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2007/04/26(木) 道具
 今晩は女房が夜勤でいない。こんな夜は静かである。子供たちも夕食をもくもくと食べ、それぞれの部屋へひっこむ。自分も屋根裏に上がる。お母さんというのはその家の太陽であると誰かが言っていたが、我が家の場合はまさにそのまま。女房のいない夜は我が家は暗い。しばらくすると息子の部屋から珍しくアコギの音。 

 カメラもギタ−も生活するのになくても困らないものである。必要なものは衣食住である。若いときはそういう当たり前なことに気がつかずに、ギタ−やカメラ、車やバイクといったものがすべてだと思い込む。つまり生活するために必要なものは、ギタ−でありカメラであったりするのだ。そう思い込んでしまう。しかし、いざ社会人となると、仕事の責任が重くなり、しかも所帯をもち、生活する段になると、カメラやバイク、ギタ−が突然ただの道具となる。
 カメラは子供たちの成長記録に使われて、芸術的写真はまず撮影しなくなる。ギタ−は部屋の隅でほこりをかぶり、しまいには押入れの中に片付けられる。車はツ−シ−トからワンボックスカ−に代わり、すべてが家族のためにとなっていく。
 さて、子供たちも成長して親離れをしたとき、ふと親父は思い出すのだ。何か趣味を持とうと。そんなとき、若いときにやっていた写真をまた始める人もいるし、ギタ−を弾き出す人もいる。バイクをいじる人もいるし、車も・・・。しかし経費的な面でちょっと考える。定年退職後ならまだしも、子供の教育資金に追われる毎日ではとてもとても。
 そんなとき押入れの中からカビだらけのカメラが登場する。さびた弦のギタ−が登場する。しかし、残念ながら写真は若いときの感性をなくしているので、ろくな写真が撮れない。ギタ−は弦を張り替えたが、指が昔のように動いてくれない。
 
 今、自分と同じ世代の親父たちはこんな感じの人が多いのではと思う。ブランクというものがある。もちろん若いときと同じようにはいかない。ましてやスポ−ツなどは顕著である。体力的、肉体的な壁はもうどうしようもない。自分の場合はカメラとギタ−だったから、このブランクの隙間を埋めるのは比較的簡単だった。

 若いときの読書は身につくが、ある程度の年齢になると身につかない、と何かの本に書いてあったが、それは本当だと思う。これはもしかしたらほかの趣味のことにもいえるのではないかと考えた。年齢とともに上達するのは社交術くらいなのでは思う。
 屋根裏で久しぶりにレスポ−ルを持ち出して弾いていると、そんなことをふと考えてしまった。

 息子の部屋から今度はエフェクタ−のかかった音が聞こえてくる。時刻は9時、そろそろにぎやかな音の門限である。娘の部屋からはなぜかクラプトンの「コカイン」が聞こえてくる。
 息子よ、娘よ、今度は君たちの番だ。いろいろな事を経験していろいろな事を知るがいい。もしかしたらつらいことのほうが多いかもしれない。でも、そんなときのために音楽があるのだ。そんなときに乗り越えられるのは、他人からの慰めの言葉ではない、たった一枚の写真やたった一曲の音楽ではないだろうか。そういうものを自分は芸術だと思っている。写真や音楽はそんな意味で生活の一部なのだ。


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