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2007/04/01(日)
エイプリルフ−ル
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同級生の告別式に出かける。自宅を出棺するときからずっと付き合った。自宅を出発するときの霊柩車のクラクションが涙を誘う。 心不全、死ぬときは必ず最後につく病名である。彼女の場合4年ほど前に癌になっている。一時は亡くなりそうだと言う噂がひろがったが、それはデマで、克服した後元気で過ごしていた。昨年の12月くらいにラ-メン屋で彼女に会い、また同級会をやるから必ず出ろよ、とあいかわらず威勢のいい声で誘われていたのだ。 亡くなる前夜、埼玉の娘のところに泊まりに行くというので、シャレではあるが、しばらくの別れと夫と二人で飲みに出かけたらしい。そして帰宅。そのまま酔いつぶれて寝たのだろう。そして・・・朝、冷たくなっていた。棺の中の死に顔は化粧をしたままだった。 これはちょっと家族にとってはやりきれない死に方であろう。嘘だろうと言いたくなるだろう。子どもは4人、長女、次女、そして双子の男の子、計4人の子どもを抱えていた。結婚も早かったので4人共にすでに成人をすぎているが、子ども達にとっては信じられないのも当然である。 火葬場に向かう前に、最後のお別れということで棺に花をたくさん入れてあげた。自分ももちろん入れた。そして最後の家族だけのお別れに次女が叫んだ。 「早く目をさましてよ、これで終わりだよ、もう起きれなくなるよ、早く!・・・・嘘でしょう!!!!」 この言葉に参列者はみんな泣いた。泣くまいと頑張っていた自分もついにこらえきれずに泣いた。
夜、東京から来た同級生から電話がある。これから集って一杯飲もうと。ついてはお前は地元だから、ギタ−が弾けて飲めるような、そんなわがままがきく店ないかなぁと聞くので、にやりと笑って、あるよと答えた。いつものアァミレスである。 その店にTELすると留守番電話、とにかくみんなが集るから、行って確かめようと店の前に行くと、本日臨時休業。なんじゃそりゃ・・・そりゃないぜと店の前で困っていると、マスタ−の車が到着。奥さんの実家の33回忌の法事だったという。店これからやるかと聞くと、やる、の一言。良かった。 それから続々とメンバ−が集り、彼女の追悼飲み会が始まる。彼女はこの歌が好きだった。あの歌が好きだったと同級生の女達がリクエストをする。よしよしと言いながら、全ての歌を唄ってあげる。最後に彼女にささげる歌をアドリブで作る。もう二度と唄えない歌である。1番しかなかったが2番もアドリブ。 彼女の生まれた日は8月14日、お盆である。そして葬儀が4月1日。エイブリルフ−ルである。冗談だよといって欲しい。あの馬鹿野郎・・・最後の最後まで冗談で死にやがって・・。
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