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2006/09/18(月)
暑くてだるい一日
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暑い・・・フェ−ン現象か・・。チロもだるそうにしている。冷房をいれてあげる。初体験だぁ・・。一番涼しい場所に陣取る。猫のいる場所にに行けば一番いい環境の場所にありつけるという。納得。 息子は夕方、バンドの打ち上げということで一杯飲みに・・じゃなくて仲間と夕食に出かける。 僕がバンドというものを組んだのは中学3年の夏、当時地元の青年会の人が古いドラムセットをただでくれるというので、喜んでバンド仲間とでかけた。たしかParlのバレンシアという当時一番安いドラムセットだと思う。 ドラムス担当は喜んだが、まだ原付バイクの免許もない年である。どうやって運んだかというと、なんとリヤカ−である。リヤカ−にドラムセットを積んでほぼ3Km近い道のりをみんなで押していった。うれしかった。これでバンドが組める。 次に悩んだのはエレキギタ−とギタ−アンプである。エレキはたしか同級生から通販のトマソンのエレキを借りた。ボ-カルはアコギ、僕がリ−ドでエレキ、ベ-スは無しである。3人でなんとかバンドを組んだ。バンド名はスパロ−ズ。すずめである。まぁふさわしい名前だったと思う。アンプはラジカセにつないで最高音量でやった。のちにそのラジカセは壊れることになるが、兄がエレキを始めてエルクだかの30Wアンプを買うまではそれを使っていた。 そして、その秋、地元中学での最初で最後の文化祭バンド出演。たった一曲だけという約束で学校から許可が下りた。吹奏楽担当の社会科の堀先生が学校側を説得して許可を出してくれた。この先生、クラシック音楽に造詣が深く、社会科の授業にいきなり音楽の話をしてくれる。その先生から付けられた我々のバンドの点数は30点である。今思うと妥当な点数だったと思う(笑)。とにかく下手だった。その後の中学ではバンドという声もないそうである。 演奏した曲は吉田拓郎の「人間なんて」。やっとハイコ-ドを覚えたばかりで、Bmのコ-ドを7フレットでやった。たまにリ−ドを入れたが、これはまぁおまけ程度。それでも反響はあった。何しろ下校するとき女の子からサインを求められたりした。正直嬉しかった。ガキだったなぁ(笑)。まぁ当時バンドなどをやっていれば、理屈抜きにもてた。目立つからである。 当時僕は反抗期真っ盛り。ただ家族に対する反抗というものはまるでなかった。社会に対する反抗とでもいうのだろうか、兄や姉がいたので、ある意味耳年寄りだったわけだ。若かったよなぁ。今では反抗する元気もない(笑)。
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