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2007/01/31(水) デジタルとアナログ
 女房から頼まれたカセットテ−プ音源のデジタル化、一応終わった。すごい音である。女房の習っているハワイアンの先生は70才くらい。第一次ハワイアンブ−ムの人である。そこで気がついたのだが、カセットテ−プはまぁいいとして、すごいのはダビングにピンジャクを使わないみたいである。ラジカセデッキから生でラジカセデッキに録音している。よく聞いてみると、犬の鳴き声が聞こえてきたりする。う〜ん、音が悪いわけである。
 まず最初の曲「かもめの水兵さん」童謡である。他は「赤いレイ」、この歌サ−カスが唄っていたので知っている。あとは「ブル−ハワイ」などの定番。ほとんど日野てる子である。あとは誰なんだかよくわからなかったが、ネットでいろいろ調べると、ほとんどわかった。
 そこで、いろいろな曲が一曲200円でダウンロ−ドできるので、全部で10曲で2000円。このサイトは10回までCDに焼けるので、5人で負担しあえば、一人400円でいい音のCDができあがる。そのことを女房に話すと「安いわねぇ・・でも、先生ともう一人の年配の人はCDなんて使えないと思う・・」これを聞いて、えっ・・という感じで何も言えなくなった。ま、もう一度テ−プに録音すればいいのだが(笑)。
 さて、支払いはいろいろあるがカ−ドが便利である。女房にカ−ドは持っているかと聞くと、「清水フ−ドのカ−ドとひまわりカ−ドと農協のカ−ドと・・あとは・・」といい始めた。それはポイントカ−ドだろ(汗)、クレジットカ−ドはと聞くと、「それなぁに?」。これは困った。
 ま、カ−ドは自分のを利用して、お金だけをもらえばいいのだが・・・。お財布携帯も出ていると言うのに、この仲間はアナログで真っ黒である。しかし、ハワイアンらしくていい。ゆったりと波にのって(笑)。
 ところでこのカセットをパソコンに取り込むのに、ヘッドフォンで聞いていたわけだが、すべての曲の初めに波の音が入っている。さすがハワイアンであると感動したが、あとでそれが単なるノイズだったとわかり、がっくりしてしまった(笑)。アナログをアナドルなかれ・・という気分である。恐るべし。

2007/01/30(火) 一月も終わり・・
 とうとうろくに雪も降らずに一月が終わる。楽は楽であるが、なんだかちょっと変である。何かを忘れている気持ちがする。本業は暇だが、他のことで忙しくて、暇をもてあますという気分はない。
 青少年育成会議となじょもんの広報誌を校正が終わり、一安心。今度は中学地区PTAの広報作りである。これは原稿が集り次第なのだが、いつになるのか・・・。
 2号ギタ−はいよいよ最終工程、塗装に入る。出来上がりが近づく頃には、本来嬉しいはずなのだが、自分の場合、だんだん面白くなくなってくる。これはすべてにおいてそうで、悪いくせである。集中力が持続しないというのか・・なんというのか(笑)。その頃になるともう次のことを考えているのだ。困ったものである・・(笑)。

2007/01/29(月) どくだみの花
 「朝日のあたる家」という貧しい売春婦の歌がある。アニマルズとかいろいろなグル−プが演奏しているが、これはもはやスタンダ−ドな曲である。日本では、日本語訳として浅川マキが歌っていた。
 この詩の中で「時々思うのは、ふるさとの、あのプラットホ−ムの薄明かり」という部分がある。ここの部分がすごく好きである。日本でいえば抒情詩に通ずるところである。
 なんとなく見ていたものが、後にすごく印象に残ることがある。自分の場合はどくだみの花である。この花は、東京にいたとき、じめじめと、ほとんど日の当たらないアパ−トの玄関の脇で、っそりと咲いていた。苔むした石垣の下にひっそりと咲く白い花。
 このアパ−トは文字通り、朝日のときだけ日光が窓から差し込むが、あとは日は当たらない。家賃が安いのだから文句も言えないが、今思うと妙にあのアパ−トがなつかしい。友達が遊びに来たときなど、このアパ−トを評して「なめくじ長屋」と呼んでいたが、言い得て妙であると感心した。
 学校とアルバイトでほとんど家にいなかった自分は、眠りに帰るだけのこのアパ−トで充分だったが、なんとなく見ていたどくだみの花は、今も時々思い出す。

2007/01/28(日) なぜか忙しい日曜日
 雪も降らないし、つまり除雪もしなくていいので、今年の日曜日は結構時間をもてあます。家にいても掃除だとかでうるさいので、逃げるように職場にいく。ここに来るとやることが沢山ある(笑)。
 まずなじょもんの広報誌を仕上げなくてはいけない。担当は一応はずれたが、結局やらないわけには行かないので、担当者を呼んで、指導する。
 そこへムラマサ氏がやってくる。パソコンの初期化がわからないという。ネットで落としたノ−トパソコン、すぐにHDDが故障。30Gを載せ変えてインスト−ル。なんとかできたが、なにしろDELLである。なかなか他のソフトは入らない。とりあえずXPのOSは入った。純正のリカバリCDなので問題はないのだが、はて??HDDが変わっているのに、シリアルを求めてこなかったなぁと・・。ボディに貼ってあるのをわざわざ写しておいたのに・・と、あっそうかマザ−で認識しているんだと納得。
 夜はムラマサ夫婦とみのかん夫婦で温泉に行き、帰りに居酒屋でしこたま4人で酒を飲む。久しぶりである。

2007/01/27(土) 古い歌と
 美空ひばりのCDがある。このCDはレコ−ドからのデジタル化なので、レコ−ド針のバチバチというノイズが入っている。つまりこのノイズもデジタル化されているわけで、そう考えるとなんだか変である。
 この人の歌には名曲が多いが、中でも「津軽のふるさと」という歌が好きである。なんだかなつかしくなるような気分で、こどもの頃を思い出す。たぶん子どもの頃にTVやラジオで耳にしていたのだと思う。
 この人が亡くなってから何年になるのだろう。この歌をBGMに流していると、お年よりは「ひばりって偉いよねぇ・・死んでもまだこうやって歌っているんだから」と言う。それはたしかにすごいことである。お年寄りの素直な感想、案外的を得ている。売れなくなったら見返りもされない多くの歌手やバンドがいる中でいまだに歌い続けているのだから。

2007/01/26(金) 裸になって・・・
 時々思う。何もかも捨てて丸裸になって出直してみたいと。たとえばカメラもギタ−もすべて無くして、そこから出直すとか(笑)。長い年月・・垢がたまりすぎた。
 こんなとき人は旅にでたりするのだが、小説やドラマと違い現実はそう簡単には(笑)。

2007/01/25(木) ハワイアンの音楽
 女房がカセットテ−プを持ってきた。
「これ、CDに焼ける?」
「うん」

 と、ここまではよかった。このあとである。カセットをデッキに入れて聞いてみる。
 すごい音。

「これ、なんのためのテ−プ?」
「ハワイアンを踊るためのテ−プ」

聞くと、ハワイアンの先生から頼まれたのだという。
とりあえず、元のテ−プはないのだという。

この音、CDに焼く価値があるのだろうか(笑)。どうも気分がのらないなぁ(笑)。

2007/01/24(水) 格闘
毎日パソコンと格闘。好きなことができない。困った・・・。

2007/01/23(火) クラシックギタ−
 最近中3の娘がクラシックギタ−に夢中である。モ−ツアルトのセレナ−デ、パッヘルベルのカノンなどをやり始めた。クラシックは譜面が読めないといけないのだが、最近の譜面はCD付きTAB譜付きなので、なんとかできるのだ。これは素晴らしい。 かくいう自分もTABがなければアルハンブラなどに挑戦はしなかったであろう。自分の場合、アルハンブラ、前半の短調のだけはなんとか出来るようになった。そろそろ長調にと思っているが、この曲、忙しいし疲れる。ずっとトレモロがあるのだ。少しでも気を抜くと間違えてしまう。
 いろいろとやりたい曲もあるが、やりたい曲とできる曲は違う。これが一致すればいいのだが、そうするには努力がかなり必要である。

2007/01/22(月) 暇だけど忙しい
 本業は暇だが、他の事で忙しい毎日。で、何が忙しいかと言うと、パソコンによる広報誌作り・・相変わらずである。青少年育成会議と中学の地区PTA広報誌、その他チラシ作りの、そしてたぶん、なじょもん友の会の広報誌も最後は回ってくるだろう。
 だいたい、パソコンできません、あれは使えませんって。つまりパソコンあるのに、ソフトもあるのに覚えようともしない人が多い。勿体無い話である。覚える人はどんどん覚えていくし、覚えない人は何年経ってもぜんぜん進歩しない。最後は自分のところに回ってくる(笑)。

2007/01/21(日) 2号ギタ−と本物のマ−チン
 日曜日、用事のついでにムラマサ氏の家の前を通ると車がある。珍しく家にいるなと思いつつ、2号ギタ−を持っていく。彼は最初あの汚いジャンクギタ−だとは気づかなかったらしい。あれだよ、あれ。というとしばらくしてから、ああ、あれ!驚いたように弾き始めた。なんだこれは・・と感嘆符。あのギタ−の音がこんなに変わったのかと。事実、このギタ−の最初の音を知っているのは彼だけなのだから無理もない。
 自宅に戻るとすぐkyさんにメ−ル。ムラマサ氏のところに2号ギタ−があるから、よかったら弾いてみてということである。
 
 6時頃ムラマサ氏よりTEL、kyがマ−チン持って遊びに来るからおまえも来いということで夕食後に1号ギタ−も持って出かける。ky氏はもう来ていて、早速初めてのマ-チンを弾かせてもらう。D−18である。持つと非常に軽い。最初弾いた感じは、なんだ普通ジャン、特別いい音とも思わないけどと・・。
 その後、1号ギタ−、2号ギタ−、鈴木のワトソン、マ-チン、モ−リスなどをみんなで交互に弾く。ああでもないこうでもないとウンチクを垂れながら横では押尾コ−タロ−のDVDが流れている。
 その後、めぐりめぐって再びマ-チンが自分のところに回ってきた。あれ、これ・・・派手さはないがなんという和音のまとまり。ストロ−ク、ピッキング、どれをとっても文句のつけようがない。あ・・これがマ-チンかと思う。音が地味な感じがするが文句のつけようがないのだ。嬉しい。マ-チンが弾けた。自分など一生持てないかもしれない。kyさん、ありがとう。また弾かせてねという感じである。
 さて、マ−チン使いのkyさんの感想は、僕の持っていった3台の中で、やはり2号ギタ−が一番という回答をいただいた。5弦の開放が一番のピ−ク、これで6弦の開放も同じくピ-クを出してくれればマ−チンD−28に匹敵するかもと嬉しいほめ言葉をいただいた。
 その後ブレイスの話、もろもろの話で盛り上った。ギタ−、この摩訶不思議な楽器、使い手で音が変わり、弾き手で個性がはっきりする。そう考えると、何もギブソンやマ−チンでなくともいい音は出せることになると確信した。
 自分のギタ−の中でも、ストロ−クで弾き語りやるのはこれ。ソロで弾くときはこれ。アルペジオはこれと無意識の中で使い分けている。しかし、いちいち使い分けなくてもいいギタ−、それがマ-チンである。これが本日の結論。

2007/01/20(土) 階段と赤サビのドアの記憶
 あれは僕が幾つくらいのときだったのでろう。母に連れられて飯山線という田舎の単線列車に乗って、長野市に行った記憶がある。兄妹3人の中の僕だけを連れて行ったのだから、恐らく僕が小学校に上がる前の頃だったのだろう。兄と姉はたぶん学校があったのだと思う。自分だけが特別扱いをされたようで嬉しかった。

 列車で一時間半くらいだろうか。滅多なことでは遠くに連れて行ったもらえなかった頃なので、嬉しくて仕方がなかったのを覚えている。
 目的は後で後で知ったことだが、長野市の病院に入院している母の弟、つまり僕の叔父のお見舞いに行くことであった。その頃はまだ当たり前のように蒸気機関車が走っていて、途中戸狩という駅で乗換えをしなくてはいけない。その間の待時間は結構長かったのを覚えている。
 病院につき、病室に入ったときの叔父の神経質そうな顔は、今でもよく覚えている。そして、それが叔父に会った最初で最後であった。
 何かの事情で、帰り際、病院の外で待たされていたのだと思う。随分長い時間だった。病院の正面玄関に飽きた僕は、病院の西側にまわり退屈さを紛らわせていた。そこには少し汚れた白い壁があり、その中央にへばりつくように階段が付いていて、そこに鉄製の赤いドアが付いていた。その赤いドアはさび付いていて、妙に僕の心を不安にさせた。今思えばムンクの絵のような記憶として残っている。言葉で言い表せない不安、もしかしてこのまま母は迎えにこないのではないかという思いもあったのかもしれない。
 やがて西日がそのドアに当たる頃、僕はそのドアに付いている丸い取っ手に気がついた。夢遊病者のように階段を登りそのドアに近づくと、その取っ手を引いてみた。ギィ−っさび付いたような音がしてそのドアは少し開いた。
 その時、後ろで母の声がした。僕が振り返ると、そのドアは自重でバタ−ンという音をさせてまた閉じた。僕は母のところに夢中で駆け出していた。たぶん泣いていたのだろう。

 記憶というメカニズムがどうなっているのかは知らないが、あの時のさびたドアの閉じるときの音とは今でも鮮明に思い出すことが出来る。後にそのことを母に尋ねたことがある。母は笑いながら、長野の病院に連れて行ったことは覚えているけど、そんな事は覚えていないと笑っていた。
 しかし、母はちょっと気になるとことを言った。たぶんお前が開けようとしたドアは結核病棟の場所じゃないかと。その頃は、ストマイなどが出てきて、結核などは不治の病では無くなっていたのだが、結核患者は沢山いて、その病棟の裏口はたぶん、亡くなった人を運び出す場所だったんじゃないかと。
 
 記憶、それは匂いであったり、光景であったり、音であったりと、人間五感のすべてがあてはまるものらしい。特に匂いは、脳の別の場所に中枢があり、他の四感に比べていつまでも記憶にとどまるらしい。
 写真などを見ていると、それはつまらない写真なんだけど、妙に心に引っかかるということがよくある。そしてそれに匂いが漂うことがある。そんなとき、もしかしたらこれが僕の心の中にある原風景なのかと考えてしまう。
 今でも時々あの頃の夢を見ることがある。どこかへ連れて行かれるような不安感の夢と、もうひとつははっきりと色の付いたあのドアの夢である。どういうときにその夢を見るのかはわからないが、寝酒をしないときのような気がする。
 この、なんともいえない不安感であるが、ムンクの「橋の上の少女達」という絵を見たときに、同じように感じるのである。有名なムンクの「叫び」では何も感じない。
 ムンクの絵の中には、似たように橋の上に少女たちが立っている絵は何枚かあるが、たった一枚、一人だけ後ろ向きに立っている絵がある。この絵である。この絵だけが僕を不安にさせる。 

2007/01/19(金) 納豆
 我が家では朝は納豆であることが多い。最近のTVで話題になっている納豆問題、先日まで納豆がス−パ−から消えたというのに、今度はあれは捏造でした、嘘です、というのも実にくだらない話である。
 TVなんてものをそもそも信用しているのが悪いと思う。報道というものは半分以上が嘘であるということをまず知ることである。スポンサ−のご機嫌取りと視聴率、これしかないのだ。じゃNHKはどうかというと、やはり同じである。まだNHKのほうがましなのかという程度である。
 TVをあまり見なくなったのはいつからだろうか。子ども達が中学生になったあたりからかもしれない。漫才やお笑いブ−ムになってからかもしれない。爆笑問題とかクリ−ムシチュ−、こいつらは面白いと思ったものは間違いなく売れているが、あとはねぇ・・・ほとんど駄目。
 TVが放映されたとき、大宅壮一は一億人がバカになると言ったそうだが、極論にしても意外と的を得ているかもしれない。見ているだけでバカになると言われていたTVで、さらにまたバカばっかりやっている。

2007/01/18(木) みのかん2号ギタ−、その後
 ギタ−をばらしてブレイスを削り、また組み立てた。仕上げはあまりよろしくないが、塗装に手を抜いたのは、もしかしたらまたバラす可能性があるかもと思うからである。
 さて、本日は軽くコンパウンドで磨き、一応終了した。何度もはずしたり張ったりしたマ-チンのライトを再び張る。3弦がちょっと心配であるが、なんとか切れずにチュ−ニング終了。
 弾いてみる。・・・・いい音である。塗装前にも一度張ってみたが、あのときはまだなんともコメントできない。なぜなら音のよしあしは主観的であるからだ。
 今回は2回目でもあり、ブレイシング削りのとき切ってしまった指もなんとかなっているので、まともに弾いてみた。ちゃんとピックも使ってみた。和音もなかなかよく出ている。ピッキングは特にいい。こんなにもブレイスで違うものなのかとびっくりした。
 初めてここまでばらして組み立てたわけだが、意外と思ったのはギタ−って思っていたよりも単純なつくりである。もちろん細かいところ調整は難しいし、そのらへんは素人は分からないのだが、いわゆるニカワやボンドでつけてあるという事実。ブリッジなどは、あれだけの張力がかかるのだからかなり技術的に面倒かと思いきや、ベタッとニカワかボンドで貼り付けてあるだけ。これにぱびっくりした。よくそんなんでもつものだと今でも思っている。
 今回心配なのはブリッジまわりのふくらみであるが、しばらく時間経過で様子をみるしかない。半年くらいたって大丈夫ならもう一度塗装をやり直そうかと思っている。

2007/01/17(水) ギタ−という楽器
 ギタ−という楽器は昔はいつも思っていたが、しょせん伴奏楽器じゃないかと。一本でベ-スから和音、メロディまで弾くのは無理だと。
 どうしてそう感じていたかと言うと、ピアノが素晴らしい楽器であると思っていたからである。ピアノはベ-スと和音を左手で弾きながら右手でメロディを弾けるからだ。
 でも今はまったく認識が違う。トニ−・エマニュエルという人を知ったからである。この人はすごい。アコギ一本で何でもこなす。今はこの人に夢中である。
 この人のように弾けたらと思う。日本では押尾コ−タロ−が今人気があるが、彼も同じくアコギ一本で何でもこなす。そういう意味ではちょっと似ている。

http://www.youtube.com/watch?v=7D_UL14vNdQ

2007/01/16(火)
 雪が降らなくて、この地域は不景気である。というのは、理由はいろいろある。
 まず第一に除雪を冬の仕事としている人達である。この人達はあたりまえだが仕事がない。自宅待機ということで最低の賃金保障はされているらしいが、その上の上乗せがない。
 道路除雪の予算は国、県、町とそれぞれ組んでいるが、使えないのである。この金が町に落ちない。ということは町全体に金が回らないことになる。昨年度の異常な大雪であれだけマスコミを騒がせて(勝手に騒いでいた)、そして今年はこれである。
 昨年度は3m、多いところでは4mくらいあったのに、今年は30Cmである。しかもこの時期に雨が降っている。これだけ極端だと、町全体の調子が狂ってしまう。噂では災害の後(中越地震)は3年大雪が続くとか、温暖化により海水の水蒸気が大気にあふれ、それが寒気団の影響により雪となるので、これからはずっと大雪になるとか、いろいろと噂されていたが、蓋をあけてみればこの有様である。
 次に困るのはガソリンスタンドとかの燃料関係。まず除雪車が稼動しないので軽油が売れない。そして融雪システム屋根用の灯油がまったく売れない。次に家庭用灯油も気温があたたかいので売れない。昨年度は間に合わないくらいに軽油も灯油も売れたのに。
 次がスキ−場関連。かろうじて正月は雪が間に合ったが、それでもかなりの宿泊のキャンセルがあったらしい。ただし、あれから降らない。雨なんてものが降っているので、今後も心配である。
 そして、雪が降らないと言うのは道路事情がいいので、一般の消費者は遠くに買い物に行く。地元の商店に金が落ちない。

 昨年度の大雪も、たぶん何十年に一度の異常現象だが、今年の小雪も何十年に一度の異常現象である。昨年度は我が家は2階の窓にも雪囲いが必要になり、家の中が昼間でも真っ暗だったのに、今年はまだ一度も除雪らしい作業をしていない。一体どうなったのだと首をかしげたくなる。

2007/01/15(月) 小正月と鳥追い行事とかまくらと
 成人の日が第2月曜日に移行してから、すっかり小正月の影がうすくなった。
 我々の子どもの頃は一月十四日といえばかまくらを作ったものである。昔は稲もはざかけであったので、藁はいくらでもあり、雪で作った室の中に藁を敷き詰めて、古い上敷きを敷いてコタツを持ち込み、花札やトランプをしたものである。
 このかまくら作りは一週間も前から毎日子ども達だけで作り、作るのに参加することで十四日のかまくらにも参加することができる。ただし、作るのに参加しなくてもお菓子さえたくさん持ってくればOKであった。
 今の子ども達はこんなことはしない。かまくらを作れもしないだろう。一度だけであるが、我が家の子ども達が小学生低学年の頃作ってあげたことがある。近所の友達もなぜか集ってきて総勢8人くらいになり、大慌てでかまくらを広く作り変えた。
 このとき、おばあちゃん達から、何を持っていったらいいかと聞かれて、思わず、もちとみかんと答えたが、当日みんなの持ってきたものはカップラ−メンであった。時代である。

2007/01/14(日) スキャロップドブレイシング
 本日は集落の娯楽大会ということで、囲碁、将棋、マ−ジャンなどがあり、好きな人たちが勝手に集ってやっている。
 午前中は、主として子ども達中心であるが、宝探し大会ということで、番号札を雪の中に埋め、その番号によりいろいろな景品があたるというもの。この準備に公民館委員である自分は早くから準備。
 その後、じいさんに頼まれた「あんぼ」づくり。この「あんぼ」はこの地方独自の食べ物で、米の粉をこねて、中に野沢菜や大根菜などの味噌和えを入れたもので、信州のおやきに似ている。おやきは小麦粉を使うが、こちらは米の粉である。
 もともとはくず米などを無駄にしないために、いかにおいしく食べるかを昔の人が工夫したものだと思う。それに、ヒエ、アワ、などを混ぜ込みさらに量を増やして、冬の囲炉裏端での食べ物であった。つまり新米はなかなか口に出来ない。
 昔はかなりまずかったらしいが、今はコシヒカリの米の粉を使うので、当然うまい。ところで、どうして自分が「あんぼ」などを作るかと言うと、こねるのが上手だということに理由がある。陶芸をやっていると土をこねるわけで、いやでもこねるのはうまくなる。だから陶芸家の多くはうどんやそばをよく作るらしい。陶芸サ−クルでも年に一回くらいはそば打ちパ−ティ−を企画している。
 その後、夕食はあんぼかというと、そうでもなく、一応小正月と言うことで寒九のとろろといい、とろろ汁を御飯にかけて食べる風習がある。これは一年間の中風予防という意味があるらしい。あんぼはおやつ兼小腹が空いたときにでも。
 
 夕食後、リペア後のエリ−トを弾きまくる。現時点で音はそんなに悪くはない。が、しかし、指板が高くなったのがどうもおもしろくない。当然サドルが高い。不自然である。だめもとで研究のためにやったリペアなので、これはこれでいいと思うのだが、さらに・・・(笑)。
 よし、もう一度指板をやり直そうと決意する。どうせだめもとである。タイトを暖めてゆっくりと剥がし、清掃後に再圧着。今度は失敗しないぞと決意を固める。
 ついでだからキキさんやKyさんの言われるスキャロップドブレイシングをやってみようかなと・・(笑)。前回はバックを外したが、今回はトップからはずしてみようかと。
 ジャンクのギタ−ばかり増えても仕方がないので、この一台を徹底的に研究してみるのもいいことかなと思う。

2007/01/13(土) 弦高
 みのかん2号ギタ−、塗装も一応終わり(あまりうまくもないが)、お楽しみでわくわくしながら弦を張ってチュ−ニング。ブリッジ、ネック、ナット、サドル、すべて問題はない。さて弾いてみる。うっ・・・6弦と5弦の3フレットまでがぶれる。弦高が低すぎるのだ。12フレット6弦のフレット頂点からの距離を測ってみる。2mm弱。これじゃぶれるわけだ。
 そのあたりはサドルで調整するとして、音は・・どうだろう。ジャカジャカとブレを無視して弾いてみる。うん、最初より音がでかい。ボリュ−ムは申し分ない。なかなかのものである。次にピッキング、2フィンガ−、アルペジオとやってみる。うん、なかなかいい音だ。苦労した甲斐があったというもの。
 塗装がまだ本乾きではないのでラッカ−の匂いが残っている。つや消しクリア塗装はなかなかいい。しかし、これってコンパウンドはどうするのだろう。
 以前の汚いギタ−比べると格段のできばえである。何しろ塗装に気泡が浮いてきていて、かなりの状態だったのだ。一応タカミネである。なかなか満足している。
 しかし・・大変だった。暇さえあればギタ−と格闘していた気がする。でも楽しかった。もう少し仕上げをがんばらなくては。

2007/01/12(金) 赤いピックガ−ド
 夜、ふと思い出して8時までやっている100円ショップへ。目的は下敷き。べつに勉強しようと言うわけではない。ギタ−のピックガ−ドに使うのだ。鼈甲柄があればと思うが、そんなに都合よくはない。クリアと白と黒と緑と赤とある。この中で赤の下敷きを買ってくる。
 剥がしたピックガ−ドを下敷きに貼り付けて慎重にはさみで切る。一枚の下敷でふたつは取れる。その後切断部を400番のサンドペ−パ−で馴らしてから1000番で仕上げる。次にリョウメンテ−プを隙間のないように慎重に貼り付けて、はみ出した周りをカット。できた。完成。
 これを仮にギタ−の上においてみる。う〜ん、落ち着きがないなぁ(笑)。とりあえずこれにしておいて、あとでまた大きな文房具屋さんで物色するとしよう。
 本当は形もいろいろと考えたが、剥がした後がはっきりわかるので同じ形にしかできないのだ。みのかん2号ギタ−、いよいよ完成に近づいている。

2007/01/11(木) チロの一日
 朝4時起床寒い。体を温めるためにあちこちとはしゃぎまわる。家人がなかなかおきてこないので仕方なく、寝室の襖戸をガリガリとひっかく。これには家人もびっくりしておきてくる。
 時刻は4時半、家人はうるさいチロを布団の中に抱き込み、もう少し寝ろと言う。布団の中は人肌で温かい。ついうとうと。
 ふと目覚める。あれ、自分ひとりだと耳を澄ますと、家人はみんな起きていて朝食をとっている。私も起きなくちゃとにゃんと鳴くと家人が戸をあけてくれる。さぁ私も朝食だ。
 さて、今日も一日、やることがない。まず外に出してもらう。うわ〜、寒い。雪がある。雪は嫌いだ。しばらくして家に入りコタツの中へ。温かい、ついうとうととして眠る。
 目覚めるともうお昼だ。昼食をとる。そのまえにおしっこ。さて午後から何をしようか・・・やることがない。またコタツにもぐりこむ。温かい。ついうとうとと。
 目覚めると夜だ。家人が次から次へと帰ってくる。今日の夕食は何かなぁと自分専用の椅子の上に飛び上がる。かろうじて見えるお皿の上には、やったお魚だ。ちょうだいちょうだいと思い切り甘えた声を出す。ゴチになる。おいしい。
 食べ終わった後にテ−ブルの上を見ると、この家に来たときから気になっている生簀の中に熱帯魚が泳いでいる。よし、今度お腹が空いたらあれをゴチになろう。それまでは保存用食料だ。
 さて、食べ終わると、しばらくは家人と戯れる。楽しい。その後この家の主人は屋根裏部屋へ上がる。いつものことだ。彼は最近汚いギタ−をどこからか持ってきてなんだかガチャガチャやっている。ギタ−は何台もあるのにまだ増やす気だろうか。いつも弾いているのはあれとあれで、あとはいつも弾かないじゃないか。物好きにもほどがある。
 彼と遊んでもらうのが一番楽しいのだが、ギタ−をいじり始めると私には見向きもしない。もう少しすると酒を飲み始めるだろう。そうなるとまた遊んでもらえる。
 さて、そろそろ読書の時間だ。主人と一緒にいつも読むのだが、今夜は私が一人で読んでみる。ふむふむ、日本は経済大国などと言っているが福祉の遅れにより国民は老後に不安を抱いている。本当の豊かさとはなんだろうか・・これがテ−マだなぁ。
 さて眠るか。今夜は主人はなかなか降りてこないなぁ。またギタ−いじりなんだろうなぁ・・。おやすみ。

2007/01/10(水) リペア
 本日ついにエリ−トギタ−のバックを外した。バィンディングは少し合板の上皮がくっついて外れたが、ま、あんまり気にしない。今回は塗装までやろうというのだから、どうとでもなる。それに自分が使うギタ−だからまぁまぁで済ませられる。これがギブソンやマ−チンだと真っ青であるが(笑)。
 外してみてびっくり、ブレ−スがまるでマ−チン。ま、予想はしてたけど(笑)。
 内部をリペアしてまたかぶせて、今はバインディングまでくっつけて固定してある。明日からはいよいよ塗装はがし。サンドペ−パ−でやるとかなり時間がかかりそうである。
 せっかくリペアするんだから、みのかん2号ギタ−にふさわしいヘッドとピックガ−ドにしたいものである。思い切ってピックガ−ドは赤にするとか・・・・やめとこ(笑)。

2007/01/09(火) みのかん2号ギタ−製作決定
 ムラマサさんのところに遊びに行くとかつて自分が世話をした千円のジャンクギタ−が悲惨な状態になっていた。指板が浮いて、ネック基部も持ち上がった状態である。これを責任上持ちかえる。変わりにブル−リッジを持って行く。つまり交換してきたわけである。
 さて持ち帰り、仔細に観察する。指板をはがしてみる。結構簡単にはがれた。もちろんはがれない部分はスチ−ムを・・・ところがそんな便利な道具は専門家でもないし持っていないので、スチ−ムアイロンで代用。少しずつ蒸気を当ててはスクレイパ−ではがしていく。この要領でネック基部もはずす。
 はずしてみて驚いたが、このタカミネのエリ−トW20は木ダボで固定してあるのだ。マ−チンみたいに凹凸ではめ込んでいるのではない。どちらがいいのかはわからないが、とにかく初めてここまでやってみた。ネックの中のロットも外した。う〜ん、勉強になるなぁ。
 しかしどうしてこうなのかを考えてみる。考えられる原因はギタ−全体の水没または湿度の高いところに長時間放置されたか・・・。ボンドのあとはあまり目立たないので、これがニカワというやつなのかなぁと思ってみたり。でも、当時2万円のギタ−にニカワを使用するだろうか???不思議である。

 ここまで分解してみてまだネックの基部が動いている事に気がつく。ボディ内部のブロック自体も接着がはがれているのだ。さて、どうするか。ボディ内部まで分解するにはバィンディグからすべて外さなくてはいけない。この領域まで手を出すと、バラバラもいいところである。
 こうなると当然塗壮もすべてラッカ−塗壮しなくてはいけなくなる。大変である。しかし、どうせ何かしらいじっている自分である。よし、やってしまえとばかりに断行。
 ということは・・・・これが「みのかん第2号ギタ−」ということか。タカミネという由緒正しいものだが、ここはひとつリペアをしてみることにする。
 しかし、我ながら・・・よくやるよなぁ・・(笑)。

2007/01/08(月) カメラのジャンク修理
 雪が80センチも降るという予報だったので覚悟をしていたら、なんのことはない10センチ程度である。これくらいなら降ったうちに入らないなぁと思う。なにしろ一晩で1メ−トルは当たり前の地域である。
 さて、雪かきの仕事もないのでパソコンを見ると、ヤフ−のサイトメ−ルにカメラジャンク修理の質問が3件。あまりそういうことはないのだが、たまにはある。今回のように一度に3件は珍しい。なにしろ全国の人が見ているわけで、ある意味責任もあるのかもしれないが、基本的に無責任なサイトなので、わからないことはわからないと正直に返信している。
 今回は3件とも質問に答えることが出来たが、文章のみだと質問の意味が通じずに四苦八苦することもある。そもそも最近カメラに触っていない。触っているのはデジカメだけである。
 今年も恒例の家族の正月写真を撮影したが、デジカメである。手軽で、其の場で確認できるデジカメは確かに便利ではある。ただし、自分の心の中では、明らかに手抜きをしているなぁと反省はしているのだが・・(笑)。

2007/01/07(日)
 本日より大雪になるというが、雪よりも風と嵐がひどい。休日で家に閉じこもっているが、やることはギタ−のリペアである。外では突風が吹いたり、霙であったり、あられであったりと忙しい。
 FMでハワイアン特集をやっていたらしく、屋根裏にいたら女房が呼ぶので降りてみる。
 「こういう曲ってギタ−でできないの?」と言う。あ・・これ、ハワイアンには間違いないけど、いわゆるボサノバだよと説明する。癒し系いいよねと言う。おいおい・・これをやるためにクラシックギタ−を購入したのじゃないかと言うと、一言「私には無理」。
 このクラシックギタ−はアリアの単板で、お金は女房がだした。と言っても送料込みで4千円くらいだが。だから女房のものなのだが、自分がもっぱら使っている。素晴らしい音である。単板のせいなのかどうかはわからないが、これだけの音量があればなんでもこなせる。
 抱きかかえたボディの低音部が鳴るときに、こちらの腹にズンと響くのだ。初めて使ったギタ−がクラシックギタ−なので、まったく違和感はないのだが、あのときの全音のギタ−は、たぶん当時で6千円くらいだったような気がする。兄が買ってもらったものだが、それでも当時としては一般的な中級クラスだったと思う。あのギタ−はこれほど鳴らなかった。
 ところで、このギタ−はすごくいいよと女房に言ったら、
「そう・・よかったわよねぇ」と他人事である。
おいおい、自分のギタ−だろうが(苦笑)。

2007/01/06(土) 詩集
 我が家のトイレには子ども達の漫画本に混じって詩集が何冊か置いてある。中原中也だったり立原道造だったりするが、今回は萩原朔太郎に変えてある。詩集なんぞはもうトイレで読むのが一番落ち着いて読めるようなもので、トイレから一歩出るととても詩なんぞ読む気になれないのだ。
 この詩集はたしか高校生の頃に購入したもの。当時の地元には古本屋などなかったので新刊で購入したのだろう。なんだか煤けたようになっていて、紙は全体に茶色くなっている。
 この詩集をはじめて読んだ当時、朔太郎だけでなく、同時代の文学者はすべてそうであるが、大正、昭和初期から戦前までの夢とロマンが全体にちりばめられている。時代に悲観しながらも、そこに妙な期待とロマンを感じるのだ。
 もうひとつ共通しているのは、西洋文化への憧れである。軍国主義に悲観しつつもどこかに希望のあった時代がそこにあるのだ。
 しかし今、我々の住むこの時代にそういう期待はあるのだろうかとふと考えてしまう。成人式がもうすぐあるが、二十歳を迎える若者達にそういう期待はあるのだろうか。
 もちろん個人的な夢や希望はあるのだろうが、時代としての夢とロマン、これはないような気がする。

 文学といえば、最近はネット文学と呼べばいいのだろうか、携帯やパソコンで読む小説というジャンルが確立しつつある。我が家の娘もたまにはそういうものを見るらしく、感想を聞くと「みんなスト−リ−は似たようなもの」と言っていた。単調であり、ひねりがないとも言っていた。
 文学崩壊の時代といわれている。若者が小説や詩をあまり読まなくなったといわれている。そんなことはないと思う。本というメディアが弱くなり、ネットに慣れた人たちが、そこにまた新しいジャンルのメディアを作りつつあるのだ。
 そういえばギャル文字というものがあった。非常に面白いのだが、まったく自分は読めない(笑)。象形文字である。 

2007/01/05(金) ニコイチ
 夜、帰宅し夕食後屋根裏に直行。何をやるかといえば12弦ギタ−のニコイチである。ジャンク2台の使えるパ−ツを組み合わせ1台のギタ−に仕上げる。これはカメラの場合によくやる手だが、ギタ−の場合はパ−ツのサイズが違うと成立しない。
 ためしにハワイの12弦の6連ペグを取り外しCortezの12弦に合わせてみる。ぴったりである。ここからはやることが早い。たちまちニコイチが完成。弦もそのまま移行。
 かくして完成。時間がかかったのはリペアよりチュ−ニングである。あいかわらず面倒である。
 この「Cortez」の12弦ギタ−、26年前に駅前の喫茶店のマスタ−より購入したものだが、パ−ツ取りとなり、車庫の天井の棚にずっと投げておいたもの。当時捨てようかと思ったが、もったいないとそのままにしておいたもので、実に26年ぶりに音を出したわけである。
 当時、まだニキビの跡が残る僕は、地元の音楽団体の代表としてコンサ−トを企画していた頃。もちろん自分でも演奏したし、ギタ−からトランペット、つまりジャズまで手を出し始めていた頃で乗りに乗っていた時期である。
 12弦ギタ−を買ってくれないかという情報にすぐさま飛びついたわけである。彼の自宅の部屋に通されて、コ−ヒ−を出されて待っていると、マスタ−が持ってきたのは、自分が初めて見る12弦ギタ−。メ−カ−は訳が分からなかったが、なにぶん弦も張っていないもので、嬉々として自宅に戻ってはみたものの、音が出せない。翌日車を走らせて12弦のセット弦を買いにいったのはいうまでもない。
 さて弦を張って、12弦のチュ−ニングをなんとか合わせて(どこでチュ−ニングの方法を覚えたのかは記憶にない)ジャ−ンと弾いたときの感動は、今でも覚えている。

 この12弦ギタ−を今弾いてみて、忘れていた自分の青春が走馬灯のように甦って来た・・・などという小説みたいなことは起きなかったが、ちょっと感動した。あれから26年も経ったのかという想いが強い。その間にいろいろなことがあった。長かったようでもあり短かったような気もする。今では子ども達二人もギタ−を弾くようになった。
 そして今、自分もまた大きく変わらなくてはいけない転換期を迎えている。人生に節目があるとすれば、今はそのひとつの時期なのだろう。実は母が認知症となり、その介護を迫られている。まだ軽度ではあるが、このまま放っておけばどんどん進行していくことは間違いがない。新年早々介護保険適用の申請をした。母は今年満年齢で78才、認知症となるには10年はやいような気がするが、こればかりは病気なのだから仕方がない。実際病気に遅いも早いもないのだから。
 この介護のために、いろいろなものから手を引いた。昨年度の忘年会でひとつのけじめをつけてきたつもりである。陶芸も会長を変わってもらい、写真団体も一応退会させていただいた。なじょもん関係も一応手を引いていくことになるだろう。残るものは自宅でギタ−を弾くことぐらいだ。
 ある意味、今年は自分にとって間違いなく節目の年であろう。母の介護にとられる時間が多くなることは、自営業にとっては、間違いなく家計を圧迫することになる。趣味がどうのこうのとは言ってはいられない。
 そんな意味で、甦ったこの12弦ギタ−が自分にとってのタ−ニングポイントでもある。

2007/01/04(木) エフェクタ−
 息子が以前から欲しがっていたマルチエフェクタ−を買った。
親父のヤフオクIDを使って落札。とはいっても希望落札価格なのでそのままで落ちるのだが。
 この時期だけはお年玉があるので子ども達のほうがお金を持っている。幼少の頃は強制的に貯金させられていたが、このごろは女房も何も言わない。
 何も言わないといえば、この奥方、あろうことか時計が欲しいと言って正月中ヤフオクにはまっていた。日ごろ子ども達に、そんなの見てるから世の中おかしくなるのよと言っていたが、自分で見始めたら夢中である。
 結局欲しい物が予算より高くなり何も買わなかったが、正月は全国の物好きが見ているから、正月過ぎにやったほうがいいというアドバイスを素直に聞きいれてとりあえずは休戦である。
 娘は法政高校のナイロンバックが欲しくて入札したし、親父はみんなの小間使いである。こちとら正月は逆に金がないので、アコギのエンドピンさえ買えない状態である(笑)。

2007/01/03(水) アイドル
 お正月中の我が家のアイドル、チロ。こいつが我が家に来てから家の中が明るくなった。帰ってくるとみんながまず聞くこと「チロは・・」である。
 とにかくかわいくて仕方がないといったところ。そんな時、時々思い出すのはチンタの事である。チンタの写真はいたるところに飾ってあるが、それを見るたびに胸がキュンと痛むのだ。昨年度はずいぶん死というものを考えさせられた年であった。チンタの死、従兄弟の死、そして仲人の死。生きているものにとって死とは結局永遠の別れでしかないような気がする。
 チロを見るたびに、このチロともいずれ別れが来る・・そう思うと妙に悲しくなる。自分が先かもしれないし、チロのほうが先かもしれない。そんなことを考えいたら、チロがますますいとおしくなってくる。
 

2007/01/02(火)
 女房の実家へ年始の挨拶の帰りに女房の運転で買い物。別の町のハ−ドオフにいく。エリクサ−を買おうと手にしていたら、息子がS・ヤイリのが200円であるよというので、結局これを購入。税込み210円。
 家に帰りパッケ-ジをあけると、なんのことはない、フォトジェニックのパッケ−ジと同じ。つまりフォトジェニックもS・ヤイリも松岡のクラシック弦も同じところで作っているというわけである。メイドインチャイナ。フォトジェニックが168円、松岡が189円、S・ヤイリが210円。安い・・・・。これじゃ日本のメ−カ−が太刀打ちできないわけである。
 

2007/01/01(月) 新年
 新しい年、あめでとうとはいえないが、まぁ新年である。一日中ギタ−を弾く。ごろごろと寝正月。娘にギタ−のストロ−クのシンコベ−ションを午前中教える。娘の場合初心者なのでまだストロ-クの音が汚いのだ。つまり6本の弦の音がダウンでは出ているがアップのときにちゃんと出ない。これはまぁ初心者独自のものでいずれ改善される。もうひとつはチュ-ニングだ。狂っていても気がつかない。仕方がないが、そのたびにあわせてやる。チュ−ニングマシンもあるが、いちいちチェックはしないので、狂ったままでジャカジャカ弾いている。遠くで聞いていてもくるっているのが分かるのだが、いかんせん本人が気づかない。
 夕方になり友人のムラマサ氏が遊びに来る。屋根裏ギタ−部屋であちこちと弾きまくる。ああでもない、こうでもないと薀蓄を並べて一緒に酒を飲む。みのかん1号ギタ−をほめまくる。音がいいし弾きやすいそうである。そりゃそうだろう、弾きやすく改造したのだから。値段がいくらかと聞くので、890円、送料込みで約2000円と説明したら、俺に3000円で売れといわれたが、売れない。自分の分身みたいなものだからだ。


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