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2006/09/25(月)
通学路
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僕が小学校、中学校と通った通学路は約2Kmくらいあり、通称「わっくり坂」という坂が通学路の途中にある。長い坂で200mくらいはあるだらだら坂である。この坂は中学のときのマラソンコ−スにも含まれていて、俗言う心臓破りの坂であった。 この坂の下の平は今はほとんど田んぼになっているが、小学校の頃は大林と言って一面林で覆われていた。その林の中を割るように一本の細い道があり、夕方薄暗くなるとお化けでも出そうなさびしい道だった。 子ども達の噂では、わっくり坂をおりたところのカ−ブになっている脇に白樺のような木があり、その下に死体が埋まっていることになっていた。そのせいかそのあたりが一番暗くて寂しい場所であった。後に年寄りから聞いた話では、死体は死体でも、それは牛馬の死体であり、年老いて死んだ農耕馬や牛を葬ったということである。 この通学路はもちろん今の子ども達も通っているわけだが、明るくて広い道になっている。外灯も少ない本数ながら何本か立っていて、わっくり坂を下りてすぐのところにきのこ工場が建っている。だから昔のような薄気味の悪さはまったくない。 小学校4年生のときだろうか、突然大便がしたくなり、林の中をいい場所がないかと物色していると、ここがいいと決め、くぼ地のところへ行くと・・なんと先客があり、すでに排泄物がそこに存在して、しかも白い紙がその上に乗っていて、金蝿が喜んで舞っていたりした。人の考えることは同じであると子供心に感心したのを思い出す。 一度もう我慢ができなくて、重いお腹をかかえて走っていると、同級生のお母さんが声をかけてくれた。こちらは恥ずかしいので黙って走りすぎようとしたら、 「おまえ、くそでもでたいんだろう」 と大きな声で笑われた。自分では隠しているつもりでも、走り方で分かるものらしい。あの時は恥ずかしかったなぁ(笑)。 今この道は町の大型店舗に行くときの近道として車でよく走るが、この道を歩くことは全く無くなった。子どもだったあの頃を思い出すと、なんだか切ない思い出と共に必ずこの「わっくり坂」が登場してくる。それは今の開けた明るい道ではなく、昔の林に覆われたトトロでも登場しそうなあのさびしい長い道なのである。
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