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2005/08/16(火)
仏教とキリスト教
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梅原猛の「仏教の思想」という本を眠る前に少しずつ読んでいる。この本は非常に面白い。長い間疑問に思っていた答えがすべてこの本に書いてある。 キリスト教は殺人の歴史、エホバの神は信じるものだけを助け、信じないものは見捨てる。また異教徒に対しては、殺人を禁止していない。「汝、人を殺すことなかれ」という言葉は、信者同士のこと、ほかの異教徒への殺人のことは書いていないのではないかという推測。 まぁ本の内容はとにかく、そんなことを娘に話していたら、じゃキリスト教より仏教のほうが優れているじゃん、と素直に反応した。彼女は手塚治虫の漫画「ブッタ」を何回も精読?しているから、仏教の基本的知識はへたな大学生よりももっている。 そこで娘から、これまた素直な質問、日本のお寺さんって何をやっているの?と。 これは以前から疑問に思っていたことらしい。これに対する回答は難しいが、とりあえずは葬式で食っていると答えた。つまり葬儀のお経で食っていると。 すると、そんなんで生活できるの?と聞いてきた。基本的にはお布施と寄付で生活していると答えた。
娘が、言った言葉はまさに今の仏教の矛盾を言いえている。「それじゃ人が死ななくては生きてはいけないよね」。そういうことになる。素直なだけに結構真理をついてくる。そのあとに、お父さんが言っている仏教と違うよね、と言った。
まさにそうである。日本の仏教を、別名で葬式仏教と呼ぶのはここにある。本来、経は生きている人のためにあるはず、ところが死んだ人に向かって経を読んでいる。これはおかしい。 大乗仏教と小乗仏教の違いくらいはわかっているつもりだが、大乗なればこそ、生きている人に経を説かねばならぬはず。どこかおかしい。
僕自身は創価学会でもないし、立正佼成会でもない。ただ歴史が好きなだけである。その中での仏教に対する興味でしかないわけで、ここで批判する気もないし、しても無駄なことである。
ただ、あまりにも死と仏教が結びついているのが面白くない。亡くなった人のことを仏様と言い、カメラやその他の機械が壊れて使い物にならなくなったことをオシャカになったという。このあたり、どうも僧徒に責任があると思う。
結論は、坊主も乞食も、犯罪者も先生も、一皮むけばみんなおんなじということである。本当にえらい人は世の中にはいない。みんな慾の塊にすぎない。 このことを娘に伝えたいところであるが、まだ中学2年のにきび盛り、ここまでは親としては言えないところが苦しい。
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