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2006/10/31(火) チロ
 今ではあたりまえのように家族の一員としてチロがいる。そろそろ外に出してもいいと判断して、出入り自由にした。ただし夜間は外出禁止。まだ箱入り娘である。チンタが亡くなってから半年、考えてみれば実にいいタイミングでチロがやってきたわけである。
 先日チロが里帰りしてきた。そこの家の飼い猫のエサをがつがつ食べてきたらしい(笑)。行きも帰りも運転している女房のひざの上にいて、まっく不安感はなかったみたいである。なかなか利口な猫である。
 チロの実家では先月、高3の息子が交通事故で亡くなったばかりである。チロを連れて行くことでかなりなぐさめになったのではと思っている。
 チロが夜になって帰ってこないと家族全員大騒ぎである。意外なところで寝ていたりするのだが(笑)。チロがノラであったことがちょっと信じられない。これから寒くなる時期、もしあのままノラであったらと思うと、本当にこの猫はラッキ−だったと思う。そして我が家にとってもチロにめぐり合えたことは本当にラッキ−だった。誰に言っていいのかわからないが、運命の神に今はありがとうといいたい。本当にありがとう。

2006/10/30(月) ピ−タ−ポ−ル&マリ−
P.P&Mについていろいろと調べた。若いときの写真なのだろうが、かっこいい。アメリカのよき時代の紳士、淑女の代表みたいな3人である。ついで昔のレコ−ドを探して聞いた。ききながらパソコンに取り入れた。最近はすべてこうなった。パソコンが文化の中心。いいような悪いような(笑)。
 さて、ギタ−を持つ。すぐに影響されるのが自分の悪いくせだが(それはすぐに飽きるということでもあるが)、500マイルなんぞをP.P&M風に弾いてみる。歌はもちろんまともに唄う。次に「風に吹かれて」ディラン風ではなく、やはりP.P&M風に唄う。ディランの「風に吹かれて」とはまるで別の歌である(笑)。
 P.P&Mを聞いていた世代は、今現在で60歳前後くらいだろうか。少なくとも僕の時代ではない。日本のア−チストでこれに近いのは誰だろうか。現役では森山良子くらいではないかと思う。ざわわ、ざわわと「さとうきび畑」を聞いていると、正統派フォ−クという感じがする。フォ−クという言葉自体がもうあまりはやらない言葉なんだろうが、たとえば今の「ゆず」をフォ−クグル−プと呼ぶには少し違和感がある。まぁどうでもいいことだが。

2006/10/29(日) カ−タ−ファミリ−ピッキング
 娘がカ−タ−ファミリ−ピッキングを教えてくれと言ってきた。よしよしというわけで、教えてあげる。ん・・・なんで今時カ−タ−ファミリ−ピッキングなんだろう????
 カ−タ−ファミリ−ピッキングなんてすでに死語である。しかし、これを覚えるとアコギの魅力を充分に発揮できることは確かである。
 一応基本は覚えたみたいである。ついでだからPPM(ピ−タ−ポ−ル・&マリ−)を教える。代表曲はもちろん「パフ」。この歌は日本語の訳詩だが、小学校の教科書にも載っているので大体の子供達は知っている。ツ−フィンガ−で弾いてみる。懐かしい(涙)。
 たった2本の指で弾くんだと教えると、「自分もやりたい」というわけで、これも教えたがこちらはなかなか(笑)。仕方ないのでスリ−フィンガ−を教える。こちらのほうが実用的と判断したからである。タブ譜まで書いてあげたが、まぁそのうち物になるだろう。
 若いときに覚えたものは忘れない。頭ではなく体で覚えるからだ。娘は今中学3年、、、おいおい受験生である。忘れていた。んなことしている場合ではないはず。ま、社会に出たら間違いなく数学よりもこちらのほうが役にたつと思うのだが、、、。とりあえず高校には入ってくれよと、親心である。
 画像は娘が弾いているのだが、ご覧のとおり指が長い。この指が動くようなればバッチリであるが、まだあまり動かない(笑)。
 

2006/10/28(土) ギタ−ラック
 本日、夜になり2台目のギタ−ラックを作った。作ったなどというとおおげさだが、ただ単に塩ビのパイプとちょとしたものを使ってはめ込んだだけであるが。
 1台目は息子のエレキ用である。このときのハンガ−ラックは、なんと展示処分品ということで300円で買い求めたもの。総額700円くらいでできている。今回は売り出し価格で、通常980円のものが780円。それに小間物を追加して総額1200円くらである。
 このハンガ−ラックを世界最安値のギタ−ラックにしてしまう方法は実はネットで見つけたもの。これはすごいというかアィディアとしては二重丸、いや花丸である。サイトはここです。一応礼儀としてトップペ−ジからリンクしておきます。この中のDIYコ−ナ−に詳しく載っています。よかったら見てください。

http://members.at.infoseek.co.jp/garakuta_guiter/

 それと自分で感心してしまうのは、このラックに今現在収められているアコギはすべてもらいものということ。不具合はリペアをして使えるようにしてある。他にアコギは娘のものを含めて4台、エレアコ1台。エレキ4台ははすべて息子の部屋である。というのはアンプが我が家に一台しかないので、自然とアンプのある部屋にエレキが集まるのだ(笑)。
 ネットを見ていると、ときどきこのようなものにめめぐりあう。すかさずブックマ−クに保存である。そうしないと後で見ようと思っても分からなくなるからだ。安くて使いやすいギタ−ラック、この分だともうひとつ作らなくてはいけなくなるのは時間の問題である(笑)。

2006/10/27(金) 拓郎
 先日NHKでやっていた拓郎とかぐや姫の嬬恋のライブの模様を思い出している。観客は中高年のおじさん、おばさん。みんな当時は青少年だった。
 僕が初めて拓郎を聞いたのは中学一年のとき。「人間なんて」というエリックレコ−ドのLPだった。これは姉が買ったもので、どういうわけか姉はあまり聞かず、まるで僕が聞いていた。拓郎がまさに僕の青春時代の始まりだったのである。
中学2年だったと思うが、今度は兄が「元気です」というアルバムを買ってきた。これも兄よりも僕がまるで聞いていた。SONYに移籍したアルバムで、それまでの拓郎のアルパムと比べるとまるで音が洗練されていた。後に知ったが、石川鷹彦が全面的に参加しているということである。あのギタ−テクニックをなんとかものにしたいと頑張ったものである。
 その頃からだろうか、僕自身歌を作り始めた。詩を書き、メロディ−をつけていく一連の作業は僕を夢中にさせた。同時に詩にも興味がでて、いろいろな詩人の詩集を文庫本で買ってよみあさった。
 中学2年の秋に僕は友達と二人で家出の真似事をした。二泊三日の予定で家には書置きをしていった。学校には病欠にしておいてほしいと書いたのだった。だから4日後には普通にまた学校に行こうと考えていた。ところが友人の家族は事情が違っていた。大騒ぎである。結果は僕がすべて悪者になった。僕が友人を誘ったのだということですべてが処理された。ちょっと悔しかった。僕は家族との信頼関係があったので家の人はそれほど心配しなかったが、相手方の母親がすごかった。おかけで僕はすっかり不良のレッテルをはられた。今でも拓郎の「ともだち」という歌を聴くとあの頃の想いがよみがえってくる。
 ギタ−を弾く不良少年は、無事に中学を卒業すると隣町の高校に通うことになる。地元の高校に行かなかったのは、兄の友達であるギタ−のうまい人がそこの卒業生だったからである。その人にあこがれて僕は高校を選択しただけである。結果は3年生になると僕が音楽クラブの部長になるわけだが、前回の月あかりコンサ−トではそのときの後輩の女の子(今ではおばさんだが)と知り合えて懐かしかった。
 汽車通学だったことはその後の僕の生き方にかなり影響を与えている。往復一時間の時間は僕の思想タイムであり、読書タイムであった。汽車に揺られながら曲を作ったこともある。家出の真似事をしたような少年には、この汽車にのるということは充分に満足させるものだったのである。
 
 さて、あれこれと思い出しながらNHKの拓郎の番組を見ていたわけだが、なつかしいという思いはあまりない。なぜなら一連の曲は今でも僕はときどき歌っているからである。いつでもそこにあの頃の拓郎やかぐや姫がいるのだ。それは60歳の還暦を迎えた拓郎ではない。口を曲げながら「イメ−ジの唄」を唄う拓郎である。その点が他の人たちとちょっと違うなぁと感じた。
 青春などというとちょっと気恥ずかしいが、結局は未完成な美しさじゃないかと思う。何事もそうだが完成したものはそこで終わりである。完成しきれないもどかしさ、届かない思い、社会への反抗、未成熟な性、そういうものが僕は青春だと思う。少なくとも僕にとっては美しいものではなかったと思う。あの頃に戻りたいとも思わない。不良少年のレッテルをはられたときの気持ちは、なんともいえない思い出だからである。
 拓郎の「元気です」に収められている「リンゴ」、この曲はたぶん石川鷹彦だとおもうが、すごい演奏である。あの頃はたしかクロスオ−バ−ピッキングなどと言ったと思う。ときどき唄うのだが、拓郎と言うとこの曲だけがなぜか最初に浮かんでくる。

2006/10/26(木)
 陶芸を始めて何年になるだろうか、たぶん7年か8年になる。道具は電動ろくろをいまだに持っていない。22センチのろくろがふたつ。その二つもだいぶ古くて勢いよくまわすと異音がする。しかし、この手ろくろでぐい飲みから大型土器まで作る。
 昨日いきつけの酒屋さんに焼酎を買いに行ったら、店の奥さんに言われた、趣味が豊富だと。そうかなぁ・・と自分では思う。写真(カメラ)に陶芸だけである。ギタ−なんぞは生活の一部だし、昔からやっているから趣味だとは思っていない。ただ写真にしても陶芸にしても、あまり人のやらない領域に足を踏み入れているから、一般の人にはそう映るのではないだろうか。
 陶芸の窯はサ−クルの仲間で手作りした共同の小さい窯である。棚板は40×30センチである。背の高い作品を焼くときはいくらも入らない。でもあるだけましかとも思う。体験実習館で電気釜を買うことになり、予算もついて買ったのだが、今度は置く場所がないというあわれな結末。また来年に持越しである。この町はつくづく芸術、文化に理解のない町だと思う。
 陶芸の面倒なところは火入れをしたら神の領域であること。人知の知るところではない。1250度まで温度が上がる。その中で何が起きているのかは知ることができない。画像は色見穴を撮影したものだが、この炎の色で温度を知ることが出来る。今でこそ便利な陶芸用温度計があるが、自分の場合はカンである。色で判断する。もちろん最終確認はゼ−ゲルコ−ンだが、たぶんゼ−ゲルがなくても焼けなくはないだろう。
 しかし、焼成は大変な作業である。だからつい億劫になる。しかし焼かなくては何も生まない。あ〜しんどいなぁ(笑)。

2006/10/25(水) 陶芸
 町の美術展がある。陶芸サ−クルは当然のように毎日出品している。が・・・土器みたいな超大物ばかり作っていて今回は大物がない。いや、あるのだが焼いていない。あと3日しかない。
 ということで会員の作品を本日焼成。明日は窯だし、後にすぐに窯入れをしてあさってに焼くとして、出品日の夕方ぎりきりになんとか間に合うかなという感じである。
 月日が流れるのが異常に早く感じる。もう11月になろうとしているのだ。ちょっと待った・・はきかない。いやでも迫ってくる歳月は僕をどんどん死の川へと追いやる。
 先日、女房が習っているハワイアンの西条先生が近所に引越しをするというので古い本をたくさんいただいた。なんだかマニアックな本ばかりである。しかもだいぶ古くなっていて、老眼の始まった自分としては読みにくい。その中には忍者の本、新陰流の本、密教の本、日本人の起源の本などがある。西条先生の夫も作家だったらしく、資料として買った本だという。
 まず密教の本をぱらぱらと。なんのことはないSEXの持続力のことが沢山書いてある。僕の場合は持続力の前に、まずやる気のほうが大切である(笑)。
 面白かったのは日本人の起源に関する本、これは面白い。やはり大陸からやってきたモンゴロイド系の人種が大和朝廷を樹立したという学説が有力みたいである。これは梅原猛著「神々の流餐」という本の説と同じである。
 それともう一冊、これは「司馬遷の世界」という本。司馬遷はものすごい人間である。去勢という罰を受け、その屈辱感のエネルギ−からあれだけの大著が生まれたということだが、この本の作者は、そういうマイナスのエネルギ−がなければあれだけのものは普通書けないだろうと断言している。
 たしかに人間というものは正のエネルギ−と負のエネルギ−がある。この負のエネルギ−は現代人には少ないのではないだろうか。特に日本人には。別の言い方をすればハングリ−精神と呼んでもいいが、昔の自分にはこれがあった。今はない。どうしてだろう。今でもハングリ−なのに(笑)。

2006/10/24(火) 地震から2年
 忘れていたが、あの中越地震から2年である。時間は夕方5時55分。珍しく早く帰宅したばかり。母とあんぼ作りの会話をしていたら、突然の縦揺れ、最初ガツンときた。すごい力である。そのあと横揺れ。立っていられなくて柱につかまりしゃがみこんだ。ものすごい揺れである。それは瞬間なのだがなぜか長い時間に感じた。僕の頭の中に走馬灯のようにいろいろな思いが駆け巡った。家はこれでつぶれる、どうしよう。それは絶望感に近いものだった。そして次に来たのは開き直りである。まぁ人生、残りわずかでも0からの再出発も悪くないなぁ。増築、改装の借金が残っているからマイナスからのスタ−トか・・・。震災にあっても謝金はチャラにならないよなぁ・・などと考えていたのである。
 とりあえず一回目の揺れが収まると、当時中学一年だった娘が3階から駆け下りてきた。「すごいかった〜!!」などと半分楽しそうにである。
 とりあえずみんな外へ出ろという事で、出てみると近所の友達の家に遊びに行っていた息子が帰ってきた。これも興奮気味である。でもなんだか楽しそうだ(笑)。
 娘をよく見るとなぜか箸を握っている。おまえ、何をやっていたんだ?と聞くと、
「お腹すいたので納豆で御飯を食べてた」
 みんなで大爆笑である。
 近所の人もみんな外の空き地に集まってきた。近所の大工さんが電池のラジオをつけながらやってきた。このおかげでみんなが情報を知ることが出来た。どうやら小千谷市、川口町周辺が震源地らしい。震度7の強だったと思う。川口町といえばここから車で40分くらいである。
 またしばらくすると、女房が車に乗って帰ったきた。家族の安全を確認すると、じゃ病院に戻るね、たぶん病院は大忙しだと思うからと車から降りもせずにとんぼ返りした。さすが・・・看護師、プロである。このときは感心した。医療に携わるものとして地震=震災者=けが人=救急医療とすぐに結びつくのだ。
 しばらくて、もう一人家族がいないことに気がつく。シャム猫のチンタだ。親父と二人で家の中に探しに行く。玄関に入ったとたんにグラグラグラ!!! 余震とも本震ともつかない大きな揺れである。びっくりして又とび出す。それを2回繰り返した。
 それから何回も余震があった。夕飯の準備時だったのだが、ガス等による火事も幸いにしてこの町ではなかった。それが不思議なくらいである。翌日からガス会社がお得意さんの家をすべて回ったみたいである。後で聞いた話だが、ガス爆発はなかったが、ガスの配管からのガス漏れはずいぶんあったらしい。これで火災がなかったのが不思議なくらいであると。
 あれから1年くらいはさすがの僕も地震ノイロ−ゼみたいだった。風が吹いてがたんと軽く音がしても、ドキッとするのだ。家がゆれてもいないのに揺れを感じた見たりと。家族の会話が「今ゆれた?」「いやゆれていない」「ゆれたよ、絶対に」などになる。この町の人全体がノイロ−ゼになっていた。
 パソコンの回線はADSLだが、自宅はNTTフレッツで問題なくつながるのに、なぜか仕事場の回線はつながらない。こちらはyahooBBである。どうしてかとyahooに問い合わせると
「安全の確認が取れしだいに復旧作業に向います」
という事だった。これには頭にきた。思わず
「こっちは安全の確認もとれない危ない場所に今現在住んでいるんだよ!!NTTは使えるのになんでyahooはつながらないんだよ!いざというとき使えないパソコン回線なんぞ意味がないからキャンセル、やめさせてもらいます」
 これに対し、yahooの受付嬢は大慌てで、弁解めいた事をいうのだが、、と、その時とんでもない大きな余震がきた。
「あっちょっとまって、今大きな余震が・・・・」
これでキャンセルが決まった。yahooの人も大慌てで、大丈夫ですか、大丈夫ですかと繰り返す。
「了解しました。それではそのように手続きをとらせていただきます」

 これは後で聞いて納得した事だが、yahooはNTTより回線を借りているために、災害非常事態になるとNTTは貸している回線を一旦ストップして非常臨時電話回線にまわすらしい。そのために落ち着くまではyahooなどの回線が一時遮断されるらしい。これは契約時にそういう契約になっているという。

 地震、この地方では恐らく歴史上まれにみる大地震なのだが、友達の学芸員に言わせると当たり前らしい。つまり平野部に突然現れる大きな川は過去の地震や地殻変動により地上に亀裂段差がおこり、そこに水が集まり川になったのだという。信濃川はその典型的な断層であり、松之山方面が盛り上り、反対側が河岸段丘になっていることからも推測できる。もし自然と発生した川であれば、松之山方面も河岸段丘になっていなくてはならない。しかももうひとつの川、魚野川もしかりである。この二つの断層のふたつがぶつかる場所は川口町、小千谷市というわけである。
 地震学会の一部の派閥はここをしっかりと研究していたらしい。しかし中央の学会では、富士山の火山活動などを研究して、とにかく人口の多いところの地震、東海大地震、関東大地震を想定しての研究、観測が中心となり、地方はあまり関心がないという風潮だたという。
 あれから2年、もう地震の心配もない・・・といいきれるだろうか。気持ちの上では、これだけ大きな地震がきたのだから当分は大丈夫だろうと思うが・・。そのことを学芸員に聞いてみると、一般的には大丈夫である。プレ−トとプレ−トがぶつかり地震が発生するとしたらぶつかることでプレ−トが組み合わされてしばらくはないと思うと。ただそのしばらくがどれくらいなのかは何とも言えないとも。
 我が家で唯一残されている中越地震の証明写真がこれである。息子の部屋の目覚まし時計。地震のときに机の上から落ちて止まったままである。この時計の針の示す時刻がすなわち中越地震の時間である。
 

2006/10/23(月) ピック
 ギタ−のピック、ギタ−の物心がついてからどれだけの枚数を使っただろうとふと思った。いろいろなピックを使った。ギブソンやモ−リスとかいろいろあった。非常に失くしやすいものなので、失くすとまた買ってこなくてはならない。高いものではないが、買いに行くのが面倒である。
 二十歳の頃からかわらず使い続けているピックはヤマハの.030というもの。これが一番使いやすい。一般のピックはもう少しおにぎり方で丸みがあるが、このyamahaの角度はすごく使いやすい。
 一般にピックを大別するとおにぎり型と涙型の2種類。息子は涙型の愛用者である。親父はこれが使いこなせない。アコギもやるから、弦の跳ね返りを利用するにはちょっと弱いのである。それと落とす。これが困る。
 そういえば娘が、アコギのサウンドホ−ルの中にピックを落として、出すのに四苦八苦していた。僕も昔はよくやった。しかしある程度うまくなると不思議と落とさなくなる。ピックを落とすと弦が張ってあるので手を入れるわけには行かない。だから反対にしてかたかたとギタ−を振りながらサウンドホ−ルに近づけていくしかない。これがやってみると意外と面倒なのだ。ギタ−の内部にはところどころにブレイシングがあり、これにひっかかる。まぁこれも慣れで、何回かするうちにうまくなるのだが。
 先日YAMAHAのこのピックを5枚まとめて買ってきた。一枚は娘に使いやすいということで取られたが、残りは4枚あるはずなのだが、もうすでに2枚しかない。どこに行ったのだろう(笑)。

2006/10/22(日)
 午前中、朝顔のツルなどの整理をして、お昼近くになり陶芸サ−クルに出席。午後より女房にせがまれてしかたなく秋山郷へ紅葉を見に出かける。。この秋山郷が失敗。時期が時期である、紅葉を見に来た観光客やら観光バスやらで渋滞。あんな狭い道、よく大型の観光バスが来るなぁと感心するが、豪雪で有名になったせいか今年は時別ににぎわっていたような。
 普通は「萌木の里」ら20分といえば楽に着くのに一時間である。着くとちょうど萌木まつりということで地元のバンドが演奏していてた。野沢温からやってきたバンドしか聴けなかったが、それでも面白かった。
 さて、帰りは遠回りして「妙法牧場」まわりで帰ってくる。この道は地元しか知らないので楽々である。おまけに高い山は紅葉がきれいで、なんだか儲かった気分である。
 そのまま買い物にでかけて家族でどさんこのラ−メンを食べて帰る。途中でプロマ−チンの12弦ギタ−の弦が切れている事に気がついた。切れたのはお決まりの6弦である。この6弦は一般のギタ−の3弦の1オクタ−ブ高いGである。ぱっつんパッツンで一番切れやすい弦である。
 昨晩チェックしおいたが、この6弦の太さは.009インチである。もしかしたらエレキのフォトジェニックの1弦がたしか.009インチだなぁと思い、ハ−ドオフへ行く。見事大当たり。この価格が1セット168円である。安い。早速買い求めてくる。
 さて自宅に戻り弦を張る。見事にぴったりである。息子に言われる、余った5本の弦はどうするの・・・と。そこまでは考えていない(笑)。おまえにあげるよと言うと、Photogenic NoNoと言われた。あれはチョ−キングがやりにくいというので、息子のエレキで比べてみると、なるほどたしかにやりにくい。初心者のくせになかなかやるなぁと感心。しかし初心者だから気がつくのかと妙に納得。
 しかし、よかった。今度から12弦ギタ−が切れたらPhotogenicで代用できる。何しろ12弦の弦はセットだと高い。巻き弦は色が違うので困るけど裸線はまったく問題ない。

2006/10/21(土) 宴会ギタ−
先日ムラマサ氏のところへモ−リスのエレアコを届けにいったとき、部屋の隅にへんなものを発見。なんだこりゃとソフトケ−スを開けてみると、なんとミニギタ−である。弦が3本しかついてなくさびだらけ。聞いてみると、奥さんの弟さんがパチンコの景品でとったものだという。まだムラマサ氏の子供が小さいときに子供達のおもちゃにと置いていったものだということ。
 持っていけと言われて、持って来た・・が、さて例によって汚い(笑)。一応掃除をしてだいたいの汚れは落として、さて弦をはろうとおもったが、このギタ−に新しい弦はもったいない。しかも普通の半分の長さ。まさか新品を半分に切って使うのもなんなんで、捨てようと思っていた古弦をダンボ−ルの中から拾い出し6本張った。メ−カ−はかの有名なセピアクル−、一流である(笑)。
 チュ−ニングをしようとして、はたと考えた。これどうやるんだ??しばらく普通のギタ−とにらめっこ。あっわかった。ミニギタ−を普通のギタ−のところに持っていきフレットのスケ−ルを比べてみると、5フレットである。つまり5弦の5フレットを基準に合わせればいいのだろうと。ということは、Fのコ−ドをCに変換しなくてはいけない。よしOK。
 さて弾いてみる。音は・・・・まぁこんなものだろう。このギタ−、宴会の席にいいなぁ・・一人微笑む・・秋の夜長。とりあえず娘の部屋に住む熊太郎に弾かせておこう。

2006/10/20(金) コ−ヒ−豆
 最近よくギタ−を弾くようになったが、一時期ぜんぜん弾かない時期が7年くらいあった。東京にいたときだ。あの頃は生活もずいぶん荒れていたし、音楽なんてものにはまるで縁がなかった。アパ−トに住んでいたのでもちろん音の出せない生活が続いた。
 それでもギタ−が弾きたくて、どこかのデパ−トの中の楽器屋さんで一台買い求めた。そういえばモ−リスだったような気がする。価格は2万円くらいだったと記憶している。普通の音の普通のギタ−だった。アパ−トには持ち帰らないで、当時お世話になっていた師匠の家に置かせてもらった。田舎に帰るときに持ってくるのを忘れてそのままである。あのギタ−は今もあるのだろうか。あの時中学生だった師匠の娘の陽子がたまには弾いているのだろうか。
 田舎に帰り結婚して子供ができて、家にあったギタ−、ぼろぼろのK.Countryで子ども達のために童謡やどらエモンの歌を唄ってあげた。
 そういえばギブソンは壊れたままだった。キズだらけのギブソンは、まず直射日光にたまたまあてておいたらブリッジが木目にそって割れて、修理に出して戻ってきたら、とんでもなく弦高が高くて、そのあとヘッドとネックのところが割れてしまい、また修理に出したら、今考えれば単なるボンド付けだけの修理だったので、弾いているうちに同じところがパキリとまた折れた。以来そのままである。これを自分で修理したのは最近である。
 自分の手は小さい。だけど不便を感じたことはない。ひさしぶりに啄木ではないが手をじっくりと見た。たこが出来ている。堅いタコの中に筋が一本ある。僕はこれをコ−ヒ−豆と呼んでいる。12弦ギタ−のときはこの筋が2本になる。
 アコギのときはこのコ−ヒ−豆が役に立つが、エレキのときはこれが邪魔になる。弦がやわらかいので邪魔になるのである。特にチョ-キングのときに弦が引っかかるのだ。
 バンドの練習はどうなったんだっけとふと思い出す。あれ以来ぜんぜん仲間と会っていない。予想はしてたけど。みんな忙しい。全員の都合をきいていたらまず集まれないだろう(笑)。

2006/10/19(木) 試運転
 プロマ−チンの廉価版ギタ−に本日弦を張る。いよいよお楽しみの瞬間だ。チュ−ニングしてみる。そういえば昔はチュ−ニングのことを調弦とか言ったなぁ・・死語だ。それで思い出した、昔は調子笛というものがあり、それで合わせていた。だが所詮初心者、あまりうまくいかなかった思い出が残っている。今もあるのだろうか調子笛。ちなみに今はチュ−ニングマシンがあるので初心者でもばっちり調弦できる。僕は今だに音叉であるが(笑)。
 さて、プロマ−チン、チュ−ニングをしながら、あれれ・・と思っていたのだが、音が結構いい。よく鳴ってくれる。これほんとに廉価版という感じである。弦が新しいだけではない、ストロ−クしてたときの音のまとまりがすごくいい。あたりである。実質1200円のギタ−、ジャンクとはいえとんでもなく安い。これでこの音である。う〜ん、幸せ(笑)。
 そこで、先日友人が売ってくれと持ってきたBLUERIDGEを弾いてみる。ぜんぜんダメだ。音が響いていない。おかしいなぁ・・プロマ−チンの廉価版でもあんなにいい音がするのにと考えてみる。そこであっと思いつく。以前ネットで見た、サドルとナットを削ると音がよくなるということを。
 すぐに弦をゆるめてナットを見てみる。別に異常はない。ためしにノコの目立ち用のやすりで軽く溝に入れて上下してみる。次にサドルである。サドルの頂点が丸まっている。これをやすりでちょっといじる。頂点をやや鋭角にしてみた。弦を張ってみる。あれ?金属音がする。もしかして・・・。
 予想は的中した。格段に音がよくなった。ストロ−クでジャ−ンと鳴らしてみる。いい、いい、ぜんぜんいい音である。こんなにも違うものかとびっくりした。これは売れなかったことにして自分のものにとよからぬ考えが・・(笑)。
  
 今屋根裏部屋でパソコンを打っているわけだが、ここにあるアコギは5台、内はちどりを除いた4台はすべてもらいもののギタ−である。ムラマサさんの地下で死んでいた12弦ギタ−は正確にはもらってきたのではなく拾ってきたというべきが正しいのかもしれないが(笑)。
 この4台、実はすべて気に入っている。あばたもえくぼ、花も18番茶も出花、、これは違うか(笑)。たて食う虫も好き好きという、これが正しい。とにかく僕のところに縁あって来たギタ−はみんなかわいい。
 さて、中国製の廉価版がずいぶん出回っているのだが、このままでいくと世界中のギタ−の6割が中国製になるのではと危惧してしまう。別に中国製が悪いとは言わないが、日本のまじめなメ−カ−がかわいそうである。
 残念ながら時計の針は10時を回った。さすがにこれ以上音は出せない。おとなしく寝よう。

 そういえばすっかりカメラがご無沙汰だなぁ・・・(笑)。
 

2006/10/18(水) プロマ−チン2
 本日未明、プロマ−チン第2号機到着した。仔細に観察するとブリッジ装着部見事にはがれて浮いている。トップ板もやや盛り上がりの状態。
 よく見るとビスがトップ板に垂直に2本、水平に2本入っている。しかもナットもしっかりと付いてる。ここまでしてもまだブリッジが浮いているというのはかなり手ごわい相手である。
 まず垂直なビスをはずし、サドルをとりブリッジにアイロンにて熱を加えながらパレットを使い少しづつ差し込むと簡単にブリッジが外れた。はずしてビックリなのだが、塗装の上に直接ボンドでブリッジが貼り付けてあった。これは弱い。まぁこのあたりが手抜きというところだろう。普通ブリッジの付着部のところだけ塗装を落としてからボンドでブリッジを圧着すべきであろう。こんな大事なところに手抜きをしてあるところが、エントリ−機なるゆえんである。品番はW-130となっている。13万円・・・ではない、一万三千円である。実販価格は一万円以下で売られていたものだろう。プロマ−チンの中で一番安かったギタ−だと思う。
 それにしてもこのブリッジに付けられたビス、この技術はなかなかのものである。垂直はとにかく、トップ板と水平に通したビス、これはすごい。たいしたものだ。でもたいして役にたっていなかったわけだが(笑)。
 ブリッジをはずした後に、アイロンにて矯正してトップ板のふくらみを直す。その後しっかりとマスキングをしてから、200番のサンドペ−パ−で塗装を落す。平面を出すためにこつこつと。
 次にブリッジの裏の付着ボンドをアイロン蒸気にて軟化させて、ヘラにてきれいに落し、同じくサンドペ−パ−でつるつるに平面を出す。
 いよいよタイトボンドを両面につけて圧着。位置が動かないようにエンドピンを6弦と1弦のところに差し込んでからセロテ−プにてべたべた固定。次にムラマサリペアマシンスペシャルにて圧着固定。一時間後に仮はずし、はみ出たボンドをエタノ−ルにてきれいにふき取り、再固定して6時間。
 とりあえず完成。弦高を見るために6弦のみを張ってみる。12フレット頂点より弦の下部まで2.5mmである。まぁまぁのレベル、これはチュ−ニングをすると3mmまでは開くだろう。

 今回のお買い物、落札価格1200円、送料1060円、ぱるる振り込み手数料120円。しめて2380円なり。早く弦を張って音を出してみたいが、これは明日までお預け。まぁそれなりの音だと思うが(笑)。

2006/10/17(火) プロマ−チン
 さてさて、だんだんとギタ−なんぞに興味を持ち始めて、サイトがギタ−系に傾いてきた。これはこれでまぁいいのではと思う。いずれ音楽、ギタ−、楽器の番外編を設置しようと思っている。いずれにしても趣味のサイト、管理人の趣味の移り変わりにそって変化していく、これぞ生きたサイトなのだ・・・と勝手に思い込んで妙に自分で納得(笑)。 本日も、掲示板常連のキキさんとKyさんが喜ぶギタ−ネタである。
 Kyさんよりいただいたブリッジ離れのプロマ−チンのジャンク12弦ギタ−は再リペアにより見事に復活した。しかし、お決まりで12弦ギタ−はあまり出番がない。チュ−ニングが面倒なのと、ストロ−クかピッキングくらいでリ−ドはあまり使うことも無い。友人の怪人ムラマサ氏は、どうせ5フレット以下は使わないんだから、いっそ5フレットより下のフレットは全部ぬいて使えよと言う。んな馬鹿なと笑ったが案外的を得ている気がする。
 そんなこんなで、このブロマ−チンの6弦の普通のギタ−はどんな音がするんだろうと、なんとなく検索かけると、あろうことかヤフオクの出品に出くわす。これはやばいと思いつつ開いてしまう。おっと僕の大好きなジャンク、12弦のときと同じブリッジ離れ、現在価格、初期価格のまま1000円、ええぃままよ1200円で入札、ポチッ。
 夜になり、恐る恐る開いて見ると、やっばし・・2000円で落札していて逃した。送料を含めるとそれなりの値段になるのでまぁいいかと自分を納得させる。
 翌日、仕事場のパソコンでまた開く。ブックマ−クのプロマ−チンの文字が目に付いた。なんとなく開く。すると・・・
「最高額落札者がキャンセルされました。あなたに権利があります。この価格で入札しますか」
というメッセ−ジ。価格は1200円。昔より、据え膳食わねば男の恥という便利なことわざを思いだした。ちょっと悩んで、ポチッと。1200円で落札。
 ジャンク、最近はこればかり。またギタ−が増えてしまった。む〜ん、これはしかし・・・まぁいいか(笑)。

2006/10/16(月) 幽霊が持ってきたギタ−
 家にいる仕事なので、たまにいろいろな人が尋ねてくる。ぶらりと訪れたその男は同級生。え・・・・彼はたしか・・奇妙な顔をしている僕に彼は久しぶりだなぁと声をかけてきた。僕はあいまいに、あぁ・・と声を出した。
 尋ねてきた理由はギタ−である。毎日僕のブログを見ているという。彼はおかしそうに言った、
「カメラからだんだんとギタ−のサイトになってきたなぁ・・」
「うん、まぁ昔を思い出して・・」
「ものは相談なんだが、俺の古いギタ−を誰かに売ってもらえないかなぁ。値段は一万円くらいで」
「いいけど、買う奴はいるかなぁ・・・」

 しばらくして彼は車の中からギタ−を持ってきた。メ−カ−は「BLUERIDGE」と書いてある。これはたしか・・僕は頭の中で少ない知識を引っ張り出す。アメリカのメ−カ−で最近ラ−メンギタ−とか言われているメ−カ−だよなぁ・・・と。

 とりあえず彼に缶コ-ヒ−を出して、僕はチュ−ニングを始めた。あまりいい音はしないなぁと思いつつ。チュ−ニング終了。おきまりのCコ−ドをジャ−ンとストロ−ク。う〜ん、こんなものなのかなぁと感想。彼に聞く
「昔、いくら位で買ったの?」
「友達から中古で2万円くらいだ」
「ふ〜ん・・」
 僕はしばらく黙り込んだ。頭の中はそろばん・・じゃなくて電卓をたたく。そして言った、
「8000円くらいだなぁ・・」
彼はがっかりするかと思ったら
「やっぱり・・」
 そして意味深な言葉を言った、
「8000円で売れたら、売ってしまってくれる。もし売れなかったらおまえにあげるよ」
「はぁ・・・」
それって、くれるということと同じじゃ・・・ないよなぁ。頭が混乱してきた。

 さて彼の顔を見てからどうも疑問に思っていることをズバリ聞いて見た、
「おまえさぁ・・・10年くらいまえに病気で死んだんじゃなかったっけ・・・」
 すると彼は僕の顔をじっと見ていたかと思うと、いきなり大笑いを始めた。
「俺の名前を覚えているか・・」
「うん、浩二だろう」
「死んだ奴の名前は浩一、俺より一級下の奴、住所は近所で苗字は一緒、棒が一本あるなしであの頃はずいぶん間違えられたよ」

 なんだ、そうだったのかと僕も大笑い。そして幽霊になりかけた彼は、たまには一杯飲もうぜ、と言い残して去っていった。

 さてさて、残されたギタ−を見ながら、ネットってすごいなぁ・・誰が見ているかわかったもんじゃない。「BLUERIDGE」ということはアメリカと思いつつサウンドホ−ルの中の文字を見ると、Japanの文字が・・。ある意味期待はしていたのだが、音を聞くとどうも違うと感じていた。
 弦高が高い、6弦12フレットで4mmちょっとある。六角レンチで回すと回る。その後サドルを少し低くして、チュ−ニング後に図ると3mm弱となった。これで少しは弾きやすくなった。
 それにしても・・この幽霊が持ってきたギタ−、どこのメ−カ−なのだろう。日本のメ−カ−なのだと思うが(汗)。

 

 

2006/10/15(日) 芸能フェステバル
 今日は町の芸能フェステバルがあった。後半に女房がハワイアンダンスに出演するというので、見に来ないでといわれたが、しっかりと望遠レンズをかついで出かけた。ハワイアンもいいものである。我が家にあるウクレレは女房が気まぐれで買ったものだが、ハワイアンと無関係ではないのだ(笑)。今度はスチ−ルギタ−でも買ってもらおうかと画策しているが、ああいう特殊なものは、たぶん女房は存在すら知らないだろう。
 このハワイアンダンスを教えている先生は、西条先生という70才前後の結構お年の女性であるが、なかなかスタイルもよくダンスも見事なものである。この方は詩人、西条八十のお孫さんに当たる人である。40代くらいからハワイアンダンスに親しんでいるそうである。そう考えると・・連想ゲ−ムではないが、ハワイアン・スチ−ルギタ-、マヒナスタ−ズ。松尾和子という図式が浮かび上がる。そこから先はビ−チボ−イズ、加山雄三、ベンチャ−ズとつながるのだが、日本ではなぜかサ−フィンでは湘南であり、そこからサザンオ-ルスタ−ズにつながる。いつの時代にも若者は海が背景にある。最近では「タイヨウのうた」というところか。あの舞台もたしか湘南。出来すぎの映画、ドラマである(笑)。
 突然だけどマヒナスタ−ズと誰だか知らないが女性が歌っている「北上川」という唄が好きである。最近よくギタ−片手に唄っている。自分がいつの時代の人間なんだか自分でもよくわからないが、いいものはいい。理屈ではない。スチ−ルギタ−といえばグヤト-ンである。あのエレキもなんとかしなくては。グヤト−ンのエレキでボトルネックをして「北上川」を歌う・・ますます時代が分からなくなった(笑)。
 

2006/10/14(土) なつかしの広告
 ネットサ−フィンをしているととんでもないものを発見したりする。またまた二光通販であるが、見れば見るほど懐かしい。そして思わずにやりとする。広告というものは雑誌にとって切りはせないものであり大事な収入源なのだろう。
 モノクロのざらついた紙に印刷された広告を見ると、少年時代に、マガジンやサンデ−に掲載されていた小さな広告を思い出す。当時切手を集めていた僕は、切手収集セットというものに非常に興味があった。それには外国の使用済み切手100種付というものがあり、これに興味があった。母親に無理に頼んで買ってもらった。価格はセットで500円だったと思う。毎日郵便屋さんがくるのを首を長くして待っていた。しかし当時の郵便局はのんびりしたもので日曜日は配達しなかった。その日曜日の長いこと(笑)。
 届いた切手のセットの中に外国の使用済み切手を見つけて世界旅行をしたものである。中には未使用の切手もあり小躍りして喜んだものである。不思議だったのはいろいろな国の切手にエリザベス女王の絵があることであった。後に知るが、要するにイギリスの植民地みたいな国の切手だったのだが。

 二光通販、毎月明星や平凡に掲載されるこの広告の魔力は、ついに当時のギタ−少年だった僕を動かすことは無かった。当時兄や姉がいた僕は毎月明星だか平凡だかの雑誌を見ていた。性への目覚めの頃であり、処女という言葉の意味もわからなかった頃である。明星と平凡は僕の性への興味を満足させるには充分すぎた。
 この雑誌には必ず別冊で歌の小冊子が付録で付いていた。ギタ−コ−ドがちゃんとふってあり、これを見ながら当時の最先端の流行歌を歌っていた。なつかしい思い出である。

 

2006/10/13(金) 主観的評価と客観的評価
 世の中にオタク族と命名された人種が登場してからすでに久しいが、僕なんかはその代表的な人間なのかもしれない。ただ、一般のオタク族とはワンランク違う。つまりランクが2段から3段くらい下である。要するに貧乏(笑)。たとえばカメラのレンズでいえば、コンタックスだライカだというオタク族とは違い、僕の場合はヤシカのレンズを比較して面白がっていたりする。ヤシカなど一般のレンズグルメのオタク族は見向きもしないだろう。
 ヤシカにエレクトロ35というカメラがある。このカメラの初期に付いていたのはヤシノンDXであるが、中期から後期にかけてはカラ−ヤシノンDXと名前が変わる。このレンズを比較するのだ。カラ−とモノクロを撮り比べてどう違うかなどと言いながらオモシロがっていた。しかし、コンタックスのレンズを生産していた富岡光学がヤシカのレンズを生産していたことを知る人は少ないだろう。ここがミソである(笑)。
 ま、その証拠にライカは持っていても、ライカのレンズは持っていない。つけているのはキヤノンやフジノン、ロシアンレンズである。こういう按配だと当然ながら世の中のカメラレンズオタクとは話が合わない。マグロのトロの近海物と遠海物の味の違いの話をしている中で、目黒だか目白だかのサンマの話をするようなものである。
 が、しかしである。高いからいいものであるとは限らない。安いから悪いものとも限らない。本当にいいものは安くて性能のいいものという結論に落ち着く。そこに企業努力があり、企業価値があると思う。
 一番悪いのが価格が高いくせに性能が悪いもの。当然である。まぁしょうがないかなと思うのが、安かろう悪かろう。100金の工具がこれにあたる。
 僕自身の究極のオタク目的は、性能がすごくて価格の安いもの、世の中に見捨てられている高性能の道具を探し出すことにある。カメラしかりギタ−しかりである。まぁしかしギタ−は安くても弾きこむ事により性能が高まるような気がする。これはこれでまた面白い。あれ・・いつの間にかギタ−オタクに(汗)。

2006/10/12(木) モ−リス、トルネ−ド
 月あかりコンサ−トの時、ムラマサ氏がピックアップがないめにベ−スのNから借りたモ−リスのエレアコ、トルネ−ド。実はコンサ−トのとき倒している。かなり大きな音がして倒れた。その後なにも困ることも無くコンサ−ト。そのギタ−がそのままムラマサ氏の自宅にあり弾かせてもらった。う〜ん、エレアコにしてはいい音だぁ、とびっくり。僕のアリアのエレアコとは大きな違いである。
 さて、さすがにモ−リスだなぁとしげしげと眺め回すと、えっ・・、ネックとヘッドの間ところに亀裂を発見。ムラマサ氏に言うと知らなかったという。まずいなぁ・・・なんとかNに知られないようにリペアしてくれよ、ということで先日から僕の手元にある。しかし、このトルネ−ド、ネックのところまでブラックのサンバ−ストがかかっている。こりゃごまかしはきかないなぁと思い、とりあえず亀裂にタイトをすり込み圧着、その後水生ペイントを少量。コンパウンドをかけてなんとか目立たなくした。よく見るとわかるが(笑)。致命的な亀裂ではないので演奏には問題は無いが、ここは正直に言うべきだろうとムラマサ氏にTELすることにした。
 このギタ−を買ったのは十数年前だろうか、Nがうれしそうに僕のところに遊びに来た。中川イサトのオ−プンチュ−ニングをやるんだと練習していた頃である。その頃の僕はカメラ、写真一辺倒で、それほど関心がなかった。
 あの頃、Nはたぶんバンドをやりたかったのだろう。今回もコンサ−ト出演ということを真っ先にかぎつけたのはNであり、アコ系ということでウッドベ−スを借りてきてかぐや姫そのものをやろうと計画していたのだが、とにかく持ち運びに大変だということで、結局彼は、このコンサ−ト用というわけではないが、エレアコベ−スを買ったのだ。
 結局かぐや姫の曲は一曲だけとなったが、今回ほどベ−スの必要性を感じたことはない。曲の厚みがまるで違うのだ。彼が練習に参加していないときは、ぜんぜんノリが悪かった。今回は特にドラムスがないので、ベ−スがリズム代わりにもなった。まったくベ−ス(基本)とはよく言ったものである。縁の下の力持ちである。

2006/10/11(水) 集めるということ
 カメラ・・写真を撮る。ギタ−・・演奏する。このふたつの目的のためにはカメラが一台、ギタ−が一台あればいい。一応目的は達成する。ところが、カメラには銀塩なら、一眼レフ、コンパクトカメラ、デジタルなら同じく一眼、コンパクト、これで最低4種類が必要となる。ギタ−は、これまた2種類に分けられる。アコ−スティク、エレキである。そしてまたアコギはスティ−ル弦とクラシックのようなガット弦のギタ−、エレキは一般のものとセミアコである。こうやって家系図みたいに考えていくときりがない。最近はエレアコも仲間に加わった。
 さて、モノがあふれる今日、ギタ−もカメラも若者がいる家ではあたりまえにある。すくなくとも30年くらい前にさかのぼれば、使わないカメラ、ギタ−がゴロゴロとあるはず。いままでに僕が集めたカメラ、ギタ−はそんなものが多い。いらなくなった、捨てるにはもったいない、そんな品物が多い。だから売れば金になるもの、資産価値のあるものはあまりない。ほとんどがジャンクか安物である。
 先日もヤマハのサンバ−ストのアコギをいただた。ネックは反っていて、弦高は6mmもあった。サドルの調整とロッド調整がまだきいていたのでちょっといじっただけで簡単に弾きやすいものとなった。
 実はもう一件、もらえる予定がある。同じくアコギであるが、おばあちゃんの話だと、わけのわからない横文字ということ。息子がやはり昔に使っていたものらしい。この息子さんは交通事故で亡くなっている。いわば形見とでもいうべきもの。
 月日は悲しみを風化させ美しい思い出に置き換える。その息子さんは僕より2級下である。使ってもらえば息子もあの世で喜んでいるでしょうと。大切にします・・・・・。
 モノに魂というものがあるとすれば、大切にしてくれる人のところにモノが集まるのではと思えてくる。カメラ、ギタ−共に意外な人からもらったりする。どういうわけか話をすると、捨てるのはもったいないから差し上げますということが多いのだ。ありがたいことであると思う。ジャンクの場合、修理するのにそれなりの経費もかかるのだが、それはそれで必要経費ということにしている。
 カメラは子ども達が興味を示さなかったが、ギタ−はこの一年間で非常に興味を示すようになった。新しい?ジャンクギタ−の修理が終ると必ず子ども達に弾かせてみる。子供達は素直な感想を言う。これが結構当たっている。息子はSXのサンバ−ストストラトは、フレットが高くてスライドするときに指が引っかかるとか、アリアのぼろぼろのアコギは、娘が弾いてみて、すぐにいい音がするとか言うのだ。大正解である。
 使わない女房なんかにすればただのガラクタの山になるのだろうが、使う人にしてみれば、これはまさに夢の山なのだ。可能性の夢。もっとも子供達は本当に可能性の夢なのだが、僕の場合、その可能性がだんだん少なくなってきた(笑)。とにかくまたバンドをやりたいと思う。月あかりコンサ−トは楽しかった。久しぶりに青春を楽しませてもらった。これはメンバ−全員が同じ気持ちである。ご苦労会の飲み会で別れるとき、またやりましょう、おかげで楽しかったです、といってくれた。もちろんまたやります(笑)。
 

2006/10/10(火) TOMSON
 ウェブでついに見つけた。中学の文化祭で友人から借りたエレキ、TOMSON。意外にもアコギは木曾鈴木が作っていた。う〜ん、国産ギタ−も奥が深いものよ・・とついうなってしまう。
 いろいろと思い出した。そういえば二光通販だったかなぁ。雑誌の広告でよく見たものである。何度買おうと思ったかわからないが、ふと思いとどまらせた理由は何だったんだろう。考えてみれば、思いきって買ってしまってもよかったのかもしれない。
 キャンダのハミングバ−ドのコピ−を兄から譲ってもらい、それを使っていたのだが、兄がその後本物を買ってきた。弾きくらべてみて愕然とした。あまりにも音の違いにである。若いうちに本物に出会ったことは、幸か不幸かわからないが、今あの頃に戻ってトムソンを弾いてみたい。
 そういえば今晩ムラマサ氏のところにギタ−を届けた。子供よりも奥さんが喜んでいたような・・・(笑)。彼の家でヤフオクを見ていると、ケ−スも買ってやりたいと奥さんが言う。ハ−ドは高いよというと、ソフトのビニ−ルでいいということでヤフオクサ−フィン。結果はギガバックを2600円で落札。定価12000円と書いてある。まぁよかったのかなぁ・・こればかりはよく分からない。
 さて持っていったギタ−は正体不明の「M.Craft」、僕の感想はあまり深い音色がしないと思っていたが、ムラマサ氏の中国製ギタ−を弾いてみたら・・・これよりましだと思った。まぁこういうことは好みと主観であるからなんともいえないが。

 トムソン、ト−マス、いろいろあってあの頃は夢があった。ギタ−の腕とブランドは間違いなく関係がない。それは中学生の頃から分かっていた。
 そういえばあのキャンダのハチドリはどうしたのかとよく考えたら、当時付き合っていた?彼女なのかなぁ??とにかく中途半端な付き合いをしていた彼女に売ってしまった。しかも結構いい値段だったと思う。今思うと、あれは罪なことをしたと思う(懺悔)。

2006/10/09(月) 葬式の後のリペア
 久しぶりの天気である。じめじめしていた空気が乾燥していくのをひしひしと体で感じる。
 いい天気なのだが。本日は近所の人のお葬式に出席した。当然酒を飲む。しかしお葬式の後の御斎の酒、気持ちが複雑であまり酒はすすまなかった。
 帰宅すると、酒飲んでいるので車の運転はできない。酔いの冷め際で体がだるい。布団の中に入り夕方3時間ほど眠る。むくりと起きるとどうやら酒は抜けている(本当かな・・笑)。昨夜ギタ−のリペアでブリッジを固定しておいたギタ−をはずしてみる。ばっちりである。用意しておいた新品のマ−チンの弦を張る(普通は新品が当たり前なのだが、僕の場合中古の弦を張る場合もあるので・・笑)。
 さてチュ−ニング、Cコ−ドでストロ−ク。うん???まぁまぁかなという感じ。こんなものだろうという感じ。可もなく不可もなくという感じ。
 このギタ−は嫁に出す予定。友人のムラマサさんの息子に差し上げる約束のものである。一応リペア成功。12フレットの弦高は3mm弱。問題はない。弾いてみて感じたことは、ややネックが太い。だから困るというほどの太さではない。
 弦を張った状態でしばらく置いてみて、OKならば嫁入りである。

2006/10/08(日) YAMAHAとヤマハ
 休日、部屋の掃除を珍しくして、午後からじいさん、ばあさんと息子を連れて買い物に行く。じいさんが旅行に行くというので服と下着を買ってやる。ついでに息子にも服を買ってやる。ついでに・・・(自分のものが一番後まわしなのだが)自分のジ−ンズを買う。じいさんと息子のを買うと一万円がなくなる。金がないので自分のものはジ−ンズ、1000円。まぁこんなものである(笑)。
 1000円といえば、先日知り合いからまたいただいたYAMAHAのギタ−、弦高が異常に高く、6弦12フレット頂点より測ると6mmもあった。これをサドルを削り3mmまで下げる。サンバ−ストなので「タイヨウのうた」の雨音薫のサンバ−スト、フェンダ−アコギに似ていて即座に娘にとられた。まぁいいけど。ところでジ−ンズが1000円、このギタ−が謝礼として菓子折りの購入費が2000円。ものの価値観の問題であるが、どう考えても2000円のヤマハのほうが価値がある。ジ−ンズ2本の値段である。
 このYAMAHAはFG300Sというモデル、なかなかいい音がする。これは価値のある一品である。実は月あかりコンサ−トにサブギタ−として用意しておいた。メインに何かあったときにこちらで対応しようと思ったからだ。
 娘の部屋に2台のヤマハが並んでいた。娘に言う、
「おまえがデビュ−するときは、ヤマハにスポンサ−になってもらえば・・」
 すると娘は大笑い
「顔でダメ」
 う〜ん、親父に似てしまったからなぁ・・と納得。でも親父から見れば、どんなにかわいい子より自分の娘が一番かわいいものである。だから娘には3台もギタ−を用意した(笑)。
 まだ子供達が小さい時、子供達と一緒にギタ−セッションするのが実は夢だった。今ようやくそれが実現しようとしている。だからついつい親バカになってしまう(笑)。

2006/10/07(土) 月あかりコンサ−ト 当日
 コンサ−トが終わった。実に20数年ぶりのステ−ジである。これは他のメンバ−も一緒。まぁとにかく終わった。チュ−ニングを全員であわせる暇がなく、これがまずかった。つまり僕自身が実行委員長なので、ぎりぎりまで対応に追われていたのだ。
 コンサ−トで懐かしい女性にあった。高校生3年のとき、僕が音楽クラブ部長。そして一級下の女の子がいた。吹奏楽でフル−トを拭いていた。その人が今回フル−トのグル−プで出演していたのだ。
「覚えていますか?」
と言われてしばらく考えていたが、とりあえずはなんとなくと答えた。コンサ−トが始まり、彼女の演奏を聞いているうちに突然名前を思い出した。同時にあの頃の思い出が次から次へとよみがえってきた。たしか、○○先輩と結婚したはずだと。
 コンサ−トが終わり名前を聞くとそのとおりだった、○○先輩と結婚したんだよねと聞くと、
「ええ・・・まぁ・・・」
とあいまいな返事、その後今は独身ですと言われてすべてを察した。バツイチである。それ以上は追求しないで別の話題に転じた。このとき他の役員は片付けに大忙し。その傍らで我々二人だけが昔話にタイムスリップしていた。あの頃からキブソンのハチドリを使っていたので、彼女はそれを覚えていたという。かなり印象が強かったのだろう。たしかにあのハチドリは一度見たらなかなか忘れられないと思う。(笑)。
 さて片づけが終わり、打ち上げ会場へ。なにはともあれうまい酒である。このためにやるんだよなぁと他のメンバ−が言う。またやろうよと全員一致したが、たぶんコンサ−トという目的がなければ集まれないだろう。せめて月一回はやろうということで一致した。が、なかなか・・・(笑)。
 結局夜中の一時ごろまで飲んだ。楽しい酒だった。
 

2006/10/06(金) コンサ−ト前日
 いよいよ月あかりコンサ−トの前日である。残念ながら間違いなく雨。屋外は無理なので館内でセッティングをした。したといってもだいたいの検討をつけただけ。その後ムラマサ氏の地下に行き12時近くまで練習した。
 さて、練習が終わりみんな片づけを始めたとき、ムラマサ氏が一言、
「さて、曲を覚えなくてはいけないなぁ」
全員
「・・・・・・」

 今までのは何だったんだと聞くと、適当にあわせていたという。まぁそれだけ腕がいいのだろうが、このいい加減さが彼の特徴。彼はリ−ドギタ−なのでぶっつけ本番でもなんとかなるのだろうが・・・(汗)。

 さて、今回のメンバ−のギタ−がいろいろな意味ですごい。ちょっと紹介してみる。

Minokan メインボ−カル、サイドギタ−担当
キブソン、ハミングバ−ド70年代モデル
    ヤマハFG300S(スペア用)
プロマ−チン12弦ギタ−
Kobayashi サイドボ−カル、サイドギタ−、ハ−モニカ担当
     K・yairi D28モデル(当時10万円)
yamada  サイドボ−カル、メインギタ−、サイドギタ−担当
     K・yairi D45モデル(当時20万円)
Nakahima ベ−ス担当
     どこかのエレアコベ−ス
Muramasa リ−ドギタ−担当
     どこかの中国製ギタ−(当時一万円前後)

 そこで何がすごいのかというと、今をときめくK・yairiのD45モデルから中国製の一万円ギタ−が同じバンドの中で競いあうということである。しかもまったく違和感がないということ。ピックアップで音をとるのでどうでもいいことだとは思うが。

 ちなみに、ムラマサ氏の中国製ギタ−は今大学行っている長男が使っていたもので、ネックが折れていて、普通の木工用ボンドで接着してあるという、いつ壊れてもおかしくないギタ−である。さらにすごいのは、中学3年の次男と共同で使っている。
 この中3の次男、僕の娘と同級生で同じクラス。試験のたびに成績がよかったら新しいギタ−(中国製)を買ってやるとお母さんが言っているだが、いつも成績が悪いので買ってもらえない(笑)。
 かわいそうなので、今度のキダ−のリペアが成功したら一台あげるよと次男と約束するとすごく喜んでいた。成績がよかったらなぞというのは、僕の娘も全く一緒だが空手形と同じ(笑)。

 ムラマサ氏。昨夜の帰り際に俺のピックアップはどうしようと言う。えっとみんなが顔を合わせる。今までどうしていたのか、ミキサ−につないで練習していたはずだが・・・と、よく見るとムラマサ氏、いきなり中国製ギタ−のサウンドホ−ルに手を突っ込むと普通のボ−カルマイクを取り出した。・・・・これでやっていいたのか・・・。
 コンサ−トは明日である(汗)。ムラマサ氏いわく、明日誰かリサイクルショップで買ってきてくれと人事みたいに言う。まったく彼は大物である。
 するとベ−ス担当の中島氏、
「俺のオベイションのコピ−モデルが押入れの中にあるから、それを使えばいいよ」
 それを早く言えと全員一安心。彼にそのギタ−、弦はいつ換えたかと聞くと、しばらく考えいたが忘れたという。結果、弦だけは明日ハ−ドオフのリサイクルショップで買ってくるということになった。ほっとする。本当は3日くらい前に換えておいたほうがいいのだがとK・YairiD45所有の山田が言う。それじゃ山田のYairiの弦はいつ換えたんだと聞くと、今年の6月かなぁ・・・と言う。なんだか全員が似たようなものである。酒席での宴会にギタ−を弾くのりである(笑)。
 メンバ−全員が20数年ぶりのステ−ジである。しかし・・この年齢になると前夜だというのにまったく緊張感が無い。ま、こんなものか・・・年を隔てた分、度胸だけは据わっている(笑)。

2006/10/05(木) ギタ−貧乏物語 その二
 ギタ−貧乏といえば、中学生の頃弦が今ほど安くはなかった。今と違い、弾く時間はかなりのものですぐに弦が駄目になる。しかし金がないので買えない。そこである本に書いてあったスチ−ル弦復活方法をよくやった。
 まず古い弦を丁寧にはずし、一本一本軽くまるめて、沸騰したなべの中で5分ほど煮沸する。次に丁寧に一本一本水気をふき取り、乾燥後にろうそくを塗るというもの。
 たしかに一回は有効である。弦の金属音がよみがえるのだ。しかし2回目以降はかなり効果が落ちる。これを当時は4回くらいやった(笑)。
 今でも弦を張った後に余っている余分な長さを切ることができないのはたぶんこの当時のことが頭にあるのだろう。  

 もうひとつ貧乏方法。ギタ−弾きなら分かると思うがよく切れる弦は3弦である。次に1弦。1弦はどうしようもないが、3弦が切れた場合は応急処置の方法がある。つまり2弦のところに3弦を張るのだ。2弦はそう簡単にはきれない。だから2弦を伸ばして本来の3弦ところに張る。つまり余った弦を巻き軸のところでカットしてしまうとこの方法ができなくなるわけである。

 今回久しぶりにその方法でやってみた。チュ−ニングのときにちょっと注意が必要であるが(笑)。まさに貧乏がなせる技である。

2006/10/04(水) ギタ−貧乏物語 その一
 今でこそ中古だろうが中国製だろうが、ギタ−なんぞは簡単に手に入るようになったが、昔はギタ−は高級品。親にねだるのもそう簡単にはいかなかった。僕の場合は兄や姉がいたからまだいいほうで、欲しくても買えない友達は夏休みの工作でギタ−もどきを作ってしまった。材料はそのへんに転がっている端材なので、恐らく杉だとおもうが、ボディは見事に本物のベニア。ネックのフレッドは釘を叩いて平らにしたもの。スチ−ル弦は張れないのでガット弦じゃなくて・・ナイロン弦。一応音は出た。ドレミファソラシドはなんとかできた。ただしチュ−ニングはいい加減。キィは当然ながらかなり低い。
 この友達は後に転校していくことになるが、僕の家にあるギタ−を参考にするために毎日のように遊びに来た。彼は河原者といわれた家族で、工事を渡り歩く親父の息子だ。その頃の子供達にも当然いじめはあり、この友達はいじめられた。もちろん今のような陰湿ないじめではないが。僕はそういうことには無頓着であり、むしろそういう子ども達のほうが本当の友達だったような気がする。
 帰りが遅くなると僕の家族は夕飯を一緒に食べていけと勧めたし、おやつなども一緒に食べた。彼にとって我が家は居心地のいい場所だったのだろう。
 転校していったのは小学校6年生のころだったと思う。彼にはふたつ下の妹がいて、けっこうかわいかった。この兄妹と一緒によく遊んだ。この妹が歌がうまくよく音楽の教科書に載っている歌を唄っていた。兄妹ともに音楽が好きだったのだろう。
 夕方、すぐ近くの信濃川の河原で真っ赤に燃える空を見ながら3人で山田耕作の「赤とんぼ」を唄った。僕としては一番叙情的な思い出である。
 転校する前日、家族全員で我が家に挨拶に来た。お袋はすぐに台所に引っ込むと、布袋に包まれた重い物を渡した。たぶんそれは米だったのだと思う。
 翌朝駅に見送りに行くからと汽車の時間まで聞いたのに、なぜか僕は行かなかった。どうしてなのか今は思い出せないが、なんとなく見送ることが恥ずかしかったのかもしれない。
 今、自分がギタ−のリペアなどと称して、素人修理をやっているとき、ふとあの兄妹を思い出すのだ。あいつらは今どうしているのだろうかと。手先が器用だった兄、歌のうまかった妹。この二人は僕の思い出の引き出しの奥に大切に納まっている。特にかわいかった妹の面影は初恋のような甘酸っぱい思い出として残っている。見送りに行かなかったことも、後ろめたさとして心に残っている。
 稲刈りの終る頃の季節、ちょうど今頃の夕焼けの空を見るとあの子の唄った「赤とんぼ」の歌が聞こえてくる。

2006/10/03(火) 超人ムラマサ氏の残していったもの
 12弦ギタ−のマ−チン、なんとかリペアが終った。あとは弦を張るだけだ、と思っていると夕方息子の携帯よりTEL、今○○楽器に来ているんだけど、何か要るものある?」と。渡りに船、以心伝心さすがに親子とばかりに12弦ギタ−のセットものの弦を頼んだ。ところが自宅に戻ると、金が足らなくて買えなかったという。
 息子いわく弦の数が倍なので、価格も倍だと思ったら、3倍もしたという。なるほど、なるほと。で、いくら足りなかったかというとわずか100円。
 このギタ−のリペア結果を見たいと超人ムラマサ氏が突然の来日。リペア用に100円ショップで買った突っ張り棒を見ると、何に使うんだと聞くので、ブレ−ジングの内部固定に使おうと思ったけど、長くて切って使おうと思って、と説明すると、俺にまかせておけといいながら車の中からカッタ−等々の大型電動工具を運び出した。しばらくして「出来たぜ」とばかり持ってきて、ギタ−の内部に入れたり出したりして帰る。
 彼が残した4本の突っ張り棒、よくよく見るとなにやらマジックで文字が・・・Cランク、Aランク・・。早速自分でも使ってみる。う・・なるほど、たしかに(笑)。使いやすいものはAランク、使いにくいものにはCランクと書いてある。
 彼が帰り際に残した言葉、
「リペアするにはまだまだ道具が必要だなぁ・・」

2006/10/02(月) プロマ−チンのリペア
 月あかりコンサ−トに間に合わせろというムラマサ氏の命令により、本日さっそくリペアを開始。
 まずはブリッジ部のふくらみを平らにするために、鏡を100円ショップで手ごろな大きさのものを物色。
 次に電気の球、これは以前暗室に使っていたものの玉を40Wに交換、これを鏡と一緒に入れて、ブレ−ジングの隙間に注射器でタイトボンドを注入。鏡には手が逆になって見えるので四苦八苦。
 その後ムラマサ氏製作の必殺リペアマシンを使い、画像のようにして一日置くことにする。電気の球は100Wに交換、とりあえず日中のみ電気を入れたり切ったり。この熱により木材のそりを直そうというもの。内部には3箇所割り箸でつっかえ棒をしてフレ−ジングを固定している。
 これで駄目なら裏のバックをはずさなくてはいけない。そうなると、とてもコンサ−トには間に合わない。乾燥を考えると最低5日間必要だ。 

2006/10/01(日) またまた12弦ギタ−
 たまには家のことをと親父の手伝いをした。というのは嘘で、本当に手伝ったのは子供達。コンクリ−トを練って田のあぜを補強したのである。僕の手伝ったのは、ホ−ムセンタ−にセメントを買いに行っただけ(笑)。親父は孫の手伝いに喜んでいた。
 午後、じゃ本格的に手伝おうかと思っていたら、超人ムラマサ氏よりTEL。12弦ギタ−のジャンクがあるけど、またリペアしないかということである。しかも次の言葉に僕は小躍りした。マ−チンの12弦ギタ−だというのだ。今Yが来ているから来いという。いくいくと二つ返事ですっ飛んでいく。
 さて、マ−チンの12弦ギタ−にご対面である。おっと・・・たしかにマ−チンである。間違いない。しかもマ−チンよりすごい。プロの使うマ−チンである。いわゆるProMatin。ま、人生とはこんなものである。
 間違いなくマ−チンだろうとにやにやしてムラマサ氏。たしかに・・・・。間違いはない。
 この12弦ギタ−、Y氏が地元の楽器屋の倉庫に売れないで眠っていたのをいくらでもいいかと安く譲ってもらったものだという。しかし、いくらも使わないうちにブリッジが浮いてきたという。仕方ないのでケ−スに入れておいておいたら、そのまま忘れてしまっていたが、僕のこのブログを見て、ふと思い出し、ケ−スを開けたら、まだそのまま入っていたので持ってきたのだという。
 それにしても、ネット恐るべしである。意外な人がこのブログを見ているものである。おかげでまた12弦ギタ−が手に入った。もちろんジャンクではあるが。なにしろマ−チンだ。よく本家のマ−チンがこの名前を許したものだと思う。
 さて、夜になりさっそくブリッジを仔細に観察。かなり浮いていて、このまま接着するのは難しい。同時にボディも浮いていて、サウンドホ−ルから手を入れてみると内部のブレ−ジングも半分剥離している。とりあえずブリッジを剥離させようとブリッジの浮いた隙間から熱湯を少しずついれながら、スクレイパ−とパレットナイフの代用品で周りから攻めてみると、思ったより簡単に剥離できた。
 これからどうするか、むむ・・・。ここはネットだ。以前ブックマ−クに保存しておいたリペアサイトをあちこちと見る。バックをばらしていくやり方と、内部に豆電球を入れて鏡で見ながらやるやり方がある。バックをばらすのは難しいし手間もかかるが、鏡でやるのも実に大変そうである。今晩じっくりと考えてみよう。
 女房はまたまた始めた亭主の道楽にあきれ果てている。カメラの次はパソコンで、今度はギタ−か・・・とため息。他の趣味と違いジャンク修理癖は物が増えていくので結果が残る。この結果はどうも女房の前では分が悪い。ジャンクなのでお金はそれほどかけていないのだが・・でも結構かけているか(笑)。


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