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2006/06/06(火)
夕立
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一雨来そうな夕方である。珍しく当日分のプログをつけているわけだが、よく考えたら雨が最近振っていない。花の苗でも買ってきて植えようかと柄にもないことを考えているのだが、少し土が湿ってもらわないと。 そういえば恒例の朝顔もまた始めなくてはいけない。今年は少しは新しい種を追加しようと思う。
夏の花の代表が朝顔とひまわりだが、僕は正直ひまわりはあまり好きではない。根が暗いのだろうか(笑)。派手に咲いているひまわりを見るとなぜかコンプレックスを感じる。朝ひっそりと咲き、お昼にはしぼんでいる朝顔のほうが好きだ。
ひまわりは権力者の象徴のような気がする。小説でもそうだが、庶民のつつましい生活の中の中で一生懸命努力している生き様がいい。結果は失敗かもしれない。でも生きているということを感じられるのはそんな時ではないだろうか。
若いとき、働きながら学校に行っていた僕は、いろいろな人にお世話になった。そのとき感じたことだが、お金持ちで成功した人よりも、貧乏でやっと暮らしている人の方が僕に親切だった。だから僕もがんばっている人の応援をしてあげたいと思う。できる範囲でしかできないが。
貧乏人はいつまでたっても貧乏人というのは、単なる貧乏人の僻みだが、世の中がお金を中心に動いているのは紛れもない事実である。成功した人=お金持ち、というのも変なことだが、世の中の多くはこの方程式である。朝顔には成功のイメ−ジがない。だけど失敗作という花でもない。だから好きである。
子供たちが小学生の頃、夏休みといえばラジオ体操に一緒に行き、朝顔の花を見て、それから庭にあるブル−ベリ−をつんで食べる毎日だった。今はブル−ベリ−をつんで食べる人もいなくなった。たまにつんではジャムにしている。これと自家製ヨ−グルトを混ぜるとすこぶる美味であるが。
とにかく今の自分に必要なのは季節を楽しむことだと思う。今年こそは今年こそはと思い、たぶん一生が終わるのかもしれないが、意外とこれが人生の真理だったりする。そう考えると縄文人はとにかく万葉の人たちは今の我々よりも心が豊かだったのかもしれない。それは歌にたしかに表れている。 もっとも源氏物語などは、あり余る時間をSEXに使っているわけで、このあたりの性欲の世界は今とあまり変わらない。フリ−セックスだった当時のことと違うのは、今は不倫ということになると思うが。
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