|
2006/11/13(月)
一握りの・・
|
|
|
「人は一握りのほんのささやかな楽しみがあれば生きていけるのである」と何かの本であったような気がする。たとえば遊郭に売られた女でも、ひと夏咲いた朝顔の花に慰められたというようなことがある。 自分の場合は何かと考えてみる。消去法でひとつひとつ消していくと、やはり最後は音楽であるような気がする。いい曲を聴くと心が躍る。それだけでいいような気もする。そこにはロックもクラシックも演歌もない。ジャンルという壁を取り払ってみると自由になれる気がする。 子どもの頃よく聞こえてきた美空ひばりの歌は、やはり好きだし、三橋美智也も好きだ。ジャズもいいと思うし、モ-ツアルトは最高である。 娘がメンデルスゾ−ンを聞きながら冗談でタクトを振っている。タクトの棒は編み物の棒である。その棒の先をチロの目が追う。平和である。 そんな夜、従兄弟が先日自殺したことを思い出す。ノイロ-ゼだった。自分はどうだろうと考える。つらいときや苦しいときにはいつもギタ−を弾いていた。そのときの自分に合う歌を捜し、そして唄った。死にたいと思ったことは一度だけある。あれは初冬だった。みぞれ混じりの冷たい雨の中、町をさまよい歩いた。どこからともなく聞こえてくるクリスマスソングが僕を正気に返してくれた。 死んでしまえば何にもならないんだよと言う事は簡単だ。死ぬ気になれば何でもできると言う事も簡単だ。 今年もまた昨年と同じく正月とお祭りができなくなった。熱帯魚のエンゼルフィッシュが卵を沢山産みつけた。育たないのは分かっていても一生懸命卵を守っている。死んでいくもの、生まれてくるもの、一体幾つの命がこの瞬間に絶たれて、そして生まれてくるのだろうか。 寝酒に焼酎を飲んだ。女房が以前に「何か面白いことないかしらねぇ」と言ったことを思い出す。頭の中が妙に湿っぽい夜、チロを抱いて寝た。命の温かさを感じた。
|
|
|