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2006/02/15(水)
グリス 2
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CR73は息子の腕を握ったままパワ−が落ちていった。そしてそのまま動かなくなった。
ナイフを握ったまま動けなくなった息子に向かって母親は泣きながら言った。 「わかって頂戴、仕方なかったのよ。このデジタルで組み込まれた社会の中で私たちはいつもふたつの選択をしなくてはいけなかったの。プラスかマイナスか、善か悪か、デジタルに答えは二つしかなかったのよ」
「何を言ってやがる、俺はロボットじゃない、泣いたり怒ったり、悲しんだりする人間だ。頭のいい人間と馬鹿な人間とふたつに分けてどちらかに組み込んで・・・。ロボット社会の中で親父もお袋も俺をバカで駄目な人間と決め付けて、表面だけ取り繕って・・」
「それは悪かったと思うわ。でもお父さんもつらかったのよ。このデジタル社会の中で、息子が前科がついたということがわかってから今の会社では出世はできなかったのよ。」
「俺は・・俺はどうなる・・前科者と決め付けられて・・」
「つらかったと思うわ、でも一度デ−タが保存されると削除できない今の社会であることはあなたが一番知っているはずよ、こ、これを見て」
母親はベットの小引き出しから小さなお守り袋を取り出すと中を息子に見せた。
「これはあなたのへその緒よ。あなたが生まれたとき私たちは幸せだったわ。このデジタル社会の中で唯一人間らしさを取り戻せるのはあなたの笑顔を見ることだった。すくすくと育つあなたを見て、この子にだけは私たちの二の舞をふませないと思ったの」
「冗談じゃねえよ、そんなにかわいい息子を毎日塾に生かせて、毎日二進法で゜苦しませて、毎日毎日、1と0しかない世界。そんな中で育てて、挙句の果てが前科者だ」
「ねぇ、聞いて、私たちはもう死んでも後悔はしないわ。あなたに殺されるのなら仕方ないと思う。あなたは私たちが育てたのだから、でもその前に、信じてほしいの。あなたが万引きを本当にしたとは最初から私たちは思っていないわ、でも助けてあげることができなかった。何度も言うけどデジタルの世界では一度保存されたデ−タは消せないのよ。一生ついてまわるの。お父さんはそのせいで会社ではずいぶんひどい目にあっていたの」
「親父のことなんてどうでもいいよ、俺の話をろくに聞かなかったくせに・・」
「それは違うわ、お父さんはあの頃、毎日このお守り袋を出してはあなたに謝っていたわ。そして陰で泣いていたわ。息子を救ってやれない親父を許してくれって・・・」
「・・・・」
「でもお父さんも私ももういいの、あなたを育てたのは私たちだから。このデジタルの色のない虚構の時代に生まれてきたことがそもそもの不幸なのだって。花は自然に咲いていき、どんなにきれいでもやがて枯れていくからきれいなのよ。終わりがあるからすばらしいのよ。お父さんも私もあなたに感謝しているわ。そのことに気づかせてくれて・・・」
涙が息子の目からこぼれ落ちた。その涙はCR73の肘関節に一滴流れ落ちた。そのとき息子の腕を握っていたCR73の手がゆっくりと開いた。
翌日になり不審に思った近所の人に発見されたとき、家族全員は死んでいた。事件は一家無理心中ということで片づけられたが、CR73に残っていたボイスレコ−ダ−はどういうわけか当局の手により抹消された。ただCR73のインプットデ−タに残されていたマシン語のなかに、あってはいけないはずの数字が残っていた。0と1の数字の羅列の中に、最後にひとつだけ「7」という数字があったのである。そして別の言語デ−タの中の最後のところに「All ERROR」と書かれていた。
====終わり====
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