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2006/06/04(日)
日曜日
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ひょんなことから午後から時間ができた。来週は運動会だし、今だとばかりに庭木の剪定と草とり、花壇の整備などをやる。 庭木はたいした本数はないのだが、今年の豪雪でやられたために悲惨な状態である。これは我が家だけでなく、この地区全体にいえるのだが、一時期にくるドカ雪だと枝に積もった雪がかなり負担になるらしい。休み休み積もる雪はそんなに負担にならないのだが。
庭をいじりながら考えた。チンタのお墓をどこにしようかと。雪椿の木の下にしようかと考えているのだが、そばに電柱がある。こいつがどうも邪魔である。
「百姓は草との戦いである」と言ったのは、信州出身の写真家であるが、まさに的を得ている言葉である。草がはえなければ畑作はかなり楽勝のはず。田んぼは除草剤のおかげでかなり楽になったが、その反動で、有機米、無農薬米というのが登場してきた。我が家は除草剤は初期にほんの少量使うだけなので心配ないが、自ら食べる米、野菜という観点になると使わないにこしたことはない。
ひどい農家は、出荷用と自家用に分けて農薬を使い分けている。自家用はほとんど農薬を使わないくせに、出荷用はばんばん農薬を散布している。これはひどい。ただし、システムにも問題がある。形のいいものでなくては買い取ってくれないからだ。消費者も虫の穴のあいていないもの、形のいいものを選ぶ。ここに矛盾がある。どうして虫がたべるほど安全でおいしい野菜だという認識がもてないのだろう。消費者の意識が変わらない限りこの問題は解決しないと思う。「虫も食わない」とは悪い意味の言葉だということを考えて欲しいものである。
草とりをしながら思い出す。去年は草むしりをしているとチンタが庭でのんびりと散歩していた。わずか一年前のことである。そして今はいない。不思議なことである。生あるものは必ず滅する、これは世の常であるが、心の中はそんなに簡単に割り切れない。そんなことを考えるたびに目頭が熱くなる。
なんだかここ3年ばかりいろいろな事で忙しかった。今年はチンタを思い出しながら、季節の移ろいに眼を向けてみたい。花は必ず時期が来れば開き、秋には実をつけて冬を迎える・・そんなことをしっかりと見つめてみたいと思う。
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