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2005/09/14(水)
芸術と生活
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僕の作った土面が、小林名誉教授、県立歴史博物館館長の眼にとまったらしい。絶賛していたという。今度個展をやって教授から見てもらったらという事である。 「はぁ、、そうですか、、、」と僕はあまり気乗りがしなかった。心の中では、こんなもの誰でも作れるだろうと考えている。そもそもいい加減な自分だから、土器を真似しているより、そのモチ−フを使って、なんか面白いことをやってみたいという乗りではじめたもの。周りが評価してくれればくれるほど僕の心は深く沈む。そんなに高尚なものでもないし、たいしたものでもないと思う。 この土面で僕が表現したかったもの、それは人間の美しさではない。逆の醜さである。苦しんでいるとき、困っているとき、いろいろな人から浴びせられた罵倒とののしり、そのときの笑い顔を表現したかった。 今作ると、あのときと同じ感覚では作れない。それは日々僕自身が変わっているからである。あの頃作ったものは人を馬鹿にしたような「笑い」がテ−マだった。縄文という時代は争いがなく、平和だったというのはまずありえないわけだし、フリ−セックスの時代だったとすれば、嫉妬、ねたみ、羨望、あらゆる情感が今の時代よりもすさまじくうごめいていただろうと考えている。 人は喜びと比例して悲しみを持つものだと思う。楽しみと比例して苦しみを持つものだと思う。苦労して成功した人は、二つの道に分かれていると思う。復讐と感謝である。松本清張は恨みと復讐で小説を書いていたのではないかと思う。ほとんどの芸術家はこちらであろう。一生貧乏で、あるいは作品を作り続けなければ生活が成り立たない状況で生涯を閉じた芸術家は数え切れないほどいるだろう。 安土桃山時代の茶碗に「井戸茶碗」というものがある。多くは朝鮮の陶工が作ったものである。この茶碗には勢いがあり、迷いがない。そして作為がない。なぜそうなのか、、いろいろ勉強したら面白いことがわかった。これを作った朝鮮の陶工たちはみな貧乏である。沢山作って、焼いて売りに出さなければ食っていけないのである。当然勢いが出て作為など微塵もなくなる。子供に米を食わせるためには、土の固まりを早く茶碗に変えなくては生活が成り立たなかったからだろうといわれている。 芸術が評価されるのは、多くは作家の死後である。もうこの作風は2度と作れないとなったときに、価値がぐんぐん伸びてくるのだ。陶芸家の加藤唐九朗などは、あれだけの腕を持ちながら、贋作という事実の前でとうとう正式には評価されなかった。しかし価値のわかる人は当然のごとく評価していた。この人は僕の憧れの人である。ではどうして贋作をと思うが、、生活である。誰でも生活がある。その生活の前では誰でもが罪びととなるのだ。
ところで、ここに掲載した土面であるが、一枚寄付しないかといわれたのでこの土面を寄付した。「いいですよ、、、(こんなもの)」この括弧の中は口にしなかったが、いつでもこんなもの作れるという気持ちがある。ついこないだまで、体験実習館の外の木にしばりつけて飾っておいたものである。盗まれるからやめたらという声もあったが、別に盗まれてもかまわないと考えていた。本当に盗まれるとしたら本望である。
日本という国で、芸術が本当に評価されるのは、海外で認められなくてはならない。日本は本当の芸術を評価できる人は少ないと思う。外国で評価されて初めて日本の評論家たちは認めてくれる。
土面、これはデスマスクであると考えている。死ぬときに苦しんだ人は苦しんだ顔をしているし、安らかな死を迎えた人は安らかな顔をしている。死ぬときのこの瞬間こそ、まさに仏教で言う極楽と地獄なのではないだろうか。 浄土宗で、罪人でも、南無阿弥陀仏ととなえれば、すべての人々は極楽浄土に行くことができるということは、このことをさしているような気がしてならない。
次回から念仏を唱えながら、、、、、などと柄にもないか(笑)。
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