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2006/01/10(火) また雪
 もううんざりである。この雪。毎日の雪かき、屋根の雪おろし。これだけ労働しても一銭にもならないのだからあきれてしまう。
 除雪のために町の駐車場においておいた車をとりに歩いていると、除雪している知り合いにあった。あいさつがおはようでもこんにちはでもない。いつも「参ったね、この雪」という感じである。知り合いの人は「参ったといっても、参っていられないしねぇ、やらないわけにはいかないし、、」とこぼしていた。
 東京へいくと、銭湯とそば屋は新潟の人が多いという。なぜかというと、どちらも根気がいるのである。新潟の人は働き者だという。そりゃそうだろうと思う。東京で労働をすればなにかしらのお金になるのだから。雪をいくらいじってもお金にならない。
 一生懸命雪をいじっても、この雪、春になるとみんな消えてしまう。なんにもならない。なんだか無常を感じてしまう。

 今、喜太郎の「シルクロ−ド」を聞きながらこれを打っている。なつかしいNHKのドラマがよみがえってくる。あの広大なシルクロ−ドのロマンは今は遺跡を残すのみ。砂漠の中に埋もれていった人たちのことを考えてしまう。
 井上靖の小説「敦煌」を読み、映画も見た。洞窟の中からとんでもない量の仏典がでてきたわけだが、どうしてそんなところに仏典があったのかという謎に、小説家井上靖が仮説を立てたわけである。
 シルクロ−ドにあこがれた時期がある。一度は行ってみたいと思いつつ、あいもかわらず何もできないでいる自分かなさけないが、家族を持つとねぇ、仕方がない。責任があるから。
 そういえば、シルクロ−ドの流行っていたあの頃、シンセサイダ−という楽器があった。最近はそういう言葉を聞かない。すべてがキ−ボ−ドという名前で一括している。
 最近新しいシルクロ−ドの番組がNHKであった。しかし以前ほど面白いとは感じかった。なぜだろう、、、。

 


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