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2006/01/30(月)
年齢
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なんだかんだといっても歳月人を待たずである。二十代の人には三十代の人の気持ちがわからないように、四十代には五十代の人の気持ちはわからないものだと思う。 七十代の人がよく言うように「はりあいがない、なんか寂しい」というのはなんとなくわかるような気がするが、今の自分がどんなに考えても七十代の人の気持ちを理解することはできないだろう。 子供たちが成長していくのに合わせて、親もまた成長していく。当たり前のことだが、これは親が年をとるということである。だから小学校のPTAから、初めて中学生のPTAの総会に出席したとき、年をとった親がたくさんいることにびっくりしてしまうのである。中学ではわずか3年であるが、小学校は6年間もある。当然小学校の親は若いわけである。 今自分が人生の半ばにいて感じることは、とにかく年齢とともに時間に加速度がつくということである。どんどん早くなっていく。それと同時に、過去の時間がどんどん遠ざかっていく。昨年度の出来事がずいぶん遠い昔に感じてしまうのである。 良寛のような人生にあこがれていた自分は、見知らぬ土地で野たれ死ぬこともまたひとつの夢だと思っていたが、これはかなり強い意志と忍耐が要求されるのである。己という存在を無にすること、これができなくては良寛のような生き方はできないと思う。 ただひとつの自分にとって見えている真実とは、決して後戻りはできないということ。これは若い年代には「あたりまえじゃないか」ということになるのだが、四十代になると少し意味が違ってくる。後戻りができないということは、この年齢になると、いろいろいな意味で失敗はできないということである。若いときの失敗は許されるのである。なぜなら時間があるからである。つまりやり直しがきくということである。 四十代ではすでにやり直しはきかないのである。これだけがはっきりとした真実である。
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