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2006/02/17(金)
少年
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夕暮れの風が頬をなぜる いつもの店に行くのさ 仲のいい友達も少しはできて そう捨てたもんじゃないよ
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淺川マキの「少年」という歌の一節である。
生活というものがあり、環境の変化により人は刺激される。マンネリ化したときに人は怠惰になる。結婚して18年目、環境の変化もなく、子供たちだけが大きくなっていくという環境にいると、時に自分というものを見失うときがある。 たとえばこの歌のように行きつけの店を見つけるとか、ちょっと気になる女性が現れるなんてことはまずない。 つまらないといえばつまらないが、逆に変化のないことを実は喜ばなくてはいけない場合もある。天災、火事、身内の不幸などである。環境の変化はいいことだけではないということも承知しなくてはいけない。 こういうことを感じているのは何も僕だけではない。女房も同じみたいである。時々、 「何か面白いことはないかしらねぇ〜」とため息混じりにつぶやくことがある。それは僕自身も同じである。僕の環境の変化はパソコンの中だけなのかもしれない。 しかし、さきほども書いたように、環境の変化のない事、これは長い歴史の中で、世界中の人間が望んできた一番の幸せなのである。歴史を学ぶことは、このことを知ることであるといえなくもない。 この淺川マキの歌は、これから自分の環境を整えていく少年を歌ったものである。当時は、きっと中学卒業後の集団就職の時代ではないだろうか、都会の中で工場に勤めて、仕事もだんだん慣れてきて、いきつけの店ができて、そこで仲間に会う。 この年代はいったい今いくつくらいになっているのだろう。団塊の世代だろうか? たぶんその頃は夢があったのだろう。労働組合が一番強かった時代なのだろう。当然マルキシズムがはやっていた時代。今そんなことを唱える人は誰もいない。逆に唯物主義ならぬ唯心主義である公明党が政治に参加している。 このことは時代に絶対ということのないことを証明している。そんなことを機敏に感じているのは実は我々ではない。これからの将来を担う子供たちである。会社の年功序列も終身雇用も民間には存在しない。これが存在して化石化しているのは公務員だけである。しかも天下りというおまけまで付いている。
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