ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年4月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新の絵日記ダイジェスト
2018/01/25 読書 2
2018/01/23 読書
2013/12/25 クリスマス
2013/11/26 有孔鍔付土器
2013/07/17 著作権、肖像権

直接移動: 20181 月  201312 11 7 4 月  201110 月  20093 1 月  200812 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 月 

2006/04/30(日) お花見
 本日はお昼より花見である。この会の会長は今年は僕の番。まぁ無事に終わってよかった。いつもはバ−ベキュ−なのだが、今年は残雪が多いので室内でやる可能性もあるため、オ−ドブルを用意した。しかし、晴天で花は8分咲き、これで屋内ということもないので急遽屋外に変更。
 焼肉よりも落ち着いて飲めるせいかビ−ルを予想外に飲んだ。たぶん参加費として計算すると赤字である。ただし会費は別に集めているのでそちらのほうからということになる。まぁしかし、飲んだのはみんななんだから仕方ない(笑)。

2006/04/29(土) 2台のギタ−
 本日午後より時間があったので、隣の人よりいただいたジャンクギタ−を修理した。なんとか使えるようになった。昔のギタ−なのでネックが太く少々使いにくいが、まぁまぁのコンディションである。
 さてこのギタ−、なんとKawai製である。これは珍しいギタ−である。どんな音がするのかとわくわくして早速弦を張って、弾いてみると・・・・・たいしたことはない、やはり昔の音である。ギブソンのハミングバ−ドを使っていた僕としては、少しは音の良し悪しはわかるつもりである。
 こうして2台並べてみると、昔のボブ・ディランとジョ−ン・バエズ(古い)という感じである。しかも・・よく考えてみると、YAMAHAとのKAWAI。これってもしかしてピアノのライバルって感じである。
 そういえばこのYAMAHAのギタ−はいい音である。楽器屋の親父が熱心に薦めてくれただけのことはある。価格はたいしたことはないのだが(笑)。
 いきなりではあるが生ギタ−が2本エレキが3本、ウクレレが1本。息子がギタ−をはじめたからまぁいいかと納得している。早く上手になってくれるといいのだが(笑)。

2006/04/28(金) 弔電
 チンタに届いた弔電。チンタに届けられたという弔電の話をするとたいていの人は微笑んでくれる。心温まる話だという。そして必ず言う「そこまでしてもらった猫は幸せですね」と。

2006/04/27(木) 昔から猫・・・
 物心付いたときから猫がいる。いつもそばに猫がいた。猫が幸せをいつも運んできた。でも猫の寿命は短い。ただ、目の前で死んだ猫はチンタが初めてである。いつも猫が死ぬときは姿を見せなかった。どこかへ行って死んだ。
 この写真に写っている猫も2匹ともどこかへ行った。三毛猫のほうはお光という名前で美人だった。白い黒ふちの猫は呉作といい、愛想のいい猫だった。2匹の猫を抱いている人は僕の今の女房である。猫をもらってくるついでに嫁さんにもらってきた。すべて猫がとりもつ縁である。
 それにしても猫には心があるのだろうか?僕はもちろんあると思っている。うれしいときはのどをゴロゴロ鳴らす。これが嫌いだという人もいる。僕は大好きである。猫を抱いて寝るとき、このごろごろを聞きながらよく眠った。
 猫にうれしいという感情があるとすれば、当然うらみや怒りの心もあると思う。チンタはどうだったのだろうか・・・初七日も過ぎ、こうしてチンタのお骨と写真を眺めていると悲しみとは違う感情がわいてくる。それは感謝の心なのかもしれない。ありがとうという気持ちがわいてくる。

 そういえば近所に黒トラの野良猫がいる。この猫の行動範囲はとんでもなく広い。おそらく半径にして2Kmではないだろうか。猫好きなもので、野良でも飼い猫でも注意深く見るのだが、こいつはいたるところで見かける。いかにも野良猫のボスといった風貌である。いつも声をかけてやる。すると「ふん・・」といった感じで振り向く。その顔に「がんばれよ・・」と声をかけてやる。僕は勝手に黒しまのボスと呼んでいる。
 この豪雪の冬、あいつは乗り切ったのだろうかと心配していたが、今日近くで見かけた。そしてまた「がんばったなぁ・・」と声をかけてやった。あいかわらず「ふん・・」と言いながらのそのそと歩いていった。あいつの後姿が「人間なんて信用できるか・・」と言っていた。

2006/04/26(水) ついでに暗室
 この暗室であるが、近頃ご無沙汰である。というのはフィルム現像が終わり乾燥してネガケ−スに入れると、スキャンしてパソコンに入れてしまうからである。
 以前はわくわくしながら引き伸ばしを行ったものであるが、写真の結果はともかく、それなりに楽しみもあった。しかし今はパソコンで確認すると、写真のほとんどが駄作なためにパソコンのデ−タで終わってしまう。写真展とか、よほど気に入った作品でないと暗室にこもることはない。こんなとき、パソコンというものができて便利になったが、それがいいことなのかどうかを考えてしまう。
 僕の場合、写真デ−タを自分のプリンタ−で印刷することはあまりない。ほとんどが地元のマルヨシカメラでプリントしてもらう。パソコンで直結しているからデ−タを転送すれば夕方には出来上がっているというわけである。
 便利なことはいいことである。しかし、フィルムをカメラ店に持ち込んで、わくわくしながら写真を受け取りに出かけるという楽しみはもうない。最初から結果はわかっているのだ。だからたまにネガで撮影したものを受け取りに行くときは、楽しみというより逆に不安を感じてしまう。実に変な結果になった。
 
 ところで、パソコンをやっています。写真をやっています、陶芸をやっています、などと言うと必ず言われる。
「趣味が広いですねぇ・・・」
と。別に広いわけではない、陶芸と写真というと、まぁ趣味ではあるが、パソコンは趣味ではない。たしかに古いパ−ツでパソコンを組み立てているといえば、ずいぶんオタクに聞こえるが、やはりパソコンは趣味のための道具である。パソコンそのものを趣味と考えたことはない。

 暗室、ここにこもるとき、あぁ写真が趣味なんだなぁと思うがパソコンの前でPotoShopで写真を加工しているときは、ぜんぜん趣味としての充実感がない。これはただの作業である。

2006/04/25(火) フィルム現像
 久しぶりにフィルム現像を行う。手間は一緒なので4本の現像タンクを使うため、撮影済みフィルムが4本たまると現像するようにしている。
 この時期まだ水温が低いので、まずはお湯を沸かすことから始めて、液温を調節する。現像液は定番のD76を1:1の希釈で使っている。
 現像している9分くらいの時間に、定着液、水洗促進剤なども温度調整しておく。お湯が余ったので、インスタントコ−ヒ−をブラックで飲む。このとき現像液を溶いたものを飲んでいるようで、なんだかまずい。

2006/04/24(月) 銀塩カメラ
 眠れない夜、久しぶりに枕元にカメラを並べてみる。今夜の友達はオリンパスペン。この写真に写った3台のカメラは僕の宝物である。初代オリンパスペン、このカメラは僕の生まれた年の生まれた月に発売されている。それはとにかく、このレンズの解像力の高さにはほれぼれしてしまう。
 次にオリンパスペンSである。Sはス−パ−の略なのだろうか?レンズの明るさが2.8のものにすべて付けられている。
 そしてペンD3、これはレンズが1.7である。ペンの最高級気でデラックスの略だと思うが、その最終期の発売。つまりこれをもってペンはいくつくところまでいったのである。

 一眼デジカメを実は購入した。しかしかばんの中に入れっぱなしである。必要なときに取り出して撮影はしている。しかし、どういうわけか枕元において楽しめるものではない。これはどうしてだろう。道具としての価値しかないためだろうか。撮影するための道具、別の言い方をすれば電化製品のようである。

 時代はデジタルに確実に移行し、老舗のカメラ、フィルムメ−カ−も銀塩部門から撤退した。携帯電話のカメラはもう当たり前である。写真がすごく身近になった。でも楽しみは少なくなった気がする。

 

2006/04/23(日) PTA総会
 本日は午後より地元中学校のPTA総会である。地区PTAの副委員長になってしまったが、副だからまぁいいかと考えていたら、とんでもない、正委員長が出張のために欠席なので、前のひな壇に座る羽目になり、しかも本年度の行事計画等を発言することになった。いくつになってもああいう席は苦手である。
 その後、先生方の歓送迎会には欠席して、久しぶりに友人であるムラマサ氏のところに遊びに行く。ギタ−なんぞを持ち出して久しぶりにセッション。昔からやっているので気が合うのか楽しかった。
 帰ってきてから、夜遅くまで娘といろいろな話をした。子供のときはお父さんは怖かったという。そうであろうと思った。子供だからといって容赦なく、悪いことは悪いと叱った。小さいときが大切なのである。今は子供たちを叱ることはない。なぜなら叱られるようなことはまったくないからである。中学、高校で叱ってはいけない。叱るなら素直な小学生のうちである。ところが世の中はこの逆をする人が多い。小さい時は、小さいんだからまぁいいかで叱らないでおいて、中学生くらいになりやたらと叱る親がいる。これはまずいのである。反抗期であり多感な年頃にやたらと叱れば反発するに決まっている。叱るなら小学校4年生までである。そのころまでに人間がほぼ出来上がると見ている。
 そしてもうひとつ、両親が一緒に叱ってはいけない。片方が叱れば片方は慰め役に回らなくてはいけない。改めて書くこともなく、昔はこれは当たり前のことだった。とうぜん昔は親父が叱り役立った。我が家ももちろん僕が叱り役である。誰かが悪役にならなくてはいけない。これを進んで買ってでたわけである。
 娘からみると今はやさしい親父だという。もちろんである。叱ることがないのだから当たり前である。子供は父親からみて、当たり前だがかわいいものである。だから叱ったときの夜、いつも子供の寝顔をみながら心の中で子供に謝るのである。ごめんよ・・・でも君のためなんだよって。それはけっこう切ないものである。
 一番いけないのは親の感情で叱ることである。こういう場合だいたい子供はグレる。当然である。しかし、どんな叱っても愛情という裏付があれば子供はグレない。これは経験からも自信をもっていえる。
 叱ることと怒ることは違う。怒るということは感情的なのである。もうひとつついでに兄弟喧嘩には口を出さないこと。どちらも叱ってはいけない。子供同士で解決させること。あきらかな事情があるとき以外はである。まぁ兄弟といっても男の子と女の子なので我が家はとっくみあいの喧嘩はまずないが、男二人、三人だとこううまくはいかないと思うが(笑)。

2006/04/22(土) エレキギタ−
 今度はまた息子がいきなりエレキギタ−を始めた。まだまだへたくそなのだがやる気だけは買ってやるというところ。
 バンプ・オブ・チキンかなんかを見よう見真似でやっている。ふ〜ん、よくわからないが、息子に刺激されて僕も昔のレッド・ツェッペリンなどを聞いている。ジミ−・ペイジのギタ−は今聞いても興奮してしまう。彼は憧れのギタ−リストだった。今は早弾きのアドリブなどは指が動かなくなったが、むしろプル−スなどはたぶん当時より年を経た分、味のあるフレ−ズができるようになったのかもしれない。
 ところでエレキギタ−であるが、僕が使っていたギブソンのSGというモデル、友人のところへ行っていたが、先日、息子が始めたなら持って行っていいよ、ということで今は息子の持ち物になっている。まさに腐ってもギブソンである。これは僕の兄が買ったもので、それを僕が譲り受けたものである。
 ところがである、先日隣組会議で隣の家から壊れたエレキ2本とこれまたジャンクのフォ−クギタ−の合計3本をもらってきた。エレキは半田付け等で修理し、今では2本とも使えるが、生のギタ−はなかなか修理が難しい。
 いずれにしてもいきなりギターが4本増えたので合計5本ある。う〜ん、一本はベ−スがよかったなぁなどと贅沢なことを考えてしまった。家族でバンドができそうである。

2006/04/21(金) 会議
 本年度、やたらと何かの役員になったために毎晩会議である。夜7時半頃よりの会議、なんと今週は5日間連続である。これは僕の人生では初めてのことなのでは。
 忙しさにかまけて何か大事な事を忘れているような気がしてならないが、気のせいだろうか・・・・・。

2006/04/20(木) お骨
 居間のパソコンの横にチンタのお骨が置いてあり、朝起きると家族がおはようと声をかける。このお骨、雪が消えたら、胡桃の木の下に納める予定である。
 それにしてもなかなか春がこない。本日も少し雪がちらついた。まさになごり雪である。

 さて、こうなるとかぜん以前撮影したチンタの写真が貴重になってくる。まずはお葬式用のチンタの写真、これはモノクロで四つ切に伸ばしたもの。珍しくきちんとレンズを見て正視しているものである。そして米寿のときの写真。これは3年くらい前だろうか、女房が手編みでチンタのために赤いチャンチャンコと帽子を作ってくれた。女房も猫好きで子供のころから猫を飼っていた家で育てられている。だから猫の気持ちはよくわかるらしい。
 この写真のころはまだまるまると太っている。なつかしい写真である。実はこの写真を引き伸ばすにあたりずいぶんネガを探した。整理が悪いために、こういうときは大変である。パソコンにも重いデ−タで保存した。CDにも焼いた。
今は笑って言える、チンタ幸せをありがとうと。

2006/04/19(水) 人間に与えられたたった一つの幸せ
 地元の新聞に掲載されたこともあり、あちこちで猫はどうなりました?と聞かれる。そのたびに死にました、と言っているうちに、こちらも麻痺してきたのか悲しみが薄らいでいく。
 ある人が同じように聞いてきた。そして同じように答えた。その人はしばらく黙っていたが、ぽつりと僕に聞いてきた。

「神様が人間に与えてくれたたった一つの幸せってなんだかわかりますか」

 僕はわからないと答えると、その人は言った。

「忘れるということです。人間は忘れることができるんです。だから生きていけるんです」

 僕は何も言えなかった。あまりにも真実をついているからである。この人は、若くして夫を亡くし、女でひとつで子供を二人育て、野良猫に近所には内緒でえさをやり続けて何十年の人である。この人の言葉は重い。何も言えなかった。そしてこれ以上の慰めの言葉もないと思った。

2006/04/18(火) 火葬
 昨日夕方、仕事を早く切り上げ、女房と親父と娘を連れて長岡の動物専門の火葬場へでかけた。チンタの火葬である。
 5時までに来てほしいということで、ギリギリジャスト5時に到着。初めて出かける場所なので道を一本まちがえれば5時につけなかったわけである。タウンペ−ジの地図を頼りにといいたいが、その地図も忘れてくる始末だったが、チンタのお導きか、すんなりと到着した。
 火葬の費用は12000円プラス消費税であった。親父は行きも帰りもなみだ目であった。一番かわいがっていたのが親父だし、24時間いつも一緒だったので無理もないが、親が死んだときも親父はこんなに泣かなかったような・・・・。
 帰りはあちこちの店に寄って買い物をしてくる。小千谷でケンタッキ−フライドチキンを買ってくる。しかしここの店のはあまりうまくなかった。六日町のほうが絶対にうまい。チェ−ン店なのに何故だろう。
  
 お骨は宅急便で送ってくれるということで頼んできた。チンタにもう一度桜を見せたかったが、残念なことに長岡もまだ桜のつぼみは固かった。

 今は気が抜けたようである。しかし長年の習慣はなかんなか変えられない。家族全員が、部屋のドアを少しあけてある。チンタがいつでも通れるようにしていたからである。コタツに入るときは必ずコタツの中をのぞいてから足を入れる。チンタがコタツで寝ているかもしれないからだ。そのたびにはっとしてチンタがいないことに気づかされるのだが、同時に言いようのない寂しさが胸に迫ってくる。当分はこの習慣は抜けそうにないだろう。

2006/04/17(月) 弔電
アサガタ4ジ、チンタシス、モクトウタノム

東京の人に弔電を打った。同時に携帯に電話もした。一緒に泣いてくれた。チンタの兄弟のメモリ−が亡くなったのが昨年8月、そして今年4月、チンタが亡くなった。

20年・・・・・・。

2006/04/16(日) チンタのこと 2
 チンタの横に女房も一緒に寝ることになった。ちょうど川の字のようになって眠ることにした。一時間ごとに体の向きを変えてあげる。女房は看護師である。このことをタイコウというらしい。それは何の略だと聞くと、体位交換の略だそうである。

「いつ頃が峠かな?}

「そうねぇ・・・朝方かなぁ・・・」

 眠る前にチンタがまったく動かなかったので、いよいよかとチンタに声をかけてみた。耳がかすかにピクリと動いた。

多分、、、それが最後だったのかもしれない。僕の声がチンタに聞こえたのは。

夜中に女房に起こされた。

「終わったかも・・・」

僕はチンタに触ってみた。まだ温かい、しかし、瞳の反射はもうない。
手足の反応もない。終わった。時計を見る、4時5分前。
チンタ・・・・・・20年の生涯をここに閉じる。

2006/04/15(土) チンタのこと 1
チンタのおしっこの回数減った。
水も少ししか飲まなくなった。

2006/04/14(金) 新聞掲載
 地元の新聞がこのチンタに関するブログの内容を紹介してくれた。見事にエッセイ風にまとめてある。そして最後に、ペットブ−ム全盛の中、捨て猫捨て犬が増えているということを書いている。最後までペットの面倒をみることが大切だということがテ−マになっいた。さすがである。
 僕がここで言いたいことはまさにそういうことである。最後まで面倒を見る、これは簡単なことに見えても実際には大変なことである。そこに愛情がなければ絶対に無理である。人間の子供でさえも面倒を見れない親が増えている。こんな社会ではペットは悲惨である。
 パチンコをするために社内に赤ん坊を置きっぱなしにして殺してしまう親などは論外だとしても、どこかこま世の中は間違っている。親になるということは子供のために命を犠牲にすることである。もし子供が病気になり、神様が、お前の命をくれたら子供の命を助けてやろうと言われれば、喜んで命をささげるのが親である。この覚悟がなければ子供など作るなと言いたい。

2006/04/13(木) 老衰
 回復の見込みのある病気ならとにかく、老衰というものには治癒と言う言葉が含まれていない。悲しいことである。
 毎日チンタの横に布団を敷いて寝ている。横に寝ながらチンタに向かい昔話をしている。チンタはじっとこちらを見ている。話を聞いているのかも知れない。

「おまえ、俺のところにきて幸せだったのか?」

 そんなことを言うと、チンタは眼を細める。話がわかっているのかもしれない。大好きなものはやはりサキイカである。大嫌いなものは柑橘系のみかんなどである。さきいかを口元に近づけてもまったく反応しなくなった。

 天気がよかったら休日に外に抱いて連れ出そうと考えている。寒くないように毛布に包んで。精一杯のことをしてやろう、最後の最後まで。

2006/04/12(水) 生と死
 チンタは日に日に弱っていく。生きているものには必ず死がある。このことはまぎれもない事実である。しかし、多くの人は眼をそむける。忌まわしいものとして片付ける。
 このことに真っ向から立ち向っていったのが宗教であろう。仏教はそのことを一番真剣に考えていたのだろう。死後の世界の仮説、輪廻転生、地獄と極楽。世のすべてを無常と考え、無欲であることを理想として生きることを選んだ。色即是空、空即是色という言葉は仏教の基本的な集約である。
 だから、力強く生きよと教えるのもまた仏教ではある。しかし、日本の仏教はあまりにも葬式行事に力を入れすぎた。その結果葬式仏教と陰口をたたかれるようになった。
 しかもお寺ほど貪欲である。旅館関係に勤めている人ならわかると思うが、宴会で一番乱れる職業は、お寺、教師、公務員だそうである。禁欲、手本、品性などを当たり前とする職業ほどだめだそうである。
 
 チンタの死を間近に迎えて、死とは何かを改めて考えてしまった。動物も人間もそれはまったく同じである。今まで活動していたものが突然活動しなくなる。それはただの腐敗していくべき有機物である。そのままにしておけば、やがて腐り、うじがわき異臭を放ち、微生物により分解されていくのだ。

 この命とは何なんだろう。学校の解剖、生理学で心臓のことを学んだ。その心臓の法則に「全か無かの法則」というものがある。動くか、止まるかである。動いているときが生、止まってしまったときが死である。
 それではこれを動かしているエネルギ−とはどこから供給されているのだろうか。死んで、また別の生き物が生まれてくるのはどういうことなのだろう、ここから輪廻転生ということを考えたのだろう。そしてそのエネルギ−をつかさどるものを神と考えたのがユダヤ、キリスト教ではないだろうか。

 生きる、この言葉には深い意味がある。野良猫でも生きる権利がある。ゴキブリにも生きる権利がある。しかしその権利は永遠には続かない。まさに無常である。



 

2006/04/11(火) 思い出 その2
さて、チンタが友達となってからは、仕事が終わるとまっすぐアパ−トに帰るようになった。昼間は学校、夜はバイトという生活ではアパ−トにいられる時間はわずかである。
 一杯飲みに行こうぜと誘われても断り、セブンイレブンやロウソンで必ずチンタにお土産を買って帰るという毎日である。待っているものがいるということはこんなに幸せなものなのかということを実感した。つまりチンタが僕の初めての家族だったのだ。
 あの日、いつものように帰ると、なんと部屋が真っ白である。一瞬何事が起きたのかと思い、よくよく見るとティッシュペ−パ−が部屋中に散乱していたのだ。チンタの仕業である。次から次へと引っ張り出せるティッシュを面白がって引っ張り出したのである。
 運動不足を避けるため近くの公園に連れて行ったりした。ある日いつものように紐を外しのびのびと運動をさせていたら、犬を連れた人がやってきた。これにはチンタもびっくりである。何しろあんなに大きい猫(犬)は生まれて初めて見る。びっくりしたチンタは近くの木に駆け上った。ところが・・・降りてこれないのである。仕方ないので僕も木登りである。3mくらいの高さからチンタを呼ぶが、にゃぁにゃぁ鳴くだけで降りてこれない。やっとの思いでつかまえてアパ−トに帰りやっと落ち着いてた覚えがある。当然バイトには遅刻した。

 この写真はチンタがティッシュをひっぱり出しているときのものである。なつかしいなぁ、汚いアパ−トだったけど、これが僕とチンタの共同生活の空間である。

2006/04/10(月) 思い出 その1
 さて、暗い話ばかりなのでちょっと明るく書きたいところである。チンタとの長い付き合いは専門学校の時からである。その頃、MSXというパソコンを友人からいただいた僕は毎夜パソコンに向かっていた。何をやっていたかといえばBasic言語で簡単なゲ−ムを作っていた。しかしこれが大変な作業で、一文字間違うともうプログラムは起動しない。さぁそうなると間違い探しが大変である。
 そんな時バイト先の先生が、知人でシャム猫をくれるという人がいるけど飼わないかといってきた。もちろん先生も一匹飼うという。つがいで飼っているので、毎年のように生まれるが、ペットショップに売るには血統証をとらなくてはいけないのでお金もかかるし大変だと言うのだ。もらってくるとき、結納金はカルカン10缶だった。血統証もお金さえ出せば取れるけどといったが、そんなものは人間の見得だと思い、とらなかった。
 アパ−トだけど、大家は月に一回しかこないし、大丈夫と判断した。連れてきたときは僕の手のひらに乗るくらいだった。
 ある日学校へ連れて行った。チンタの虚勢を獣医の資格を持っている友人に頼むために連れて行ったのである。その日の授業は眠い授業で半数近くの生徒は寝ていたのではないだろうか。そんな時チンタが一声ニャ−とないた。すると先生がびっくりして

「お前だけだなぁまじめに俺の授業を受けているのは」

 みんな大爆笑になり眠気がすっ飛んだ。

 そんな思い出も遠い話になった。若かりし頃のチンタの写真である。かわいかったなぁ。生まれて初めて買った一眼レフの交換レンズ、シグマの70〜210mmF3.5で撮影したものである。横に新品の箱が写りこんでいるのがなつかしい。
 

2006/04/09(日) 老衰
 駄目である。猫がまったく食事を受け付けなくなった。ミルクをスポイトで無理に飲ませている。父と僕とで二人がかりである。一人が抱いて、一人がスポイトで口の中に入れてあげる。3回に一回は水を同じように飲ませてあげる。
 父は飲ませるたびにめがねを外して眼をこすっている。それを見ているとこちらも目を真っ赤にして介護をしてあげる。僕の祖母が亡くなったのが、4月19日、その頃か・・最後は。
 春は三寒四温の陽気であり、一番不安定なときである。病に長く臥せる生き物には最後のときを迎える時期なのかもしれない。

2006/04/08(土) 春。生まれそして死するもの。
 世の中は春である。しかし、20年連れ添った僕の最愛の友人であるシャム猫のチンタは老衰のために足腰が立たなくなった。日増しに弱る猫に家族中が介護している。
 今回だけはあきらめている。中越自身のとき具合が悪くなり、死の境をさまよったが、あの時とはぜんぜん違う。今回は駄目である。昨日の夕方獣医さんに連れて行ったが、栄養剤の点滴と皮下注射、そして抗生剤の注射をしてもらった。これ以上は期待できない。
 一番悲しんでいるのが父である。今までいろいろな猫を飼ってみたが、これほど素性のいい猫は始めてだと何度も何度も言う。そのたびに目頭が熱くなる。だが今回は駄目である。食事をしなくなった。
 つらいがこれが世の定めであろう。敦盛ではないが、ひとたびこの世に生を得て、滅せぬものはない。ましてや人間ではない、猫である。20年生きた。人間で言えば100歳である。天寿を全うしたと言うべきであろう。願わくは、苦しまずに枯れ木が枯れるように、眠るようにス-っと逝ってくれたらと思う。
 つらいけど・・・・・。

2006/04/07(金) 熱帯魚
 息子がはまっている熱帯魚、最近は何故か水草のほうに興味が移ったみたいである。アマゾンのなになになどと面倒なカタカナを使っている。わけがわからない。
 そこで水槽を置く場所がないとばかり居間のダイニングカウンタ−に持って来た。これはこれでなんだかいいものである。しかし、魚のうんこを見ながら飯を食うのはどうも・・・しかもおかずが魚の塩焼きだったりするとなおいけない。

2006/04/06(木) ウクレレ
 こないだの日曜日、息子の入学用品の買い物も兼ねて珍しく家族全員で買い物に出かけた。ケンタッキ−フライドチキンが食べたいので六日町に方向を突然変える。これは当然の運転手の権利である。
 ついでに小出まで足を伸ばしてジャンクショップめぐり。パソコンのパ−ツが目的である。しかし高い。ネットやヤフオクで見慣れている値段とは大きく違う。まったく買わないことにする。

 付き合いで一緒に入った女房が安いとばかりにウクレレを購入。ハワイアンの踊りを習っているので、たぶんそういうノリなのだろう。

 自宅に戻ると早速ネットでウクレレのサイトをサ−フィンする。いくらでもサイトがあり、たちまちCとFとDのコ−ドを覚えて牧村慎二の「あ〜やんなっちゃった」を弾き語りでやってみる。ギタ−をやっているものとしては実に簡単・・・なのだが、ギタ−と違いフレット間隔が短い、指が全部入らない(汗)。

 ところで女房はというと・・・・さわりもしないのである。かわりに息子がネットで調べながらギタ−より簡単とばかりに練習している。「南国の雰囲気があるよね〜」と楽しそうである。これはこれでまぁよかったか(笑)。

2006/04/05(水) 一人一台のパソコン家族
 ついでに余ったパ−ツを調べると、なんと、もう2台ディスクトップが作れることが判明した。コツコツ・・・・。

 出来た、女房のパソコン、メモリ−は128Mのメモリ−を4本挿した。これで512Mである。CPUはベンVの650Mのスロット1がある。HDDは40G、一般にはこれで沢山である。
 OSだけはお金をだしてもらい、ここはきばってWindowsXPを購入。モニタ−はジャンクショップで1500円で購入したもの。

 ついでに娘専用のパソコンを作る。娘はメ−ルとネットだけだからメモリ−は256Mつまり128Mを2本をマイクロATXのマザ−に挿してできあがり。これはサウンドはオンボ−ドなので簡単である。一応音もでる。スピ−カ−もあまっていたものを挿して完成。OSは何故かWindows2000である。メモリ−の関係である。2本しかさせないマザ−である。仕方ない。128Mは安いけど256Mとなるととたんに高くなる。とても2本は買えない。しかし娘にしてみればはじめての自分専用のパソコンである。

 今までの家族用パソコンは250GもHDDがあり、なんとDVD+-RWも付いてるもの、これはめでたく息子のパソコンとなる。しかしCPUはペンVの866M。でも充分である。

 で僕のは、ペンV1Gパソコンである。HDDはあまった40Gを2台積んで80G。仕事場にあるのは200Gなのでこれで不足はない。

 娘は僕がyahooプレミアム会員になってるのを知っていて、しっかりとエヴンゲリオン会員無料配信を見ていた。しかしどうしてIDとパスワ−ドを知っているのだろう???

 ずいぶん贅沢なようであるが、4台のパソコンすへてモニタ−はCRTである。我が家に液晶という文字はない(笑)。

2006/04/04(火) 更新
 などと馬鹿なことを書いているときではない。日記を更新しなかったのは訳がある。世の中は入学シ−ズンである。大学、専門学校になると、今まで縁のなかった家庭でもいきなり子供ためにとパソコンが必要だと騒ぎ出す。
 つまり3件のパソコンを相談されていたのである。2台はディスクトップ、一台はノ−トパソコンである。
 毎日夜中の一時までパソコンをいじっていたのである。やったことのある人ならわかるが、パソコンのパ−ツには相性がある。つまりこのマザ−とこのメモリ−というふうに認識したりしなかったり。とにかく安く作れたらということなので、それなりのパ−ツで揃える。そうするとえてして認識しないPCIカ−ドがあったりする。
 しまいには自分のパソコンもばらして相性をそろえたりする。疲れたというところ。

2006/04/03(月) 哀愁の大根
今日の夕食は大根づくし

大根とりんごのサラダ
大根の漬物
大根のみそ汁
そして・・・

なんてヘルシ−なんだろう

大根が沢山車庫にある。春まで食べなくては・・・
ああ・・大根には哀愁がある。
悲しき大根

古くから貧しきものは大根を食べてきた。
おしんのように大根飯をほおばる姿こそ
日本の食生活

大根には哀愁がある。
ど根性大根などともてはやされている現代
そう、日本人の根性は大根にある。

ああいとしの大根
そして哀愁の大根

ちなみに我が家には糖尿病はいない
育ちだかりの中高生は二人いるが

ああ・・哀愁の大根
秋刀魚苦いかしょっぱいか

うう・・佐藤春夫の世界

2006/04/02(日) 肉じゃが
今日の夕食はなんと肉じゃが
豪華
ところが
ジャガイモがやたらと多い。
次に多いのがたまねぎ
次に多いのが白滝
そして肉が少し

まるで宮沢賢治の「アメニモマケズ・・・」

一日に米一合と少しの野菜を食べ・・・

である。
一応我が家は農家、米とジャガイモだけは沢山ある。

2006/04/01(土) もやしのブル−ス
今日の夕食はもやしだった。
もやしの酢の物
もやしの油いため
もやしのおひたし
味噌汁の具はもしや(もやし)・・・・
やっぱりもやしだった。
たまにはいいか。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.