。しっかりしと認識した。
このパソコン、スリムタイプなので、中身はノ−トパソコンのパ−ツをずいぶんと使っている。HDDだけは3.5インチのIDEである。
これを積み替えた後、OSからXPのSP2までインスト−ルするのに夜中の1時ごろまでかかった。その後、2.5インチに移動しておいた家族の専用メ−ルアカウントと個別のブックマ−クをデ−タ移動して、とりあえず終了。他のソフトなどは息子に任せるとして、大役をとりあえず終える。

2005/08/10(水) HDD
ついにHDDを買ってしまった。250Gである。気になるお値段は11.000円。送料が特別セ−ルで500円。自分のパソコンは160Gつんでいるので問題はないが、家族のパソコン用である。
それにしても安くなった。信じられない値段である。シ−ゲ−トである。IBMという選択肢もあったが、音がうるさいという評価があったのでこちらを選んだ。
息子はパソコンのことに詳しいので、値段を聞いてびっくりしていた。
娘と女房は、まったく関心がないようである。これが男と女の違いであろうか。

2005/08/09(火) マンネリズム
最近変化がない。これは問題である。
ほかの人からみれば変化だらけなのだろうが、自分自身としては燃えるものがない。暑さのせいなのか、これ以上燃えてしまうと焼けただれてしまうのかも。

男は臍下丹田に焼ける石を持つ。この熱を冷ますために男は酒を慾するのだ、と何かの本にあった。これはまぁ酒飲みの屁理屈なのかもしれないが、言っていることはよくわかる。それじゃ下戸はどうなのだと飲まない人は言いたくなるだろう。然りである。

この年齢になると、ほぼ人生は決まったようなもの。趣味はあくまで趣味、仕事は仕事と割り切れる。人生を楽しむために趣味があると考えるようになる。
ところが、なかなかそう考えられない種類の人たちがいる。この類の人たちを僕はおおいに尊敬する。ただし、99%の人が生活に困っている。それは自分の選んだ道、仕方ないだろう。

この類の人たちの中で僕の中では逆にもっとも軽蔑する人たちもいる。それは自分で選んだ道なのに、その世界で食っていけなくて、酒を飲んではくどき、嘆き、挙句の果ては世の中が悪いと決めつける人たちである。こういう人たちは失格である。何に失格かといえば人生の道を歩くのに失格である。
もっと利巧に生きなさいと僕は言いたい。自分のやりたいことをするためには基本的な収入が必要である。若いときならとにかく、40を過ぎて基本的収入のない人は、これはもう論外。

基本的な仕事を持ち、その上で、趣味だ芸術だと論じ、一芸に秀でている人たちを僕はたくさん知っているが、生活能力のない人たちよりも一般にはレベルが上である。酒を飲んでくどく人たちほどレベルが下だと思う。

このことは田中菊雄という人が、ある本に書いているとこである。苦労人ほど生活の大切さを知っているのである。まずはお金を稼がなくては、夢もロマンもないことを肌で感じて知っているのである。

若いときの夢は年と共にしぼんでいくのは仕方ないにしても、本当に自分のやりたいことは、別にプロにならなくてもできるはずである。世の中に認めてもらおうなんて考える必要はないのである。自分の納得のいくものができればいいのである。しかしである、自分の納得のできるものなどおそらく一生かかっても無理であろう。だから人生なのだともいえる。それに納得のできるものができたと思ったとき、その世界での成長は止まるのである。
一生追い続ける夢と浪漫、これからもずっとそれを追い続けて行きたいと思う。

2005/08/08(月)
うだる暑さ、せみしぐれ、夏だ、、。
冷房の効いた部屋に一日いると頭が痛くなってくる。パソコンと向かい合い、ウェィブペ−ジをいじり、アップする。リンク切れに気がつき、また修正。
アイスコ−ヒ−を飲む。
なんなんだこの缶コ−ヒ−は、異常に甘い。

そんなこんなでまた無駄な夏が過ぎていく。過ぎていく夏、、うん、いいタイトルだ。このタイトルで歌が作れそう。

2005/08/07(日) 日曜日
なんとなく過ごしたけど、何となく忙しい。子供達の自転車の整備をしたり、草取りをしたり、夕方は体験実習館、子供たちの作った生焼けの土器が、夕立の雨ですっとけてしまったので7個分作る。これはアクシデントだから仕方ない。複製として差し上げることにする。
その帰り、息子が吉野家の牛丼を食べてみたかったと情けないことを言うので、俺が作ってやるとはりきり、家族分作る。結構うまくいった。これに紅しょうががあれば完璧なんだがと悔やむ。生たまごをぶっかけて食うのが通だ、といったら息子が実行した。これはうまいと大喜び。

ついでに同じ牛肉なので、廉価版牛スジ肉でビ−フシチュ−も作る。ぜんぜん牛丼と合わないが、和洋折衷、これでよし。

結構家族サ−ビスもやっている。

2005/08/06(土) 雨の中
夕方、仕事が終わってから土器の野焼き。おき火が残っているうちに焼かないかと学芸員より連絡がある。
すっ飛んでいく途中にぽつぽつと雨。薪を積んで大型土器をふたつ置いて、その上にまた薪を積んで。

その頃にはおき火より、火力が徐々に強まりピ−ク。土器が真っ赤に燃えている。この色こそ、縄文の色。フォトショップでは出せない本物の色。と、このとき夕立の襲来である。あと10分待ってもらえば、、と恨み言。割りたくない、苦労した土器を割りたくないの一心で、どしゃ降りの雨の中、雷の音を聞きながらずぶぬれとなり薪を運ぶ。火の中にいる限り土器は安心である。ただし雨にあたると土器が急冷して爆発する。何度も何度も薪を運んでは積んでいく。雨に叩かれながらも薪は燃え尽きていく。また薪を積む。しばらくは大丈夫。そしてまた燃え尽きて、、火が勝つか雨が勝つか、、、ずぶぬれで見守りながら、、。野焼きの周囲には雨水が池のようにたまっている。この水がすでにお湯になっている。
これだけやって割れたら、それは天の声、あきらめるしかない。

ずいぶん長い夕立だった。土器はなんとか無事みたいである。天は我々に味方をしてくれた。

今度は取り出すタイミングである。いつまでも入れておくと、下部と上部の温度差で土器が割れる。
少しずつおきを広げ、学芸員が棒にひっかけて取り出してくれる。やった完成だ。割れていない。

疲れ果てたあと、土器を見ながら缶ビ−ル。これがうまい。たぶん今年の夏のビ−ルでは一番だろう。しかもいつもの発泡酒ではない。キリンのプレミアムである。
夏、、遠かった思い出のひとつに、本日夕立の中での土器焼きがまたひとつ加わった。
人生、いつでも青春、これを地でいったようなもの。
学芸員の山本氏に感謝。本当に感謝である。

十日町から長岡地区の土器作りの人たちは、野焼きが不得意と聞いた。それはこちらも同じ。やるたびに一年生である。でもやった回数だけ津南町のほうがランクが上になる。
今度は合同で焼いてみたい。同じような馬鹿がたくさん集まれば、自分も単なる馬鹿ではなくなるだろう。

2005/08/05(金) 人間なんて
人間なんて、、ララララララララ、、、と歌っていたのは中学時代、あの頃は本当に人間嫌いだった。
でも今は違う。

反抗することがステ−タスだったあの頃、暴走族の全盛時代。高校の同級生は10人くらいが退学をくらった。あいつらは今は何をしているのだろう。
僕自身は群れることが大嫌いだった。孤独を好んだ。同級生が馬鹿に見えて仕方がなかった。

時は流れて、、今は誰でも同じだと思う。小泉純一郎もしかりである。社会的地位で人間の価値を決めようなどとは思わない。
人間の価値は、、などと言いたいが、人間に価値の有無はない。馬鹿も利巧もない。あるのはやった仕事の重さだと思う。だからといって価値のない仕事というものない。つまらない仕事にも必ず価値がある。

自分もずいぶん大人になったと思う。

2005/08/04(木) 土器づくりの名人と飲む
なじょもんに手伝いに来ていた土器作りの名人と駅前の焼き鳥屋さんで飲んだ。村上市の磯部さんという人で、この世界では有名な人らしい。らしいと書くと失礼かもしれないが、初対面だし、そう書くしかない。失礼。
土器の文様の付け方等でいろいろ勉強になった。自分も金にならないようなことに夢中になる性格でかなりの馬鹿であるが、よく考えるとこの人もかなりの馬鹿である。(^_^)

飲んでいるときにカメラの話になった。なんでもニコンのF2が欲しいという。しかもチタン仕様のものだそうである。
どうも僕と同類項の人間らしい。
楽しい夜だった。

2005/08/03(水) お悔やみ
夜の9時ごろ、東京でお世話になった先生の娘より電話があった。猫のメモリ−が亡くなったとの事である。このシャム猫、僕の飼っているチンタと兄弟である。
享年19歳。人間でいえば90歳はゆうに超えているだろう。心臓病だった。
チンタも中越地震のとき、ショックで生死の境をさまよったが、見事に復活した。

なんともやるせない気持ちである。思えば、あの先生の家で家族同様の付き合いをさせてもらった。その先生の旦那が寿司の板前さんで、いろいろな事を教えてもらった。その旦那も10年前に亡くなっている。僕が時々寿司を握るのはあの旦那の影響である。僕が茶碗蒸しを腹いっぱい食いたいといったら、どんぶりに三つくらい作ってくれた。風呂は毎日のように入らせてもらった。その娘が当時中学生で僕も勉強を教えたり、ギタ−を教えたりしていた。
メモリ−とチンタは、いつも一緒だった。あの頃、、僕が26歳くらいだった。仕事と学校で、ほとんど遊びに行くこともなく東京の3年間が終わった。
アパ−トで内緒で飼っていたのである。そしてそのまま田舎に連れてきた。
思えばあの頃が僕の人生で一番充実していたのかもしれない。睡眠時間は毎日4時間くらい。生きていくのに精一杯だったのだが、チンタを飼う事になってから、寂しさがなくなった。

別れというものはいつも付きまとうものであるが、付き合いが長いほど別れはつらくなる。
たぶん今夜は通夜なのだろう。あの家族になにもしてあげることができない。魚沼コシヒカリをお斎米におくってあげよう。それくらいしかできない。

2005/08/02(火) 農業
一応農業経営者である。信じられないが、、、(^_^;)
まったくといっていいほど何もしていない。親父が来年は80歳になるので、本腰で農業をやってみようかと思う。
来年になれば、友の会の広報部のボランティアも卒業である。忙しかっただけの空回りだったというのが本音である。

2005/08/01(月) 熱い暑いあつい!
毎日が忙しい。といっても仕事ではない、仕事は比較的暇なほう。金にならないことで忙しい。これはちょっと困る。
趣味が多いせいもあるけど、今度はこれ、次はこれという感じで次から次へとやってしまう。
挙句の果てどうにもならなくて根を上げる。

今年は、恒例のお盆のキャンプをどうするかを考えている。とにかく気分転換に出かけることも必用である。


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