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2006/06/14(水)
雪解けの頃の思い出 その3
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その日、夕方に家に帰ると兄や姉にどざえもんの事を話した。興奮気味に何度も話したような気がする。するとそれまで黙っていた祖父がいきなり怒り始めた。 「そんな話をするんじゃない!!黙っていろ」 僕はなぜ怒られるのかよくわからなかったが、祖父の尋常ではない顔色で口をつぐんだ。翌朝親父はからかい半分に、夢の中にどざえもんは出なかったかと聞いてきた。僕は首を横に振ったが、そんなことより祖父が異常に怒ったわけを知りたかった。その答えは学校から帰ってきてからすぐに知ることになった。 学校から帰ると何故か仕事に行っているはずの父がいた。どうしたのと聞くと、 「いや〜、まいったまいった、第一発見者ということになり警察に呼ばれてしまい、今日は一日仕事は休みだ」 そのとき、初めて祖父が夕べ怒った意味がわかった。警察に呼ばれるということである。つまり知らん振りしているのが一番いいということである。 これは最近他の地域の人から聞いた話だが、もう時効なのでここに記してもいいだろう。当時、僕の祖父はどざえもん流しの名人だったらしい。これも母から聞いた話だが、玄関で村の総代がきて、玄関でひそひそと話をしていると、祖父は竹の長い杖を持って出かけたらしい。その杖はどざえもんが信濃川に浮いていた場合に流してしまうためのものであった。 どうしてそんなことをするのかは理由がある。つまり村にどざえもんがあがった場合は当時の慣例で村で仏の面倒を見なくてはいけなかったらしい。 村では行方不明者の届出がなく無縁仏として警察が処理した場合、村で葬儀から埋葬まで面倒を見なくてはいけなかったらしい。だから、流してしまえというわけである。ただし、平然と流してしまうと問題がある。だからこちら岸へ手繰り寄せるふりをしながら、失敗したということで流してしまうのが一番いいのである。 これは村の人に責任があるわけではない、当時の行政に問題があるのだ。そういう無縁仏を埋葬する場所も決まっていたらしい。また僕の村だけではなく、信濃川沿いの他の村でもそういうことをしていたらしい。
つづく
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