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2007/04/30(月) お花見コンサ−ト
 今日はお昼よりお花見コンサ−トである。ムラマサ氏よりモニタ−のある本格的なPAを借りる。こんな機材を使ってコンサ−トができるのは、やはり持つべきものは友であると思った。
 お昼から飲みながらコンサ−ト、後半は昔のフォ−クソングのなつメロ大会。同年代の集まりであるので実に楽しい。わけのわからないうちに終了。
 その後3時過ぎより、ムルソ−で2次会。ここでも同じくナツメロ大会。拓郎、かぐや姫、中島みゆき、松山千春、NSPなどなど。自分も悪乗りで即興ソングを歌う。閉経ブル−スを唄っていたら誰かから何かを投げられた。よく覚えていないが(笑)。その年齢の女性といえば・・・(笑)。
 7時すぎに女房が迎えに来てくれた、というか呼んだんだけど。そうしないときりがないのだ。12時から夜7時、たっぷりと7時間飲み続けていることになる。疲れる・・・。
 風呂に入って9時くらいに眠る。朝までぐっすり・・・。

 

2007/04/29(日) 春普請
 午後から春普請ということで集落の共同作業であるが、女房がどうしても飯山の菜の花畑に行きたいというので朝早く出かける。ちょうどいいときで写真もかなり撮影してくる。朝の光は非常にフォトジェニックである。
 午後より春普請、仲間より誘われた場所に行ったが、楽だった・・・(笑)。

2007/04/28(土) ピエゾ
 ピエゾを名古屋スズキのスリ−Sに取り付けてみる。サウンドホ−ルから手を入れてエンドピンのところをいじるのだが、手が入らない(汗)。娘を呼んでやってもらう。腕が細いかららくらく入るのだ。
 エンドピンの穴はもともと差し替えられるように開いていたのであるが、新たにドリルで穴を開けるのはなかなか勇気がいるだろう。
 さて、取り付けたと同時にプリアンプなしのエレアコに変身するだが、このギタ−にはどうもいただけない。シャリシャりした音になりどうも駄目である。エレアコは生で鳴らないギタ−のほうがいいというのは本当みたいである(笑)。

2007/04/27(金) 最終練習日
 今夜はお花見コンサ−トの最終練習日。たった4曲なんだけど、もう飽きたというところ。ところがベ−ス担当のマスタ−がもう一回やろうという。なかなかがんばっいる。
 次にアンコ−ル曲を練習する。みんなが一緒に歌えてノリがいいのは「心の旅」ということで決定。全部で5曲。ま、デビュ−としてはこんなところであろう。

2007/04/26(木) 道具
 今晩は女房が夜勤でいない。こんな夜は静かである。子供たちも夕食をもくもくと食べ、それぞれの部屋へひっこむ。自分も屋根裏に上がる。お母さんというのはその家の太陽であると誰かが言っていたが、我が家の場合はまさにそのまま。女房のいない夜は我が家は暗い。しばらくすると息子の部屋から珍しくアコギの音。 

 カメラもギタ−も生活するのになくても困らないものである。必要なものは衣食住である。若いときはそういう当たり前なことに気がつかずに、ギタ−やカメラ、車やバイクといったものがすべてだと思い込む。つまり生活するために必要なものは、ギタ−でありカメラであったりするのだ。そう思い込んでしまう。しかし、いざ社会人となると、仕事の責任が重くなり、しかも所帯をもち、生活する段になると、カメラやバイク、ギタ−が突然ただの道具となる。
 カメラは子供たちの成長記録に使われて、芸術的写真はまず撮影しなくなる。ギタ−は部屋の隅でほこりをかぶり、しまいには押入れの中に片付けられる。車はツ−シ−トからワンボックスカ−に代わり、すべてが家族のためにとなっていく。
 さて、子供たちも成長して親離れをしたとき、ふと親父は思い出すのだ。何か趣味を持とうと。そんなとき、若いときにやっていた写真をまた始める人もいるし、ギタ−を弾き出す人もいる。バイクをいじる人もいるし、車も・・・。しかし経費的な面でちょっと考える。定年退職後ならまだしも、子供の教育資金に追われる毎日ではとてもとても。
 そんなとき押入れの中からカビだらけのカメラが登場する。さびた弦のギタ−が登場する。しかし、残念ながら写真は若いときの感性をなくしているので、ろくな写真が撮れない。ギタ−は弦を張り替えたが、指が昔のように動いてくれない。
 
 今、自分と同じ世代の親父たちはこんな感じの人が多いのではと思う。ブランクというものがある。もちろん若いときと同じようにはいかない。ましてやスポ−ツなどは顕著である。体力的、肉体的な壁はもうどうしようもない。自分の場合はカメラとギタ−だったから、このブランクの隙間を埋めるのは比較的簡単だった。

 若いときの読書は身につくが、ある程度の年齢になると身につかない、と何かの本に書いてあったが、それは本当だと思う。これはもしかしたらほかの趣味のことにもいえるのではないかと考えた。年齢とともに上達するのは社交術くらいなのでは思う。
 屋根裏で久しぶりにレスポ−ルを持ち出して弾いていると、そんなことをふと考えてしまった。

 息子の部屋から今度はエフェクタ−のかかった音が聞こえてくる。時刻は9時、そろそろにぎやかな音の門限である。娘の部屋からはなぜかクラプトンの「コカイン」が聞こえてくる。
 息子よ、娘よ、今度は君たちの番だ。いろいろな事を経験していろいろな事を知るがいい。もしかしたらつらいことのほうが多いかもしれない。でも、そんなときのために音楽があるのだ。そんなときに乗り越えられるのは、他人からの慰めの言葉ではない、たった一枚の写真やたった一曲の音楽ではないだろうか。そういうものを自分は芸術だと思っている。写真や音楽はそんな意味で生活の一部なのだ。

2007/04/25(水) ヤマハ
 先日遊びに来たキキさんが、娘に入学プレゼントといって置いていったヤマハを弾いている。なかなかいい音である。たしかにこれがヤマハらしい音なのだろう。ピエゾをアンプにつなぐ。なかなかである。本当は娘のものだが、自分が独占している(笑)。

 屋根裏を整理してギタ−を並べてみると・・・う-ん、すごい台数である。この中で残すとしたらどれだろうと考えてみた。どれも愛着がある。それぞれが素敵な恋人である。たくさんの恋人に囲まれて、この空間にいるときが一番幸せである。
 ほとんどがジャンクからの修理品かよそ様からのもらいものであるが、この中で自分がまともに金を出して買ったのは、なんとたったの一台。ヤマハのF-36JP。新品で付属品なしで2万円だった。当時セピアクル−のドレドノットが一台しかなかった。それを兄の子供にプレゼントしてから、何か一台ほしいと買ったものである。あれから4年近く経過した。早いものである。
 そういえば「妻有賛歌」はセピアクル−で弾いていた。録音機器がよければどんなギタ−でもいい音になる(笑)。実際セピアクル−はいいギタ−だと思っているが。あのころはギタ−の銘柄なんて何でもいいと思っていた。今でもそう思っているが(笑)。しかし、これだけのギタ−を弾き比べるとみんなそれぞれ音が違うのにはびっくりしてしまう。これが実に面白いのだ。

 このヤマハのF-36JPは実によく使った。もっともこれしかなかったのだから当たり前だが、久しぶりに弾いてみるとやっぱりいい音である。いい音というのは高いギタ−の音とは違う意味である。癖が逆にないのがいいのだ。これも今は基本的に娘の所有物である。つまり3台のヤマハと2台のモ−リスが娘の所有ということである。なんとういう贅沢な・・(笑)。
 

2007/04/24(火) 練習
 いよいよお花見のコンサ−トが近づいてきた。メンバ−の演奏もずいぶんまとまってきた。
 今夜も練習日。女房に「今晩は飲んできちゃ駄目だよ」と念を押されて「はいはい」と答えて、店に入ると同時に出されるのが、生ビ-ルの中ジョッキ(笑)。
 今日は早く帰ろうぜとメンバ−と話をする。予定は10時の帰宅。しかし・・・帰ったのが一時過ぎ・・・(汗)。

 それにしても最近思うのだが、このメンバ−とこれだけ練習を続けていると、音楽の事だけではなく、家族のことや子供のことなどいろいろな事が話題となる。だんだんこのメンバ−がファミリ−になってくる。こうなってくるとしめたものである。バンドというものはこれが一番大事なのだ。ひとつの目標に向かい互いに努力する。ここから得るものはお互いに多いだろう。

2007/04/23(月) 休肝日
 なんだかんだでここのところ毎晩酒を飲んでいる。というより酒を飲む機会が多すぎる。少し自重しなくてはいけない。
 別に依存症というわけではないが、何かがあると必ず酒が伴う。つい・・飲んでしまう(笑)。何もなければ飲まなければいいわけだが、何かと飲む機会が多い。ビ−ル、日本酒、焼酎、ワイン、ま、何でも飲むのだが、基本的に酒に強いほうではない。ある一定量を超えると駄目である。一番いいのが焼酎である。これは今の時期だとお湯割りがいい。
 酒の味がわかりますかという質問には、答えはNOである。特にワインはわからない。一本一万円のワインと紙パックのワイン、その差はぜんぜんわからない。たぶん紙パックのほうがうまいと言うだろう(笑)。
 日本酒は少しはわかる。口の中に残る酒は駄目である。しかし残らなければいいかというとそういうことでもない。コクがあり残らないものがいい。しかし、飲みすぎてはいけない。どんな酒も過ぎると駄目である。冷ならコップ一杯が適量だろう。ワインもそうだが、食事とともに飲むものはそういうふうにできていると思う。
 ところで、酒は無性に飲みたくなるときがある。ヤケ酒や失恋の酒は例外として、気分のいいときや、妙に調子のいいときである。こういうときは翌日に酒が残らない。その逆に飲みたくないときもある。しかし付き合いで飲まなくてはいけないときもある。こういうきは必ず残る。とにかく酒がまずく感じるのだ。
 我が家は祖父も父も兄も酒は飲まない。体質的に飲めないのである。しかし、自分はなぜか飲める。親戚筋はみんな飲むので、たぶんそちらの血が混じったのだろう。
 刺身にしょうゆとわさび、これには断然日本酒である。肉とチ−ズならワイン。つまり魚は日本酒、肉はワインである。
 漢方に「身土不二」という言葉がある。意味としては、その土地に住むものはその土地で採れたものを食せばいいということである。また「初物の二十日長生き」という言葉がある。これは旬のものを食せば寿命が二十日長くなる・・・つまり体にいいということである。これをまとめると、その土地で採れた初物を食べていればいいということである。しかし現状は意外と難しい。冬にきゅうりやトマトを食べ、夏に大根を食べる。これが田舎でも多い。夏野菜は体を冷やすようにできていて、根菜は体を暖めるようにできている。その時期に、旬のものを食べればいいようにできている。これを「医食同源」というのは周知の通り。
 日本人なら日本酒に魚料理、そして旬の野菜をたべていればいい・・って、これ江戸時代ではあり前のこと(笑)。

2007/04/22(日) カメラマン
 起床、朝食作り。ま、慣れたものである。朝食を作りながら考える。キキさんご家族をどこへ連れて行こうかと・・。9時ごろにとりあえず「なじょもん」へ。展示しているものが何もない(笑)。
 次に松之山の美人林にいく。と、これは驚いた、カメラマンの砲列である。総勢100人以上の中高年カメラマンが林の中に(汗)。ぶな林の新緑には少し早く、おまけに残雪がない。講師の先生に聞くと、九州、四国から来ているという。バスが二台くらい駐車してある。今年の参加者はある意味不幸である。
 その後ぐるぐると山間部を回り松代方面に。しかしすべてが中途半端である。昼食後、キキさんご家族は帰宅。これから5時間・・大変である。

2007/04/21(土) ネット仲間
 インタ−ネットで見ず知らずの人と知り合う。そして家族で交流する。これは一昔では考えられないことである。ま、文通(古い・・汗)というのもあるにはあったが・・・。
 さて、本日、キキさんご一行が来町。時期的に中途半端なので見るところが少ない。とりあえずわが町の自慢の河岸段丘のパノラマを見ていただく。その後、龍ケ窪の名水100選のお水を飲んでいただき、すぐ近くの温泉に・・・。
 夕食は一番面倒のない焼肉。その前に布団の段どりやら部屋の掃除やらと忙しかった。おみやげの焼酎を飲みながらギタ−談義。寝たのが12時過ぎ。明日はどこへ連れて行こうかと考えながら眠る。

2007/04/20(金)
 桜が満開となった。昨年度は一週間遅れだった。雪がまだ今頃はたくさんあった。
 そういえば、都会の入学式などのイメ−ジは桜が伴うが、新潟の雪国にはそのイメ−ジがない。子供のころにそういうことを考えて不思議に思ったことがある。
 そのはかない桜のイメ−ジは日本人のもっとも好むところらしい。西行法師ではないが、桜の時期に死ねたらいいなぁと自分も思う。人の一生の時間なんて、宇宙の感覚でいえば桜の開花の時期みたいなものであろう。いや・・もっともっと短いか・・・。
 最近は桜の写真も撮影しなくなった。面白くないのだ。デジタルという、桜みたいにはかないメディアが登場してからどうも・・・ねぇ。事実、パソコンのリカバリのときに、HDDを間違えてデ−タのほとんどをなくした。ま、別に惜しくもないのだが(笑)。
 

2007/04/19(木) ウィルスとパソコン
 パソコンは回復したが、少々疲れた。しばらくはパソコンに触りたくないという感じである。仕事でパソコンを扱っている人たちが、家に帰るとパソコンをやらないと言うのもなんとなくわかる。交響楽団に加わっている人たちが、家に帰ると音楽を聴かないというのも同じ理屈だろう。
 ウィンドウズのXPのOSが登場してから何年経過したのだろう。今また新しいOSが登場した。なんだかメ−カ−に踊らされている感じがする。セキュリティの問題さえ解決してあれば初期の98で十分だと思うのだが。

2007/04/18(水) 一周忌
 あれから一年・・・・。チンタが死んでから。
忙しくて一周忌をしてあげれないでいる。あのころの事を思うと今でも胸がきゅ-んとなる。なんともやるせない気持ちである。遺骨はまだパソコンの横にある。土の中に眠らせてあげることができないでいる。ごめん・・・チンタ。来週に必ず・・・。

2007/04/17(火) 練習日
 本日は練習日である。いつもの事だが・・飲みながらである。最近妙に飲み会が多いと感じるのはそのせいだろう。いつものファミレスで練習であるが、なかなかギタ−も増えてきて雰囲気だけは出来上がってきた。本当の計画はこれからである。
 

2007/04/16(月) マスタ−のベ−ス
 ファミレスのバンド仲間であるマスタ−より依頼されていたベ−スが届く。価格は8500円。真っ黒のベ−スである。アリアProUだ。音はまぁまぁだろう。これで完全にマスタ−はベ−スマンである。策略が成功した(笑)。ギタ−ばっかり何人もいても仕方ないのである。着実に自分の計画が進んでいく・・・むふふ・・。

2007/04/15(日) リカバリ
 昨夜は写真展の打ち上げ会で例によって飲む。帰りは一時だったかな?ニ時だったかなぁ・・・(笑)。
 当然午前中は二日酔い。重い頭を抱えながらパソコンと格闘。マイクロソフトのセキュリティ更新のアップデ−トをする前にウィルスがすぐに侵入してくる。何度かいろいろとやり、順番を間違えていることに気がつく。つまりネットにつなぐ前にノ−トンをインストすればいいのだ。このことに気がつくまでに3日間を費やしてしまった(笑)。
 それにしても・・・大事なデ−タをなくしてしまった。しかし、よく考えるとそれほど大事でもない。ある面では新しいパソコンになった気分である。
 午後より女房と約束していた花見にしぶしぶ出かける。花見という気分ではないのだが、これも世の勤め・・・(笑)。

2007/04/14(土) ウィルス退治
 ノ-トンの更新期限がすぎているのを忘れていた。すぐに手続きしてチェックすると出てきた出てきた、7つも入っている。面倒なのでリカバリした。
 う〜ん、しばらくは何もしたくない心境である。

2007/04/13(金) 脅威
 仕事場のパソコンにウィルスが侵入したようである。光につないでから約2週間、回線も早いがウィルスも早い!!

2007/04/12(木) グヤト−ン
 ジャンクのレスポ−ルのパ−ツを頼むついでに、グヤのパ−ツも一緒に頼んだ。本日届き、わくわくしつつグヤのリペア。ナッシュビルタイプのサドルを無理やりはめる。サイズは測ったのだが微妙に違うのである。ま、なんとか治まっていればこの場合はいいでしょう。どうせ純正のパ−ツなどないのだから。
 6弦で弦高、ナットなどを調整しようとするが、なんとこのギタ−は0フレットがある。ナットは結構いい加減で作れるが、フレットのすりあわせが微妙である。
 音は出る。音叉で確認済み。ただノイズが少々でる。どうもこれが気になる。いずれにしても調整は難しい。電気関係はもちは餅屋、ムラマサ氏にまた頼むか・・(笑)。何の酒を持っていこうかと、そちらを今度は悩む(笑)。

2007/04/11(水) レスポ−ル
 ダイアモンドのレスポ−ルが届いたので、いろいろとリペアをして毎晩12時。まったくよくやるものである。
 さてリペア終了後に弾いてみると、なんと弾きやすい!!今までで一番弾きやすいのだ。息子が持っていく。しばらくするとまた持ってきた。だめだこれ、と言う。なんでもギブソンの本物のピックアップと比較したらしい。その結果音がつぶれると言う。息子いわく、どうせリペアするならピックアップも交換しようよと言う。馬鹿いってんじゃないよと親父。それを交換するなら何もジャンクねらわなくてもいいじゃんと。わかった、これは俺が使うと、結局自分が使うことになる。
 さて、久しぶりにブル−スなどを・・・テンションコ−ド・・・う、なつかしい、最初の自分のエレキがグレコのテレキャスタ−デラックスモデルのハムバッキング付だったので、国産のこの手はたぶん同年代のものだろう。非常に懐かしい。
 こういうのを最初から使っていたら、もしかしたらもっとうまくなっていたのかも・・・などと自分勝手に過去を振り返ってみる。初心者ほどいいギタ−が必要である、と言えるのかもしれない。

2007/04/10(火) ヤフオク
 息子がアイバニ−ズのジャンクを落とし損ねて、代わりに入れておいたものがダイヤモンド(荒井貿易の発売)の黒のレスポ−ルモデル。実は自分もレスポ−ルには憧れがあったので金銭的に、全面的に??応援していた。ポットでのガリが出るのでジャンク。こいつが本日届いた。開けてびっくり、見てびっくり・・・ただ一言・・汚い!!
 さて、配線系統をいじる前にまずはお掃除である。仕事の暇がでるとお掃除を・・・。ビスなどはさびているし、テ−ルピ−スなどは塗装が浮いてきている。これをサンドペ−パ−かけて、コンパウンドをかけてと。ビスは専用ではないが、ホ−ムセンタ−でだいたいのサイズのものを購入し取り替える。
 そんなこんなで弦を張ったのが夕方5時過ぎ。ガリはまずジャックの部分、これをばらしてリペア。音を出す。う〜んハムバッキングの音だ・・・ポットのガリは後ほど。そんなにひどくはないが、ボリュ−ムを上げるとガリも上がるので、ここは慎重に・・場合によってはポットと配線の交換も視野に入れなくてはいけない。
 夕食後にマスタ−より依頼されたベ−スを落すためにパソコンの前に居座る。10時ごろにやっと落す。落札価格8500円、送料一律2000円、銀行振り込み手数料420円、しめて10920円。文字通り多少オ−バ−で収まった。塗装ハガレが一部あるという。これはパテ埋め塗装でごまかすとして、やはり中古の悲しさで多少のガリがあるという。メ−カ−はアリア、ProUの黒のモデルである。程度はレスポ−ルの例もあるので、こればかりは来てみないとわからない。依頼されるオ−クションは責任があるので結構疲れるものである(笑)。

2007/04/09(月) バンド名
 仕事から帰り、夕食後にあんぼをじいさんのために作ろうと米の粉と小麦粉少々を混ぜていると、おとう、電話と言われて出てみると今夜は練習日だという。えっ火曜日じゃなかったっけと思いつつ、とにかく出かける。メンバ−はとうに集っていてちょっと軽く一杯中生をいただいてから、エレアコの半音ダウンのチュ−ニング。コブクロである。
 いろいろとやっているうちにヤマハのL5に注目。なんでこんなにこのギタ−は音が悪いんだということで、いきなりサンドペ−パ−をギタ−ケ−スから取り出し、L5のサドルを削りはじめる(なぜかサンドペ−パ−をいつも持っている・笑)。
 見れば見るほどL5のトップは単板である。おかしいと思いつつサドルの底面、なんと平面がとれていない。これかと思いつつしこしこと・・・。はめてみるとあきらかに音が変わった。今まではボワンボワンと鳴っていた低音部にメリハリが出てきた。
 そんなことばかりで、あまり自分は真剣に練習もしなかったが、このバンドの名前がまだ決まっていない。そこでいつもいろいろと考えるのだが、なかなかいい名前がでてこない。マスタ−が「フロシキ」と言う。風呂敷??、コブクロ・・フクロ・・フロシキという感じなのだろう。大風呂敷、コブロシキ・・・ま、なんでもいいと思いつつ名前がまだ決まっていない(笑)。
 自分の場合、バンドを組むとき、いつもどこかで腰掛的な気分がある。次のコンサ−トのために集り、コンサ−ト終了後、打ち上げで飲んで解散。ある時期からこんなことばかり繰り返してきたために、経常的に続けていく意識があまりない。それが分かっているから「○○○と冗談バンド」とか「これっきりバンド」とかそんな名前しか付けていない。
 特に、今回のバンドは初心者的な意味合いが強い。もちろんメンバ−はギタ−はやってはいたが、本格的にPAを通すコンサ−トの経験がない。飲みながらやるのと、しらふで人前で歌うのとは緊張の度合いが、あたりまえだがぜんぜん違う。そんな意味では初心者なのだ。
 しかし、やはり練習である。これだけ続けると、それでも大分まとまりが出てきた。特にマスタ−のベ−スが良くなった。ついでにマスタ−が自分のベ−スが欲しい、オ−クションで落としてくれと言う。予算は一万円。しかも新品でという。無理・・・(笑)。多少オ−バ−してもいいかというと、いいというので、頭の中に浮かんだのは中国製フォトジェニックのベ−ス(笑)。それでも送料等を含めると一万五千円、、多少オ−バ−といえるかどうか(笑)。
 のちほど、マスタ−と電話があり、やっぱり中古でいい、送料を入れて一万円くらいでと(たぶんこの間の事情は年上の奥さんがからんでいるのだろう・・・いずこも同じ・笑)。またまた多少オ−バ−してもいいかと念を押しておいた(笑)。ま、たいしたものは買えないなぁと帰宅後にヤフオクをチェック、ボロだけど弾くのに問題ないだろうというものを何点かチェック。殆どが明日の夜が勝負(笑)。一万円、一万円と言いつつ眠る。就寝・・zzzz。
 

2007/04/08(日) お買い物
 日曜日、特に何も予定が無い。ところが予定がないと不安になる。何か忘れているのではないかと思ってしまうのだ。昨年度はいろいろと忙しかったせいもあるが、何も無いオフだと逆に手持ちぶたさである。
 で、ばあさんと娘を乗せてお買い物兼温泉にいく。この地域はそこらじゅうが温泉だらけなので、温泉といってもさてどこへ行こうかと迷う。
 娘は高一、新一年生なのでいろいろとお買い物がある。ついでにばあさんをボケ防止に温泉に連れて行こうということである。その面倒は娘に任せる。まさか自分が女風呂のほうに行くわけにはいかないので、この組み合わせはベスト。
 六日町でジャンショップめぐりをして、十日町を中継点に松代の芝峠温泉というところにいく。正直、風呂など面倒くさいのだが、これも親孝行(笑)。
 六日町で1セット210円のS・yairiの弦を4セットまとめ買いをして、ギブソン用にはマ−チンの弦を1セット。これが今回の自分の買い物。安いものである(笑)。

2007/04/07(土) 放出
 ずいぶんジャンクギタ−も増えてきたので、ちょつと整理をしようかと考えた。まず放出第一号はエレアコ、アリアのレジェンドである。このエレアコは、ムラマサ氏のところでどうにもならないネック折れをもらってきたものである。
 とにかく音が悪く、なんだかギタ−を弾くのがいやになるようなしろものである。生鳴りが悪いということは、アンプを通してもやっぱり悪いのである。ホリュ−ムとト−ンしかなく、音のいじりようがないし、使い道としては、酒飲んだときにがなりたてるくらいしかないと思う。
 さこで元の持ち主に返そうと思ったが、インレイのシ−ル等で3000円くらいは経費がかかっている。それを出してもらえばということで話しを出す。つまりリペア代が3000円ということである。悪い話ではないと思うのだが。
 今回エレアコをいろいろといじってみて思ったのは、いい音をどうアンプで再現できるかという事である。ビエゾはそのまま再現というわけにはいかないし、サウンドホ−ル取り付けのマグネットも本来の生鳴りを再現するにはちょっと違う気がするのだ。で結局はマイクでそのまま音を拾うのが一番生鳴りを再現できるのではという結論になる。つまり70年代のコンサ−トスタイルである。
 ビエゾを生ギタ−に無理に穴を開けて取り付けるならば、エレアコと同じだし、それならばエレアコで充分だし・・・とあれこれ考えている。
 みなさんはこの問題をどう考えているか興味津々である。ギタ−の選択肢は、昔と比べてエレアコが増えたので、そういう問題は解決していると思うが、生音を再現するという問題は結局は解決できないのではないかと思ってしまう。

2007/04/06(金) ふたつのモ−リス
 さて、娘が高校入学である。本日入学式だった。新しい制服を着たところを夕方に写真に収める。
 一応入学プレゼントということで、またまた、たいした意味も無く新しいギタ−を買ってあげる。とはいっても相変わらず中古だが(笑)。中古でも今回のはかなり綺麗である。モ−リスのちょっと前のモデル、MFの300だったかなぁ?。
 娘が弦を張り、チュ−ニング、さぁどんな音だろうと親娘ともどもわくわく。ジャ−ンとストロ−ク・・・・・。あれ・・・このギタ−、エレアコ??。音が異常に固い。弦がタカミネのせいかなぁ??。さすがの娘も、なに、この音と言う。おかしい。
 もう一度弦をゆるめる。ペグのほうはそのままで、エンドピンだけ抜いて、弦をはずしでサドルを外してみる。何これ!!サドルの低面がガタガタである。このサドルをすぐにサンドペ−パ−をかける。プラなので800番、1000番、1500番と珍しく丁寧に処理。サドルを再びはめてチュ−ニング。おっ音が変わった。もうチュ−ニングの段階で音が変わったのが分かるのだ。
 何よりも娘がびっくりしている。え〜、そんなことで音がよくなるんだ〜と。
 2台のモ−リス、このふたつの時代の年月の開きが約30年。価格は物価スライドを考えるとほぼ同価格である。娘のお気に入りのF−15の000モデルと音の比較がしたいと、今度は娘が2台を比較。結果は・・・
「やっぱり昔のギタ−のほうが音がいい!」
と一言。
 自分はすでにやる前に結果は分かっていたが(笑)。経年変化で音がよくなってきたのか、それとももともと昔のギタ−のほうが音がいいのかはわからない。どちらも合板の低価格帯である。
 その後、同じ000スタイルという事で、ヤマキと比較する。す、すごい、断然ヤマキのほうが鳴りがいい。恐るべしヤマキ、恐るべしジャパンビンテ−ジアコギ。

 

2007/04/05(木) 陶芸作品
 ここのところ時間があるとよく作っている。作品というにはあまりにも稚拙だが、考えすぎると作為があると批判され、考えないと稚拙といわれ、素人というとほめられて、とかくこの世は住みにくい(笑)の心境である。
 昔から自分は器用貧乏といわれてきた。何をやってもそこそこうまくやる。しかしその先が無い(笑)。だから駄目なのである。そこから苦しみ、得ていくことがないのだ。そういうことはもうイヤというほど分かっている。あきもせずに陶芸は続けているが、いつまで続けられるかはわからない。家族等の条件次第である。
 この陶芸であるが、焼き上がるまでに日数がかかる。ひとつの作品に対する情熱を持ち続けることがかなり難しい。だから最初の構想からずいぶんずれてしまう。どれだけひとつの作品に思い入れが維持できるか、このへんが鍵である。
 さて今回の作品、焼き上がりがたぶん一ヵ月後、どんな作品になるか・・・。

2007/04/04(水) おとなしく・・
 午前様の翌日、またまた甲虫となって布団から這い出す。朝飯くえず。こんな日に限って仕事が多忙。そういうものである(笑)。
 自宅におとなしく帰ると女房に叱られる。いい年してよくやるわねと。たしかによくやる(笑)。少し自制しなくては。
 とはいえ仲間で演奏するのは実に楽しい。びしゃりと合ったときの快感、共有しあえる喜びは一人の時には得られない。それにアルコ−ルが加わるとさらに拍車がかかる。さすがにロック系はもう駄目だ、息が続かない、それはアルコ−ルのせいもあるか・・・(笑)。

 

2007/04/03(火) スズキとヤマハと午前様
 今夜は練習日。いつものように出かける。今夜のお供は古女房のギブソンハミングバ−ド。やっぱりいい音である。こいつとの付き合いは高校生のときからだからずいぶん長い。キズだらけでリペアだけでも3回もやっている。
 練習の終了後、ふと車の中に名古屋スズキのF130Lがあるのに気がつきメンバ−に披露する。実は昨日ロングサドルをアクリルで削りだしたばかりである。サドルを替えたら抜群に鳴りがよくなった。
 メンバ−の一人が5000円で売ってくれという。枯れた乾いた音がいいというのだ。たしかに乾いた音である。ボロボロだけど、ヤマハには無い独特の音がする。ヤマハは低音部がイマイチである。これは以前から思っていたことだが、他のメンバ−のヤマハもみんなそうである。高音部はヤマハらしい音でいいのだが・・・。
 売る売らないはとにかく、とりあえず一週間くらい使ってみたらとスズキを預ける。音がどう変化するか、環境その他でずいぶん違うからである。

 あらためて今この店にあるギタ−をよく見ると、なんとヤマハだらけである。ディイスプレイ代わりにスタンドに立ててあるのはヤマハが4台。う〜ん、これは問題である。正直なところヤマハはそれほど好きではない。しかしバランスがいいので我慢できるが、他の70年代のメ−カ−のほうが特長がはっきりしていて面白いと思う。
 なんだかんだと話し込んだら、なんと帰宅が夜中の2時半。あちゃ〜、またやってしまった、午前様。自宅に近いというのがどうもよくない。つい気を許して長居をしてしまう。
 ギブソンのハチドリ女房はしっかりと持って帰る。ついでにヤマハの300Sも持って帰る。かわりにおいてきたのがプロマ−チン。ちょくちょく入れ替えてあげよう。ヤマハだけがギタ−ではないのだ。

2007/04/02(月) 陶芸
 時間があったので、ふと思いついて湯飲みを何個か作った。なんだか久しぶりである。これは地元の粘土を使ったもの。できれば還元で焼きたいものである。
 なぜ突然作り出したかと考えた。よくよく考えてみると人生あと長生きしたとしても先が知れている。できるだけ作っておいて残しておきたいという思いがあったのかもしれない。もちろんきっかけは同級生の死である。
 音楽も面白いが、残すとしたら歌であろう。陶芸のように形は残らないが無形としては残る。
 昨年度からチンタの死、従兄弟の自殺、仲人の死、同級生の死と随分と死に親しくなってしまった。もはや死を神経質に考えることもなくなったが、よく考えてみればそういう年齢なのかもしれない。いずれ両親も死ぬ。これは順番だからあたりまえだが、次の順番はと考えてしまう。
 台所に立つ女房の後姿に、心の中で語りかけた、俺より早く死なないでくれと・・・。
 しかしそうそうセンチに沈んでもいられない。まだまだ遣り残したことがたくさんある。その遣り残したことをやればいつでもどうぞと言いたいが、あと何年かはわからないが、写真、陶芸、音楽と趣味はたくさんあるので、残すことに不自由はしない。
 死を背中にしつつ人は生きていく。そんな当たり前のことをしみじみと考えてしまった。

2007/04/01(日) エイプリルフ−ル
 同級生の告別式に出かける。自宅を出棺するときからずっと付き合った。自宅を出発するときの霊柩車のクラクションが涙を誘う。
 心不全、死ぬときは必ず最後につく病名である。彼女の場合4年ほど前に癌になっている。一時は亡くなりそうだと言う噂がひろがったが、それはデマで、克服した後元気で過ごしていた。昨年の12月くらいにラ-メン屋で彼女に会い、また同級会をやるから必ず出ろよ、とあいかわらず威勢のいい声で誘われていたのだ。
 亡くなる前夜、埼玉の娘のところに泊まりに行くというので、シャレではあるが、しばらくの別れと夫と二人で飲みに出かけたらしい。そして帰宅。そのまま酔いつぶれて寝たのだろう。そして・・・朝、冷たくなっていた。棺の中の死に顔は化粧をしたままだった。
 これはちょっと家族にとってはやりきれない死に方であろう。嘘だろうと言いたくなるだろう。子どもは4人、長女、次女、そして双子の男の子、計4人の子どもを抱えていた。結婚も早かったので4人共にすでに成人をすぎているが、子ども達にとっては信じられないのも当然である。
 火葬場に向かう前に、最後のお別れということで棺に花をたくさん入れてあげた。自分ももちろん入れた。そして最後の家族だけのお別れに次女が叫んだ。
「早く目をさましてよ、これで終わりだよ、もう起きれなくなるよ、早く!・・・・嘘でしょう!!!!」
 この言葉に参列者はみんな泣いた。泣くまいと頑張っていた自分もついにこらえきれずに泣いた。

 夜、東京から来た同級生から電話がある。これから集って一杯飲もうと。ついてはお前は地元だから、ギタ−が弾けて飲めるような、そんなわがままがきく店ないかなぁと聞くので、にやりと笑って、あるよと答えた。いつものアァミレスである。
 その店にTELすると留守番電話、とにかくみんなが集るから、行って確かめようと店の前に行くと、本日臨時休業。なんじゃそりゃ・・・そりゃないぜと店の前で困っていると、マスタ−の車が到着。奥さんの実家の33回忌の法事だったという。店これからやるかと聞くと、やる、の一言。良かった。
 それから続々とメンバ−が集り、彼女の追悼飲み会が始まる。彼女はこの歌が好きだった。あの歌が好きだったと同級生の女達がリクエストをする。よしよしと言いながら、全ての歌を唄ってあげる。最後に彼女にささげる歌をアドリブで作る。もう二度と唄えない歌である。1番しかなかったが2番もアドリブ。
 彼女の生まれた日は8月14日、お盆である。そして葬儀が4月1日。エイブリルフ−ルである。冗談だよといって欲しい。あの馬鹿野郎・・・最後の最後まで冗談で死にやがって・・。


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