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2006/10/27(金)
拓郎
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先日NHKでやっていた拓郎とかぐや姫の嬬恋のライブの模様を思い出している。観客は中高年のおじさん、おばさん。みんな当時は青少年だった。 僕が初めて拓郎を聞いたのは中学一年のとき。「人間なんて」というエリックレコ−ドのLPだった。これは姉が買ったもので、どういうわけか姉はあまり聞かず、まるで僕が聞いていた。拓郎がまさに僕の青春時代の始まりだったのである。 中学2年だったと思うが、今度は兄が「元気です」というアルバムを買ってきた。これも兄よりも僕がまるで聞いていた。SONYに移籍したアルバムで、それまでの拓郎のアルパムと比べるとまるで音が洗練されていた。後に知ったが、石川鷹彦が全面的に参加しているということである。あのギタ−テクニックをなんとかものにしたいと頑張ったものである。 その頃からだろうか、僕自身歌を作り始めた。詩を書き、メロディ−をつけていく一連の作業は僕を夢中にさせた。同時に詩にも興味がでて、いろいろな詩人の詩集を文庫本で買ってよみあさった。 中学2年の秋に僕は友達と二人で家出の真似事をした。二泊三日の予定で家には書置きをしていった。学校には病欠にしておいてほしいと書いたのだった。だから4日後には普通にまた学校に行こうと考えていた。ところが友人の家族は事情が違っていた。大騒ぎである。結果は僕がすべて悪者になった。僕が友人を誘ったのだということですべてが処理された。ちょっと悔しかった。僕は家族との信頼関係があったので家の人はそれほど心配しなかったが、相手方の母親がすごかった。おかけで僕はすっかり不良のレッテルをはられた。今でも拓郎の「ともだち」という歌を聴くとあの頃の想いがよみがえってくる。 ギタ−を弾く不良少年は、無事に中学を卒業すると隣町の高校に通うことになる。地元の高校に行かなかったのは、兄の友達であるギタ−のうまい人がそこの卒業生だったからである。その人にあこがれて僕は高校を選択しただけである。結果は3年生になると僕が音楽クラブの部長になるわけだが、前回の月あかりコンサ−トではそのときの後輩の女の子(今ではおばさんだが)と知り合えて懐かしかった。 汽車通学だったことはその後の僕の生き方にかなり影響を与えている。往復一時間の時間は僕の思想タイムであり、読書タイムであった。汽車に揺られながら曲を作ったこともある。家出の真似事をしたような少年には、この汽車にのるということは充分に満足させるものだったのである。 さて、あれこれと思い出しながらNHKの拓郎の番組を見ていたわけだが、なつかしいという思いはあまりない。なぜなら一連の曲は今でも僕はときどき歌っているからである。いつでもそこにあの頃の拓郎やかぐや姫がいるのだ。それは60歳の還暦を迎えた拓郎ではない。口を曲げながら「イメ−ジの唄」を唄う拓郎である。その点が他の人たちとちょっと違うなぁと感じた。 青春などというとちょっと気恥ずかしいが、結局は未完成な美しさじゃないかと思う。何事もそうだが完成したものはそこで終わりである。完成しきれないもどかしさ、届かない思い、社会への反抗、未成熟な性、そういうものが僕は青春だと思う。少なくとも僕にとっては美しいものではなかったと思う。あの頃に戻りたいとも思わない。不良少年のレッテルをはられたときの気持ちは、なんともいえない思い出だからである。 拓郎の「元気です」に収められている「リンゴ」、この曲はたぶん石川鷹彦だとおもうが、すごい演奏である。あの頃はたしかクロスオ−バ−ピッキングなどと言ったと思う。ときどき唄うのだが、拓郎と言うとこの曲だけがなぜか最初に浮かんでくる。
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