ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年5月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2018/01/25 読書 2
2018/01/23 読書
2013/12/25 クリスマス
2013/11/26 有孔鍔付土器
2013/07/17 著作権、肖像権

直接移動: 20181 月  201312 11 7 4 月  201110 月  20093 1 月  200812 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 月 

2006/05/31(水) 田植え
 仕事を夕方早じまいして毎日田植えである。なれない仕事は疲れる。一日一膳じゃないけど、一日一枚田んぼに植えていく。
 次の日曜日にすればいいことだが、あろうことか体験実習の講師を引き受けている。モノクロ写真の引き伸ばしである。午前中撮影、午後引き伸ばしなのでほぼ一日つぶれる。
 今年はいろいろな役員を引き受けているのでとても忙しい。またひとつ「青少年育成・・・」とかいうものを受けてしまった。どうも役というものは、断るのを苦手とする人に回ってくるようである。

2006/05/30(火) くもりときどき土器
 町より依頼された土器の製作を始めた。作りながら思うのである、なんで自分がこんなものを作っているのだろうと。考えてみれば不思議なことである。どういう展開でこうなったのか、これが人生の不思議さである。

 土器など珍しくもないこの土地であるが、なぜか石器のほうが子供の頃には人気があった。時代が古いものということもないが、打製石器ややじりなどはダントツ人気で、宝物であった。それが大人になるにつれ、ほとんど興味を示さなくなってくる。宝物が変わってくるのだ。晩年になってからの宝物は自分の命だと思うが、わかってはいるものの人はそれに気づくのに70年近い歳月を必要する。

 依頼された土器は、実際に使える土器である。つまりこれで土器なべができる状態ということである。つまり半乾き状態の時に磨きをかけなくてはいけない。これがしんどい。

2006/05/29(月) ご会葬御礼
 チンタの葬儀?の際に、お世話になったり心配をかけた方たちにご会葬御礼ということでハガキを作った。
 こんなに幸せな猫はいないと思えるようになった。冷静にチンタの20年を考えるとき、長生きをして、最後には苦しまずに眠るように亡くなり、いろいろな人から励ましとお悔やみをいただいて、もうこれ以上はというくらい充分にしていただいた。
感謝感謝である。
 今夜、夕食の後、近くの温泉に出かけた。帰りに橋の上で3匹の猫が「猫の集会」をやっていた。車を止めてしばらくは見ていた。
 かわいかった。世の中の猫がすべてかわいく見える。じいさん、ばあさんが孫を特別にかわいいと思う・・そんな気分である。
 世の中の生きとし、生けるものすべてに幸いあれと祈る。

2006/05/28(日) 3Dソフト
 夕方になり女房のお袋さんが入院しているところへお見舞いに出かける。お見舞いの熨斗袋に自分の名前を書くために筆とすずりをやっと探し出し墨をすること10分、書き始めたら3秒。わざわざ筆ペンを買いにいくより、まだこちらのほうが早いのであるが、なんだかむなしい。ちょうど狸が腹を空かせながらやっと畑の芋を掘り出して、さぁ食べようとしたら、横から現れたイタチにさっと芋を持っていかれたような気分である。

 そんなことはどうでもいい、そこで見舞いの帰りに買い物に出かけて、悪いくせで、またまたリサイクルショップと古本屋に顔を出す。パソコンのパ−ツはめぼしいものがなかったが、今回の戦利品は、Shade6 Spiritの解説本である。価格が500円。当然悩まずに購入。
 帰宅してわくわくしながら付属のCDをあけると、なんとおまけが付いていた。Access2000の30日間マスタ−のCDが一緒に入っていた。どうりでCDにしてはちょっと厚めだと思った。2枚入っていたのだ。
 この本の元のオ−ナ−はなかなかの勉強家らしい。本のところどころに暗記ペンで線が引いてある。ただし最初だけであるが(笑)。本も新しく、おそらくこの本を購入して挑戦しようとして破れたのだろう。ぱらぱらとめくると、たしかに難しそうである。
 よし、今度は3Dである。なんとかマスタ−したいところ。思えばイラストレ−タ−というソフトを覚えようとしたときもこんな気分であった。何度も挫折しそうになったが、周りに教えてくれるベテランが沢山いてくれたおかげでなんとか使える程度にはマスタ−できた。今回は本も手に入れたことだし、なんとか自力でと思っている。がんばろう。
 しかし、本のタイトルは一週間でマスタ−とあるが、まぁ一ヶ月はかかるだろう。挫折するかもしれないし(笑)。

2006/05/27(土) パソコンで家庭教師
 さて、長男が高校受験が終わり、次は長女である。今中学3年なのだが、いまいち学力が・・・。そこで今からでも遅くないということで、パソコンのライブカメラによる指導を受けることにした。ライブカメラと専用のテキストボ−ド等を使い週2回、他に毎日FAXによる添削指導である。これにより少しでも学力アップになればというのが親の願いである。
 ところで、このシステムを取り入れるにあたり、娘の専用パソコンは役不足である。ライブカメラによる画像が遅れてしまうのだ。仕方ないので親父のパソコンよりPENV1GのCPUを付け替えたり、メモリ−を256Mから512Mにと付け替えたりして、まぁなんとか使える状態にした。
 パソコンは何をやるかによって価値が決まるわけだが、ワ−ドやエクセルしかしない人に3Gのパソコンはもったいない。極端な話だが、最初期のウィンドウズの98で沢山なのである。時代と共にパソコンもどんどん進化してくる。贅沢やわがままを言えばきりがないが、今自分がどの程度のパソコンが必要かを見極める必要がある。

2006/05/26(金) タムロンのレンズ
 レンズメ−カ−にタムロンというメ−カ−がある。トキナ−、シグマと並び日本の三大レンズメ−カ−である。ん?、コシナもあった(笑)。コシナは今ツァイスを看板にする超オタクメ−カ−となったなぁ、これはこれでうれしい限りである。本社は僕の家から車で一時間くらいである。
 それはともかく今夜はタムロンである。画像に写っているのはマニュアルタムロンの一番安いズ−ム2本である。この2本を買ったのは10年以上前くらい、祭りのスナップをよくこの二本で撮ったものである。
 このレンズ、周辺で画像がだらしなくなる。しかし、価格は安い、軽量でコンパクト、2本で28〜210mmをカバ−してくれる。旅行にはぴったりのズ−ムである。
 しかし、ニコンマウントにしてEOS Kissデジタルに付けてみると、周辺が写りこまなくなる。つまり画角が狭くなるため周辺のだらしない部分がカットされるのだ。真ん中のおいしいところだけが写りこむということ。これは言ってみれば、デジタルEOSの普及期の場合に限り、レンズの性能はどうでもいいということになる。
 タムロンのマニュアルレンズの場合の優れているは、アダプト−ル2システムのおかげで、すべてのメ−カ−のカメラにつけられるということ。これはすごい。僕の場合、フダプタ−をさらにかましてEOSにも付けられる。 
 僕の場合は幸いにして、すべてのマウントを持っているので、一本のタムロンレンズがすべてのメ−カ−のカメラに取り付けられることになる。これを開発したタムロンの設計者に僕は敬意を表したいと思う。タムロン、パンザイ。

2006/05/25(木) ニコンのレンズ
 キヤノンのカメラにニコンのレンズがくっつく。これは一昔前では考えられないことである。
 実は陶器の茶碗が5千円で売れたので、金がないと言いつつもEOS、ニコンのアダプタ−を4千円で購入した。前に買ったプラクチカのアダプタ−と二つで、M42ペンタックス、あやしいロシアのレンズ、フジカ、タムロンのレンズ、そしてニコンのレンズと数十本のレンズがEOSに付けられることになった。
 このEOS−Nikonのフダプタ−は以前よりあったのだが、価格が一万八千円と高くて手が出せなかった。最近の情報化社会、ネットで調べるといろいろとあった。その中で一番安かったのを購入したわけである。
 問題は、デジカメEOSデジタルの場合、画角が狭くなることである。35mmの画角に1.6をかけなくてはいけない。28mmのレンズは約45mm、50mmの標準レンズは中望遠80mmとなることである。望遠側では稼げるが、広角側では役不足というところ。
 この写真についているニコンのレンズはAi改135mmの2.8のレンズであるが、デジタルEOSに付けるとなんと216mmとなる。つまり200mmF2.8の明るい単焦点望遠である。 望遠派には非常にいいことである。

2006/05/24(水) 風の匂い
 若くして亡くなった真理ちゃんの遺作展を来月、体験実習館なじょもんにて行う。ついては協力してほしいということで、もちろんと、ふたつ返事でOKした。
 昨日、その資料を預かり、すべての写真、画像をパソコンに取り入れデ−タ化した。写真あり、パステル画あり、手作り和紙による照明スタンド、そして手書きのタズベリ−ありで、真理ちゃんの晩年はなかなかに充実したものである。また幼少時のモノクロ写真などもデ−タ化した。
 
 人の死を考えた
 それは風に似ている
 風が吹いた時には悲しみにうちひしがれても
 やがて人はそれを忘れる

 しかし人は時々思い出そうとする
 でも風は吹いてくれない
 だから記憶の糸を探る
 しかし手繰り寄せることはできない

 記憶の中に残る風
 それは匂いのようでもある
 風のにおい
 風の匂い

 たしかそうだったと人が思い出すのは
 風のにおい

 この画像はスキャンした画像2枚を僕のほうで勝手に合成したものである。僕の中に持つイメ−ジ、それは、やはり風の匂いに似ている。
 

2006/05/23(火) ニコン、キヤノン戦争
 35年ほど前、老舗のニコンにキヤノンが食いついた。ここからカメラ業界でトップメ−カ−2社の熾烈な高いが繰り広げられる。ニコンFの独壇場であったプロ用一眼レフにキヤノンはF−1という一眼レフで噛み付く。これを受けてニコンはF2で対抗、これに対しキヤノンはニュ−F−1でさらに噛み付く。逃げ切った状態で電子シャッタ−搭載のF3の発売。対しキヤノンはAEなら得意とEOSの基本みたいなT90で追い討ち。
 そんな戦いをしている中、ミノルタがα7000で一気にAFシステムを発売。各社これに習う形でAF戦争激化。
 プロ用一眼はニコンがF4、キヤノンがEOS1を発売、以降またまたこの2社がフラッグシップを交代でとりつつ、今はデジカメの時代へ。
 AF一眼で失敗したオリンパスはAFに注ぐパワ−をデジカメに投入、コンパクトデジカメは各社の隙を付いた形でオリンパスはシェアを50%まで拡大。これを切り崩す形で各社はコンパクトデジカメ開発に参入。
 一方、ミノルタはデジタルへの参入に遅れた。やむなくコニカと合併。コニカミノルタとして手振れ防止対策のデジタル一眼を発売後、その後の開発コストを考えることにより収支決算後写真業界撤退。デジタル写真技術は家電メ−カ−、ソニ−へ無償提供。
 さて、この間、ニコンとキヤノンはあいかわらずデジタル部門で激突中、プロ用デジタル一眼のフラッグシップを握るのはどちらかで激戦継続。
 ペンタックスはこの時代を静観。マイペ−スをとる形でKマウントを維持する形で手軽なデジカメ一眼を発売していく。
 カ−ルツァイスレンズを売り物にしていたコンタックスこと京セラはAFの波にもデジタルの波にも乗れず写真関係はすべて撤退。時代は一気にデジタルに突入。ツァイス特有のレンズ描写はデジタルという波には勝てなかった、
 リコ−はマイペ−スでコンパクトデジカメを銀塩カメラの土台の上で構築し、事務機器を専門としつつもカメラ部門を残し、カメラそのものも事務機器の一部という位置付けを徹底。

 さて、この隙をついてコシナは次から次へと銀塩カメラのレンズを発売、とうとうツァイスとフォクトレンダ−の老舗の看板を二つ手に入れる。たぶん銀塩レンズで最後まで生き残るのは意外にもコシナかという予想がつくまでに至る。
 
 時代はデジタルへと流れ込み、ソニ−はツァイスのレンズブランドとコニカミノルタの技術ノウハウを手に入れる。一方、家電メ−カ−のパナソニックはソニ−に対抗する形で、ライカのレンズを搭載、独自の路線でデジタルブリッジカメラを順次発売。時代とはおもしろいもので、数十年前のコンタックス、ライカ戦争はなんとソニ−対パナソニック戦争になだれ込もうととしている。

 最終的に残るのはデジタル一眼カメラはソニ−、パナソニック、ニコン、キヤノンの4社になるのかもしれない。しかし、忘れてはいけないのは、たとえデジタルといえども、元をただせばニコン、キヤノン戦争とそれに追いつけ追い越せで開発を続けたミノルタ、ペンタックス、オリンパスがあったことである。
 光学メ−カ−のあったことが今日のデジカメの基礎となつていること、また日本の企業が戦後復興していくのにリ−ダ−をとったのが光学メ−カ−であったことである。その企業努力があったからこそ、デジタルカメラの主流が日本オンリ−となったことである。

2006/05/22(月) パンつくり
 手作り、天然酵母パンということで、昨日の日曜日に酵母をいただいてきた。夜落ち着いてから、昼間のうちに女房が一次発酵させておいたものを使い、まるで陶芸の粘土のように菊練りしてから2次発酵させて焼いた。
 僕の場合は、この酵母というものに非常に興味がある。なぜ?、それはどぶろくが造れるからである。この種酵母を今度の冬までに大事に育てておこう。どんなどぶができるか楽しみである。
 自然食ブ−ムということで、最近いろいろなことがはやっている。もちろん時の流行というだけのことである。健康とか自然食とか無添加とかいうが、まだ日本は豊かだということだろう。
 本当に貧しくて食うものに困ったとき、人は何でも食うのである。第二次世界対戦、日本軍が行ったあきらかに無謀といえるインパ−ル作戦、このとき人肉を食べたという話がある。もちろん殺し合い食べたということではない。死んでしまった人の肉をとかげの肉と称して食べていたという。
 これをテ−マにした大岡昇平の小説「野火」はあながちうそではないと思う。
 だから、あまりにも自然食、自然食などという人を見ると、僕はなんだかわが事のように恥ずかしくなる。豊かな時代の申し子であることに恥じらいを覚えるのだ。
 日本の農業が豊かになつたのは、化学肥料と農薬のおかげなのである。今でこそ米はあまっているし、売れ行きが悪いが、日本人は弥生の昔から米を基本としてきた農耕民族である。種を蒔き、じっくりと収穫を待ち、取り入れのときに神に感謝しお祭りをする。これが日本人の基本なのである。

・・・・何を言おうとしていたのか、わからなくなった。そうそう天然酵母だ、天然・・天然・・人物に天然というと、、まぁいい意味なのか悪い意味なのかよくわからないが、そういう人はたしかに存在する。僕の女房である。100%天然素材。

2006/05/21(日) ビックコミック
 もう二十数年購入しているマンガ雑誌「ビックコミックオリジナル」。これだけは考えてみればすごいことだと思うが、一度も買いそびれたことがない。もちろん本屋さんに予約しておけばいいのだが、独身時代は引越しの連続だったので、そうもいかなかったわけである。
 ずっと続いているのは「あぶさん」、「浮浪雲」、「三丁目の夕日」、「釣りバカ日誌」である。
 最近は僕が読み終わると次に娘が飛びついて読み、続いて息子が読んでいる。ただし大人のマンガであるから、かなりエッチなシ−ンもときたま載ることがある。しかし僕はそのまま渡す。たぶん子供達はもっとすごいのを見ているだろうからという考えである。
 ある時、女房が何気なく読んでいたら、すごいシ−ンがあったと言うことで、そこだけ破いてあった。あんなの子供に見せちゃダメというわけである。僕は別にいいんじゃないの、隠したってしょうがないじゃん!!と言って知らん顔していた。
 今時のマンガ、かなりひどいのがある。特に女の子のマンガはすごい。それに比べれば男が読むのなんて単純である。そういうことが母親としてわかっていないのである。ましてや一人ひとりにパソコンを与えてネットをやらせているのだ、見るなというほうが無理である。
 この情報化社会、隠さないでOPENにしたほうが変な道に入らないという意味で健全だと思うのだが。

2006/05/20(土) サイト
 本日夕方、知り合いが農家民宿を始めるというので、ホ−ムペ−ジの作り方を説明に出かける。フラッドスキャナ−は以前僕がリサイクルショップで買ったエプソンのGT7000をプレゼントした。

 さて、そのスキャナ−のドライバ−のインスト−ルから始めて、フォトショップの加工のやり方、チラシを作る際のイラストレ−タ−の使い方、最後にビルダ−とGoLiveの説明をする。アドビづくしである。もちろんパソコンは2000なのでバ−ジョンも当然ながら古かった。ただ、フォトショップはVer5.5ですでに完成していると思うのでまったく問題はない。つまり我々の使えることは、すでにこれだけで充分である。最新のCS2などを高いお金を出して買っても、重たいだけで、実際には使いこなせない。

 今日はこういうことが出来ます。ああいうことが出来ますという説明だけで終わった。終わってから感想を聞くと・・・さっぱりわからなかったということである。無理もない。自分もそうだった。今度は何から教えようかなどと悩んでしまう。つまり僕自身も基礎からきちんと習ったわけではないので、教えるときもどうやって教えていいのかわからない。

 教えるとという事は、もしかしたら自分で習得するより難しいかもしれない。

2006/05/19(金) 平穏無事
 まぁ今のところ平穏無事で日々が過ぎていく。お金はあいかわらずないけど。
 宮元輝の小説「道頓堀川」の中で出てくる酔っ払った二人の会話の台詞、

「まぁ、お金なんてものは生活に困らないだけあればいいんだよ」

「その生活に困らないだけのお金がないから困っているんだよ」

まったくである。

2006/05/18(木) EOSマウント
 今月は金がない。異常にない。しかし、本当に欲しいものは少額ならなんとか金を作り出してしまう。これがお金の不思議さである。ついに買ってしまった。EOS用M42、Pマウント。
 ヤフオクで2500円でGET。送料500円、振り込み手数料、ぱるる利用で130円。しめて3130円。

 これで古いPマウントレンズとタムロンのマニュアルレンズがすべてEOSのデジタルにくっつく事になる。これはすごい事である。
 まずペンタックスのタクマ−関係はすべてOK、これが約5本、フジのレンズが標準マクロを含め2本、タムロンのアダプト−ル2のマニュアルレンズは1約10本はつく。そうだ、ロシアンレンズ数本も付けられる。

 何よりすごいのはベス単の改造レンズがEOSのデジタルに付くのである。大正時代のレンズがデジタルで撮影できるのである。これはありがたい。微妙なボケ味をその場で確認できるのだ。

 タムロンの往年の名レンズ、90mmのマクロがEOSに使える。このレンズ、さらにアダプタ−をかますと等倍まで撮影できるのだ。タムロンのレフレックス500mmも付けられる。
 このEOS用アダプタ−は他にも、ニコン、コンタックス等があり、さがせばFD用、OM用もあるはずである。夢は広がる、広がる。
 デジタルで撮影すると言う意味でもいいのだが、ポライロイドがわりに撮影後に確認ができるというのが実にいい。その後にレンズを銀塩カメラに付け替えてフィルム撮影などという芸当もできるのだ。もちろんデジタルEOSではなく銀塩のEOSにも当然付けられる。たった2500円(といっても今の自分には大金)でこれだけのレンズとボディにシステムが広がるなんて、、これはすごい。


 

2006/05/17(水) 土器、陶器
 夕方時間ができたので陶芸を再開。なんとなくこんなものを作った。西洋の花入の形に耳を付けて、文様は縄文。和洋折衷。
 明治維新に紋付はかま姿で靴を履く、もしくは背広姿で頭がちょんまげというスタイルである。

2006/05/16(火) オリンパスOM2n
 このカメラ、僕が初めてオ−バ−ホ−ルをした第一号である。電子シャッタ−の泣き所で、壊れたら素人修理はできないのである。ただ10年前にオ−バ−ホ−ルしたおかげで、今でも現役で使える。ただし今度壊れたら修理はできないと思う。残念だが。
 思えばあれから10年、あの時5歳の息子が今では高校生である。などと遠い昔を懐かしんでる暇はなく、毎日が金に追われて忙しい。ときどきお金のために人生があるのではと考えてしまう。特に今月は税金、会費等をまとまって支払わなければならない。金、かね、カネ、あ〜、モウイヤダ。
 アメニモマケズ、カネニモマケズ、ジョウブデツヨイココロヲモチ・・・・・マケソウ(笑)。

2006/05/15(月) カメラ棚
 最近また銀塩の一眼をいじっている。使って撮影していると書けないところが情けないが、デジタル一眼を手にしてから、がぜん銀塩カメラが輝いてきたのだ。デジタル一眼を買うまでは、なんとなく銀塩が古臭く感じていたのだが、やはり質感、ファインダ−、操作性、どれをとっても銀塩のほうが素晴らしい。デジタルは電化製品という感じである。そういえばソニ−の8mmハンディカムを手にしたときもこんな感じだった。ときめきはなかった。あの時とちょっと似ている。
 一連のカメラの保管場所であるが、ガラスの扉のついた書棚と古い食器棚に入れているのだが、もう限界である。コンパクトカメラなどは重ねて入れているという感じである。
 さてどうするか・・といってもどうしようもない。最善の方法はこれ以上カメラを増やさないということであろう(笑)。

2006/05/14(日) 母の日
 本日は母の日ということで、3軒分の寿司を夕方になって握った。8合も米を炊いたが、シャリが不足してネタが余った。さすがに3軒分はきびしい。
 さて夕飯となって寿司を食べようとしたが、食えない・・・。眼で見てお腹がいっぱいになってしまっていたのである。2時間以上もみっちり寿司を握ったり巻いたりしていたので、もう見るのもいやになる。
 寿司といえば、昔は握りなんぞ食べたことはなく、寿司=のり巻き=かんぴょう+デンブであった。そして食べるのは必ず運動会である。今思えば屋外での食事、悪くならないように酢を使った携帯食料ということで、理にかなっていることに気づく。
 
 いつのまにか自分で寿司を握るようになっていた。右手で握り左手でネタを持ち・・・このやり方、寿司を握るときに硬く握り過ぎないという点で、これまた合理的にできている。
 もともと江戸時代、やたら火事が多くて「喧嘩と火事は江戸の花」というくらいである。つまり火事のときのおにぎりの炊き出しから始まった。そこで飯に酢を混ぜ合わせてシャリが悪くならないようにした。ついでにこのおにぎりにおかずを載せたことが始まりらしい。
 いずれにしても長期保存のために庶民が編み出した生活の知恵というものであろう。

2006/05/13(土) 古い歌
 中島みゆきの歌に「りばいばる」というのがある。この歌はかなり思い出深いのだが、ネットでダウンロ−ドして久しぶりに聞いてみた。一曲200円である。便利である。まさかこんな時代がくるとは夢にも思わなかった。
 さて、なつかしついでにギタ−を持ち出し、昔自分が作曲した歌を何曲か歌ってみた。なつかしくて涙がでるほどだが、この一連の歌を時代というふるいにかけると、残った歌は5曲くらい。今の時代でもまだ聞けるかなという程度であるが、アレンジを変えるとまた新しい歌となるから不思議である。
 いまさらという感がないでもないが、この時代である。残すべくは残したいと思う。

2006/05/12(金) ミノルタXD
 思いつきでミノルタXDを持ち出し撮影した。現像した。なんと・・ネガ画像のコマの上半分くらい真っ黒なコマが36枚中10枚あった。XDを仔細にチェック、すると時々シャッタ−が半分しか開いていないことが判明。
 いよいよこのXDもご臨終かと、あきらめたが、はて、そういえば以前、マニュアルとオ−トの切替がスム−ズでないと思い油を少し注したことを思い出した。
 もしかしたらと思い、本日仕事帰りにベンジンを購入、縦走りの金属幕シャッタ−にベンジンをポタンとたらして、シャッタ−を切りながら拭き吹きしたら、あら不思議、見事に直った。
 恐るべきはミシンオイルである。ちょっと垂らしただけで、それがシャッタ−幕まで回っていたのである。
 これでまた使える。むふふ・・・・こういう時って、新品のカメラを買ったときより何故かうれしい。これってやっぱり病気なのだろうか(笑)。

2006/05/11(木)
 女房の車が調子が悪くて新車を購入することにした。軽自動車にするか普通車にするかということで散々悩んだが、結局軽自動車にきめた。
 さて、ネットでも散々サ−フィンしたわけだが、あっちにリンクこっちにリンクで結構大変である。軽ということになると各社あるわけだが、一番の候補はSUZUKIのワゴンRであったが、これで見積もりもしてもらった。しかし二転三転、最終的にSUZUKIの軽自動車Keiの赤にした。
 もちろん総天然色の女房のこと、ここで面白いお話がある。ネットサ−フィンの最中であるが、スズキのサイトを出してほしいといった後に

「今度はスズキのトヨタを出して!!」

これを聞いていた息子と娘は

「・・・・・・????」

なんと言っていいのか、僕もずいぶん迷った。で、結局スズキの後にトヨタを出して、その傘下のダイハツを出してやった。
まぁいいか(笑)。

2006/05/10(水) 忘れたこと
 本日は調子付いたついでに暗室に入ってみた。ところがこちらはぜんぜん調子が出ない。プリントってこんなに難しかったんだと改めて思う。
 そもそもネガがまちまちでその度に印画紙が無駄になっていく。何枚も無駄にしても、その作品がすばらしく、プリントするのに値するものならばとにかく、駄作なのにさらに印画紙を無駄にしていく。これほど疲れることはない。
 パソコンで見ていいと思ってもプリントするとぜんぜんだめというものもかなりあった。あまりにもパソコンの世界が簡単すぎて、すっかりその世界に毒されてしまった感がある。
 もう写真なんてやめてしまおう・・・・そんなことを本気で考えてしまった。うぅぅぅ・・・。しかし、あの大量のカメラはどうするのだ・・・やはり写真を続けるしかないようである(笑)。

2006/05/09(火) 体で覚えたこと
 久しぶりに土をいじる。あの大雪以来ほとんど土に触っていない。大丈夫かなと少し心配したが、一度体で覚えたことは結構忘れないものである。
 家族の飯茶碗を3つ作らなくてはいけなくなり、まずはこれをつくり、ついでに赤の土で一輪挿しなどを作った。夕方のわずかな時間、手ろくろで作った。
 チンタが死んでから、なんだか気が抜けたようであまりこういことをやる気にならなかったが、それでも少しずつ僕の心も元に戻りつつある。

2006/05/08(月) エレキギタ−
 娘がエレキを弾き始めた。といってもまだコ−ドを3つくらい覚えたくらいで、初心者の常でやはりFコ−ドで引っかかっている。ここを乗り越えないと未来はない(笑)。
 それでは自分はどうだったかと振り返ると・・・覚えていない。いつのまにかできるようになった。だからコツとかそういうもので指導できないのである。
 エレキとアコ−スティックとどちらが楽かと言うとエレキのほうが弦の張りがやわらかいので楽である。だからエレキから覚えてしまうとアコは弾けなくなる。アコから入るとエレキは弾ける。
 では初心者にとってどちらがいいのかというと疑問である。なんともいえない。当時、つまり僕がギタ−を始めた頃はエレキなんてとんでもない。高嶺の花である。アコでさえもろくになかった頃である。
 アコといえば最近ヤイリのギタ−がすごいそうである。今になってと、昔からギタ−をやっていた人間は感じているだろう。ヤイリのギタ−は当時から評判がいいのである。あの頃は、そうだなぁ井上陽水が使っていたと思う。プロはギブソンかマ−チンかというときに、堂々と国産のギタ−を使っていたのである。その頃、自分は陽水は地味だし質素だなぁと思っていた(笑)。

 では今どう感じているかと言うと、正直なところ僕はギタ−なんて何でもいいと思っている。大事なのはチュ−ニンク゜がきちんとできてフレッド音痴でないこと。ギタ−の鳴りのよさはある程度は腕である。下手な人が使えば100万のギタ−でさえも1000円の音さえ出せない。これだけは僕が30年以上ギタ−とかかわってきた経験から自信を持って言えることである。

2006/05/07(日) 日曜日
 ばかばかしい連休が終わってやっと田舎にも春が来た。今日は日曜日だ。午前中に珍しく部屋を掃除したりした。午後より集落の共同作業。夕方5時ごろより「あんぼ」を作る。
 このあんぼ、量が少なければそんなに大変ではないのである。米の粉をこねながら、同時にお湯をがんがんと沸かしておき、具を詰めて丸めたものをどんどん入れていく。
 夕飯はあんぼ。3個も食べるとおなかいっぱいである。しばらくは見るのもいやになる。
 今でこそあんぼは珍しいご馳走であるが、毎日これを食べさせられたら、いやになるのもうなづける。

2006/05/06(土) 古いネガ
 チンタが死んでからというもの毎日が何かを忘れているようで変である。古いネガにはチンタの写っているものが沢山ある。そんなものを整理しているうちに、またちょっと涙ぐんでくる。
 生と死はいつも隣り合わせである。そんなことにあらためて気がついた。このピンボケの写真、これが今の自分に一番似合っていると思った。

2006/05/05(金) 連休
 一日くらいはどこかへ家族を連れて行かないとと思い、信州から上越方面に出かける。飯山の菜の花畑はまだ開花せず、予定変更して上越へ出かける。
 栄村の西大滝の桜は今が満開。いつもより一週間遅れというところである。暑い一日、初夏を思わせる一日。平和であることに不安を感じるような一日である。

2006/05/04(木) パソコン摩訶不思議
 本日は仕事、ただし連休中なのでヒマ。午後より友人の熊さんという人がきて、パソコンの最終調整。CPUをPEN3の450Hhzからカッパの866MHZに交換、グラフィックカ−ドの16Mに交換して、よし完成と思いきや、512Mあるはずのメモリ−が390しか認識せず。二人であれだこれだとはめかえては努力したが、駄目である。まぁしょうがないか・・・とあきらめて、これでいいやと、アップデ−トを済ませてみて、再起動!!。ありゃり512Mで認識している。
 これだからメモリ−は嫌いである。高い割りに相性とかがあってなかなか面倒である。まぁとにかくよかった。

 さて、その後ためておいたモノクロネガをパソコンに取り入れたりして、次に土面の体験実習の乾燥調整をしたりと、仕事が暇なわりには別の方面で忙しい一日だった。

2006/05/03(水) 目覚まし時計
 何となく屋根裏でタバコを吸いながらぼ−っとしていると、なにやら遠くで誰かが話している声がする。息子が下でエレキでも弾いている音なのかと考えたが、どうもそうではないらしい。
 屋根裏兼物置なので隣には雑多なものがやたら置いてある。音のするほうに注意深く近づくと、なんと目覚まし時計が音を出していたのだ。この時間にいつも鳴っていたのだろうか。

「朝だよ、起きて、起きて。今日も一日がんばろうね」

 そう言って目覚まし時計が鳴るのである。これは息子が小学校に入学するときに、進研ゼミの子供チャレンジの入学記念についてきたものである。
 あれから約10年か・・・・とつい過去を振り返ってしまう。この10年、子供達は成長した。息子が今年高校入学である。しかし、お前は成長したのかと、つい自分に問いかけてしまう。なんだか単純に年だけ重ねたような気がする。写真だ、カメラだと言いながら、結局何だったんだろう。
 残されたネガは膨大な量である。整理するような気にもなれないが、たぶんフォトコンで入賞するような未発表の写真も沢山あるに違いない。だからどうだと言うのか。過去は振り返っても・・・。特に写真に関してはだ。
 
 目覚まし時計。この時計に初めて電池を入れた時は、うれしかった。すべてが輝いていた。でも時代は変わる。いやおうなく時計の針はすすむ。誰でも死というゴ−ルに向かってすすむ。そして最後は過去も未来もない永遠という世界に入るのだ。

2006/05/02(火) またまたパソコンいじり
 友人より安いパソコン一台作ってくれと以来を受けた。予算はかなり安い。まぁいつも世話になっていることだしと引き受ける。
 その友人は自分でパソコンを作るので、HDDとメモリ−が余っているという。それを持ってきて組み立てる。ところがIBMのHDDがBIOSで認識しているのにOSを入れることができない。それじゃスレ−ブでどうかと考えやってみたが、やはりだめである。40Gなのでもったいないのだが断念、残念である。あとで電話をしたら、そういえばよくトラぶっていたという。でもはずしたときはぜんぜん大丈夫だったということである。摩訶不思議である。
 そのパソコン、一日で完成。なんとか使える状態である。

2006/05/01(月)
 夕方仕事のあと娘を歯医者に連れて行く。ついでに買い物に出かける。歯医者の後娘が靴下を買うというので「しまむら」に寄った。僕はこの店には用事がないので車の中で待つこと20分。う〜ん、中学生のくせしてやはり女の買い物は長い。
 その間僕は車の中でガソリンスタンドのイルミネ−ションを見ることもなしに見ていた。そしたらなんだか物悲しくなってきた。僕の雨の夜の思い出というものはろくでもない事に気が付いた。彼女と別れた雨の夜とか、財布を落として捜し歩いた夜とか、友人が交通事故で死んで、やりきれない思いでさまよい歩いた夜とかである。
 思えばいろいろなことがあった。でもそのときそのときを真剣で生きていたので、今振り返っても後悔はしていない。そんなことを何となく考えていたら娘が帰ってきた。
 もし後悔があるとすれば、むしろ今である。今自分が何をすべきなのかということが問題である。このブログをつけている今も雨は屋根裏のトタンを叩いている。こんな夜は物悲しいのである。女房は夜勤でいない。チンタは死んだ。子供達はそれぞれの世界で生きている。
 なんとなくセンチになる夜、こんなときは誰でも詩人になれるのかもしれない。でも、今の自分には詩はかけない。書こうとしても書けないのだ。別の言い方をすれば書き方を忘れたと言うべきだろう。二十歳の頃、詩はいくらでも書けた。そして歌も沢山作った。今は書けない。
 近くに二十歳の頃のアルバムがある。これを何となく開いてみる。1ペ−ジ目に詩が殴り書きしてある。これを紹介して今夜のブログにしよう。この詩を読むと、あの頃の生活がありあり甦ってくる。ちょっと恥ずかしいが(笑)、時効ということで・・・・。

未完成なる諸事

君の背中の向こうで
鉛筆のかけらが笑っているじゃないか
君の心の片隅で
拾えなかった詩がうつむいているじゃないか
君の心がゆがんだら
遠い故郷が透けて見えるよ

苦し紛れに爪を噛んでいた恋人は
今はもう死んでしまっただろう
君は透けて見えるナイロン袋に
いったい何を吹き込んだんだ
誰にだって見えるじゃないか

君はもともと素直じゃなく
隠せないから
仕方なく素直になったんだろう
細い針先にすべてを隠して
いつ使おうというんだい

終わったものが
手招きで呼び寄せて
君はまたその中に入ってしまうんだね
まるで今だけ死んでいるみたいに
透けたナイロン袋の中で
とっても楽しそうに笑っているんだね。

とっても楽しそうにね


うう・・・恥ずかしい(笑)。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.