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2006/10/24(火)
地震から2年
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忘れていたが、あの中越地震から2年である。時間は夕方5時55分。珍しく早く帰宅したばかり。母とあんぼ作りの会話をしていたら、突然の縦揺れ、最初ガツンときた。すごい力である。そのあと横揺れ。立っていられなくて柱につかまりしゃがみこんだ。ものすごい揺れである。それは瞬間なのだがなぜか長い時間に感じた。僕の頭の中に走馬灯のようにいろいろな思いが駆け巡った。家はこれでつぶれる、どうしよう。それは絶望感に近いものだった。そして次に来たのは開き直りである。まぁ人生、残りわずかでも0からの再出発も悪くないなぁ。増築、改装の借金が残っているからマイナスからのスタ−トか・・・。震災にあっても謝金はチャラにならないよなぁ・・などと考えていたのである。 とりあえず一回目の揺れが収まると、当時中学一年だった娘が3階から駆け下りてきた。「すごいかった〜!!」などと半分楽しそうにである。 とりあえずみんな外へ出ろという事で、出てみると近所の友達の家に遊びに行っていた息子が帰ってきた。これも興奮気味である。でもなんだか楽しそうだ(笑)。 娘をよく見るとなぜか箸を握っている。おまえ、何をやっていたんだ?と聞くと、 「お腹すいたので納豆で御飯を食べてた」 みんなで大爆笑である。 近所の人もみんな外の空き地に集まってきた。近所の大工さんが電池のラジオをつけながらやってきた。このおかげでみんなが情報を知ることが出来た。どうやら小千谷市、川口町周辺が震源地らしい。震度7の強だったと思う。川口町といえばここから車で40分くらいである。 またしばらくすると、女房が車に乗って帰ったきた。家族の安全を確認すると、じゃ病院に戻るね、たぶん病院は大忙しだと思うからと車から降りもせずにとんぼ返りした。さすが・・・看護師、プロである。このときは感心した。医療に携わるものとして地震=震災者=けが人=救急医療とすぐに結びつくのだ。 しばらくて、もう一人家族がいないことに気がつく。シャム猫のチンタだ。親父と二人で家の中に探しに行く。玄関に入ったとたんにグラグラグラ!!! 余震とも本震ともつかない大きな揺れである。びっくりして又とび出す。それを2回繰り返した。 それから何回も余震があった。夕飯の準備時だったのだが、ガス等による火事も幸いにしてこの町ではなかった。それが不思議なくらいである。翌日からガス会社がお得意さんの家をすべて回ったみたいである。後で聞いた話だが、ガス爆発はなかったが、ガスの配管からのガス漏れはずいぶんあったらしい。これで火災がなかったのが不思議なくらいであると。 あれから1年くらいはさすがの僕も地震ノイロ−ゼみたいだった。風が吹いてがたんと軽く音がしても、ドキッとするのだ。家がゆれてもいないのに揺れを感じた見たりと。家族の会話が「今ゆれた?」「いやゆれていない」「ゆれたよ、絶対に」などになる。この町の人全体がノイロ−ゼになっていた。 パソコンの回線はADSLだが、自宅はNTTフレッツで問題なくつながるのに、なぜか仕事場の回線はつながらない。こちらはyahooBBである。どうしてかとyahooに問い合わせると 「安全の確認が取れしだいに復旧作業に向います」 という事だった。これには頭にきた。思わず 「こっちは安全の確認もとれない危ない場所に今現在住んでいるんだよ!!NTTは使えるのになんでyahooはつながらないんだよ!いざというとき使えないパソコン回線なんぞ意味がないからキャンセル、やめさせてもらいます」 これに対し、yahooの受付嬢は大慌てで、弁解めいた事をいうのだが、、と、その時とんでもない大きな余震がきた。 「あっちょっとまって、今大きな余震が・・・・」 これでキャンセルが決まった。yahooの人も大慌てで、大丈夫ですか、大丈夫ですかと繰り返す。 「了解しました。それではそのように手続きをとらせていただきます」
これは後で聞いて納得した事だが、yahooはNTTより回線を借りているために、災害非常事態になるとNTTは貸している回線を一旦ストップして非常臨時電話回線にまわすらしい。そのために落ち着くまではyahooなどの回線が一時遮断されるらしい。これは契約時にそういう契約になっているという。
地震、この地方では恐らく歴史上まれにみる大地震なのだが、友達の学芸員に言わせると当たり前らしい。つまり平野部に突然現れる大きな川は過去の地震や地殻変動により地上に亀裂段差がおこり、そこに水が集まり川になったのだという。信濃川はその典型的な断層であり、松之山方面が盛り上り、反対側が河岸段丘になっていることからも推測できる。もし自然と発生した川であれば、松之山方面も河岸段丘になっていなくてはならない。しかももうひとつの川、魚野川もしかりである。この二つの断層のふたつがぶつかる場所は川口町、小千谷市というわけである。 地震学会の一部の派閥はここをしっかりと研究していたらしい。しかし中央の学会では、富士山の火山活動などを研究して、とにかく人口の多いところの地震、東海大地震、関東大地震を想定しての研究、観測が中心となり、地方はあまり関心がないという風潮だたという。 あれから2年、もう地震の心配もない・・・といいきれるだろうか。気持ちの上では、これだけ大きな地震がきたのだから当分は大丈夫だろうと思うが・・。そのことを学芸員に聞いてみると、一般的には大丈夫である。プレ−トとプレ−トがぶつかり地震が発生するとしたらぶつかることでプレ−トが組み合わされてしばらくはないと思うと。ただそのしばらくがどれくらいなのかは何とも言えないとも。 我が家で唯一残されている中越地震の証明写真がこれである。息子の部屋の目覚まし時計。地震のときに机の上から落ちて止まったままである。この時計の針の示す時刻がすなわち中越地震の時間である。
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