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2007/02/18(日) ラ−メン その2
 本日は仕事は休みだけど、仕事場で缶詰状態で中学の広報誌を作る。中学PTAとしての最後のご奉公である。いや・・もしかして初めてのご奉公かも(笑)。
 さて、またラ−メン。専門学校に行っていた頃、春休み、夏休み、冬休みはバイトで明け暮れていた。そのバイト先、小田原。そこにうまいラ−メン屋がある。今もあるかどうかはわからないが、名前を「味一」という。ここのみそチャ−シュ−は絶品である。小田原、国道一号線沿いの早川という場所で聞けば、もし今でもやっているならすぐに分かるだろう。
 とにかく趣味でやっているかと思えるとほど、営業時間が短い。お昼の11時過ぎ当たりから始めて、夕方の5時過ぎには終わる。麺が切れたときなどは、その時点で終了である。それだけはやる店なのだろうが、夕飯時にやっていないラ−メン屋というのもすごい。
 お店は4人がけのテ−ブル二つにカウンタ−5つくらいで狭い。お店の外には安い丸イスが歩道に10脚くらい並べてあって、常連さんたちがいつも待っている。すぐにお店に入れることなど滅多に無い。
 昼間のバイトが終わるのが4時過ぎ。6時からまた夜のバイトでその間2時間が自分の時間である。その4時ごろが「味一」にいく狙い目で、だいたい空いている。何回か食べているうちに自分が新潟出身であるということも話すようになった。店の親父は北海道出身で、新潟と北海道はとんでもなく離れているが、北国という共通点だけで親父はよく自分に話しかけるようになった。
 この親父、ごついタイプでしゃべり方に特徴がある。痩せてはいるが、筋者と間違うような鋭い目つき。笑うと途端に人なつっこい顔になる。ス−プを残すと怒るという話である。自分は残したことが無いので怒られることもなかったが、それだけ自分のス−プにこだわりを持っているのだろう。
 どんなふうにうまいかは口で言い表すことが出来ないが、とにかく一度食べるとまた行きたくなる。ダシはどうも煮干を使っているみたいである。一度そのことを聞いたら、笑いながら企業秘密、そういうことは聞くもんじゃない、と怒られた。とは言っても笑いながらであるが。
 一週間に一度、この店に食べに行くのが当時の自分の最高の贅沢だった。みそチャ−シュ−の大盛りで900円くらい。ま、普通の価格なのだが、いつでも食べられるわけではなく、一度、お店の外にある歩道の丸イスで7番目くらいで待っていたら、親父が突然出てきて
「いち、に、さん、・・・はい、ここまで」
 ちょうど自分の前の人までで麺が切れるという。あのときほど残念に思ったことは無い。次にお店に行ったとき、こないだは悪かったねぇ・・チャ−シュ−多めにサ−ビス、と言ってくれた。常連の一得である。
 夜のバイトが終わると夜中の1時過ぎに「つぼ八」という朝までやっている居酒屋があり、よくそこで職場の仲間と飲んだ。鳥の半身揚げというものがあり、これを食べるのも贅沢の一つだった。
 今では遠い昔の懐かしい思い出である。長期の休みは昼も夜もバイト。学校があるときは、昼は学校、夜はバイト。東京にいながらも、原宿や浅草などは行った事が無い。毎日学校とバイト先の往復。そうしないと授業料を払えないのだ。 田舎に帰る前に一度ハトバスに乗りたいと思っていたがいまだに実現していない。
 昔は田舎者に見られるのが恥ずかしかったが、今は田舎者である事を誇りに思うようになった。これも年のせいなのだろうか(笑)。しかし、もう一度小田原の「味一」のラ−メンを食べてみたい。親父さん、元気でやっているのだろうか・・・・。


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