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2007/04/02(月)
陶芸
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時間があったので、ふと思いついて湯飲みを何個か作った。なんだか久しぶりである。これは地元の粘土を使ったもの。できれば還元で焼きたいものである。 なぜ突然作り出したかと考えた。よくよく考えてみると人生あと長生きしたとしても先が知れている。できるだけ作っておいて残しておきたいという思いがあったのかもしれない。もちろんきっかけは同級生の死である。 音楽も面白いが、残すとしたら歌であろう。陶芸のように形は残らないが無形としては残る。 昨年度からチンタの死、従兄弟の自殺、仲人の死、同級生の死と随分と死に親しくなってしまった。もはや死を神経質に考えることもなくなったが、よく考えてみればそういう年齢なのかもしれない。いずれ両親も死ぬ。これは順番だからあたりまえだが、次の順番はと考えてしまう。 台所に立つ女房の後姿に、心の中で語りかけた、俺より早く死なないでくれと・・・。 しかしそうそうセンチに沈んでもいられない。まだまだ遣り残したことがたくさんある。その遣り残したことをやればいつでもどうぞと言いたいが、あと何年かはわからないが、写真、陶芸、音楽と趣味はたくさんあるので、残すことに不自由はしない。 死を背中にしつつ人は生きていく。そんな当たり前のことをしみじみと考えてしまった。
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