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2006/05/23(火)
ニコン、キヤノン戦争
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35年ほど前、老舗のニコンにキヤノンが食いついた。ここからカメラ業界でトップメ−カ−2社の熾烈な高いが繰り広げられる。ニコンFの独壇場であったプロ用一眼レフにキヤノンはF−1という一眼レフで噛み付く。これを受けてニコンはF2で対抗、これに対しキヤノンはニュ−F−1でさらに噛み付く。逃げ切った状態で電子シャッタ−搭載のF3の発売。対しキヤノンはAEなら得意とEOSの基本みたいなT90で追い討ち。 そんな戦いをしている中、ミノルタがα7000で一気にAFシステムを発売。各社これに習う形でAF戦争激化。 プロ用一眼はニコンがF4、キヤノンがEOS1を発売、以降またまたこの2社がフラッグシップを交代でとりつつ、今はデジカメの時代へ。 AF一眼で失敗したオリンパスはAFに注ぐパワ−をデジカメに投入、コンパクトデジカメは各社の隙を付いた形でオリンパスはシェアを50%まで拡大。これを切り崩す形で各社はコンパクトデジカメ開発に参入。 一方、ミノルタはデジタルへの参入に遅れた。やむなくコニカと合併。コニカミノルタとして手振れ防止対策のデジタル一眼を発売後、その後の開発コストを考えることにより収支決算後写真業界撤退。デジタル写真技術は家電メ−カ−、ソニ−へ無償提供。 さて、この間、ニコンとキヤノンはあいかわらずデジタル部門で激突中、プロ用デジタル一眼のフラッグシップを握るのはどちらかで激戦継続。 ペンタックスはこの時代を静観。マイペ−スをとる形でKマウントを維持する形で手軽なデジカメ一眼を発売していく。 カ−ルツァイスレンズを売り物にしていたコンタックスこと京セラはAFの波にもデジタルの波にも乗れず写真関係はすべて撤退。時代は一気にデジタルに突入。ツァイス特有のレンズ描写はデジタルという波には勝てなかった、 リコ−はマイペ−スでコンパクトデジカメを銀塩カメラの土台の上で構築し、事務機器を専門としつつもカメラ部門を残し、カメラそのものも事務機器の一部という位置付けを徹底。
さて、この隙をついてコシナは次から次へと銀塩カメラのレンズを発売、とうとうツァイスとフォクトレンダ−の老舗の看板を二つ手に入れる。たぶん銀塩レンズで最後まで生き残るのは意外にもコシナかという予想がつくまでに至る。 時代はデジタルへと流れ込み、ソニ−はツァイスのレンズブランドとコニカミノルタの技術ノウハウを手に入れる。一方、家電メ−カ−のパナソニックはソニ−に対抗する形で、ライカのレンズを搭載、独自の路線でデジタルブリッジカメラを順次発売。時代とはおもしろいもので、数十年前のコンタックス、ライカ戦争はなんとソニ−対パナソニック戦争になだれ込もうととしている。
最終的に残るのはデジタル一眼カメラはソニ−、パナソニック、ニコン、キヤノンの4社になるのかもしれない。しかし、忘れてはいけないのは、たとえデジタルといえども、元をただせばニコン、キヤノン戦争とそれに追いつけ追い越せで開発を続けたミノルタ、ペンタックス、オリンパスがあったことである。 光学メ−カ−のあったことが今日のデジカメの基礎となつていること、また日本の企業が戦後復興していくのにリ−ダ−をとったのが光学メ−カ−であったことである。その企業努力があったからこそ、デジタルカメラの主流が日本オンリ−となったことである。
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