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2006/11/30(木) 忘年会の時期に
 あちこちで忘年会が盛んである。僕自身いろいろなことに顔を出していると当然忘年会のお誘いが多いのだが、今年はかなり控えめである。従兄弟が亡くなっているからであるが、それでも3つくらいは忘年会に出席の予定である。
 この忘年会に必ず持っていくのがアコギである。このアコギ、音源がなくともどこでも使えるというのがいい。エレキだとそうはいかない。当たり前のことなのだが、この当たり前のことに感心してしまうことが実に不自然である。
 宴会用のギタ−はまず音がでかいことが第一条件である。繊細な音はどうでもいい。何しろやるほうもよっぱらい、聞くほうもよっぱらいである。
 やる歌も演歌から昔のフォ−クソング、はたまたなつかしの御三家の歌謡曲まで盛りだくさん。まずジャンルは関係ない。リクエストがあれば乗りでなんでも歌う。友人から生きたジュ−クボックスと呼ばれている。ただし歌詞は一番しかほとんど覚えていないので、それで次の曲にいく(笑)。酔っ払いだからこれでちょうどいい。
 忘年会、昔はすべて午前様だったが、最近はそういうことはない。ちゃんと家に帰ってくる。バカみたいな飲み方はしなくなった。年である(笑)。

2006/11/29(水) 加川 良のこと
 詩を書かなくなってから何年になるだろうか。最後に書いた詩で歌を作ったのは23才くらいだろうか。そんなことをギタ−を持ちながらふと考えたのは、加川良という人を思い出したからである。彼の影響はずいぶん受けている。
 初めて彼の歌を聴いたのは、忘れもしないムラマサさんの家である。当時の彼の家は、ちょうど信濃川をはさんで僕の家と向いにあるのだが、小学校が違うせいか高校生のころまでほとんど付き合いがなかった。夜中の1時ごろ、なぜか彼の部屋にいて、カセットテ−プから流れた曲が「戦争をしましょう」という曲だった。これは結構頭にガツンときた。そして、そのテ−プをダビングさせてもらい、すべての歌をコピ−した。
 加川良の名曲はいろいろあるが、代表的なのは「教訓U」である。どうしてUなのか分からないけど、とにかくこの歌は今でも時々唄う。カ−タ−ファミリ−などの曲を日本語訳でコピ−していて、バンジョ−の響きが新鮮であった。
 今回突然聞きたくなったのは「下宿屋」である。この曲はほとんどが詩の朗読である。今まで何回も聞いているが、不思議なことに手元にはCDもカセットも残っていない。
 この歌を聴くとき、なつかしい松本零児の「男おいどん」も同時に思い出す。古きよき時代というところであろうか。いわゆる四畳半フォ−クの全盛時代、「神田川」はもちろんのこと「赤色エレジ−」などの貧乏臭いことが、ひとつのステ−タス?だった時代があったわけである。
 この「下宿屋」はそんな代表的な歌でもあろう。この詩のモデルは高田渡ということらしい。
 そんなことより、四畳半の世界は僕の高校生の頃にはもちろんすでにそういうものは古く、兄の影響でそういうものにあこがれてはいたという程度である。


   下宿屋  加川 良

   京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで
   丘の上の下宿屋はいつも ふるえていました
   僕はだれかの 笑い顔が見られることより
   うつむきかげんの彼を 見つけたかったんです

   ひもじい気持ちも あまりに寒いせいか 感じなかったようです
   ただ たたみの上で 寝ころびたかったんです
   やさしすぎる 話のうますぎる 彼らの中にいるより
   うすぎたないカーテンのむこうの 裸電球の下に すわりたかったんです

   彼はいつも誰かと そして何かを待っていた様子で
   ガラス戸がふるえるだけでも 「ハイ」って答えてました
   その歯切れのいい言葉は あの部屋の中にいつまでも残っていたし
   暗やみで何かを待ちつづけていた姿に 彼の唄を見たんです

   湯のみ茶わんにお湯を いっぱいいれてくれて
   「そこの角砂糖でもかじったら」 って言ってくれました
   その時「ありがとう」と答えて うつむいたのは
   胸が痛み出したことと 僕自身の後ろめたさと・・・

   かわききったギターの音が 彼の生活で
   そして 湿気の中にただひとつ ラーメンのこうばしさが唄ってたみたいです
   不精ひげの中から ため息が少し聞こえたんですが
   僕にはそれが 唄のように聞こえたんです

   ※一杯呑み屋を 出てゆくあんたに
    むなしい気持ちが わかるなら
    汚れた手のひら 返してみたって
    仕方ないことさ
    あせって走ることはないよ
    待ちつかれて みることさ
    ため息ついても 聞こえはしないよ
    それが 唄なんだ

   僕が歩こうとする道にはいつも 彼の影が映ってたみたいです
   小さな影でしたが 誰だってその中に入りこめたんです
   それから 彼の親父が 酔いどれ詩人だったことを知り
   今僕が こうしてるから 彼こそ本当の詩人なのだと言いきれるのです

   新しいお湯が シュンシュン鳴った時 ラーメンをつくってくれて
   そして ウッディやジャックを 聞かしてくれたんです
   それから僕が 岩井さんやシバ君と会えたのも
   すべて この部屋だったし すべて 僕には唄だったのです

   何がいいとか悪いとか そんなことじゃないんです
   たぶん僕は 死ぬまで彼になりきれないでしょうから
   ただその歯がゆさの中で 僕は信じるんです
   唄わないことが一番いいんだと 言える彼を

   ※(くりかえし)

2006/11/28(火) 宿泊
 地元のグリンピアに宿泊してきた。夜もバイキングだった。あれはいい仕組みである。朝のバイキングはどこでもやっているが、夜までバイキングというのはあまりない。
 朝食が7:30からなので、仕事に8:00までに入るのは結構忙しかったが、それでもなんとかなった。でもなんだかいろいろとあって疲れた。温泉につかりゆっくりできたはずなのだが・・・。

 これからいろいろなことがある。でもなんとかがんばっていかなくては。今まではぶつかってくる問題を解決していけばよかったが、この年齢になると、ぶつかってきたものを解決しないままに次のことを解決しなくてはいけない。そして解決できない問題を常に抱えて生きなくてはいけない。それが人生なのさと割り切って。

2006/11/27(月) ナイロン弦
 日曜日にハ−ドオフで買ってきたナイロン弦、安い!!。1
SET189円。もちろんmade in chinaである。これを2セット購入して、その後楽器屋さんでも1SET900円をひとつ買う。
 高いほうをヤマハに、安いほうをアリアに。どちらでも同じような気がする。どう違うのかよくわからない。made in chinaはスペアを2SET用意してある。何しろ安いからねぇ(笑)。
 よく見るとこのmade in chinaはMATSUOKAと書いてある。松岡良二と関係あるのかなぁなんて考えてしまった。別に名前はイエペスだろうがセゴビアだろうがどうでもいいのだが、安いのにこしたことはない。
 ギタ−が安くて弦が安くて、でも腕だけは高い・・・理想であるが。そういえばAsturias のTABをネットでみつけたが、これはちょっと耳コピとだいぶ違う。指が体操をしているようである。ちょっと無理かなと思う。う〜ん、腕も安くなってしまう(笑)。

2006/11/26(日) 100円ギタ−
 先日ヤフオクで落札したアリアのクラアコ、実はもう一軒ジャンクを保険代わりに入札しておいて忘れていた。ブリッジはがれのジャンク、ヤマハC−200である。入札金額200円。ところが初期価格の100円でそのまま落札してしまった。
 このギタ−が昨日届いてブリッジを圧着後一昼夜、本日弦を買ってきた。弾き比べてびっくりである。こんなにも音が違うものなのかと。もちろんヤマハの音しか知らなければそれで済んだのだが、アリアの単板を先に弾いていたので、ある面ではがっかり、ある面では予想通りというところ。
 結局ヤマハは息子の所有となった。100円とはいえ送料が1500円、ぱるる振込み手数料が120円なので、1720円ではあるが(汗)。

 

2006/11/25(土) Asturias
 クラシックギタ−が来てからどういうわけか趣味が変わった気がする。スケ−ルがブル−ノ−トからフラメンコ調に変わった。ナイロン弦もなかなかいいものである。
 このアリアのギタ−、結構気に入ってしまい、もっぱら自分専用となっている。本当は女房がやるはずなんだが、今夜はTVドラマ前編、後編と2夜連続で「氷点」があり、もっぱら女房はそちらに夢中。ギタ−どころではない(笑)。この三浦綾子の「氷点」は「続氷点」まで全部で4冊あり、数年前に読み直したので、TVはあまり面白くない。やはり原作を読んだほうが面白い。驚いたことに娘もすでにこれを読んでいた。面白かったと言っていた。

 さて、クラシックギタ−でもclassical gasがなんとかできるようになった。細かいニュアンスはまたぼちぼちやるとして、次の挑戦曲はAsturiasである。これはだいたいできるのだが、やはり耳コピでしかなく、細かいところはいまいちである。ネットで調べるとセゴベアの弾いている動画をみつけた。ふむふむという感じで目を皿にして見る。ほとんどは耳コピでやったのと同じであった。今度は譜面でも手に入れてと思う。
 昔も今もギタ−を上手に弾きたいという気持ちは同じだが、今は昔よりも動機が純粋である。ただただこの曲が弾きたいだけなのだ。若いときはかっこつけたいというよこしまな気持ちがあった。今はそれがない。音楽を本当に楽しむだけである。そのわりにはギタ−が沢山あるが(笑)。ギタ−リストが何はともあれ3人もいるのだから、あ・・・女房も入れて4人かな??(笑)。
 

2006/11/24(金) 朝寝坊のチロ
 この家で一番朝寝坊なのがチロである。みんなが起きたというのにいつまでも布団の中で寝ている。猫の学校にに遅れるよと言うのだが、まだもう少し眠ると言って、デジカメ撮影後にまた眠った。写真もまだねぼけまなこである。ちゃんと枕をして眠る。

2006/11/23(木) クラシックギタ−
 本日の午前中にヤフオクで落札したアリアのクラシックギタ−が届いた。弦は汚く、弦の下のボディはほこりまみれ。弦をとりはずし全体に拭き上げた後にエタノ−ルでさらに消毒。その後に新品の弦を張ろうとするが、はて、ガット弦はどうやるんだっけと、しばし悩む。しばらくしてやっと思い出した。何しろ30数年ぶりである。
すべて弦を張り変えると女房に見せる。
「あら、意外ときれいじゃない」
と一言。そりゃそうだろ磨き上げたんだからと心の中で。

 さて、練習するかと女房に渡すと、今日は疲れたからダメと予想通り。息子が帰ってくると、おっといいながらすぐに弾き始める。息子は、
「いいなぁ、これ・・・」
と一言。
次に娘が部屋から出てくる。
「あっ・・・」
そして兄から渡されたギタ−を弾き始める。何でも理科の先生がギタ−を弾くらしく、それと一緒だという。クラシックギタ−はたしかにみんな一緒に見える。
 で、その頃女房は・・・寝てる(笑)。

 やっと落ち着いたところで、ギタ−を仔細に観察。まずサウンドホ−ルの切り口、ん、????、みょうに厚みがある。手を入れて裏から触ると、ホ−ルのまわりだけ補強されている。さて、ル−ペでよく覗く。・・・・間違いなく単板である。やった・・・。じゃ音はいいのかというとよくわからない。何しろクラシックギタ−を弾くのは久しぶりで中学一年以来である。音の比較ができない。
 アリアのG−30という品番、これって当時3万円ってことかなぁと考える。まさか3千円ということはないと思うが(笑)。いつの時代のギタ−なのかも消息不明。落札価格は2000円也。

 息子が気に入ってしまい、classical gas のさわりばかり弾いている。なかなかいい音である。この曲、もともとクラシックの曲なのだから当たり前ではあるが。
 女房が目を覚ます。うまいじゃないと息子をほめた後、よかったらあげようか・・と一言。おいおい(笑)。


 

2006/11/22(水) アンプ
 さて、今月は金がないので、いろいろと自粛なのだが、夏にエアコンが壊れた。仕方なく大手の電気屋さんから新しく購入したために、先週、1パ−セントのサ−ビス券が届いた。800円分である。有効期限があるので、夜になり家族で出かける。
 女房と子どもは目的があるみたいだが、親父は何も目的がない。しょうがないので、いつものとおりハ−ド・オフに入る。まっすぐに楽器のところに行き、ひととおりチェック。次にカメラをチェック。なぜか相場より高い・・・・。
 ジャンクコ−ナ−に行きパソコンのパ−ツを見る、買うものなし。ふと頭を持ち上げると、棚の一番上にジャンクのエレキギタ−。ストラトか・・・とがっくり。注目なのはその横である。エレキのアンプが3台並んでいる。価格は全部税込み1050円。一台は音の出ない完全ジャンク。あとの2台は動作時音は出ましたというもの。この2台、10Wと20W、機能はディスト−ション、リバ−ブ付。迷わず20Wのほうを購入。
 家に帰り息子がすべてチェック。どこもこわれていないという。夜も9時を回っていたので、うるさいと女房に怒られる。たまたまヘッドフォンをサ−ビス券を使い購入したので、これを頭にはめて弾くと、あ〜久しぶりのディスト−ションの音。なんだかうまくなったような錯覚。
 結局このアンプは息子にとられて(いつものことではあるが)、息子のお下がりのアンプが親父のものに。ま、いいか、自分はこれからアコギ派だと納得。かくしてトニ−スミスの安物アンプは親父のエレアコ用となった。
 それにしても、昔自分が使っていたエルクの30Wアンプはどこに行ったのだろう。たぶん家人が捨てたのだろうと思いをめぐらせていると、地下に12弦ギタ−のジャンクが一台あることに気がついた。あれは・・・たしか駅前の喫茶店のマスタ−から昔に購入したもの。メ−カ−は忘れたが、あまり音がよくなかったような・・と思いつつ眠る。

2006/11/21(火) 幸せという名前の電車
 朝仕事に来るとき、いろいろな家の前を車で通り過ぎる。自宅から車で3分の距離だが、3通りの道を日変わりで走ることにしている。これは写真を撮るときのためで、それが癖になっている。
 田舎なので、いろいろな家の家族構成からその家の状態まで結構わかるのだが、ある家の前を通り過ぎると、その家のことを考える。その家の若い人たちのことはよくわからないが、年寄りの人生はよくわかる。ほとんど結果がきまっているからである。

 本日も通り過ぎたある家を考えた。じいさんは郵便局を定年になった80才前後、ばあさんは質素で家を守ってきた。今は悠々自適の年金暮らし。
 息子は二人、二人とも大学に出して都会で会社勤め。そのうちの一人はマレ−シアに出張中。
 そこで考える。この老夫婦の二人暮らし、健康状態は良好とは言いがたいわけで、どちらかが倒れたら、大変な状況になる。

 その家から3軒上の家、こちらは家族6人構成で、老夫婦、若手夫婦、そして小学校と保育園にかよう子ども二人。この家は典型的な田舎の家族である。ところが嫁姑問題なのかどうかわからないが、嫁さんが子どもを連れて2回くらい実家に帰っている。詳しいことは知らないが、どうも家族内部はあまりうまくいっていないようである。

 この両極端な家族の老夫婦を考えるとき、どちらが幸せなのだろうと今朝考えた。孫のいる老夫婦、二人暮らしの老夫婦。人生の終末を考えるときに、田舎ではこのどちらかの選択肢になる。
 おぎゃぁと生まれたときから、幸せという名前の人生の列車に乗り、人は人生の旅にでる。事故や病気などの理由で途中下車する人も沢山いる。人は人生という旅を楽しむために電車に乗っているのだろうか。ひとつだけはっきりしているのは、電車の終着駅は誰でも同じ死という場所である。

2006/11/20(月) ノ−ネ−ムギブソン
 一ヶ月くらい前に890円で落札したジャンクギタ−がある。ナット、ロッドカバ−、ペグがないもので、エンドピンも不ぞろいの間に合わせ、ボディはキズだらけ、トップ下部にすごく目立つ大きなキズあり。こんな状態だったので家人には内緒にしておいたが、今回安いペグを近くの楽器店にて購入して弦を張ってみた。 驚きである。キブソンよりもいい音である。ドンシャリでボリュ−ムがあり、恐らく数ある中でこいつが一番音がいいだろう。
 どういうわけかヘッドは塗りなおしてありノ−ネ−ムである。まさかギブソンではあるまいがと思いつつ、ホ−ルを覗くと、年号があり、51.8.5とある。間違いなく国産だろう。ラベルははがした後がある。
 本当はネ−ムを入れて偽者のギブソンj-55あたりに冗談でしちゃおうかと思っていたが、この音・・・すごくいい。こうなると逆に小細工はしたくない。
 トップは単板なのかとよく見ると、???よくわからない。合板の合わせ目が目立たないが、木目は奥まではいっていないようだ。ま、これだけ音がいいとどちらでもかまわない。それにしてもどこのメ−カ−なのだろうか、まったく不明である。仕上げはあまりよくない。ネックもやや広く手の小さい自分は親指で6弦を押さえるのがちょっときつい。
 これでclassical gasを弾くと、まるでクラプトンと同じ・・ような音が出る。弾いててなんだかうまくなったような錯覚をおこす。
 一番安く購入したものが一番いい音がでるという結果になっているが、これまた大当たりであろう。なんだかこればかり弾きそうである。ナットはプラスチックの黒いものをつけてあるが、牛骨を使えばもっといい音が出ると思う。今のところナットは両面テ−プで仮止めにしている。弦の高さをみようと思っていたからである。
 まったくギタ−というものは弾いてみなくてはわからないものである。
 

2006/11/19(日) ガットギタ−
 夜10時、珍しく女房が編み物などをして起きている。その横でなんとなく静かな音で僕がギタ−を弾いている。その横ではチロが仰向けみたいになって寝ている。秋の夜長である・・もう冬か。
 さて、そのあとウクレレを取り出して弾き始める。女房はウクレレの音っていいわねぇと言う。ギタ−もこういう音だったら私も教えてもらってもいいんだけどなぁ・・と。僕は・・・・。
 その後にガットギタ−いうのがあるんだけどと言うと、ウクレレと同じような音なのと聞いてきた。心の中で、しめた!と思う。ガットギタ−ならジャンクで500円くらいからあるよと言う。そんなに安いのと女房はびっくり。送料を入れて2000円くらいだけど。ただ音はそんなに期待できないよとも。
 さて、その後ヤフオクサ−フィ−ンである。あれこれと見ていく。どうやらその気になったようだ(笑)。僕は汚くてキズだらけのものを物色。つまり音を重視する。汚くても当時の価格が安いものはだめ。当時の価格が高くて、直せるジャンクで汚いものがいい。ところが女房は、きれいなのばかり見たがる。とうぜん価格は3000円以上はする。
 いろいろと見ていたが結局明日の夜に持ち越すことにする。一応計画は、女房が買う>飽きる>自分が使う、という事になるだろう。これは非常にいいことである(笑)。

2006/11/18(土) Layla
 毎日毎日これだ、Classical Gus 。これだけやればバカでも覚えると思うが、間違えるところはいつも同じ(笑)。
 娘が外国のサイトでクラプトンのライブ画像のレイラを見つけて喜んでいた。ベ−スの黒人がかっこいいというのだ。なんでレイラなんだかというと、NANAのマンガに出て来るそうである。そこで読ませてもらったら、たしかにあった。その中に、Laylaがなんで邦題で「いとしのレイラ」という陳腐なタイトルになるのかという話であった。たしかに自分もそう思う(笑)。
 中学のときラジオで初めて聴いてすごく感動した覚えがある。一ヶ月くらい誰が歌っているのか知らなかった(笑)。後に友達が聞いていて、クラプトンだと初めて知ったというお粗末な話である。特に最後のピアノソロが入るところがすごくいい。それからクラプトンとのお付き合いが始まったような気がする。

2006/11/17(金) Classical Gus
家に帰ると毎日毎日Classical Gusの練習である。何度も何度も聴く。微妙なところがわからないが、それでもなんとか先がみえてきた。
 秋になってから久しぶりに2曲新曲をマスタ−したことになる。一曲はこのClassical Gusだが、もうひとつはAnjiである。ピッキングの代表的みたいなこの2曲、いい曲だということもあるが、聴くより自分で弾いたほうが楽しい2曲である。
 さて、なんとか息子よりも早くマスタ−しそうである。でも考えてみればあたりまえだ。アルペジオの基本ができていない息子にはかなりきつい曲だろう。
 昔僕が若いときはにどうやってギタ−を覚えたかを振り返ってみると、あの頃のほうが恵まれていたような気がする。拓郎、陽水、かぐや姫などの一連のフォ-クソングは、ピッキングやストロ-クのやさしい基本がすべてあった。それを自然とコピ−していたわけである。今の時代をみわたすと、とびぬけたスタ−がいない。みんな五十歩百歩である。
 Classical Gus、あともう少しだ。でもやはり年なのだろうなぁ(笑)。昔より覚えが悪いのを確かに感じる。

2006/11/16(木) ムラマサ氏のモ−リス
今夜はOld Boysの練習日だ。とはいっても3人しか集まらなかった。不思議なことに今夜は3人ともアコギの000スタイルのギタ−である。
 自分はカワイのジャンク修理品、もう一人はヤイリのD−45モデルを持っている奴だが、最近ハ−ドオフで6000円で購入したセピアクル−の000のブラックサンバ−ストモデル。
 そんなことを話していたら、いきなり現れたムラマサ氏、なんとソフトケ-スに入ったギタ−を持ってきた。そのケ-スには偉そうにモ−リスとロゴが入っている。ムラマサ氏は嬉しそうにケ-スからギタ−を出すと、買ったんだと一言。出てきたギタ−はこれまた000スタイルの赤のサンバ−スト。なんで今日は000ばかりなのだろう(笑)。
 昔僕はこの000のスタイルがあまり好きではなかった。ショルダ−スクエア−のジャンボを当時はウェスタンギタ−といい、こちらのほうが好きだった。これに対して000スタイルのほうをフォ−クギタ−という言い方をしていた。当時主流のミュ−ジシャンはほとんどウェスタンギタ−で、000のモデルを使っていたのは森山良子くらいではなかったろうか。ただし森山良子は000でも本家マ−チンであった。また00モデルもよく使っていた気がする。
 さて、ムラマサ氏のモ−リス、サウンドホ−ルを覗くと120という番号である。あれ??安いと思ったら、ムラマサ氏、今のは品番で価格が分からないんだぞと自慢げに言う。なんでも現行品で友達から一万円で購入したらしい。正式な価格はこの番号に3をかけたものがほぼ販売価格になるという。そうすると3万5千円くらいである。
 早速弾かせていただく。なかなかいい音である。しかし、ムラマサ氏も自分で言っていたが、ピッキングはいいけど、コ-ドを弾いたときの和音のまとまりがイマイチである。しかし、まぁムラマサ氏が買ったということはこの町のこの業界では結構ニュ-スになるだろう(笑)。

2006/11/15(水) 晩秋
 季節はすでに積雪を待つようになった。山間部の紅葉も終わり、平野部の紅葉も終わりに近づいている。高山はもう二度ほど白くなった。あの白い山がだんだんと里に近づいてきて初雪が降る。
 今年の雪はどうだろう。天気予報の長期予報は暖冬という結果である。しかし、昨年度もそういう予報だったような気がする。まったくあてにならない。あの中越地震から2年、そして3年目の冬を迎える。経験豊かなお年よりは災害の後は3年大雪が続くという。あと一年だ。今年も降るものだと思っていたほうがいい。
 20年ほど前、この町に二つあるスキ-場は12月に入るといつも雪を待っていた。オ-プンが12月10日前後で正月の掻き入れ時が勝負であった。今はどうだろうか、雪などはあってもなくても同じような気がする。スキ−人口が減っているのだ。むしろ雪が振らない方がリフトを稼動しなくていい分経費が削減できるのではと要らぬ心配をしてしまう。
 我が家の子ども達が小学校まではよくスキ-場に連れて行った。雪国に生まれてスキ-も滑れないようでは恥ずかしいことだと思ったからだ。その頃はすでにスキ−ではなくスノ−ボ−ドが主流であった。若者はすべてスノボ−、スキ−に乗っているのは子供連れの家族か、とんでもなくスキ−が上手なおじさんしかいなかった。
 とりあえず子ども達が普通に滑れるようになると、親の役目は終わった。同時に子離れ親離れの時期でもあった。スキ−も親は送迎だけで、子ども達は友達と行くだけになった。中学になると部活が忙しくなりまったくスキ−には行っていない。
 
 昨夜女房殿が、クリスマスパ−ティ−に行かないかと言った。なんでも地元の昔からの老舗バンドがベンチャ−ズやグル−プサウンズなどを演奏するバイキング形式のパ−ティ−らしい。毎年行なっていて、会費は7000円という。
 もちろん行かない。自分達が演奏したいくらいである。7000円あればアリアのギタ−のペグが交換できるなぁと頭の中で計算した。このパ−チイ−、演奏の曲目が曲目だけに結構僕らの世代より年配の人たちが行くらしい。団塊の世代くらいだろうか。結局女房は友達と行くことにしたらしい。

2006/11/14(火) 酒と涙と男と音楽
 東京にいたとき、よく赤提灯で飲んだものである。あの赤い提灯の灯りにはどうも自分は弱い。熱々のコップ酒でつつくおでんはふるさとの味がした。屋台のおやじが新潟の人だったりして、酒がますますうまい。まるで演歌の世界である(笑)。
 そういえば憂歌団の歌に「ザ・エン歌」というのがある。あの歌の2番の歌詞に「赤いパンツがさざなみにゆられて歩く、夜空に咲いた花もひらひらと、昔のことは桃太郎、それともやっぱり金太郎」というのがあり、まじめに聞いていたら意味がまっくわからず耳コピで苦労した覚えがある。たまに唄ったりしているが、このボ-カルは逆立ちしても真似ができない(笑)。天使のダミ声、このボ-カルがあるがゆえに憂歌団なんだと再認識。
 シカゴバウンドを聴いていたら女房が、この歌誰?と眉間に皺を寄せていった。憂歌団、天使のだみ声と言ったら納得の行かない顔をしていた。あ、ボトルネック専用ギタ−を作ろう。思い出した。ワインのボトルもカットして。ま、別に作らなくても12弦ギタ−はすでに専用のギタ−があるか(笑)。
 ボトルネックも金属の専用のものが市販されているが、どうもガラス製のほうが音がいいような気がする。
 憂歌団といえば、いろいろな歌をやっているが「石狩挽歌」などを聴くと、演歌もブル−スも同じじゃないかと思えてくる。ただし天使のダミ声じゃないとだめだろう。
 僕の友達に、ふだんジミヘンだクラプトンだと言ってるくせにカラオケに行くと藤圭子の「夢は夜ひらく」しか歌わない男がいる。彼の18番である。ただしへたくそである。他の誰かがこの歌を唄うと怒る。
 そういえば最近カラオケハウスが新しくこの町にOPENした。昔はよく仲間で一杯ひっかけてカラオケハウスに行った。行くと閉店まで唄いまくる。節度がない仲間である。一人が10曲くらい予約を入れるので遠慮していると自分の番がまったくこない。だから友達が歌っているうちに割り込みをする。そうするとまた誰かが割り込む。予約はまっく用をなさない(笑)。そのカラオケハウスは今はつぶれてしまったが。
 スナックなどでカラオケを歌うと、飲み代よりカラオケ代が高くつく。飲み代などはボトルをキ-プして仲間で割り勘にすると一人1000円くらい。ところがなぜか一人4000円くらいになる。ほとんどカラオケ代である。一曲300円以上なのだろう。
 酒を飲むといえば、最近は焼酎がほとんど。これからの時期はお湯割りである。翌日に残らないのがいい。晩酌というものはしない。飲むのは布団に入る頃、いわゆる寝酒である。ただしボトルを枕もとにおくと飲みすぎるのでコップに入れて持ってくる。つまみはない。つまみがわりに本を一冊。ところがこの時間にチロが待ち構えている。遊んでくれとせがむのだ。
 今夜はあまりにもチロがはしゃぎすぎて、焼酎のお湯割りの中に前足がズボンと入った。あ、、、と言いつつ気にせずにそのコップに口をつける。チロはびっくりして前足をなめなめしている。チロも寝酒である。今夜の遊びはこれでおしまい。就寝。

2006/11/13(月) 一握りの・・
 「人は一握りのほんのささやかな楽しみがあれば生きていけるのである」と何かの本であったような気がする。たとえば遊郭に売られた女でも、ひと夏咲いた朝顔の花に慰められたというようなことがある。
 自分の場合は何かと考えてみる。消去法でひとつひとつ消していくと、やはり最後は音楽であるような気がする。いい曲を聴くと心が躍る。それだけでいいような気もする。そこにはロックもクラシックも演歌もない。ジャンルという壁を取り払ってみると自由になれる気がする。
 子どもの頃よく聞こえてきた美空ひばりの歌は、やはり好きだし、三橋美智也も好きだ。ジャズもいいと思うし、モ-ツアルトは最高である。
 娘がメンデルスゾ−ンを聞きながら冗談でタクトを振っている。タクトの棒は編み物の棒である。その棒の先をチロの目が追う。平和である。
 そんな夜、従兄弟が先日自殺したことを思い出す。ノイロ-ゼだった。自分はどうだろうと考える。つらいときや苦しいときにはいつもギタ−を弾いていた。そのときの自分に合う歌を捜し、そして唄った。死にたいと思ったことは一度だけある。あれは初冬だった。みぞれ混じりの冷たい雨の中、町をさまよい歩いた。どこからともなく聞こえてくるクリスマスソングが僕を正気に返してくれた。
 死んでしまえば何にもならないんだよと言う事は簡単だ。死ぬ気になれば何でもできると言う事も簡単だ。
 今年もまた昨年と同じく正月とお祭りができなくなった。熱帯魚のエンゼルフィッシュが卵を沢山産みつけた。育たないのは分かっていても一生懸命卵を守っている。死んでいくもの、生まれてくるもの、一体幾つの命がこの瞬間に絶たれて、そして生まれてくるのだろうか。
 寝酒に焼酎を飲んだ。女房が以前に「何か面白いことないかしらねぇ」と言ったことを思い出す。頭の中が妙に湿っぽい夜、チロを抱いて寝た。命の温かさを感じた。


 

2006/11/12(日) 猫の・・
猫のマァフィア発見。
奥でくつろいでいるのが親分。となりが姉御。手前が一番番頭。

2006/11/11(土) 譜面とTAB譜
 息子が突然クラプトンの「Classical Gas」をやり始めた。ピッキングの基本がまだできていないのにちょっとまだ無理だろうと思ったら、さわりの部分をけっこうやっている。よく見るとTAB譜を見ている。
 どこから持ってきたかと聞くと、外国のサイトにあるそうである。著作権はどうなっているんだろう?まぁとにかく俺にも一部印刷してくれというとすぐに印刷してもって来た。息子はTAB譜を探すのが得意である。外国の曲のあれが欲しいというとすぐに印刷してくる。どうなっているんだろう。

 さて、パソコンのHDDに保存してある曲を聞きながらTAB譜とにらめっこ。最初は目を離すとどこをやっているのかがまったくわからなかった。こういうときは譜面のほうが視覚的にわかりやすいなぁと思いながら、何度も何度も聞きながら見比べる。そして3日目の夜、つまり今晩、やっと見切った。全部で5つのパタ−ンである。難所は2箇所。
 それにしても息子にはこの曲はきびしいだろう。けど黙っている。難しいのに挑戦することはいいことである。そのまえに親父がまず弾けるようになることだ。しかしアコの音はいいなぁ。年をとったせいかなぁ(笑)。

2006/11/10(金) レンズ
 カメラのレンズを見て心を躍らせていた頃、ある雑誌で知ったベス単レンズの世界に興奮した。大正時代のコダックのベスト・ポケット・コダックについている単玉のレンズである。
 このレンズはフ−ドというかカバ−がねじ込みで付いていて開放値の絞りがF11となっている。このフ−ドをはずすとF5.6くらいの開放となるのだが、なんともいえないボケ方をすることを大正時代の人たちは気がついた。これがいわゆるベス単フ−ドはずしである。このやり方を研究して、そして発展させた一派を「光大派」という。
 ソフトフォ−カスというレンズもあるが、ベス単のような芯のあるボケ方はしない。ベス単は独特のボケ方をするのだ。この大正時代のレンズが、今デジカメに付けられるようになった。少しややこしいが、まずベス単のレンズをはずし、ペンタックスのプラクチカマウントの標準レンズのジャンクに改造してねじ込み、無限遠を出してフランジバックを調節してPマウントレンズを作る。これでキヤノン、ニコン、ミノルタなどの銀塩カメラに取り付け可能となる。次にデジカメのEOS用のプラクチカマウントアダプタ−を購入して取り付けるというわけである。
 大正時代のレンズがそのままデジタルになるというのはちょっと感動ものである。

2006/11/09(木) 12弦ギタ−
 夜、青少年育成会議があり出かける。会議が終わり風呂に入って、なんとなくヤフオクを見る。すると・・あった。プロマ−チンの12弦ギタ−D−220。Kyさんよりいただいたジャンクとまったく一緒。しかもいい値段がついている。なかなか人気があるみたいだ。

http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g46467598

その後にチロと遊ぶ。元気である。よかった・・・。

2006/11/08(水)
 小学校の唱歌に「里の秋」という歌がある。あの歌のイメ−ジさながらに、この町が秋である。秋というイメ−ジはなんとなく物寂しい感じがするのだが、これから長い冬、雪の中で過ごさなくてはいけないという不安が雪国の人たちには共通してある。
 木の葉が落ちて、山が裸になるころ、高い山から低い山にかけて順番に雪が迫ってくる。
 雪国の冬は仕事がなくなる人が多い。収入の道が途絶える。だから冬期間は出稼ぎに出かける人も多い。ところがこの不景気である。出稼ぎの仕事もあまりないらしい。あっても条件が悪い。
 いまさら小泉行政の功罪を言っても仕方がないが、小泉改革は間違いなく地方をだめにした。公共事業、補助金に頼っている地方行政は、これを減らされることは死活問題である。国の経費を減らす=地方行政の圧迫である。こんな改革なら誰にでもできる。
 政治の話はとにかく、今の心配は今年の雪である。どの程度積もるのか、こればかりはかまきりの卵を見てもわからない。地球の温暖化が大雪になるというが、それならば昨年度の大雪が突然というのはおかしいわけである。温暖化は徐々に進行してといるのだから。
 我が家は自然落下式で経費はかからないほうだが、融雪式というものはとんでもなく経費がかかる。屋根の上の積雪を灯油を燃やして消そうというのだから、当たり前といえば当たり前。昨年度の豪雪、地元のスタンド勤務の人から聞いた話だが、豪雪最盛期のある家の灯油の請求が30万円をこえたという。請求書を持っていくのがつらかったという話である。
 今のこの町の静けさは、冬を待つ静けさではない。やがて来るだろう雪におびえる静けさである。今年はどうだろうかねぇ・・あまり降らなければいいだろうがねぇ・・・。そんな言葉があいさつ代わりになっている。

2006/11/07(火) IE7.0
 本日チロが退院してきた。お腹の生々しい傷跡に思わず目を背けたくなる。しかし、避妊手術をさせたのは自分達だ。目を背けてはいけない。一週間後にまた抜糸に連れて行かなくてはいけない。チロは元気印そのもので、遊んでくれとねだるが、退院したばかり、あまり激しく遊んでもやれない。
 さてチロをなんとか寝かしつけてから自宅のパソコンを立ち上げる。IE7.0をインストしてみる。使いやすさは慣れの問題もあるので、なんともいえないが、慣れない為に当然使いにくい。しばらくは様子をみよう。

2006/11/06(月) 避妊手術
 朝目覚める。チロは本日避妊手術である。水も食事も与えてはいけないとの事。チロはお腹かが空いているのかおねだりをする。餌があるのにあげられないというのはつらい。
 10時ごろ女房が獣医に連れて行く。とてもおとなしくていい子で、それだけにつらかったという。本日は一晩入院である。 明日お昼ごろに女房が迎えに行くことになっている。
 今までにいろいろな猫を飼っているが、これほど素直で頭のいい猫は珍しい。それだけに手術を受けさせるのがつらい。
 夜、チロがいない夜が来る。なんだか変である。9月の初めに我が家に来たのだから、まだ2ヶ月ちょっとでしかないが、すっかり我が家の家族である。

2006/11/05(日) 茅刈り
 世間ではどうも3連休みたいである。こちとら普通に仕事なので、ちょっと出かけるにも渋滞に巻き込まれてえらく迷惑してしまう。
 午前中は集落の冬に行なう十二講行事(どんと焼きみたいなもの)に使う茅を刈りに出かけた。参加人数10名。今年はこの団体の会長なので、何が何でも参加しなくてはいけない。
 作業がすっかり終わり、お決まりの昼酒。飲むと運転ができないので飲まないようにしようと思ったが、ついつい・・・(笑)。
 さて午後から柿をもがなくてはいけない。車の運転が出来ないので徒歩で畑まででかけて、柿を採る。今年は少なかった。
 夕方帰宅してから一時間ぐらい寝る。飲んでの仕事なのでふらふらである。チロに遊んで欲しいと起こされる。チロは明日、避妊手術の予定である。なんかかわいそうなのだが、心を鬼にしなくてはいけない。チロの為だし・・・?でもやっぱりそれも人間のエゴなんだろうなぁ。つらいところである。

 

2006/11/04(土) 道路交通法違反
 お昼にベス単で紅葉でも撮影しようと鹿渡橋で撮影。117号線が渋滞しているので帰りは外丸方面より帰ろうと、のんびりと橋を渡り、辰ノ口〜鹿渡のT字路を通り過ぎたら、いきなりウィ〜ンと後方でサイレンが。
 バックミラ−を見るとなんと白バイが・・・(汗)。状況から見るとどうやら自分らしい。
「車を左に寄せて停止してください」
お、おれ、なんか悪い事したかなぁ・・・と思い車を降りると
「一時停止違反です」
げっ・・・。
反則金7000円。とほほ・・。

 あの場所はかなり捕まっただろう。見通しがいい事と交通量が少ない。郵便局のところに隠れていたみたいである。
がっくりきて車を走らせていると、駅のところのしなのがわ橋わたったところにもう一台白バイが。誰かが捕まっていました。同類相憐れむの心情。

 そもそもあの道はせいぜい10分間に2、3台くらいしか車が通らない道である。なんであんなところに白バイが・・と思ってしまう。しかも隠れている。何も隠れなくてもいいのにと思う。やり方が汚い。もっともノルマがあり、午前中に何台、午後に何台と決めているのだから、そういう言い方をしたはいけないのだが、捕まったものが運が悪かったということになる。
 ゴ−ルド免許に傷がついた。むぅ・・くやしい。

 さて、写真はたいしたものが撮影できなかった。ただ、デジタルに大正時代のベス単がつくという事実はあらためてすごいことである。改造ベス単はVPKからはずして、プラクチカマウントに改造、これをEOS−Pマウントアダプタ−に取り付けている。
 警察に捕まったことでぜんぜん楽しくない撮影の昼休みであった。無念。

2006/11/03(金) 陶芸家
 なじょもんバザ−ル、あんぼも土器鍋も売れ行き好調でなによりであった。こちらは土器を野焼きして、火にあぶられ、時々焼き芋をかじりながら、、、とそのとき、とび職のはくズボンをはいた白髪ひげの場違いな男を発見。ちょっと気になったが、まぁじろじろ見ても悪いので、そのまま野焼きを続けていると、
「すみませんが、こちらの土器の土はどこから採ってきたんですか」
と、後ろから声をかけられた。振り返ると、なんとあのひげ面の男。近くで見ると、こ、この人は!!
「もしかしたら、吉田明先生ですか」
「そうです」
「・・・」

 なんと、あの超有名な吉田明先生本人である。陶芸をかじっている人なら恐らく知らない人はいないだろう。七輪で焼く陶芸で有名になっている先生である。
 その後にいろいろお話を聞かせていただいて、先鋭土器の作り方の指導をうけた。実に理にかなったやり方で、当時の生活などを想像すれば当然こうやって作ったんだと説明をされた。気さくな先生で、偉い陶芸家ぶったところもなく、人をひきつける魅力のある人である。こういう人は不思議とオ−ラがある。なにがどう違うのかわからないが、一般の人とは違う。
 名詞などという高級品を持ち歩かない僕は、携帯に僕の電話番号を入れておいてよと言われたが、あいにく携帯も持っていない。すると先生は、じゃ僕の携帯に入れておくよと言われた。
 帰り際に、何かやるときは呼んでよ、僕もいろいろやりたいからと言われて別れた。
 う〜ん、こうなるとまた土器作りに精を出さなくては。なんか今日は有意義な一日であった。

2006/11/02(木) あんぼ作り
 仕事が終わってから、明日のなじょもんバザ−ル用のあんぼ作りに出かける。全部で400個を作る。昨年度のことをふまえて、関係者は早めに準備はしていたのだが、それでも11時までかかった。
 僕はその後POP作り。あんぼ2個で300円、土器なべの熊肉汁は当初100円の予定だったが、熊肉が高いので100杯売っても一万円ではペイできないということで、200円でPOPを作る。
で、結局帰りが12時近くになる。明日は土器焼きの担当。8時過ぎから火入れである。焼酎をかっくらって眠る。

2006/11/01(水) 霜月
 本日から11月である。月日は本当に早く通り過ぎる。町の体験実習館のなじょもんにかかわってから実質3年半が経過した。今年はもう役員は降りたのだが、現状はそうもいかずに広報誌を3回も出してしまった。あさっての「なじょもんバザ−ル」を最後にしようと考えている。
 この3年半に覚えたことはパソコンの技術である。何もわからずに始まったのだが、とにもかくにもなんとかできるようになった。できるようになると期待される。だからまたがんばるの繰り返し。僕の後任がなかなかやってくれないので、結局今年もやっている。だいたい責任感がない。やる気のない人には何を言ってもダメなのだろうか。
 この活動は基本的にボランティアなので、忙しいと言われると何も言えない。しかし誰かがやらなくてはいけない。ここのところが難しいところである。
 明日の準備もまぁ他の役員がかわいそうだから手伝いに行こうと思う。がんばっている人はがんばっているのだから。


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