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2006/07/31(月) 秋の大作
 秋になると文化祭ちというものがある。その時期になると、またあちこちからお呼びがかかる。そのためには今から作品の準備である。今回はすかし彫りという技法である。つぼの中に筒がある。まぁよくある方法ではあるが。ここにいたるまでに3日かかっている。

2006/07/30(日) 珍しく何もない休日
 朝、眼が覚める。さて仕事だと思ったら、あ、日曜日か・・・と思いつつ、今日は何があったっけと布団の中で考える。う・・もしかしたら何も無いのではと気がつく。
 部屋の掃除をして、珍しくコ−ヒ−の本物を落として、ゆっくりと政治の討論をTVで見る。消費税10%か・・当然だよなぁなどと思いつつ、やだなぁと思う。
 屋根裏は暑くてたまらないので居間のパソコンを立ち上げて、ディスプレイを見ながらギタ−を弾く。お昼になる。子供達は夏休みなので、このくそ熱い中で熱い熱いみそラ−メンを作ってあげる。汗がたらりたらりである。
 午後になり、息子のお待ちかねのベ−スの弦を買いに行く。もちろんハ−ドオフである。新品4本セットでなんと500円。ついでにアコギのライトゲ−ジも2セット買う。全部買っても1500円でおつりがきた。安い・・・・。
 その後に楽器屋さんに行く。順序が逆のようだが、これで正解である。楽器屋は弦が高い。息子は何か譜面を探していたようだが、現状では何をやっていいのかわからないみたいである。好みのア−チストがいないのだ。我々の頃のパ−プルやツェッペリン、クラプトンをなんとか弾いている。
 帰ってからの夜、クリ−ムを二人でやってみる。古いよなぁ(笑)。息子にエレキを弾かせ親父はベ−スである。結構合ったりして面白い。その後に勉強もちゃんとやれよと言い残し、一応親父の面目を保つ。我が家には反抗期という言葉が無い(笑)。

2006/07/29(土) バンドの練習
 音楽をやっているときは楽しい。実に楽しい。昔の音楽とはいえ、5人のメンバ−がみんな同時代なので、誰かが歌いだすと自然と全員があわせてくる。この楽しさは恐らく他には無いだろう。
 帰りにかなり汚いエレキベ−スを借りてくる。壊れているのを修理して息子に渡した。かなり珍しいらしく、恐らく実物を見るのも触るのも初めてなのだろう。よしよし(笑)、明日はベ−スの現弦の新品を買ってきてやろう。

2006/07/28(金) 飲み会
 本日陶芸サ−クルの飲み会である。今日は何かあったっけとよくよく考えたら、そういうことだった。最近毎晩のように何かがあり、たまに自宅でゴロゴロしていると何かを忘れているようで不安になる。
 同じ趣味を持つ仲間の飲み会が一番楽しい・・というか、他の飲み会はほとんど出席していないのが現状である。何もオカネを出してまでまずい酒を飲むこともないのだ。
 義理で、付き合いで、みたいなものにはほとんど出席しない。義理や人情をなるべくなくす付き合いをしたいものである。とはいえ、あいつに頼まれると断れないというものも多い。だけど、それだけで精一杯である。だから義理のないものはほとんど引き受けないことにした。これ以上は無理。

2006/07/27(木) 宝くじ
 金もないのに・・・いや金がないから夢を買うのだが、宝くじを買ってしまった。10枚で3000円、当選番号発表までの庶民のはかない夢。

2006/07/26(水) 最近のこと
 毎日があわただしく過ぎていく。今年もあっという間に8月に入ろうとしている。
 さて、この地方の3年に一度の一大イベント「大地の芸術祭」が始まった。好むと好まざるにかかわらず、僕もその渦の中に巻き込まれていく。陶芸をやっていると、あっちでもこっちでも作品を出してくれといわれるが、焼きあがるたびに誰かに差し上げたり、売ったりしているので、残っている作品はろくなものが無い。それでも2箇所になんとか展示した。
 だいたい芸術などと大きな声で言うやつにろくなやつはいないのだが、芸術とは何ですかと聞かれて説明できる人もそうはいないと思う。これほど便利な言葉も無いと思うし、そもそも、みんながア−チストだとも思うし。作者がこれは芸術といえば、誰も文句がいえないものだと思う。
 一億総ア−チスト時代、自分だけは見失わないように生きたいものである。

2006/07/25(火) 陶芸
 ちょっと暇ができるといろいろなことをやるので結構夕方になると疲れてしまう。さて、陶芸の作品、いくつか作ってみたが、この梅雨の時期、乾きがなんとも遅い。
 梅雨の時期、体をしぼれば水が出るんじゃないかと冗談を飛ばしていた人もいたが、なんだか体が水っぽいようである(笑)。

2006/07/24(月) 検索
 以前より気になっている歌があった。ハイ・ファイ・セットの「燃える秋」という歌である。この歌、今までさんざん検索をかけてもぜんぜんヒットしなかった。実は漢字がちがっいたのだ。僕は「萌える秋」で検索していた。
 この頭のメロディ−を口ずさみ、いろいろと人に聞いていたが、今までにわかる人がいなかった。というより若い人たちばかりだから無理もないのだろう。
 さて、今はこの歌のタイトルがわかったので、友達に頼み込みCDを貸してもらいMP3に変換してパソコンで毎日聞いている。それにしてもハイ・ファイ・セットは歌がうまい。こういうグル−プが売れない時代になった。正統派はいつの時代でも残っていて欲しいと思うのだが、流行の波はそれを許さない。

2006/07/23(日) 多忙な休日
 休日という字は、休みの日と書く。僕の場合はかえって忙しい。ぜんぜん休みではない。
 午前中に陶芸サ−クルに顔を出してから大地の芸術祭の案内所の作品展示の確認、それからなじょもんに顔を出して、次回の広報の校正のためのプリント、各方面に校正を依頼して午前中が終わる。午後からバンドの練習。帰ってから夕食後に昨日作った陶器、コ−ヒ−カップの高台削りである。これは硬くなりすぎると削れないので明日というわけにはいかない。
 忙しい一日だった。ふぅ・・・。

2006/07/22(土) うまい棒
 一個10円。「うまい棒」である。このお菓子、いろいろな味がある。実はこのお菓子を大量に買い占めてきた。中学の学年行事に使うためである。今年は地区PTAの副会長で、該当地区長である。だからビデオ鑑賞会のときに配るためにいろいろとない知恵を絞ったわけである。
 学校から生徒一人に対し120円の補助が出る。ところがだいたい安いウ-ロン茶は90円くらいで手に入る。さて残りの30円をどうするかということになる。 いくら低額でも自分のポケットに入れるわけにもいかない。そこで10円のお菓子の登場である。
 実は以前からこのお菓子には興味を持っていた。子供が小学生の頃によく食べていたからである(今でもよく食べているが)。ところがいろいろな味がある事に気づいてから一口ずつ食べさせてもらった。これが実にうまい(笑)。
 そこで、今回大量に買ったわけだが、こんなに大量では一軒の店で間に合わず、2軒の店ではしごで買い揃えた。他に10円のお菓子、「あわ玉」という飴玉、それにわけのわからない焼肉味というスルメのようなやつ。こんなときの買い物は子供を連れて行くのに限る。いちばんうまいものを知っている。

2006/07/21(金) かげろう
 かげろうという虫がいる。こいつは地上ではあまり生きられないという。幼虫はあり地獄で有名である。5日前から屋根裏の網戸の外に止まっている。まったく動かない。おそらく死んでいるのだろう。かげろうについて調べた。

「蟻地獄はよく知られているが、案外成虫のうすばかげろうは見たことない方が多いのではないだろうか。幼虫は土の中に住んで、ダニみたいな不細工な形をしているが、成虫になると大きな透明の羽根を持った美しい姿になる。ただ、薄暗い所を好むようで陰気くさいイメージがあるが。
 幼虫の蟻地獄は、乾いた細かい土ですり鉢状のわなを作る。小さな虫がそこにはまりこむと流砂のように崩れてきてはい上がることが出来ない。底に蟻地獄が隠れていて、ハサミのようなあごで虫を捕まえ食べてしまう。子供の頃よくやったのは、蟻などを捕まえてきてわざと穴へ放り込んで、餌を捕まえるのを観察した。細い枝でつつくと虫と勘違いして出てくるので、騙して遊んだりもした。子供の頃はおもちゃなどはほとんど買い与えてもらえなかったので、このような面白い虫たちは格好の遊び相手だった。おもちゃが無かったら無かったで、子供は自分で遊びを見つける。当時は店に売っているおもちゃが欲しくて仕方なかったが、お陰で良い経験が出来て良かったと思っている。」

 以上引用である。僕も子供の頃面白がってよく蟻をつかまえては蟻地獄に放り込んだ。蟻にとってはずいぶんと災難な事だっただろう。たいていは神社の床下などにいる。僕の子供には、ウルトラマンに出てくる怪獣「アントラ−」だと言って教えた。夏休みのラジオ体操の後、熱心に子供達も観察していた。今では親子ともども懐かしい思い出となった。そして今親父は、かげろうを見て人生の無常を感じるようになった(笑)。

2006/07/20(木) 毎日が雨
 全国各地で雨の被害である。この地域も信州に集中した豪雨のために信濃川の水がものすごい量である。橋の上に立ち川面をみつめていると恐ろしくなってくる。
 消防署や消防団が川に近づかないように警告している。そう言われると、なおのこと行きたくなるのが人情である。しかし、それで亡くなった人もいる。自分では見学に行っているのに、子供達には近づくなと言っているのだからあきれた親である。
 高校に行くのに電車が止まった。息子は二日間バスで通学である。沿線のどこかで土砂崩れが発生したのだろうか。赤字路線、ますます赤くなる。

2006/07/19(水) バンド練習
 バンドと言っても、ドラムス、エレキがやれないので、バンドと言っていいかどうかわからないが、だんだんとまとまってきた。とりあえず「月あかりコンサ−ト」に演奏する曲をまとめているが、これでいけば他のコンサ−トもという気になってくる。
 エレキを使えない=昔のフォ−クということになるが、それも面白いかなと思う。この中で、山田君がやると言った、赤い鳥の「竹田の子守唄」が一番なじょもんらしい選曲かもしれない。この曲、僕はハモリで参加するのだが、実は生まれて初めてハモルわけで、冷や汗ものである(笑)。

2006/07/18(火) 南北朝の時代
 学校のとき、歴史のお勉強で一番わからないのが南北朝時代である。後醍醐天皇と足利尊氏くらいはわかるが、それをとりまく人間関係は非常に複雑である。
 実は最近寝る前に読んでいるのが、この時代の小説である。ばさら大名「佐々木道誉」であるこの人なかなか面白い。したたか。まぁ説明すると長くなるので省略。だいぶこの時代のからまった知識がほつれてきた。

2006/07/17(月) 連休
 二日も休みがあると困る。何故困るかというと、生活のリズムが狂ってしまう。やることは沢山あるのだが、どれから手をつけていいのか・・・。
 つまり時間があるからいろいろできるということでもない。時間が無いほうがいろいろとはかどる。追い込まれると執筆を始める作家のようなものか・・。

2006/07/16(日) 土器モデル
 町の学芸員より、土器の作り方を説明するためのモデルを色違いの紙粘土で作成してほしいと依頼を受ける。あまり気が進まなかったが引き受けた・・・失敗である。どうも、頼まれると断れない性分である。この性格のために今年はいろいろな役員がどんどん回ってきた。う〜ん参った。

2006/07/15(土) 土曜日
 毎日パソコンと格闘の日々。この間、暇があるとコンサ−ト用にギタ−と歌の練習。なんとなくギタ−を持つことで青春を取戻せるのではというはかない希望を持ってるが、それは青春を取戻すことではなく、青春を振り返るだけであることに気がつく。
 意味の無いことに情熱が傾けられるのが青春であるとすれば、限られた時間の中を有効に使わなければいけない年齢になると、なかなか難しい。

2006/07/14(金) デジタルの便利性
 デジタルは面白くないことは確かである。しかし便利である。文章を打つときにそれを一番感じる。昔は原稿用紙であった。今はワ−プロソフト。字数、行数まで指定して打つことができる。しかも文字の削除と追加は自由自在である。
 今回、町の青少年育成町民会議の総務部会長というものにさせられて、しかも広報誌まで作ることになった。そこで各部会長に原稿依頼となるが、面倒なので400字詰め原稿用紙2枚と言ってしまった。
 本日夜、その総会があり、終了後に総務部会の会議。そこで原稿をすべていただいた。今回失敗したのは原稿用紙2枚というと、みんなしっかりと2枚にびっしり書いてくること。ちょっと文字が多いかなと思う。2枚以内という言い方をすればよかった(笑)。
 デジタル、これを知ることにより、素人でもいろいろなことができるようになった。写真は作品ではなく、デ−タという事になり作品ということから遠ざかったが、他の事務全般ではデジタルの恩恵はすばらしい。
 パソコンの普及がこんなに早く浸透するとは予想外だった。思えば18年前、初めてワ−プロを購入した。便利だった。いろいろなものを打った。そして約3年前、ワ−プロが壊れたので購入しようと思ったら、すでにワ−プロはなくパソコンの時代になっていた。このわすが3年間に、OSを一通り経験する。Windowsであるが、98、98SE、Me、2000、XPである。
 そうこうしているうちに初心者にパソコンを教えられるようになっていた。今ではパソコンの無い生活は考えられない。どっぷりとデジタル文化に染まっている。

2006/07/13(木) デジタルという虚構
 いろいろなデ−タを持ち歩くのに以前より2.5インチHDDを持ち歩いている。古い壊れたノ−トパソコンより抜き取ったHDDである。非常に便利で、今までCDに焼いたりしていたものがほとんどこれでOKとなった。
 しかし、デジタルデ−タというものに最近不安を感じるようになった。形がないのだ。特に写真である。デジタル一眼があれば便利だろうと考え購入してみたものの、それは写真を撮るというものではなくデ−タを撮りためることになってしまった。
 デジタルは面白くない。これが結論である。

2006/07/12(水) ダウンロ−ド
 ギタ−のコ−ドつきの譜面であるが、昔の曲はもうすでに発売されていない。あったとしても購入する気はまったくない。たった1曲や2曲のために2千円前後の支払いはしない。
 そこでインタ−ネットである。ものすごく便利にできている。譜面一曲につき130円から200円で購入できる。すべてクレジット決済である。これは本当にありがたい。もちろん昔の曲には限度があるが、今思い出して、あの歌は今でも名曲だよなぁと思うものはほとんどある。それを印刷して手元におくとレパ−トリ−どんどん増えていく。
 そうそう、思い出した、レミオロメンの粉雪、歌のコ−ドはだいたいの勘でコ−ドを探り当てたが、間奏のサビの部分がどうしてもコ−ドがわからない。そこでまたダウンロ−ドである。時代は変わったものである。
 学生時代は、今のようなパソコンはもちろんなかったから、大学ノ−トに歌詞を書き、それにコ−ドをつけていた。最高で大学ノ−ト5冊くらいになった。あれが今手元にあればすごいことであるが、引越しのどさくさですべて無くなった。
 今あれをやれといったら絶対無理である。とにかく文字を書くことが面倒になった。もしどうしても作るとなると、もはや手書きではなく、ワ−ドか何かで作ってしまうだろう。しかし、それも面倒である(笑)。やはりダウンロ−ドしかない(笑)。

2006/07/11(火) 慰労会
 昨年度亡くなった同級生の滝沢真理子の遺作展が無事に終了した。僕は手伝ったといってもパソコンで画像処理したくらいである。
 本日の夜、その打ち上げということで僕も呼ばれた。たいした手伝いもしていなので心苦しいが、せめてもと思い、ギタ−を持参、最初に「涙そうそう」を唄わせていただく。
 その後であるが、なつかしのフォ−ク大会みたいになった。「神田川」とか「22才の別れ」「シクラメンのかおり」などなど昔の歌のリクエストである。
 この打ち上げ、最初の会費がなんとたったの1000円。最初聞いたとき耳を疑った。そんなんで宴会ができるはずはないのである。女性の方たちが幹事なのでそうなったのだろう。帰り際、自主的に男の人のみ追加金を2000円支払ってきた。そりゃそうだよなぁ、生の中ジョッキ5杯は飲んでるんだから(笑)。それでも安い飲み会である。

2006/07/10(月) ギタ−たこ
 毎日ギタ−を弾くようになった。とはいっても時間的に制約があり一日に一時間は弾けない。まあそれだけ忙しいということだが、他の事と違い夜中はうるさいからというのもある。音量をセ−ブしても夜10時くらいが限度である。
 さて、最近の若い人たちの歌は唄えない。どうしてかというと我々の頃のメロディラインとまったく違う。このあとはこうくるという原則をまるで無視している。それは悪いことではない。そうやって少しづつ変わっていくのだから。
 以前TVでなかにし礼が言っていたが、フォ−クソングが日本で流行り始めの頃、やはり同じ現象が起きていたらしい。唄い始めのメロディが、小節の頭からではなく、伴奏の終わりの小節の最後からメロディが入るというものである。こんなことは今ではあたりまえだが、それまではそういうことはなかったらしい。
 時代は変わっていく。時とともに人も音楽も変わっていく。整然としたものは一度壊されて、そしてそこからまた新しいものが始まる。
 さて、左手の指先、ギタ−だこがかなり固まってきた。こうなるとしめたものである。こうなるまでが指が痛い。

2006/07/09(日) 陶芸教室
 本日は陶芸教室の2回目である。子供たちの作った素焼きの終わった陶器に釉薬をかける作業である。これはなかなか難しくて、一般的にはここまでやらせないのが普通である。しかし、あえてやらせてしまうところがすごいことだと思う。失敗を恐れずである。
 子供たちは粘土が余ると、お人形とか怪獣とかを作りたがるのだが、作るのはかまわないが、この作業が大変である。失敗しても楽しんでもらえればそれでいいと考えている。
 一応僕が講師ということなので、まぁ勝手にやれというわけにもいかず、いろいろと飛び回りながら教える。しかし、なぜか若いお母さんのところに足が向く(笑)。男と歴史は、女と金で動くのである。

2006/07/08(土) コンサ−ト
 久しぶりのコンサ−ト出演ということで毎日が楽しい。昔はコンサ−トでは300人くらい集めたものである。あの頃は時代もそうだったのだろう。いわゆる流行というやつがあった。今はそういうことはまずないだろう。
 コンサ−トが終わった後の打ちあげのご苦労会、この酒がうまい。ひとつの事をみんなで成し遂げた満足感、これが酒の肴になる。ああいう酒は学生時代だけかというとそうでもない。僕のようにいろいろなところに顔を出していると、いろいろなところでこの酒が飲める。
 人はもしかしたら、うまい酒を飲むために生きているのかもしれない。終わった後の満足感はいい。人生の最後もこうでありたいと願っている(笑)。

2006/07/07(金) 本日は七夕
 七夕飾りをしなくなったのはいつからだろうか?子供たちが小学校を卒業してからだろうか。竹は隣の家に竹林があり、いつもそこからいただいていた。
 そういえば、自分で竹の枝を切ってくるのはいいのだが、となりのおじいちゃんに直接頼むと、よしよしというわけで、孟宗竹を丸ごと一本持ってきてくれる。ありがたいのだが、それだけ飾りつけも大変になる。沢山の飾りをつけないと格好がつかないのだ。必死で飾った覚えがある。
 いまどき織姫と彦星の伝説を信じる子供はいないと思うが、天の川はなかなか出てくれない。梅雨の時期なのであたりまえであるが、七夕の夜空で天の川を見たことがあるのは、今までの人生で2回しかない。
 七夕の歌は好きである。笹の葉さらさら・・・子供の頃姉がこの歌を唄いながら一生懸命七夕を飾っていたのも、今では懐かしい思い出である。

2006/07/06(木) 同窓会
 昔の音楽仲間と会う。10月始めに行われる月あかりコンサ−トに出るためである。このコンサ−ト、基本がアコ−スティック系なのでエレキは駄目。当然ドラムスも駄目。 選曲は昔のフォ−ク系である。
 とりあえずは曲目を決めて、セッション。楽しい。やっぱり写真や陶芸やパソコンよりも音楽のほうがいいよなぁと気がつく。でもなぁ、若いときと違い、みんなが集まる時間がない。
 歌を唄うと気分がいい。メロディラインに主張がある。文化センタ−のステ−ジを借りて練習。本来騒音防止のため夜8時までしかやれないのだが、アコ系で音が小さいということで無理に9時まで延長してもらった。
 昔の仲間、年齢は違うが、とにかく久しぶりである。同窓会みたいなもので10年ぶりに会うやつもいた。みんな仕事では中堅どこである忙しい年代だ。たまには飲もうといいつつ、なかなか実現しないだろう。

2006/07/05(水) 空回り
 忙しい毎日。でも何が忙しいのかよくわからないのである。我々の年代になると、いろいろと奉仕役職の仕事が多くなる。口もたつようになる。つまり言いたいことがいろいろ出てくるのだ。しかし、まぁ黙っていようという場合が多い。なぜか・・いろいろな立場にたつと口をつぐんでいたほうが無難という結果になるからだ。
 それでも言うべきことは言う。これでますます忙しくなる。なぜか?言えば言うほど役員が回ってくる。黙っていようと思うのだが・・・(笑)。

2006/07/04(火) ともだち 15
 翌年の春、息子は大学受験に合格した。あの事故以来、なぜか勉強ができるようになったと息子は言っていた。たぶん彼のエネルギ−がそうさせたのだろう。
 僕は新しい仕事を始めた。自営業ではあるが商売は面白いほど順調に進んだ。以前のように経済的に苦しむこともなくなったし、仕事が以前より面白くなった。そして冬になるとあれほど嫌だった雪が好きになった。雪景色が彼の言うようにすごく美しく見えた。
 
 ある日棚の上の黒い玉をみようと鏡にかざしてみた。不思議だった。黒い玉は鏡に写らなくなっていた。おそるおそる触ってみると何も手に触れなかった。黒い玉は消えていた。そのまま僕は棚の奥に手鏡を置いた。
 もしかしたら彼の星から迎えに来たのだろうか、それとも形というエネルギ−も亡くなってしまったのだろうか。それでも僕は毎日お祈りをした。ちょうど鏡に向かってお祈りをしているようにである。

 ある日僕は思った。太古の昔から日本では鏡をご神体としてきたということは、もしかしたら遠い昔に彼と同じ星からやってきた仲間が神となったのかもしれないと。そしてこの星の人たちに幸せを与えたのかもしれないと。
 今でも毎日僕は鏡に向って祈りをささげる。そして息子の成長と家族が幸せであることに感謝をささげる。そして思う、命があれば何度でもやり直しができるさと・・・。

おわり



 

2006/07/03(月) ともだち 14
 僕は木箱を開けると鏡にかざしてみた。思ったとおりだった。赤い玉は黒い玉に変わっていた。僕は鏡でしか見えない黒い玉を取り出し胸に抱きしめた。見えないけれども触ることはできる。何度も何度も撫でてあげた。僕の目は涙が止まらなかった。その一滴が見えない玉に落ちたとき、一瞬赤く光った。もしかしたらそれは錯覚だったのかもしれないが。

 息子は2ヶ月ほどすると退院してきた。もちろんこれから何ヶ月かはリハビリに通わなければいけなくなると思うが、あれだけの事故に遭い、命を取り留めた事に医師は、とんでもない生命力であると驚嘆した。
 とりあえず、今年は受験をあきらめる事にして、来年に賭けることにした。人生は命さえあれば何度でもやり直せるさ、僕は息子にそう言った。そして事故の相手方の会社と保険金によりまとまったお金が慰謝料として口座に振り込まれた。

 僕は屋根裏に棚をかけると、そこに見えない玉を置いた。僕は毎日朝晩その玉にお祈りをした。息子が蘇生したときのように胸の前に両手を組んで。
 僕はその日の出来事を毎日彼に報告した。季節の移り変わり、その日の天気、そして息子が回復していくすべての様子を。
 僕は屋根裏に上がるたびにいつも思うのだ。パソコンが自動的に起動するような気がして。しかし、もう二度と自動起動することはなかった。あれから屋根裏のパソコンは電源が抜かれたままである。しかし電源を僕は入れる気にはなれない。これは彼と僕とが会話とできる唯一のコミニュケ−ションの場だったからである。これはこのままにしておこう。ずっとこのままに。

つづく

2006/07/02(日) ともだち 13
 息子は蘇生した。妻にこの事は誰にも言うなと念を押した。妻はこっくりとうなずいた。息子が生き返るのなら何を犠牲にしてもいいと妻は言った。妻には赤い玉はまったく見えていないはずである。妻は僕が不思議な行動をしたとしか見えていないのである。
 医師は息子が蘇生したことに首をひねった。もちろん骨折部位などはそのままではあるが、とにかく心臓は動き出したのだ。僕は息子のことは妻にまかせて、とにかく自宅に戻ることにした。赤い玉の入った木箱を抱えて。

 自宅に戻り屋根裏に上がるとパソコンは起動した。

「コドモハエネルギ−ヲトリモドシタノカ?」
「アリガトウ、ムスコハイキカエッタ、ホントウニアリガトウ、アリガトウ、アリガトウ」
「ヨカッタ、キミガウレシイノナラボクモウレシイ、ヨカッ・・・・・」
「ドウカシタノカ・・」
「・・・・」
「ドウシタンダ」
「・・・」
「ダイジョウブカ」

 それ以降はパソコンは2度と起動することはなかった。彼は自分の残り少ないエネルギ−をすべて息子に与えたのである。僕の目から涙がしたたり落ちた。あと2年、あと2年この星で生きられたのに、もしかしたらその2年に迎えが来たかもしれないのに。僕は彼にとんでもないお願いをしてしまった。彼の命を奪ってしまったのだ。

つづく

2006/07/01(土) ともだち 12
 それから僕は彼の言うがままに行動した。まず縦横30センチくらいの木箱を用意した。それから手鏡を用意した。手鏡をパソコンの前に置くと、そこにボ−ル状の赤い玉が映し出された。それはバレ−ボ−ルくらいの大きさででこぼこしていた。不思議なことにそれは鏡を通してでないと見えなかった。
 その赤い玉を木箱に入れると僕は病院へと車を走らせた。必死だった。エネルギ−の共有ができるということは半信半疑であったが、今はその望みにかけるしかなかった。
 病室のドアを叩くと妻のすすり泣く声が聞こえた。間に合わなかったか・・僕は木箱を抱えて病室に入った。そして僕は足を止めた。息子の顔に白い布がかかっていた。僕の胸から熱い涙がこみ上げてきた。そしてそれはまるであふれるように流れ始めた。声をあげて泣きたかったが、声が出なかった。これが嗚咽と言うのだろうか、呻くように泣いた。僕は息子の体にしがみついた。
「起きろ、起きろ、いつまで寝ているんだ、起きろ」
 僕は息子に叫び続けた。その時だった。ベッドの脇に置いてあった木箱がカタリと音を立てると、その中から赤い玉が転がり出た。僕は0%の望みに賭けることにした。その赤い玉を抱くと息子の胸のところに置いた。妻が何をするのと叫んでいた。僕はまるで操り人形のように行動した。
 息子の胸に赤い玉を置いた僕は、両手を胸の前に組むとただひたすら祈った。これが彼が教えてくれた方法である。
 5分ほどすると赤い玉が光り始めた。そして徐々に光は落ちていった。僕は赤い玉を木箱に移すと息子の顔にかかった白い布を取り外した。青白かった息子の顔が徐々に赤みをさしてくるのがはっきりとわかった。

つづく 


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