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2006/01/31(火) 嵐の前の静けさか?
 この地方、今の時期が一番雪が降るのである。ところが約一ヶ月早く豪雪がやってきたので、今後に積もる雪は本当に予定外の雪なのである。
 この時期にやってくる寒波と雪は「節分荒れ」ともいい、一冬で最大のものであり、またこの寒波が一冬のピ−クともいえるのである。この時期を過ぎれば、あとは春を待つだけである。雪の量もたいしたことはなくなる。
 ところがである・・・この時期に雨が降っている。これはどうしたことなのだろう、このまま春がやってきてくれたらこんなにうれしい事はないのだが。まさかこのままで終わるはずがない、やはり嵐の前の静けさなのだろうか。

2006/01/30(月) 年齢
 なんだかんだといっても歳月人を待たずである。二十代の人には三十代の人の気持ちがわからないように、四十代には五十代の人の気持ちはわからないものだと思う。
 七十代の人がよく言うように「はりあいがない、なんか寂しい」というのはなんとなくわかるような気がするが、今の自分がどんなに考えても七十代の人の気持ちを理解することはできないだろう。
 子供たちが成長していくのに合わせて、親もまた成長していく。当たり前のことだが、これは親が年をとるということである。だから小学校のPTAから、初めて中学生のPTAの総会に出席したとき、年をとった親がたくさんいることにびっくりしてしまうのである。中学ではわずか3年であるが、小学校は6年間もある。当然小学校の親は若いわけである。
 今自分が人生の半ばにいて感じることは、とにかく年齢とともに時間に加速度がつくということである。どんどん早くなっていく。それと同時に、過去の時間がどんどん遠ざかっていく。昨年度の出来事がずいぶん遠い昔に感じてしまうのである。
 良寛のような人生にあこがれていた自分は、見知らぬ土地で野たれ死ぬこともまたひとつの夢だと思っていたが、これはかなり強い意志と忍耐が要求されるのである。己という存在を無にすること、これができなくては良寛のような生き方はできないと思う。
 ただひとつの自分にとって見えている真実とは、決して後戻りはできないということ。これは若い年代には「あたりまえじゃないか」ということになるのだが、四十代になると少し意味が違ってくる。後戻りができないということは、この年齢になると、いろいろいな意味で失敗はできないということである。若いときの失敗は許されるのである。なぜなら時間があるからである。つまりやり直しがきくということである。
 四十代ではすでにやり直しはきかないのである。これだけがはっきりとした真実である。

2006/01/29(日) 少年
 少年はただ黙って池の水面を眺めていた。何が面白いのだろう。もう一時間もそうやっている。池の中には鯉も鮒もいない。池は鏡のように澄んでいた。さだ波ひとつ立たず、何の音もしない。
 少年はまだ動かない。あたかも植物がたたずむように見事に自然の中に溶け込んでいる。遠くでは落葉松の林が霧の中にうっすらと浮かび上がっている。
 
 突然カラスが鳴いた。少年は驚いたように振り返る。少年の心にはカラスの鳴き声が聞こえても、カラスの姿は見えない。少年はまたひとつの植物になる。

 遠くでまた何かが鳴いた。少年はそのまま。落葉松もそのまま。池の水もそのまま。ただ静かなだけの昼下がり。

 

2006/01/28(土) 春めいて
 なんだか春めいてきた。一ヶ月早い豪雪も今のところ落ち着いている。本当は本番はこれからなのだが、あの豪雪の後なのでちょうど春が来たみたいに錯覚してしまう。
 あのマスコミのバカ騒ぎも落ち着いて、今ではマスコミ関係はほとんどいない。(たまに見かけるが)
 秋山郷の孤立した集落の一帯は、朝7時から9時、夕方3時から5時までを地元の人に限り通行可能としている。しかし、本当はいくらでも通行できるのである。あれだけバカ騒ぎをしてしまうと、もし雪崩等で事故があった場合には当局の責任になるので簡単に許可を出さないだけである。地元の人は今度はこういう事情で困っているというのが本当のところである。

2006/01/27(金) パソコンの復活
 パソコンが復活した。いろいろといじってみて感じたことだが、やはりいらないソフトは入れないことである。わかってはいるのだが、ちょっと必要になったりするので次から次へと入れていく。結果として重くなる。メモリ−を増やせばいいのだが、こういうことには不思議と金をつぎ込まない。本当は一番大事なことなのだけど。
 

2006/01/26(木) 島唄
 中2の娘が、沖縄の何がしという曲が聞きたいと言う。なんだ?「涙そうそう」か「さとうきび畑」か?と聞くと、それじゃないという。いろいろとギタ−を持ち出して歌ったら、なんとこれが「島唄」であった。
 この唄、酒を飲んだときに非常に気持ちよく唄える歌である。もう一曲「花」という似たような歌があるが、これも飲んだときによく唄う。
 若いとき、と言っても高校生の頃だが、飲んだときは?激しい唄がよかった。体の中のエネルギ−を発散させるためにギタ−を弾きながらがなりたてたものである。もんた&ブラザ−ズの「ダンシィング・オ−ルナイト」とかは二十歳くらいのときはよく唄った。
 最近はよく考えてみると飲んだときしか唄わなくなった。飲まないときは静かな歌を唄っている。平原綾香の「明日」などはボ−っしているときに寝転がってギタ−片手に唄っている。
 寝転がっているといえば、僕が作曲するときはだいたい寝転がって作ることが多い。いいメロディ−が浮かぶと突然5線紙に書き込む。すぐに忘れてしまうからである。最近はだいたいパソコンがいつも立ち上がってるのでパソコンの中のソフトで書き込み保存しておく。
 それにしても中2で「島唄」がいい歌だといい、口ずさんでいる娘を見ていると、こいつはなんという趣味なんだろうとおかしくなった。たぶん親父の影響なのだろう。最近は和田アキ子の「古い日記」なんどを歌って「ハァッ」なんてやっている。こないだは「別れも好きな人」が聞きたいというのでCDに焼いてあげた。たいがいの古い歌はパソコンの中でMP3に変換して保存してある。ついでに和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を薦めておいた。それにしても娘ではないが和田アキ子の歌は改めて聴くとやはりいい歌が多い。

2006/01/25(水) パソコントラブル
 仕事で使っているパソコンがおかしくなった。5つくらいプログラムを開いていていろいろやっていたら、ラ-メンの出前。はいはいとお金を払い麺がのびないうちに食べて、さてパソコンと向かったら、なんとそのまま固まっていた。
 タスク終了もままならず。しかたなく強制終了したら、なんとOSが認識しなくなった。なぜだと思い、リセット、BIOSをよく見るとHDDを認識していない。こういうときはプラグ&プレイだと思い、いったんHDDを外してから再度はめ込み立ち上げたら、HDDは認識したが、OSがまったくない状態になっている。
 結局、OS再インスト−ル。時間がかかった。このパソコンは40Gと120GのHDDの2本立てである。大事なデ-タはすべて120Gに入れてあるので、その点ではまったく心配ないのだが、なんにしても面倒なことである。いずれにしてもソフトはまた入れなくてはならない。

2006/01/24(火) 最近
 最近マスコミを騒がせているものはLiveDoorであるが、僕自身は株はやらないし、やる金の余裕もない。インタ−ネットというものの恩恵はもちろん受けている。現にこうやってブログらしきものを毎日打っているわけだが、いまいち納得のいかないものがある。それは何なのかよくわからないが、ネットというものは地に足が着いていないような気がするのである。
 株もしかりである。株価が上がるということはどういうことなのだろう。会社の資産価値があがるということは納得ができるが、それが実際の資金とどうかかわってくるのだろうか。僕は株に関してはど素人なのでちんぷんかんぷんである。
 急成長したネット産業といえば、御三家、LiveDoor、楽天、yahooであるが、僕はどうも人のふんどしで相撲をとっているような気がしてならない。実体のない顔の見えない世界で、人のふんどしを取り合って急成長していく世界。そんな気がする。
 デジタルの世界も本音をいえば納得がいかない。しかしそんなことを言っていては今の時代何もできない。ネットの恩恵たるや今やなくてはならないものである。ただし、これがなかったとしても人は生きていける。今自分がパソコンのない生活をしたとしても、以前より不便になるが、本当に困ることはない。
 それじゃおまえ、やめてみろといわれると困る(笑)。インタ−ネット情報は便利である。まずは書斎の百科事典みたいなものである。つまり何でも検索で見つけられるが、底が浅い。パソコンの前に座ると、書斎の持つ条件が一通りそろう。
 紙もインクもペンも必要なく、文章が書けて、しかもそのままデ−タを送信できる。印刷原稿もデ−タで渡してOKである。しかし、しかしである、、どうも納得がいかない。やはり僕は古い人間なのだと思う。

2006/01/23(月)
 小降りではあるが一日中雪が降っていたので夕方になると一日の積雪量は40センチを超えた。帰るときには車の雪を落として、その周囲を雪かきしてから自宅に戻る。
 自宅に戻ると車庫の前をまた雪かきしてから車を入れる。車を車庫に入れるとほっとする。
 翌日、仕事場にいくとまた雪が一面に積もっている。これをまた雪かきしてから一日が始まる。
 毎日毎日のことであるから別に文句も言わないし、空に向かって言っても無駄なので、雪国の人々はただ黙々とやるだけである。これは若い女の娘も年よりも一緒である。誰も助けてくれない。車を運転している以上は当たり前のことである。
 車の中には必ず雪落とし用のT字型になったポ−ルが積んである。これは片面がブラシになっていて、車の雪落とし用、反対は硬いゴムになっていて、ガラス面が凍結したとき、ゴシゴシとこするためである。峠越えをするときには、万一のためにスコップを一丁積んでおく。もしものときにこれが役に立つ。
 地元の人たちには当たり前なことであるが、こういった一連の道具は冬期間はホ−ムセンタ−などに山ほど積まれている。
 江戸時代、鈴木牧之が秋山郷(連日の報道で有名になった孤立した地域)を「秋山紀行」に記しているが、よく考えてみると、現代版の「秋山紀行」や「北越雪譜」があってもいいのかもしれない。
 関東から雪国へ初めて来る人に言っておきたいのは、タイヤはもちろんチェ−ンが必要であるが、スコップ、長靴等の用意は忘れてはならない。車を駐車する際は必ずワイパ−を立てておくこと。凍結により張り付く場合があるからである。
 また駐車していた車のロックが凍りつくことがある。この場合、ホテル等に相談すればいいが、できないときは自動販売機の暖かいウ−ロン茶等を購入しこれを鍵穴に少しずつかけるといい。缶コ−ヒ−等はベタ付くのでパス。
 いずれにしても郷に入れば郷に従えということである。もっとも雪がすごく降る場合はこの地方に来る人は少ないから心配はないが。

2006/01/22(日) 日曜日
 朝、娘を部活、バレ−ボ−ルの練習試合ということで十日町市下条というところに送っていく。他に同級生の女の子を3名乗せていく。練習試合等はすべて保護者の送迎が基本である。
 さて、せっかく十日町まで来たので何か買い物をと思ったが、ほとんどの店がまだ開店前である。パチンコはすでに興味がないしまっすぐ家に帰ってくる。
 家に帰ってくると思いがけず晴天である。またまた雪かきをして、お昼は残飯整理で焼きおにぎりと餅を焼いて息子と食べる。 2時ごろになりふたたび十日町、息子は大きな紙袋を3つ抱えて車に乗り込む。かねてからの計画通り、漫画本をブックオフに売りに行くのだという。全部で60冊くらい、しめて1600円にて売却。
 ついでに古いゲ−ムボ−イアドバンスのソフト、ガンダムとデュアルマスタ−ズのカ−ドをゲ−ム屋さんに売りに行く。カ−ドはすぐに値段が付かないので、ゲ−ムソフトのほうだけ現金でいただく。しめて4050円となる。これは思いがけず高く売れたと息子は喜んでいた。
 すべて保護者の同意と身分証明書が必要で、親父が付いていったので、車の免許証だけでOKであった。
 なんだかんだで、娘を迎えに行く時間になる。下条までいくとすでに娘達は待っていたが、はて?5人乗りの車に息子が一人増えたので定員オ−バ−である。仕方ないので娘が荷台である後方部に乗り、なんと6人乗りで帰ってくる。僕の車はツ−リングワゴンなのでノ−プレブレムである。問題は警察だけであるが、雪も降っているし大丈夫だろうということで、後方の窓は曇らせたままで走ってきた。
 子供達に振り回された一日であった。最近の親は楽ではない(笑)。

2006/01/21(土) ブログ
 先日、この日記をウェイブジャックした娘が、今度は自分でもブログを始めるという。続かないからやめておけといったが、どうも本気らしく、もうすでに無料のブログペ−ジを借りているという。まぁいいか、若いときは何でもやってみるがいいさ(笑)。
 ところでデジカメを貸してくれという。ついでに画像をパソコンに入れるにはどうすればいいか、フォトショップで文字入れするにはどうすればいいのか、、とかなんとか聞いてきたので、親切に適当に?教えておいた。画像の容量に気をつけるように教えた。
 このブログというやつが最近はやっているらしい。ブログと日記はどう違うのかよくわからないけど、この「気まぐれ絵日記」も、娘に言わせれば立派なブログらしい。

 コニカミノルタの写真分野の撤退を聞いてから、どうもいろいろと落ち込んでいる。原因はよく分からないのだが、ショックはやはりある。しかもデジタル部門をソニ−に譲渡とは、、。カメラが光学製品から家電になったわけである。
 もうわけがわからなくなってきている。コニカミノルタのカメラにカ−ルツァイスのレンズがついたりして。最終的に残るのはソニ−とパナソニックだったりして。しかもレンズがライカとツァイスだったりすると大変である。
 これは、写真産業がメシが食えなくなったという歴史的出来事なのかもしれない。

2006/01/20(金) 業界
 やっとマスコミ関係が引き上げてくれた。この町もやっと元の状態に戻ったという感じである。TV関係の引き上げた理由は、雪が落着いたというだけではない。もうひとつの理由はLivedoorである。こちらのほうがおいしいネタというわけである。
 ま、よかったというところである。それで雪はというと、いつものように降っている。この程度の降り方は当たり前である。ただ、今までの累積赤字ならぬ残雪が沢山あるので、この上にさらに積もるのかと思うとうんざりするが(笑)。

2006/01/19(木) 父のかわり、、と言ってはなんですか
北━━━━(°Д°;)━━━━!!なんとなく、父のかわりに書いてみようとおもぅ(´・ω:;.:...
私( ・∀・) は、はっきり言って。。父に、顔が、似てるといわれるのは、正直嫌である(ぁ)(# ゜・∀・)目が細いから似てるなどと言われるが、よく見ればやっぱし私の方が、かわぃいと思う(ぇ)(・ω・´ )
私の家族は、少し変わっていると思う、、、、、、ヽ(`Д´)ノまず、私の母である、(゜Д゜ )ニュースを、見ながら内容もよくわかってないのに、首を縦にふって聞いている、
( -Д-)ノその次に変わっているのは、祖父だと思う。亀は冬眠する動物であるが、、うちの祖父は、亀を冬眠させないようにしているのである、大事に大事に部屋の中に入れて、ストーブをつけておく、祖父にいくら注意をしても、返事だけである" 'ζ_,`
兄と父は、とても似ている、調子がよく、何事にも夢中であるが( ・∀・) 夢中になりすぎて、損をすることが多い、
祖母は、田舎のおばぁちゃんって感じです(;‘д‘ )
私は、ただの今どきの中学生であるが、周りから見れば、
やっぱり、少し変わっているといわれてしまう。。。。
うちの、家族は、個性が強い人種なのだとこの頃思ってしまう。(小さい頃は、気づかなかったです。(汗)( -Д-)ノ

以上娘の日記でした。誤字脱字は、気にしないでください(↓↓━━━━(°Д°;)━━━━!!

2006/01/18(水) 壺の思い出
 チェリッシュというグル−プまだ二人組みになる前は、大編成のバンドだった。そのときの歌に「なのにあなたは京都へ行くの」という歌がある。京都が時代のトレンディだった。日本でベンチャ−ズが大流行していたときのこと。渚ゆう子という歌手が「京都の恋」なども歌っていた。
 その頃、僕は小学校5年生くらいだろうか。ギタ−を弾き始めた頃で、「禁じられた遊び」を必死で覚えていた。ガキのくせに時代というものなのだろう、一人前に京都に憧れていた。
 グル−プサウンズが廃れて、フォ−クが台頭してきていた。京都の流行と並行して関西フォ−クが始まった頃だろうか。岡林信康が時代の寵児としてもてはやされてきた。

 僕は古銭を集めていて、古い硬貨や紙幣に興味があった。この頃から何かを集めるのが好きだったのである。友人である同級生のNも古銭に興味があり、小学校の別棟にある誰もいない図書室へ忍び込んでは図鑑を開き古銭の項目のところを飽きもせず二人でながめていた。
 ある日Nと相談した。壺に二人の古銭を入れて土の中に埋めておこうという計画である。大人になったとき掘り出して、価格が高くなったときに売ろうというのだ。この計画に二人は夢中になった。場所はどこにするか、壺は何を使うか、そんなことで毎日が過ぎていった。やがて夏休みがやってきた。計画を実行するときがやってきたのだ。
 場所は通学路の途中にあるお稲荷様の小さい祠の床下。誰かに見られてはいけないので、夕方薄暗くなってから出かけた。50センチも掘ったろうか、そこへ用意しておいた古銭の入った口径20センチくらいの壺を自転車の荷台から下ろして埋めた。

 そのまま月日は流れた。僕達は中学生になった。古銭のことはもちろん忘れてはいない。ある日体育の授業が終わったとき、偶然、Nと二人だけになった。あの時の古銭を掘り出してみないかと僕は提案した。Nも大賛成である。決行日は明日の夕方。スコップ等は僕が持っていくことになった。
 2年前に埋めた場所は、目印のために大きな石が置いてあるはずである。お稲荷様の裏にまわり、目印の直径30センチほどの大きな石を探した。だがその石はなかった。建物の位置から大体の場所を掘り返してみた。スコップにコツンと何かがある音がした。僕達はわくわくしながら今度は手で土をかき出した。
 壺が姿を見せた。厳重にビニ−ル袋に包まれた壺は2年前のままだった。何重にもかぶせてあるビニ−ル袋をはずしてい、壺の蓋を取ってみた。
 中身はからっぽだった。何も入っていない。僕達は目を疑った。そんな馬鹿な。しばらくは僕は呆然としていた。次に2年の歳月の長さを追いかけてみた。あの夏の日が浮かんできた。次に頭に浮かんできたのは、裏切りという行為だった。僕達はののしりあった。僕達二人しか知らないはずなのである。僕ではない、僕が盗んだのではない。そのことははっきりしているのだ。他には友人のNしかいないではないか。
 これは後で聞いたことではあるが、Nもまた同じ事を考えていたらしい。僕は腹いせに、壺を元のように埋めるとNをそこにおいてさっさと自転車に乗って帰ってしまった。
 それからはNと絶交状態となった。中学2年生になるとクラス替えもありNと会うことも少なくなった。僕達はそのまま高校へ進学した。高校は別々だった。2年生になったとき、Nが高校を中退したと聞いた。理由はわからない。中退後、東京へ行ったという。

 それから僕達は会うこともなかったが、僕が結婚する少し前くらいにふらりとNが尋ねてきた。あまりのなつかしさに僕はNとビ−ルを飲んだ。彼は東京に行ってから土建業に携わり、その仕事の縁で今は京都に住んでいるという。いろいろな話がアルコ−ルの酔いも手伝ってか次々ととびだした。しかし、とうとう、あの古銭の話は出なかった。
 翌日は日曜日だった。昨晩約束したとおりに僕がNを海に連れて行った。働きづめだった彼は、海というものに縁がなく、ぜひ行ってみたいと言ったのだ。本格的な海水浴シ−ズンにはまだ少し早いのか人影もまばらである。僕はNのためにボ−トを借りた。Nは子供のように喜んでくれた。
 遊びつかれて、僕達は砂浜で肌を焼くことにした。柏崎の番神海岸からは、遠くに佐渡が見えていた。Nはふと思い出したように僕のほうに寝返りを打つと
「お稲荷さんの壺のことなんだけど、、」
と切り出した。僕はもうそんなことはどうでもいいと言ったが、彼はまじめな顔をして僕に言った。
「本当におまえは掘り出していなかったのか」
僕はびっくりしてNの顔を見た。長い間Nが掘り出したものとばかり思い続けていた僕は、しばらくは言葉が出なかった。
 結局あの古銭の入った壺は二人とも掘り出していなかったのだ。不思議なことだと思った。そして長い間、二人ともお互いに相手が盗んだんだと思い続けていたのである。

 今は、あのお稲荷様はもうない。ご本尊は集落の神社の隅に他の神様と一緒に祭られている。お稲荷様の祠のあった場所は今は住宅が建ち並んでいる。隣の空き地にはアパ−トが建ち、僕達がよく道草をした通学路にはアスファルトが敷き詰められている。あのアスファルトの下に、あの頃の僕達の足跡は残っているのだろうか。もしかしたら、空っぽの壺がまだ土の中に眠っているのかもしれない。


  

2006/01/17(火)
 なんとなく猫を作った。作ったといっても神様ではないので、本物の猫は作れない。人間は作れるが・・(失礼)、ミニぬいぐるみである。たまたま女房がぬいぐるみを作っていたので、そんなの俺にもできるとばかりにやりはじめたら、一時間もかかってしまった。
 さて形はできたし、顔はどうするかということで悩んだが、刺繍?の真似事で目と鼻とひげをつけた。とにかく何でも挑戦してしまうのである。
 そういえば息子が受験なので、ニャントラマンを改め、合格猫という名前にした。胸のところに息子から合格の合という字を書いてもらい、裏のマントには数字の5を書いた。つまり5を書く、、ごうかくというしゃれである。
 娘があきれてしまい、こんなところまでおやじギャグを使うなと言ったが、このシャレ、自分では結構気に入っている。それにしても不細工な猫である。

2006/01/16(月) カレ−ライス
 結構まめに夕食などを作ることが多いのだが、中学生の二人の子供がいて、兄である息子は魚派であり、下の妹は肉派であり、意見の分かれることが多い。このことが顕著に現れるのはカレ−ライスである。息子はシ−フ−ドカレ−がいいと言い、娘は断然肉の入ったカレ−がいいと言う。
 じゃがいもを入れないカレ−がレストラン風みたいで僕は好きだが、これは好みの別れるところである。辛さに関しても僕は辛口が好きである。子供達が小さいときは甘口が多くて閉口したが、だんだんと自分のペ−スに巻き込んで、最近では家族全員が辛口でOKとなった。
 雑誌に載っていたハウス食品の広告に「カレ−は今でもごちそうです」というようなコピ−があったが、これを考えたコピ−ライタ−はすごいと感心した。たしかにそうなのである。昔はもちろんだが、今でもカレ−はご馳走である。
 僕の場合、カレ−を作る理由のひとつに、他に何もおかずがいらないというのがある。カレ−のほかに水があればいいのである(笑)。特にジャガイモを入れないで作ると簡単にできてしまう。もちろんカレ−ル−はインスタントの固形を使うが、このル−をシチュ−のル−に変えると、たちまちシチュ−となる。このあたりも簡単でいい。多めに煮えた具を二つの鍋にわけて、ル−をそれぞれ入れると、カレ−とシチュ−が同時にできてしまう。
 カレ−はS$Bよりもハウスのほうがうまいと思うが、家族用にはこくまろの辛口、個人的にはジャワカレ−が好きである。ハウスはカレ−はうまいが、インスタントラ−メンはあまりうまいとは思わない。やはりラ−メンは老舗の明星、日清。意外とうまいのはカネボウである。
 さて今夜はカレ−である。簡単でしかもうまい。価格も全体的に安くて栄養豊富。いたれりつくせりである。万歳。

2006/01/15(日) 報道
 この町が全国に報道され一躍有名になった。報道とは諸刃の剣である。災害ということで有名になれば、補助金等で有利になることは間違いがないが、反面、あんな場所に嫁さんにいけないという悪いイメ−ジもつきまとう。その証拠に、この一連の報道でホテル、旅館関係はキャンセルがあいつぎ、閑古鳥が鳴いているという。本当の豪雪の被害は商業の低迷ではないかと思う。

2006/01/14(土)
 この時期に、まさかの雨。気温もずいぶんと暖かい。屋根裏にいると雨音がにぎやかである。雨の音を聞いていたら。ついギタ−を取り出して歌ったしまった。六文銭の「雨が空から降れば」という歌である。
 作詞、作曲は及川恒平だと思った。抒情詩的な歌で、独特の雰囲気を持つ。中学生のときよく歌ったものである。これと対照的なのが井上陽水の「傘がない」。及川の歌が、雨の日はしょうがないとリフレインするのに対し、陽水は、彼女に会いに行くのに傘がないことを大問題にしている。

 あの頃、何を考えて一連の歌を歌っていたのかは思い出すことはできないが、思春期のやるせなさみたいなものを何かにぶつけていたのは覚えている。思春期のこの時期、反抗的なものもまた芽生える。社会の矛盾に純粋に立ち向かえるのもこの時期である。当時の社会問題はいろいろあるが、学生運動もとうの昔に終わり、ベトナムと朝鮮の南北問題もそれなりの終焉を迎えていた。中学生のとき、毛沢東が死んだ。それははっきりと覚えている。しかし、それは遠い国の出来事である。
 当時の僕にとって一番大事なことは何だったのだろう。家出少年のレッテルをずっと貼られて、ワルの親玉みたいに見られていたけどぜんぜんいい子だったと思うし(笑)。

 社会問題といえば、数年前に、イラクを撮影した写真家を僕達の町でスライドと講演会をすることになった。僕の所属する写真団体でもカンパを御願いしようとしたら、一部のメンバ−から徹底的に断られた。その理由は、イラク戦争などの過激な写真展にわれわれの写真団体の名前を出すことは、モデル撮影のときの妨げになるというのである。これには唖然とした。
 彼にとってはロバ−ト・キャパも沢田教一も存在しないのである。そう、それが時代というものであろう。日本は平和である。
 陽水が「傘がない」の中で、TVの社会問題よりも自分にとっては、彼女に会いにいくのに傘がないことのほうが問題であると言っているのとまったく同じである。

 モデル撮影も結構であるが、僕は女を撮るまえに人間を撮りたい。どんなにかわいい娘でも、うんこもすれば屁もこく。そこから始めたい。だから別に女の子でなくともいい。男でも爺さんでもばあさんでも、子供でもいい。ばあさんの皺の一本一本が美しいと感じてもらえる写真こそが本物であると信じている。

2006/01/13(金) 温泉
 この地域には温泉が多い。車で30分以内の場所に野沢温泉、松之山温泉があり、この町だけでも何箇所も温泉がある。面白いのはJRの駅そのものが温泉である。
 大きいところでは、元年金保養基地、グリンピア津南があり、ここが今回の豪雪見舞いということで約2週間、地元の人を対象に温泉を無料開放している。
 昨夜は家族でお風呂をいただいた。なかなかいい温泉である。宿泊者はTV関係者を除き、ほとんどいない。無理もない、あれだけ豪雪のニュ−スが報道されれば、誰も来ないだろう。
 久しぶりに古くからの友人ムラマサ氏と出会う。近くではあるがなかなか会わなくなっている。近況のことなどを話をして帰ってくる。
 それにしても人生長いとはいっても、われわれの年代は大変な時代に生きているのかも知れない。中越地震の経験と今回の豪雪の経験、いずれも何百年、何十年に一回の出来事なのだから。

2006/01/12(木) カメラの修理 2
 ようやく完成にこぎつけた。シャッタ−羽の粘りがあり少しずつ拭き取った。なんとかなるだろう。羽をベンジンど少しずつ拭くのだが、毎日様子を見ながら拭かなくてはならない。しぱらくはレンズの前玉を取り付けることができない。

2006/01/11(水) カメラの修理
 屋根の上を除雪したら2階のガラスが割れた。建具屋さんが来てくれてガラスを入れ替えてくれた。そのとき僕の一連のカメラを見て、古い蛇腹のカメラがあるけど修理ができるかなあというので、僕がいじってみることにする。
 カメラはMine six VSである。さっそくバラす。シャッタ−粘り等々いろいろと問題がある。とにかくレリ−ズできないのだ。しばらくはこれにとりかからなくてはならない。

2006/01/10(火) また雪
 もううんざりである。この雪。毎日の雪かき、屋根の雪おろし。これだけ労働しても一銭にもならないのだからあきれてしまう。
 除雪のために町の駐車場においておいた車をとりに歩いていると、除雪している知り合いにあった。あいさつがおはようでもこんにちはでもない。いつも「参ったね、この雪」という感じである。知り合いの人は「参ったといっても、参っていられないしねぇ、やらないわけにはいかないし、、」とこぼしていた。
 東京へいくと、銭湯とそば屋は新潟の人が多いという。なぜかというと、どちらも根気がいるのである。新潟の人は働き者だという。そりゃそうだろうと思う。東京で労働をすればなにかしらのお金になるのだから。雪をいくらいじってもお金にならない。
 一生懸命雪をいじっても、この雪、春になるとみんな消えてしまう。なんにもならない。なんだか無常を感じてしまう。

 今、喜太郎の「シルクロ−ド」を聞きながらこれを打っている。なつかしいNHKのドラマがよみがえってくる。あの広大なシルクロ−ドのロマンは今は遺跡を残すのみ。砂漠の中に埋もれていった人たちのことを考えてしまう。
 井上靖の小説「敦煌」を読み、映画も見た。洞窟の中からとんでもない量の仏典がでてきたわけだが、どうしてそんなところに仏典があったのかという謎に、小説家井上靖が仮説を立てたわけである。
 シルクロ−ドにあこがれた時期がある。一度は行ってみたいと思いつつ、あいもかわらず何もできないでいる自分かなさけないが、家族を持つとねぇ、仕方がない。責任があるから。
 そういえば、シルクロ−ドの流行っていたあの頃、シンセサイダ−という楽器があった。最近はそういう言葉を聞かない。すべてがキ−ボ−ドという名前で一括している。
 最近新しいシルクロ−ドの番組がNHKであった。しかし以前ほど面白いとは感じかった。なぜだろう、、、。

 

2006/01/09(月) ひろしです。
ひろしです。

昨日トイレの窓を10センチくらい開けて帰ったら・・・
今朝トイレの中の水が凍っているとです。
そこへ我慢できないでおしっこをしたら、
氷に穴が開いているとです。

仕方ないので水で流そうとしたら・・・
あふれそうになったとです。
うんこでなくてよかったとです。

ひろしです、
ひろしです
ひろ・・・

 な〜んてね、馬鹿なことを書いていないでと・・・。
 ひさしぶりに晴れた。お天道様はありがたい。まるで別の世界に来たようである。
 つわものどもが夢のあと、といった感じの豪雪であった。家の周囲の雪を少し片付けようと、仕事から帰ったら家族総出で楽しそうに?雪かきをしていた。ほとんど終わっていた。僕がさらに一段低くした後、コ−ラかコ−ヒ−でも買ってこいと雪の上で休憩することにした。晴れているとこんなに気持ちよいものかと実感である。
 空ではヘリコプタ−やセスナがぶんぶん飛んでいる。後でニュ−スで知ったことだが、秋山郷へ医師団の派遣や物資の輸送をしていたらしい。
 落着いて周囲を見渡すと近所の家のどこでも雪かきである。僕の家は落雪式なので屋根の雪下ろしをする必要はないのだが、その分、落ちた雪を片付けなくてはいけない。とはいっても低いところに雪を移動するより仕方がない。
 屋根の雪の処理方法は3通りある。僕の家のような落雪式、これは自然と雪が落ちるもの。もうひとつは耐雪住宅といい、木造ではなく鉄骨を柱に使い、屋根の上に雪を積んでも心配ないもの。これは、今年のような豪雪には、さすがに雪を落とさなくてはいけない。そして最後が、電気、灯油を使い屋根の雪を消すと言うもの。これの欠点は、停電もしくは灯油の価格が上がるとランニングコストがかかりすぎることである。だから今年は灯油価格が上がっていて経済的負担が大変だと思う。
 いずれにしても労働力かお金を使うかということになる。今年のような豪雪になるとどれも駄目である。だけど僕の子供の頃に比べれば、今は豪雪となってもぜんぜん楽である。昔はひどかった。
 さて、面白いもので、晴れると朝晩が異常に冷え込む。放射冷却というものらしいが、道路に残った雪ががちがちに凍っていて、歩く人は滑りやすいし、車もでこぼこ道で運転が大変である。
 まぁとにかく、こうして、たまに晴れてくれると、人々の心は明るくなる。あいさつの時が笑顔である。秋山郷の人たちは陸の孤島となり気の毒であるが、僕のいる地域はまぁまぁなんとか生活に支障をきたすようなことはない。

 夕方になり買い物に出かける。女房が例によって気まぐれで「百人一首」を買ってくる。しかもCD付である。夕飯は面倒なので中華料理店で食べることにする。とはいっても全員ラ−メンであるが(笑)。

 帰りに自衛隊の宿泊施設となっている町の体育館のところをわざわざ通った。子供達が見たいと言うのである。駐車場には自衛隊のジ−プがずらりと並んでいた。思わず子供達がかっこいいと言ったので、じゃおまえら自衛隊に入隊するかと聞いたら、毎日の筋トレに耐えられないから駄目だという。
 たしかに、整然と並んだものは美しい。規律のとれた行動もまた気持ちがいい。しかし、いざ戦争がおこれば、やはり自衛隊は軍隊である。ちょっと怖い部分もある。
 自衛隊にたいし薀蓄をたれる気はないが、今いえることは、やはり自衛隊に感謝である。本当にありがたいと思う。国を守っていてくれるんだということを実感する。

 帰ってきて早速息子が「百人一首」のCDをかけると、独特の調子で読み上げる声が聞こえてきた。僕はどういうわけかもちを機械でついていた。もちをのばしてひと段落して女房のほうを見ると・・・しっかり寝ていた。やはり子守唄になっていた(笑)。
 自衛隊が町に駐屯している。女房は百人一首のCDを聞きながら眠っている。娘はパソコンの前にいてメ−ルの返事を打っている。息子は、本日またまた買ってきたわけのわからない熱帯魚を水槽の中に入れるため四苦八苦している。水あわせをしないでいきなり違う水に入れると死んでしまうらしい。とりあえず生活は苦しいが(笑)、我が家は平和である。この平和が続いてくれることを願っている。家長として自衛隊を見て感じたことはそんなところである。



 

2006/01/08(日) 自衛隊派遣
 午前10時ごろ、小学校の駐車場に入ろうとしていた軽自動車が急に止まった。僕の車はその後ろだったので、何事かと見ると、駐車場いっぱいに見慣れない黒い大きな車が、、、。自衛隊である。迷彩色の服にヘルメット。
 この町に自衛隊が来た。しかも豪雪のために。ちょっとびっくりした。たしかにこの雪は普通ではない。時期が早すぎる。しかし、もしこれが2月の中旬なら恐れることは何もないのである。この時期が過ぎればあとは春を待つのみである。ところが一ヶ月早いのである。だから異常なのである。

 雪国だから雪が降るのはあたりまえである。TVでみるほど生活に支障をきたしているわけではない。本日もス−パ−のタイムサ−ビス、卵がワンパック98円、お一人様2パック限りというものを買いにいった。
 TVはおおげさであることは間違いない。積雪量が4Mを超えるとか超えないとかで、スケ−ルまで出して解説しているが、実際には僕の自宅の周囲は3Mと言うところである(それでもすごいけど・・・)。
 夕方のTVで自衛隊の除雪の模様が映し出された。命綱をしての雪堀。長い雪国での暮らし、雪堀に命綱をしているのを始めて見た(笑)。まさに決死隊である。
 いずれにしても町の除雪予算が底をついたという。大げさに報道していただき、緊急補正予算だか災害復旧予算をいただければありがたい限りである。若者が一緒にいる世帯は問題ないが、年寄りだけの世帯はこの雪である、大きな不安であろう。

2006/01/07(土) 寒仕込み
 本日どぶろくを仕込んだ。今回は3段仕込みをやる。本日は初添である。中一日置いて仲添え、そしてまた一日置いて留添えとなる。むむ、、、本格的である。
 さきほどちょっとなめてみたのだが、もうアルコ−ルがあるのか、顔がほてって仕方がない。おなかの中で醗酵したのだろう。
 遊びなのでいいのだが、本当はまずいことなのである(笑)。

2006/01/06(金) どぶろく
 3日の日に仕込んだどぶろくの元がぶつぶつ沸いてきた。成功である。この最初が失敗するとどうしようもないのである。パン酵母であるイ−スト菌を使えば簡単だし絶対失敗しないのであるが、それは邪道である。
 僕の場合は清酒酵母を使う。といっても本物が手に入るわけではない。この時期に出回る酒の新粕からいただくのである。つまり正真正銘の清酒酵母である。
 酵母というものは、実は特許で固められていて、それぞれの酒造会社が独自の酵母を持っている。ただし酵母の種類はとんでもなくあるので同じ種類の酵母もあると思う。
 つくり酒屋にいたことのある僕は酒造りの一通りの工程を経験している。だからどぶろくを仕込むことの仕組みは体で覚えている。ただしそれなりの設備がない場所では失敗もありうる。
 どうして冬の寒いときに仕込むのかというと、雑菌が繁殖しないためである。酵母が発酵する適温は25度前後。だけど雑菌も同時に繁殖してしまう。そうなると酸っぱくなるのである。酵母をゆっくりと生かしながら、麹菌ででんぷんを糖化させて少しずつ発酵させるのが秘訣である。
 もっとも最初から焼酎を造るのであれば蒸留させるのでアルコ−ル度数だけを気にすればいいので気楽ではあるが。
 明日は樽の熱湯消毒をして仕込みの準備に入る。
 結論から言えば、酒は買ったほうが安い。なぜ作るのかというと面白いからとしかいいようがない。人生そのものが趣味みたいな生き方をしていると、すべてが趣味で、すべてが道楽である。今年の春から趣味のひとつに百姓をやろうと思う。こだわりの米作り、、、無理かなぁ、、生活がかかってくるし(笑)。酒米を作ったりして(笑)。

2006/01/05(木) 日本一
 ついにわが町が日本一に指定された。連日の報道でライブ中継である。んで、何が日本一かというと積雪量のことである。4Mを超えるとか何とか、、、余計なお世話である。
 ここに生まれてここに住んでいると冬に雪が降るのは当たり前のことで、それほど騒ぎ立てるほどのことではない。しかし、困るのは商業が麻痺することである。僕も一応商売という名前のものをやっているので、この雪で人が動けなくなると生活に困る。ここが一番問題である。
 雪が降るのがちょうど一ヶ月早いのである。このまま例年どおり降り続くとすると・・・・歴史に残る。

 東京にいたとき雪がなかった。日中はぽかぽか陽気。関東特有の乾燥気候である。ただし朝晩はかなり冷え込む。関東の人が膝下まである長いコ−トを着る気持ちがよくわかる。この町では長いコ−トはあまり着ない。むしろ、腰より少し下くらいのジャケットが多い。最近ではダウンが主流だが、とにかくコ−トなどという高級品?はあまり着ない。雪かきの邪魔になるだけである。
 
 小林一茶の句で、
 「これがまぁ  ついのすみかか  雪五尺 」
というのがある。僕の好きな句であるが、これをもじるとこうなる。
 「仕方なく  ついのすみかか  雪一丈半」
お粗末。

2006/01/04(水) パソコン音痴
 雪はあいかわらず降り続いている。もうどうにでもなれという気分である。
 雪が降りすぎるとスキ−場もどうしようもなくなる。雪がありすぎて圧雪が間に合わないのである。それと道路事情が悪くなるのでお客さんは来なくなる。この3年間は新潟県にとって最悪の時期となった。
 さて、先日どらえもんのタイピングソフトを手に入れた。息子は馬鹿にしていたが、女房がタイピングソフトの練習を始めた。これが実におもしろい。なにしろパソコン音痴もいいところ。
 ドラえもんのアイコンがディスクトップに出ているのだが、起動してからしばらくじっとしている。どうしたのかと聞くと、昨日ここにあったドラえもんのアイコンがないという。そんな馬鹿なとよく見るとアイコンの位置がかわっているのだ。ここに出ているじゃないかと言うと、昨日はここにあったのにと言う。息子と二人で大笑いである。
 アイコンというのはいろいろいじっているうちに位置が変わるんだよと説明すると、アイコンって何?というのである・・・・。今度は笑えない。
 パソコンは毎日いじっていないと忘れてしまう。自分もそうだった。慣れてくるとどうということもないことが初心者にとっては大変なことなのである。自分もそうだったのだから女房のことは笑えない。

2006/01/03(火) どぶろく仕込み
 さて、どぶろくの仕込みの時期が来た。もとをまず作る。こいつが元気がいいかどうかでほとんど決まる。
 午前中はそんなことをしていて、午後よりメダルを失くすためにジャスコに出かける。200枚ほどを貯金して後は全部使い切る。息子はその後、お年玉を持って熱帯魚を買いに出かけた。エンゼルフィッシュが新春特価でお買い得になっているというのである。オタク少年がこれを見逃す筈がない。4匹が自宅の水槽で元気に泳いでいる。
 このエンゼルフィッシュ、一番熱帯魚らしい魚である。優雅なものである。ところで、グッピ−という種類であるが、やたらと子供を生む。詳しい人にその話をしたら、グッピ−は増えるのでつがいで飼わないのが常識だそうである。オスはオス、メスはメスとして別の水槽で飼うか、オスのほうがきれいな柄なのでオスだけというのがいいらしい。さもありなんである。

 ところで、人間はメスのほうがきれいなのだが、魚と鳥はオスのほうがきれいな場合が多いのはなぜだろう。

2006/01/02(月) メダル
今日は買い物に出かける。といっても僕自身は買うものは何もない。あいかわらずブックオフで100円本を選んでいた。
 さて息子があまりにおそいのでジャスコの店内に行くと、ゲ−ムセンタ−でパチンコをしていた。見ると確変が連続5回。なかなか終わりそうもないので、仕方なく100円で親父もTRY。するとこちらも確立変動4回。子供向けのゲ−センなので金に換えることはできない。全部メダルである。そこへ女房が来て、もう帰ると言う。時間がない、メダルを預けていくこともできるが、時間がないので自宅へそのまま持ち帰る。
 もちろん持ち帰りは禁止なのだが仕方がない。結局自宅に持ち帰るとメダルが700枚近く。また明日あそこへ行かなくてはいけない。

2006/01/01(日) 謹賀新年
 新年あけましておめでとうございます。と、誰が見ているのかわからないけど、一応ご挨拶。本年もさぼりさぼりで、何とか「気まぐれ日記」を続けるのでよろしくお願いします。
 さて、本日は集落の年始、その後女房の実家に年始と、結局一日中酒を飲んで終わる。帰ってきてから子供達と花札をするも、泥酔しているため半分意識がない。日本酒はなかなか酔いが冷めない。パソコンに向かうのもおっくうで、新年早々日記をさぼる。
 
 


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