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2007/01/05(金)
ニコイチ
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夜、帰宅し夕食後屋根裏に直行。何をやるかといえば12弦ギタ−のニコイチである。ジャンク2台の使えるパ−ツを組み合わせ1台のギタ−に仕上げる。これはカメラの場合によくやる手だが、ギタ−の場合はパ−ツのサイズが違うと成立しない。 ためしにハワイの12弦の6連ペグを取り外しCortezの12弦に合わせてみる。ぴったりである。ここからはやることが早い。たちまちニコイチが完成。弦もそのまま移行。 かくして完成。時間がかかったのはリペアよりチュ−ニングである。あいかわらず面倒である。 この「Cortez」の12弦ギタ−、26年前に駅前の喫茶店のマスタ−より購入したものだが、パ−ツ取りとなり、車庫の天井の棚にずっと投げておいたもの。当時捨てようかと思ったが、もったいないとそのままにしておいたもので、実に26年ぶりに音を出したわけである。 当時、まだニキビの跡が残る僕は、地元の音楽団体の代表としてコンサ−トを企画していた頃。もちろん自分でも演奏したし、ギタ−からトランペット、つまりジャズまで手を出し始めていた頃で乗りに乗っていた時期である。 12弦ギタ−を買ってくれないかという情報にすぐさま飛びついたわけである。彼の自宅の部屋に通されて、コ−ヒ−を出されて待っていると、マスタ−が持ってきたのは、自分が初めて見る12弦ギタ−。メ−カ−は訳が分からなかったが、なにぶん弦も張っていないもので、嬉々として自宅に戻ってはみたものの、音が出せない。翌日車を走らせて12弦のセット弦を買いにいったのはいうまでもない。 さて弦を張って、12弦のチュ−ニングをなんとか合わせて(どこでチュ−ニングの方法を覚えたのかは記憶にない)ジャ−ンと弾いたときの感動は、今でも覚えている。
この12弦ギタ−を今弾いてみて、忘れていた自分の青春が走馬灯のように甦って来た・・・などという小説みたいなことは起きなかったが、ちょっと感動した。あれから26年も経ったのかという想いが強い。その間にいろいろなことがあった。長かったようでもあり短かったような気もする。今では子ども達二人もギタ−を弾くようになった。 そして今、自分もまた大きく変わらなくてはいけない転換期を迎えている。人生に節目があるとすれば、今はそのひとつの時期なのだろう。実は母が認知症となり、その介護を迫られている。まだ軽度ではあるが、このまま放っておけばどんどん進行していくことは間違いがない。新年早々介護保険適用の申請をした。母は今年満年齢で78才、認知症となるには10年はやいような気がするが、こればかりは病気なのだから仕方がない。実際病気に遅いも早いもないのだから。 この介護のために、いろいろなものから手を引いた。昨年度の忘年会でひとつのけじめをつけてきたつもりである。陶芸も会長を変わってもらい、写真団体も一応退会させていただいた。なじょもん関係も一応手を引いていくことになるだろう。残るものは自宅でギタ−を弾くことぐらいだ。 ある意味、今年は自分にとって間違いなく節目の年であろう。母の介護にとられる時間が多くなることは、自営業にとっては、間違いなく家計を圧迫することになる。趣味がどうのこうのとは言ってはいられない。 そんな意味で、甦ったこの12弦ギタ−が自分にとってのタ−ニングポイントでもある。
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