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2007/02/28(水) バンド
 コブクロの曲を地元の有志でやっているわけだが、バ−トをどうしようかと悩んでいる。自分がベ−スをやるとギタ−の主軸がなくなる。「桜」という曲はベ−スを入れるだけで何とかなりそうだが、「風」はベ−スとエレキが入ってくる。一人でこの二つは無理である。ボ−カルがアコギ、もう一人がエレキをやると自分がベ−スということで丁度いいのだか、エレキはこの場合は難しい。そうすると別の人にベ−スをやってもらうことになればいいのだが、ベ−スなんて触ったことも無いかもしれない。う〜ん、悩む。
 Old Boysのメンバ−から助けてもらえば話ははやいが、そうもいかないだろうなぁ・・・。

2007/02/27(火) 月末
 月末、ここのところパソコンとの戦いで少々疲れ気味。小海女史の写真展はなんとかなったみたいだが、本人が意外とのんきである。もっともそういう性格だから中近東あたりまで女一人で行けるんだろうなぁと思う。
 写真展をひとつやるのに、本格的な展示となると、全紙プリント代からキャプションパネルまでふくめると約10万円の金額となる。今回の経費はたぶん7万円くらいではないだろうか。入場無料の写真展である。持ち出しのみとなる。目的は自分の売り出し以外には無いと思うが、それ以前に、人に見せたいという情熱が無ければ行けない。今の自分にはそれがない。だから人様の写真展の手伝いをするだけ。
 ま、そういう形で参加できるだけまだいいのかとも思うが・・・。

2007/02/26(月) 山菜
 ふきのとうを女房が実家の裏より採ってきた。てんぷらにした。春の香りである。しかしいつもの年と少し様子が違う。時期が早いせいもあるが、どうも実感としての春の喜びが無い。
 長い雪との生活の中で、やっと春が来たという喜び、これがない。いつもならまだ2メ−トル以上の残雪があるはずなのに、積雪量は里では0センチ。これじゃ春の喜びも無い(笑)。

2007/02/25(日) リカバリ
 午前中、中学の広報誌の原版の印刷をする。校正を入れてもらったものをもう一度チェック。完成である。しかし、先生方の校正は思っていた通りすごい。誤字脱字、改行、句読点、てにをは、見事に校正が入っている。さすが・・・(汗)。自分は原稿どおりに作ったので罪は無いが、会議のとき委員の方々に、おかしい文章は勝手に直しますのでと、承認は得てある。
 午後からは自宅の自分用のパソコンをリカバリする。なかなか大変だった。必要の無いソフトはすべてはずし、音楽とネット関係だけに絞る。それ以外は自宅ではやらないからだ。要らないソフトやデ−タでパソコンが重くなっているほど馬鹿らしい事はない。
 アップデ−トに手間がかかったが、随分軽くなった。ネットも来月中旬よりいよいよ光がくる。この光ファイバ−は100Mであるが、無線でつないでいるので、せいぜい8Mである。それで充分だと思っている。映画や動画は時間が無いので見ないからだ。無理をすれば有線でつなげないことはないが、4台のパソコンにすべてつなぐとなるとかなり面倒である。
 とにかく天気は晴れていてお天道様は出ているが、寒い一日だった。ま、これが本当の陽気なのだが(笑)。
 
 

2007/02/24(土) ライブハウス
 昨夜の酒がやや頭に残っている。昨夜はムルソ−というファミリ−レストランに簡単なPAを持ち込んで演奏をしてみた。やはりPAを通すと気分がいい。なんだか自分がうまくなった気がする。本当はへたなんだが(笑)。
 コブクロをメンバ−でやってみる。半音ダウンKeyだと歌が楽である。しかし、ハモリの部分などはやはり難しい。メンバ−のボ−カルがなかなかいい。磨けば光る声である。
 本当はベ−スを入れたいと思うが、メンバ−がアコギをもう少しうまくなれば自分はベ−スにまわろうかなぁと思っている。ドラムが必要な場合は、天才ムラマサ氏がマルチなので参加してもらえばいい。
 いろいろと夢は膨らむが、この場合膨らみすぎてみ行けない。牛歩でいい。楽しめる音楽でいい。もう少し若ければ、かなりメンバ−にうるさいことを言うところだが、今回はそういう仲間ではない。メンバ−の技術の上達にゆっくりと合わせていこう。

 ところで、この場所で集るたびに焼酎のボトルが一本空く。つまみ無しで飲んじゃうんだから、マスタ−も商売にならない。簡単な乾き物でいいから用意しておいてと前回頼んで置いたので、用意はしてあったらしいが、今度はこちらが頼むのを忘れていた(笑)。

2007/02/23(金) 中学広報誌
 中学の広報誌、なんとか完成した。最初トップペ−ジに女の子の写真を載せたが、やはり学校の印刷機ではうまく出ず、写真を差し替えた。女の子は顔に対してはナイ−ブなので気を使ってしまう。薄くすれば能面、濃くすれば犯罪者なので面倒である。もちろん印刷会社に出すのならぜんぜん問題ないのだが(笑)。
 

2007/02/22(木) 豪雪反撃コンサ−ト
 昨年度の異常なほどの豪雪。この町はとなりの栄村と手を組んで、この異常なマスコミ報道を逆手にとろうという企画で、東京で豪雪見舞いありがとうキャンペ−ンを展開した。その一環として地元でも「豪雪反撃コンサ−ト」をやった。今年はその2回目のコンサ−トで3月4日にやるらしい。そこで出演依頼が来た。残念ながら自分は忙しいので、メンバ−の一人を推薦しソロでやってもらうことにした。依頼が2週間前である。5人のグル−プとしては、この年代である、ちょっと無理。
 さて、豪雪コンサ−トといえば、昨年度に吉川忠英がこの町にきて、豪雪見舞いコンサ−トをやってくれた。日本で5本の指に入るアコギのプロギタリスト。残念ながら土曜日なので自分は仕事でいけなかったが、息子が聴きに行き感動して帰ってきた。
 
 それにしても・・・・今年は雪が・・・ない。ちょっと肩すかしを食らった気分。3月4日にはこの町の雪まつり。いつもだと2日間だが、今年は一日だけらしい。雪の無い中での雪祭り。十日町じゃあるまいし、無理してやらくてもいいと思うのだが・・・(笑)。

2007/02/21(水) 熱帯魚の死
 熱帯魚が一匹死んだ。エンゼルフィシュである。この熱帯魚、昨年の正月に、お年玉で息子が2匹(正確には自分が買ったのだが)、正月の売りだしのときに買ったものである。一年と2ヶ月生きたことになる。買ってきたときは3センチくらいだったが、遺体は10センチくらいある。
 死因はわからない。ただ自分はストレス死だと思っている。実は他にエンゼルフィシュが2匹いるが、この2匹がいじめていたのだ。いつも一匹だけ水槽の隅の方で小さくなっていた。かわいそうで仕方なかったがどうしてやる事も出来なかった。
 5日くらいからえさを食べようとはしなくなり、そして昨日の朝・・・沈んでいた。一応一晩通夜をしてあげた。仮にも我が家に縁があってきた生き物である。白色トレ−の中に置いたので、ス−パ−で売っている魚みたいだと家族からヒンシュクを買ったが、ちょうどいい入れ物が無かったからだ。
 今朝土の中にうめてやろうと思ったが、仮にも水の中に生きる魚、思い直して川に流してあげた。
 合掌。

2007/02/20(火) 写真展
 写真展という言葉は久しぶりだ。自分も一応写真をやっていた。やっていた・・と過去形で書かなくてはいけないのが悲しいが、今の日本、自分が撮りたいものはない。いや、あるのだが肖像権なんぞがまかり通っているので、それを削除していくと、撮りたいものは無い。花鳥風月は撮りたいと思わない。撮りたいのは人間である。これが撮れない。
 さて、小海女史の写真展、いよいよ大詰めとなってきた。キャプションから展示物まで入れると、小さいものまでふくめると、なんと74枚のパネルが必要になる。もう少しである。
 なんでこんな事をしているかと時々自分に問いかけてみる。自分がやりたい事を彼女がやってくれたからだという意外に理由は無い。がんばれ、と応援したくなる。ただそれだけ。

2007/02/19(月) イラストレ−タ−漬け
 ここのところ毎日イラストレ−タ−である。というのは隣町の情報館で25歳の女の子が写真展をやるために手伝うことになったためである。
 小海さんという人で、実はまったく面識が無い。新聞社に勤めていたことがあるらしく、その関係でなぜか自分に仕事が回ってきた。仕事といってももちろん無料サ−ビスである。
 彼女は一人で383日間、ユ−ラシア大陸横断、23ケ国を回ってきたという豪傑な女史である。初めて会ったときに、そのイメ−ジがあったために、びっくりした。実に華奢な人だった。そう・・・Dr・スランプのアラレちゃんを細くしたような感じかな。
 そんなこんなで毎日パソコン漬け。アドビとマイクロソフトを使いまくりである。しかし、我ながらすごいと思うのは、自分がパソコンを使いはじめたのが4年前くらい。よくここまで出来るようになったと感心してしまう。
 そんなこんなで忙しい。ギタ−はもちろん練習している。コブクロ、「桜」は完全マスタ−である。今は「風」に向かっている。こちらはやはり面白い。
 充実しているといえばしているが、金にならない事ばかりである(笑)。ま、なんかいいことあるでしょう(笑)。

2007/02/18(日) ラ−メン その2
 本日は仕事は休みだけど、仕事場で缶詰状態で中学の広報誌を作る。中学PTAとしての最後のご奉公である。いや・・もしかして初めてのご奉公かも(笑)。
 さて、またラ−メン。専門学校に行っていた頃、春休み、夏休み、冬休みはバイトで明け暮れていた。そのバイト先、小田原。そこにうまいラ−メン屋がある。今もあるかどうかはわからないが、名前を「味一」という。ここのみそチャ−シュ−は絶品である。小田原、国道一号線沿いの早川という場所で聞けば、もし今でもやっているならすぐに分かるだろう。
 とにかく趣味でやっているかと思えるとほど、営業時間が短い。お昼の11時過ぎ当たりから始めて、夕方の5時過ぎには終わる。麺が切れたときなどは、その時点で終了である。それだけはやる店なのだろうが、夕飯時にやっていないラ−メン屋というのもすごい。
 お店は4人がけのテ−ブル二つにカウンタ−5つくらいで狭い。お店の外には安い丸イスが歩道に10脚くらい並べてあって、常連さんたちがいつも待っている。すぐにお店に入れることなど滅多に無い。
 昼間のバイトが終わるのが4時過ぎ。6時からまた夜のバイトでその間2時間が自分の時間である。その4時ごろが「味一」にいく狙い目で、だいたい空いている。何回か食べているうちに自分が新潟出身であるということも話すようになった。店の親父は北海道出身で、新潟と北海道はとんでもなく離れているが、北国という共通点だけで親父はよく自分に話しかけるようになった。
 この親父、ごついタイプでしゃべり方に特徴がある。痩せてはいるが、筋者と間違うような鋭い目つき。笑うと途端に人なつっこい顔になる。ス−プを残すと怒るという話である。自分は残したことが無いので怒られることもなかったが、それだけ自分のス−プにこだわりを持っているのだろう。
 どんなふうにうまいかは口で言い表すことが出来ないが、とにかく一度食べるとまた行きたくなる。ダシはどうも煮干を使っているみたいである。一度そのことを聞いたら、笑いながら企業秘密、そういうことは聞くもんじゃない、と怒られた。とは言っても笑いながらであるが。
 一週間に一度、この店に食べに行くのが当時の自分の最高の贅沢だった。みそチャ−シュ−の大盛りで900円くらい。ま、普通の価格なのだが、いつでも食べられるわけではなく、一度、お店の外にある歩道の丸イスで7番目くらいで待っていたら、親父が突然出てきて
「いち、に、さん、・・・はい、ここまで」
 ちょうど自分の前の人までで麺が切れるという。あのときほど残念に思ったことは無い。次にお店に行ったとき、こないだは悪かったねぇ・・チャ−シュ−多めにサ−ビス、と言ってくれた。常連の一得である。
 夜のバイトが終わると夜中の1時過ぎに「つぼ八」という朝までやっている居酒屋があり、よくそこで職場の仲間と飲んだ。鳥の半身揚げというものがあり、これを食べるのも贅沢の一つだった。
 今では遠い昔の懐かしい思い出である。長期の休みは昼も夜もバイト。学校があるときは、昼は学校、夜はバイト。東京にいながらも、原宿や浅草などは行った事が無い。毎日学校とバイト先の往復。そうしないと授業料を払えないのだ。 田舎に帰る前に一度ハトバスに乗りたいと思っていたがいまだに実現していない。
 昔は田舎者に見られるのが恥ずかしかったが、今は田舎者である事を誇りに思うようになった。これも年のせいなのだろうか(笑)。しかし、もう一度小田原の「味一」のラ−メンを食べてみたい。親父さん、元気でやっているのだろうか・・・・。

2007/02/17(土) ラ−メン
 例年だと雪に覆われているこの時期、積雪量は5センチ。う〜ん、異常気象である。昨年の津南町の豪雪はニュ−スで騒いだために全国的に有名になったが、たしかに積雪量は異常に多かった。そして翌年、つまり今年は、これまた異常に少ない。このギャップにはどうもついて行けない。ずっと少ないのならそれなりに生活するが、今年が少ないからといって、来年度はこれまたわからいない。
 さて、本日は弁当を持ってこなかったので出前でラ−メンをとる。いつもの店からであるが、この店、出前がとんでもなく早い。それが気に入っているのでよく頼む。味も気に入っている。子どもの頃、お店のラ−メンのことをシナソバと言ったが、その昔のシナソバに一番近いのだ。あれ・・・・シナという言葉、漢字に変換できない。
 子どもの頃はラ−メンというと、インスタントラ−メンのことをさしていたような気がする。このインスタントラ−メン、昔からあるものは明星のチャルメラ。基本的に味は変わっていないのではと思う。ピヨピヨラ−メンも旨かったなぁ(笑)。
 それはとにかく、お店のラ−メン、食べ物の中で一番好きである。何よりもどんぶり一杯に全てが入っているのがいい。汁と麺と具。合理的である(笑)。みそ、しょうゆ、塩、この中でみそと塩が好きだが、ワンタン系のス−プが一番好きである。五目ラ−メンがワンタン系のス−プを使っているお店が多いのだが、中にはしょうゆ系のお店もある。そんなときは確認してから頼む。しゅうゆと言ったら、タンメンを頼む。タンメンはワンタン系ス−プであることが多い。
 隣町にまずいラ−メン屋さんがある。どことは書かないが、このラ−メン屋さん、一時期すごい繁盛したらしい。その理由が、どんなにまずいか、一度食べてみようと思った人で繁盛したのだという。ひどい話だ(笑)。ラ−メン好きな自分もそこで食べてみた。う〜ん、評判ほどまずくはない。普通である。味を変えたのかもしれないが、100点万点中、60点。これに比べれば、もっとまずい店はたくさん知っている(笑)。
 もうかれこれ30年以上前になるだろうか、普通トラックを改造した屋台が隣町にできた。知り合いの知り合いになるので一度食べようと出かけた。店主は若い。当時まだ二十代だったと思う。二人でやっている。出てきたラ−メン、一口食べて・・・まずい。これは本当にまずかった。なんとか食べたが、ス−プは飲めた物ではなかった。ラ−メンはス−プで決まる。これがまずいと全て駄目。あとはス−プと麺の組み合わせ。太い麺、細い麺、そして小麦粉とかんすい、片栗粉の組み合わせである。最近の麺は片栗粉を沢山使っているところが多い。あまり自分は好きではない。ともあれ、そのトラック屋台のラ−メン屋、半年で姿を見せなくなった。
 旨いけど出前の遅い店。まずいけど、サ−ビス(コ−ヒ−お変わり自由など)のいい店。こう書いただけで地元の人は予想がつくと思うが(笑)。いろいろである。とにかく一番安いラ−メン、これがまずいお店はすべてまずいと思って間違いない。
 どこのお店がうまいか分からないときは、この町の場合は、町立病院の看護師に聞くといいらしい。彼女達はよく出前をとるので、うまいかまずいかをよく知っている。
 家族で食べに行くときは、必ず一度入ったお店に行く。なぜなら味が分かっているからだ。もし初めてのお店でまずかったときは家族全員が犠牲者となる。だからはじめてのお店の場合は一人で入る。犠牲者が少なくて済むからだ。
 若いときは彼女としゃれたお店に入ることが多かった。その彼女とは今の女房であるが、最近はしゃれたお店に入ることがない(笑)。うまい店に入る。
 まだ二人が独身の頃、国道17号線を走っていた。ちょうどお昼時、女房がどこかで食べようという。しばらく考えた自分は、こう言った。
「旨くは無いかもしれないけど、変わった店がこの近くにあるよ」
 結局そのお店に入った。このお店、ジャンボギョ−ザとかめラ−メンが名物。ジャンボギョ−ザとは、オムレツのようなギョ−ザである。カメラ−メンはお汁まで完全に飲み干すと金一封が出る。今までに成功した人はいないという。お相撲さんでもなくては無理だろう。
 さて、そのお店で女房が頼んだもの、チャ−ハンとジャンボギョ−ザ。これは見ものだと楽しみに自分も同じものを頼む。
 出てきたもの、チャ−ハン、普通より大きいお皿の端から端まで盛り付けたもの。喫茶店にでてくるピラフなんかの量の約5倍。女房はそれを見て言葉を失う。サ−ビスで付け出しまで出てきた。それは大き目の御飯茶碗に入った野沢菜の煮菜。見ただけでお腹が一杯になる。
 とにかく食べ始める。すると、ド−ンとやってきたのがジャンボギョ−ザ。女房はもはや絶句である。
 結局女房が食べたのは五分の一、自分はやっと半分。量が多いからといって高いわけではない。普通の値段である。
 そのお店を出て、再び車を走らせる。女房に聞く
「どうだ、変わった店だろう」
「たしかに・・・・」
 このお店、昔よくムラマサさんたちと面白半分に食べに行ったものである。その頃とぜんぜん変わっていなかった。あの頃はチャ−ハンなども全部平らげたものだが、やはり若かったのだろう。食べ物の思い出ぱまだまだあるが、それはまた機会をみて・・・。
 
 

2007/02/16(金) 広報誌
 ただいまと言って自宅に戻ると、ばあさんが自分に渡したもの・・中学の広報誌の資料。担当の先生がわざわざ届けてくれたらしい。
 さてと、昨年度の発行日・・・3月1日(汗)。あまり余裕はない。自営業なので税金の深刻・・じゃなくて申告もあるし。
 原稿あり、フロッピ−あり、CDRあり、写真あり、ミニアルバムが一冊とあらゆるメディアのつまった原稿を渡されて、ちょっとしんどくなってきた(笑)。中にはワ−ドの印刷物を原稿用紙に貼っているものもある。どうせならデ−タで欲しい(笑)。打つのメンドイ(汗)。
 これだけのわけのわからない資料を一枚にまとめて表にしてあるものを資料の袋の中から発見。さすが先生である。几帳面。ところでこの中に自分の原稿はない。なぜなら、つじつま合わせに長くしたり短くしたりで全体を調整しようと思ったからである。

 これで子供達の義務教育が終わる。中学ではあまり清掃活動に参加できなかった代わりに、これを作れば帳尻は合うだろう。芸は身を助けるというが、アドビのイラストレ−タ−を覚えたためにいろいろな事が回ってきたとも言える。
 思えば下の女の子が小学校に入学したときから9年の月日が終わったわけである。あっという間だった。あの頃は早く子供達が大きくなってくれればいいと思ったが、今は寂しい。今夜は焼酎が一杯余計に飲めそうだ・・・・。

2007/02/15(木) 譜面を買う
 久しぶりに譜面を買う。とはいってもダウンロ−ド、カ−ド支払いであるが。カシオのキ−ボ−ド用の譜面であるが、これで充分である。一曲136円税込み。これは3回まで印刷できる。著作権の問題が絡むせいである・・と推測する。
 コブクロの桜の曲をなんとかもっと簡単なコ−ドにできないかと今夜苦心したが、駄目である。KeyB、Caop4、PlayGでどうしようもない。前サビの部分でE♭などが登場して、いきなりFに飛んだりする。自分はなんとかできるが他のメンバ−がねぇ・・。
 まぁいろいろと変更もあるだろう。気楽にいこう(笑)。

2007/02/14(水) 練習
 今夜は仕事が終わって7時半ごろからムルソ−で練習である。この仲間は同じ集落の仲間であり、幼なじみ的な部分もかなりある。週一回の練習で、とりあえず目標は友野会の花見。
 さて、少し遅れていくと、先客はもうすでに生ビ−ルが空になっている。俺にもということで一杯軽く・・・のつもりが結局焼酎のボトルをキ−プ。マスタ−も含め4人で飲む。飲みながら練習。というか選曲。16曲のうち結局確定したのは5曲。
 拓郎、かぐや姫などは練習しなくてもいいので若者向けの今の曲を練習しようという事になった。とりあえずの選曲は以下のとおり。

コブクロ 風
コブクロ 桜
コブクロ ここにしか咲かない花
BIGIN   涙そうそう
BIGIN 島人ぬ宝

 コブクロはなかなかいい。詩もいいし曲もなじみやすい。BIGINは酒飲んで唄うのになかなかいい。
 そんなこんなで結局ボトルは空。集るたびに焼酎1本。帰宅時間は12時すぎである。帰宅すると女房があきれた顔。今度は飲まずにまじめに練習しよう・・・なんて心にも無いことを(笑)。

2007/02/13(火) 弓矢修復
 前日の折れてしまった弓矢、まず電話を入れて謝る。彼は、いいよいいよ、また作ればいいのだから・・といってくれたが、本当に申しわけない。結構作るのに苦労していたし、それを自分も見ていたから、なおのこと申し訳ない気持ちで一杯である。
 なにはともあれ、飾り物でもいいからと思い、弓矢の修復をする。ギタ−のリペアと一緒である。注射器でボンドを割れ目に入れて圧着、一晩固定。パテとペイントをして見た目だけは復元しておこう。展示用にはなるだろう。

 来年はもっと簡単な物を自分が造っておこうと思う。この縄文の弓は「うりはだかえで」というもので作るそうである。そんな話をしていたら、親父は、黒文字の木がいいんだと言い始めた。黒文字。江戸時代くらいまで、楊枝に使う木であり、このあたりの山にも自生している。竹でも何でもいいのだが、こだわるのは自分の自由である。
 ちなみに弦は、カラムシで作ったらしい。タコ糸は伸びるので適さないという。今回は伸びないという点で麻縄を使ったが、輸入の麻は繊維が短いので、切れるときにはブツッと切れるらしい。カラムシは「ならんごしの会」をやっているMばぁちゃんに頼むとして・・・そこまでこだわらなくてもいいか(笑)。

2007/02/12(月) 十二講
 いよいよ本日は「十二講」である。午前中は余裕があるのでサウナに出かける。前日の体内に残った酒を抜くためと神事にそなえてみそぎをかねて(笑)。
 帰ってきてから、カタコモチを入れたツツッコというものを作る。その後弓矢を借りにいく。文化財専門員より借りてきた弓、縄文時代の弓を再現したもので、ベンガラ、うるし塗り。これがかっこいい。無理を言って借りてきた。
 十二講はどんと焼みたいなものだが、基本的には山の神に対して、年初めに山に入るために神に許しを請うと同時に山での安全を祈願する行事である。
 消防署には届出済み、地元消防団には依頼済み。ところでこの時期は「十二講荒れ」といい、毎年吹雪となり荒れるのだが、信じられないことに雨。この時期に雨というのはこの地方にはありえないのだ。今年は雪が無いために別の意味でいろいろと苦労をしてしまった。
 雨のために地元の建設業者よりテントを無償で借りる。毎年のことではあるが本当にありがたい。こういうボランティアの元に地元の伝統行事が継続されていることを町の行政は理解してくれているのだろうか。
 さて、夜7時に十二講のはじまり。最初に会長である自分が司会をして、今年は伝統の復活として弓矢を用いて昔ながらのやり方をしますと説明。その後集落区長のあいさつ。・・とここまではよかった。区長に弓矢を引いてもらう、最初は軽く弦を引いたら、1メ−トルくらいのところにポトっと落ちた。これには全員が爆笑。次である、今度は区長は思いっきり弦を引いたら、弓が・・・なんとパキッと軽い音がして折れた。えっ・・・(汗)。
 結局、すぐに適当に弦を適当に張り、なんとか行事を終わらせた。その他は順調である。風が無いために火はまっすぐにあがり見事なものである。燃焼時間も早すぎることも無く、遅すぎることも無くちょうど良かった。メンバ−全員の苦労がこれで報われる。このために秋には萱刈りもしているのだから大変な苦労である。
 その後、地元新聞社のおなじみの記者にいろいろと説明をする。こちらのほうは説明が難しい。どんな記事となるか楽しみである。
 忙しくて写真も撮れなかったので、仲間であるkobaさんのサイトにリンクを貼らせてもらいます。

http://res9.7777.net/bbs/1056/

 ま、これでやっと自分の会長としての大役が終わったわけである。あとは中学PTAの広報誌作り。あ、友の会連絡協議会の原稿も会長代理で書かなくてはいけない。それと隣町の写真展への協力もあった。ひとつ終わるとまたひとつとなかなか忙しいなぁ(笑)。来年は青少年育成会議がもう一年ある。でも責任はこれで一応終わったようなもの。さて、大好きな音楽活動に専念できる。あ、まだ税金の申告が待っていた・・これが一番嫌だ(笑)。そうそう、明日弓矢が折れたことをあやまらなくてはいけない・・・人生、いろいろとあるものだ。

2007/02/11(日) パソコンいじり
 姉にパソコン作りを頼まれた。HDDは10G(笑)を持っているという。メモリ−は64Mを何本か自分が持っているので、マザ−はあるし、ケ−スも以前のを使えば何とかなるとだろう、OSはどうせネットしかしないのだからなんでもいい。
 と思ったいたら、陶芸サ−クルのKさんという元保育園園長さんから以前もらってあるのを思い出した。ダンボ−ルから取り出すと何と新品。400Wの電源付。息子が持っていたんで、捨てようと思っていたんだけど要る?といわれて、要る要るととりあえずもらっておいたもの。
 それを組み合わせるシュミレ−ションをしていたら午前10時。親戚の法事に出かけて、終わると一時過ぎに集落行事の十二講の準備にすぐ出かける。みんなの協力で一時間前後で終了。2時過ぎからご苦労様でしたで軽く一杯・・・ところが軽くない。5時くらいまで公民館で飲んで、その後例のファミレス。そこでギタ−を弾きながら飲んで結局12時を過ぎてしまった。長い・・・(汗)。
 このファミレスでミニライブをやれるようにする計画である。そんなこんなで親父バンドがまた新しく生まれる。選曲はボ−カルに任せる。たぶんコブクロ、スピッツなどである。まず歌を覚えなくては・・(汗)。娘に今度は教えてもらう番である(笑)。

2007/02/10(土) 珍しく自宅
 今夜は珍しく自宅でギタ−を弾いている。ギタ−のサドルとかナットをよく調べて、これは変だ、ここを改良しようなどと考えている。
 今、娘が受験なので自主的にギタ−類を自分の部屋から撤去した。結果は屋根裏にギタ−がごろごろある。娘のお気に入りのヤマハ、そして000のモ−リス。赤いフォトジェニックのエレキ、アリアの10Wのアンプ。
 こうしてみてみると、よくまぁと思う。これ以上は増えてもと思いつつ、なぜかギタ−が集って来た。他の一般の人からみれば、なんと贅沢なと思われるが、ほとんどもらいものか、ジャンク品を安く購入したもの。
 趣味が多いと言われる自分だが、趣味という言葉には違和感を感じる。いや・・趣味には違いないが、どうも自分の場合趣味というのと違う気がする。生きがい、、というのもオ−バ−だし。
 お金と時間の配分が他の人たちとは違うのだ。たとえば車は昔から安全で走ればそれでいいと思っているし、この次は軽トラにしようと考えている。いい車に乗りたいと思ったことは一度も無い。そして、いまどき珍しいかもしれないが携帯は持っていない。いらないからだ。だからその分のお金をいろいろな別の方面につぎ込める。つまり今の時代の逆を走っている。
 パソコンは自宅に4台、すベて無線でネットでつながっている。ジジババを覗き、我が家は一人一台である。ただしすべてディスクトッブ。パ−ツの交換がたやすいということが最大の理由。そして仕事場に一台。パソコンがこれからの時代には必須と感じたのは3年ほど前だが、子ども達にパソコンを与えたのは、ゲ−ムの代わりである。ゲ−ムは将来何の役にも立たないと思ったからだ。かわりに簡単なゲ−ムのできるパソコンを与えた。ただしゲ−ムをするためには当然、そこそこの知識が必要になる。結果としてパソコンは上達する。長男が小学校6年生のとき、授業で修学旅行の情報をグル−プに分けてネットで調べさせた。どういうわけか息子のグル−プだけなにもせずに遊んでいるので、先生が注意したら、息子達のグル−プだけが早々に資料を完璧に揃えてあったそうである。自宅にパソコンがある子どもと無い子供ではこういうときにものすごい差がでてくる。
 ハ−ドは親父がいじるが、ソフトとネットの扱いは息子のほうがすごい。変な家庭である。そんなこんなで情報はすべてパソコンのネットである。TVは家族全員がジジババを覗き殆ど見ない。たまに見るのはニュ−スくらい。
 居間にある女房専用の???パソコン、実は女房がもちろん一番パソコンができない。でも子ども達がやってくれるのでぜんぜん困らない。だから上達しないのだ。ネットであちこち見ていると、今自分が何をしているのか分からなくなるらしい。最後は家族にSOS(笑)。この場合助けを求められてもねぇ・・。自分が分からなくなったものは、人はもっとわからない(笑)。
 携帯を持たない親父、パソコンをできない女房。どうも我が家はバランスが非常に悪い。

2007/02/09(金) ヤマキ 完成
 自宅に戻る。ただいま・・と同時に息子の部屋に。タカミネの弦の売っている楽器屋にいけなかったので、もう一軒の楽器屋に行ったらモ−リスの弦しかなかったとのこと。

 このもう一軒の楽器屋さんは、先代の社長が亡くなり、従業員だった人がそのまま店を引き継いだもので、中越地震のため今は別のところで営業している。主として学校のブラバン関係の楽器を扱っている。
 高校時代、音楽クラブの部長をやっていた自分はこの楽器屋さん、つまり先代の社長のとき、ひとかたならぬ世話になった。ギタ−関係はほとんどこの店で購入していた。
 部の活動費というものがあり、生徒会の予算よりどれだけ活動費を取れるかが部長としての最初のお役目で、その年は結構予算がとれたので、部費でギタ−を購入することにした。予算は3万円だったかなぁ・・・記憶は定かではないが、1万5千円のギタ−を2本。でもできればもう一本ということで、なんと一本一万円にしてもらった。それで3本購入。たぶんほとんど利益が無かったと思う。ひょりとやせこけた先代の社長は、ぶっきらぼうだが、そういう男気のある人だった。その奥さんはやさしくて、親父の愛想のない分をカバ−していた。奥さんは元気にしているのだろうか・・・・。
 
 さて、モ−リスの弦、1セット500円くらいなのかな?息子まかせなのでわからないが、この弦???sどうみてもマ−チンの弦と同じである。音もそんな感じだ。Sヤイリやタカミネとはあきらかに違う。
 ヤマキに弦を張る。6弦を張り弦高を見る。高い・・(汗)。サドルを外してサンドペ−パ−の120番でごしごし。なんとか4mmまで下げたが、まだ高い。しかし、今は早く音を鳴らしたいので、とにかく6本張ってチュ−ニング。なかなか合わない(笑)。
 弦高といえば、この時代のアコギはみんな弦が高い。5mmくらいは当たり前である。ストロ−クジャカジャカの時代だからそういう作りなのだろう。これを無理に下げると、たぶんどこかに無理が出る。
 さて、まずはピッキング・・・音がでかい。これ000スタイルだよなぁとボディを見直す。ストロ−ク、音がでかい。う〜ん、これがヤマキか・・なるほど。サウンドホ−ルから音が目一杯と飛び出してくる。ふ〜ん、なるほど。人気があるわけだと納得。合板だし、特にこれといった細工はしてなかった。しいていえばブレイスの厚みがひとまわり薄かったくらいである。でも意外とそういうところが鳴る原因なのかも。これにくらべてヤマハは、一字違いだが同クラスのギタ−だと鳴りが悪い。しかし、作りがしっかりしている。いかにも丈夫そうである。そういえばヤマハのギタ−、ギタ−を弾き始めて三十数年になるが、ネック反りは見た事があるが、ブリッジの浮き上がりとかは見た事が無い。

 その後、例のヤマキのふるさとであるファミレスにいく。約2名を呼び出して12時過ぎまでギタ−を弾く。ここのマスタ−はほぼ自分と同年代、一級下。かくや姫、拓郎といった時代の人である。一方、もう一人はさらに3級くらい年下。まるでやる曲が違う。音楽そのものは流行ものであるから、年々変わっていくのは当たり前だが、大きくカテゴリ−で区切ると、あきらかにこのあたりに線が引かれていることが分かる。つまり3級以上年下になると、もはや拓郎、かぐや姫ではなく、すばりアリス世代になる。
 この3人でグル−プを結成することになったわけだが、当然お互いが歩み寄らなければいけない。それにしても自分はあっちのバンド、こっちのグル−プと掛け持ちだが、大丈夫なのか・・なんて考えたが、気楽に楽しむという点ではまぁいいだろう。今はパソコンという便利なものがあるので、時間が無い自分でも、この世界はなんとかやっていけるものと思っている。


 
 

2007/02/08(木) ヤマキその後 2
 今日はラッカ−塗装をかけたものにコンパウンドで磨きをかけて完成させた。弦はタカミネのEXライトを息子に頼んである。

 バインディングは、ホ−ムセンタ−より、ベニアの端にはめるための白いもの(何というものか名前がわからない)の一片を切り出して、曲がり癖を少しずつつけて接着した。仕上げは120番、240番、そして1000番のサンドペパ−で順次仕上げた。全体的にはあまりうまくはないが、なんとか実用範囲である。自分で使うのだからこれでよし(笑)。トップのバインディングの黄色くなった色(元は真っ白だが)に合わせる為に真っ白のものに薄黄色に着色するのに苦労した。

 弦高を長い定規でサドルからナットに渡してみると、やや高い状態である。たぶん5mm以上はいくだろう。サドルにかなり余裕があるので、多少は削るとしてたぶん大丈夫。
 バックボ−ドを取り付けたのでブリッジにピンがさせない。これはお昼にムラマサさんのところに行きドリルを借りて穴をあけた。ピンを刺してみると丁度よかった。大きくもなし、小さくもなし。

 今回のリペア費用は250円。バインディングの代用品を購入しただけ。ラッカ−、コンパウンドなどの他のものはすでにそろっていたのでこれで済んだわけである。ジャンクギタ−が1000円とすると、労力は別として1250円税込みである(笑)。

 ピックガ−ドは前回購入した鼈甲柄の安いものからもう一枚切り出した。元の黒いピックガ−ドは厚みがかなりあったのと汚かったので貼替した。

 ペグはサビだらけであるが、回してみるとまぁまぁなので分解調整してそのまま取り付けた。ナットはまったくいじらない。サドルもそのまま元のものを使う。

 このサドル、牛骨のロングサドルである。なかなか当時のヤマキは頑張っている。だから続けられなくなったともいえるが。このクラスはヤマハだとプラスチックサドルである。コストダウンがみえみえなのだが、だからこそ逆にこの業界で生き残り、そしてトップランナ−であり続けるのだろう。

 モ−リス、ヤマハはランク付けがはっきりしている。安いのはそれなりである。高いものもそれ相応である。音も価格に応じて比例する。一万円のギタ−は一万円の音。十万円のギタ−は十万円の音である。ところが、スズキとかエリ−トとかは面白い。一万円のギタ−が3万円の音が出たりする。だから面白いのだ。
 さて、今回のヤマキカスタムはいくらの音がするのだろう。結果は明日報告である(笑)。いろいろなサイトを見ると、この時期のヤマキの合板は、ヤマハのFGがけつまくって逃げ出すほどよく鳴ると書いてあった。ただし、これはリペアの際にブリッジバックボ−ドを変えてあるので結果がどう出るかは分からない。しかし、これが一番楽しい瞬間である。

2007/02/07(水) ヤマキその後
 ヤマキのギタ−は前期と後期に大きく分けると、カスタムとデラックス時代が前期、バッファロ−ヘッドのあたりを後期と分けることが出来るだろう。
 今回リペアしているヤマキは前期。000スタイルのカスタム、No200となっているので当時2万円のギタ−であろう。とにかく最初手にしたときは、その汚さに驚いた。長くファミレスの出窓の壁に立てかけてあったためであろうか、煙草のヤニみたいなものがしみついて、すでに塗装の輝きが無かった。
 まずはこれを洗濯石鹸を使った石鹸水で磨くことから始まった。何度も雑巾をすすいでは固く絞りみがきあげた。
 この時点ではまだリペアに成功するかどうかはわからなかった。ブリッジ浮き上がりのトップのふくらみの原因がわからないからだ。
 リペアするときいつも最初に思うのは、自分ごときに修理が出来るだろうかである。金なし、技術なしではどうしようもないからだ。今回も義理で1000円と言う形で手に入れたものの、パ−ツの購入で5000円以上もかけなくてはいけないとなると、やぶへびとなる。
 カメラやギタ−の修理をするときのエネルギ−はどこからくるのか。それは単純に情熱であろう。このカメラ、ギタ−をごみにするか生き返らせるかはひとえに自分にかかっている。そう考えるとやる気が沸いてくる。

2007/02/06(火) DVD
 寝酒の焼酎が少々回ってきた。今夜も隣の家の先輩より貸してもらった、拓郎、かぐや姫の嬬恋ライブのDVDを一時間くらい見る。3枚組なので一度に見る時間がない。今夜はやっと2枚目である。
 今夜はそんなせいもあり、センチな気分である。あの頃の時代はたぶんフォ−ク全盛時代なのだろう。いろいろなことを思い出してしまった。後輩の女の子にギタ−を教えるのに大変だった記憶がある。教えて教えられない部分というものがあるのだ。シンコベ−ションリズムなどもそうだが、体で感じなくてはいけない部分というものは口では教えられない。
 そんなことを思い出していたら次から次へと・・・。高校3年生の時・・・やめとこ(笑)。このブログ、どうも娘も見ているみたいだから、ちょっと・・・。

 まぁとにかくこのDVDを見ると懐かしい。観客はほとんど団塊の世代である。高度経済成長真っ盛り、金の卵という言葉もあった時代、学生運動、労働組合などなど・・群れることがステイタスの時代。その頃自分は小学生。佐藤栄作、田中角栄などは知らない世界。ただただTVのアニメに夢中になっていた。ガンダムの世代ではない。ウルトラマン、ウルトラセブンの世代である。
 先日両替にパチンコ屋に入ったら(そういう目的でよくいく)、知り合いがいたのでウルトラマンのパチンコをやるのを隣で見ていた。ドル箱4個、お金に換算して2万円というところか。いくら使ったと聞くと、下のドル箱を見て、これでやっと元だという(笑)。その後どうなったかは知らないが、今のパチンコはすごい。液晶だからきれいなのだ。ウルトラマンに変身すると確立が高くなるらしい。
 それはとにかく、我々の頃はヒ−ロ−とスポ−ツ根性ドラマがすごかった。サインはV、柔道一直線、巨人の星。つまり稲妻サ−ブ、地獄車、大リ−グボ−ルなど、常識では考えられない技が次から次へと(笑)。

 拓郎やかぐや姫の歌を聴いていると、あの頃の屈託のない笑いや純粋の涙が今の自分にはないことに気がつく。今は笑いも涙もどこか屈折している。しかし、あの頃の歌を唄うと、あの純粋な気持ちを思い出すことができる。そこでギタ−の腕はというと、小細工はうまくなったが、確実にあの頃のほうがうまい(笑)。やはり演奏も少し屈折しているようである(笑)。

2007/02/05(月) はじめてのヤマキ
 ヤマキというギタ−、ギタ−オタクの中では超有名である。しかし・・・自分とはなぜか縁が無かった。今ここにあるがジャンクなのでまだどんな音なのかわからない。典型的なブリッジ部の下のふくらみである。ブレイスのはがれなら、鏡と電球を入れて裏からとおもったが、どこもはがれている場所は無い。よくよくトップを見ると3ピ−ス、3枚板で構成されている。どうもこいつがいけないらしい。張り合わせが多い分弱いのではと思う。普通は2ピ−スで真ん中より左右対象なのだが。
 結局バックをはずす。しかしボンドがきつくてやっと剥がした。バインディングもボロボロとなってはがれた。これは購入するしかない。
 原因はブリッジバックボ−ドのふくらみ。バックボ−ドはロ−ズの合板である。3mm厚のもの。これ自体が膨らんでいるので、これは交換しかない。結局手に入るのは普通の合板しかない。つまりベニヤ板である。丈夫さを考慮してシナベニアの4mm厚を使うことにする。トップのふくらみのくせがついているので、ここを一晩圧をかけて、明日バックボ−ドを圧着しようと思う。
 なかなか大変なリペアになった。
 

2007/02/04(日) 豆まきヤマキ
 本日は集落の豆まき行事。年々少なくなっている小学生、今年は何人来てくれるのか・・・。開始時間は2時半からだが、12時ごろには公民館の暖房をつけるために出かける。出かけると言っても歩いて3分の場所だが。
 今年は仲間の人たちが沢山来てくれたので準備もバタバタと終わり、少し時間をもてあます。時間が迫ってきた。公民館のスピ−カ−より聞き飽きた音楽が流れる。この音楽、CDなのでそろそろ変えてもいいのだが、なかなか変わらない(笑)。婦人会、老人会、青年会、子ども会と、それぞれテ−マソングが決まっているみたいである。
 途中自分がスピ−カ−から案内のガイダンス?を流す。なんとか100人以上の老若男女が集ってくれた。やる以上大勢の人たちから来て欲しいと思うのは、役員一同の共通した願いである。
 
 豆まきも無事終了。今年は雪が少ない・・というより無いに等しいので、これでも沢山集ってくれたほうなのだろう。こういった集落行事は若いときにはまるで興味も無く参加もしなかったが、今自分が主催者側の立場に立ってみると、こういう催事がいかに大切かを痛感している。この集落は運動会等も盛大にやる。この町ではたぶん一番元気のいい集落ないかと思う。
 片付けも終わり、お決まりの「軽く一杯」の時間が来た。ところが軽く一杯では済まない。これも恒例である(笑)。その後の流れで、地元のファミレスにいつものメンバ−が流れる。ここに自分がみのかん2号ギタ−を持ち込む。やんややんやで昔のフォ−クソング大会。そういう年代である(笑)。
 この店に以前より置いてあるヤマキカスタム000モデル。実は以前より目をつけていたものである。この店に行くたびにヤマキがいつも悲しい目をして訴えていた。「助けて・・・、助けて・・・」その心の叫びに、待っていろよ、もう少ししたら助けてやるから・・と言いつつ、いつも酔っ払っているので、帰るときには忘れてしまう(笑)。
 本日こそはとマスタ−と交渉。「1000円で売って!!」「いいよ」。これで交渉成立。マスタ−も1000円で友達から買ったというから、お金を渡すときには「悪いなぁ・・」と言われるおまけつき。
しかし、買ったのはいいが、またまた酔っ払っているので、そのまま店に忘れてきてしまった。明日取りにいこう(笑)。
 この店にはもう一本ヤマハが置いてある。F−151Bだったかなぁ、酔っぱらっているので記憶が定かではないが、こちらも弦高が高い。いずれは暇をみて調整してあげるよと約束する。予想だとトラスロッドはまったくいじっていないだろう。そういう知識はこの店のマスタ−夫婦にはないと判断。トラスロッドで調整後にサドルを許される範囲で下げればOKだろう。

 自宅に戻り、いろいろと考える。あの店をライブハウスに・・。一週間に一回、もしくは月一でもいいが、仲間が勝手に集り勝手に演奏する。これに別の仲間を巻き込む。この町で音楽やっている連中の横のつながりで、演奏者を増やす。音響機材はムラマサ氏より無償で借りる。趣旨を理解してもらえばまずOKだろう。彼はそういう奴である。趣旨・・こいつがよく分からないのだが(笑)。
 これといって特長の無い店なので、これで特長を出していくことになり、この店にとってもいいことなのではないかと。ただしやりすぎないことが大切である。月一くらいのコンサ−トがちょうどいいのかも。
 宣伝は地元新聞社より記事にしてもらう。こういうときに今までのコネが役に立つ。記事に飢えている時期に頼めばOKだろう。
 実はこのやり方は、となりの十日町で実践している店がある。その店から以前に、出演を依頼されたこともあるのだが、あの時は忙しかったので、そのうちに・・とあいまいな返事をしておいた。隣町の新聞社のTさんに相談すれば、いろいろなノウハウを教えてくれるだろう。
 ドラムスまで入れるバンドは、店の広さから少し無理なので、まぁせいぜいベ−スを入れる程度のバンドだろう。結構面白いかもしれない。マスタ−も音楽好きだし。少なくともみんなの青春が一部(笑)、取戻せるかもしれない。

2007/02/03(土) 節分
 どういうわけか節分には太巻きの寿司を食べる。もちろん田舎では、昔からその食習慣はない。マスコミという情報に踊らされているだけである。クリスマスのケ−キ、バレンタインデ−のチョコ、ホワイトデ−のキャンデ−もまたしかりである。
 この地方に残っている食習慣では、大晦日のシャケ、正月の雑煮、それから煮物の豪華版「ヒラ」というもの、そして二十日正月の昆布巻き、14日の寒九のとろろなどである。こちらのほうは逆に失われつつある。

 本日我が家でも太巻きを女房が作った。巻いただけで終わり。つまり節分の太巻きは、そのままかぶりつくものらしい。ま、それはいいが、青物が欲しいということで、ほうれん草を入れた。こいつがかぶりついて食べた場合には噛み切れない。みんながずるずるとほうれん草を口から垂らしている。これには笑った。
 
 さてと、屋根裏に上がりパソコンをつけて、ヤフオクチェック。もう買う気もないが、なんとなくギタ−のジャンクをチェックする。そういう予算もないし、これ以上増えても何なんで、ひやかし半分であるが、以前ブックマ−クに保存しておいたセピアクル−のF-130が100円で落札していた。サドルを改造してあるだけというもので、これ、遊びに自分も欲しかったなぁと、またろくでもないことを考えてしまった。このセピアクル−の音の固さはよく知っているのだが、価格が100円、すべて込みで1600円くらいなら考えてもいい。いかん、いかん自制自制(笑)。

 ジャンクの場合、半分は賭けのようなもの。みのかん1号ギタ−はペグなしで890円、ワトソンのナットなしのジャンクは500円、そしてムラマサさんに世話して、結果的に自分のものになったスキャロプトに改造した2号ギタ−は1000円。もちろんペグ等を購入したりしているので、送料とリペア代を含めると、それ以上に高いものになったが、音では満足している。

 ギタ−なんぞは一台あればと思うが、改造が面白くてどんどん深みに入ってしまった。この間、わずか半年である。この半年にいろいろな知識が身についた。今は、ここにあるギタ−をベストの状態にすることである。ナット、サドルなとをこつこつといじる。そしてネットで勉強。う〜ん・・・わかればわかるほど奥が深い(笑)。

2007/02/02(金) ニセトラキャスタ−
 息子のお気に入りのエレキは、親父が改造したビル・モ−リスである。弾きやすくてピックアップも抜群と言うことで、他は要らないとばかりに、赤いフォトジェニックのニセラトキャスタ−は妹にあげた。
 二日くらい前に息子が屋根裏に用事で上がってきて、ついでに中国製SXのサンバ−ストのエレキを弾いてみると、これ生鳴りがいいねとびっくりしている。そりゃそうだよ、本家と同じ木を使っているから、しかも単板2ピ−スだ、と言うと、このロゴ消せるかなぁと言うので、それは簡単だというと、しっかりと頼まれた。
 問題はそういうことでなく、ピックアップだと思うが、若いときはそういうことはどうでもいいのだろう。シングルコイルとハムバッキングの2台あれば事足りる。あとはエフェクタ−があればどうにでもなるのだろう。

 さて、どうせなら本物に近い改造をしようと、ヘッドの形を少しいじる事にした。いわゆるデッドコピ−というものは微妙に本家と違うようになっている。ヘッドが長かったり短かったりである。そっくりにしたら問題があるので、といってもそんなに正確に削れるはずもないのだが、ネットで調べて、その写真を元にネックの幅から実寸をだし、イラストレ−タ−で図を作ってみた。調べるとフェンダ−のストラトも微妙に年式によりいろいろ違いがある。ここは指板のロ−ズウッド?の60年代モデルを参考にさせていただくことにした。
 これはこれで面白い。よく考えたら糸ノコもないので、それくらい買ってくるかと思っている。

2007/02/01(木) チロ
 我が家で一番大切にされているのがチロ。しかし、最近少し太り気味。冬なので運動不足なのだ。なにしろチロの食べそうなのものはひととおりやってみる。今まで食べたもので変わったものは。もち、春菊など。いろいろなものをひととおり口にしている。
 意外にもお刺身などはそれほど好んで食べない。パンも我が家に来た頃はよく食べたが、最近はそうでもなくなった。
 最近朝が早く、4時ごろには起きて駆けずり回る。その時自分たちも一回起こされる。そしてまた寝る。つまり2度寝になるので、寝過ごしたこともたびたび。
 しかし、チロが来て我が家の毎日が明るい。家族に言わせると自分が一番明るくなったという。チンタが死んでからというもの、自分はうつ病のようだったそうである。自分ではそれほど感じていなかったが、家族にはそう写っていたみたいである。まぁ無理もない、20年連れ添った猫である。それに親戚の不幸、仲人の不幸と不幸続きだった。
 猫は犬と違って仕事をしない、稼ぎが悪いといわれるが、昔はねずみをとることで充分に役に立っていたのだがなぁ(笑)。でも我が家では存在そのものが仕事である。人の心を明るくさせてくれる。それだけでいい。


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