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2007/05/10(木)
5月
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5月である、、といっている間にもう1/3が過ぎた。あちこちに泳いでいたこいのぼりも見えなくなり、このあたりは田んぼ、畑仕事とあわただしい。 チンタの一周忌も過ぎ、チロも推定誕生日5/1を過ぎて成人式を迎えた。チロもなかなかいい女になった。近所のオス猫が我が家の周りにうろつき始めた。 去年の今頃はチンタの死による悲しみから何もやる気を無くしていたが、ある人の言うように、人は忘れられるから生きていけるのであるということを実感している。 人生何十年も生きていると、過去の忘れてしまったいろいろな記憶がふとよみがえることがある。悲しかったこと、つらかったこと、いろいろなことが頭をよぎる。でもなんとか生きてきた。そして、そのいろいろな事の背景にはいつも音楽があった。いくつになっても音楽をやめないでいるのは、自分にとって音楽はやっぱり生きることと同じなのだろう。少しオ−バ−かな・・(笑)。 今の自分は人生のどういう位置にいるのかと考えることがある。これから地獄の苦労をするのだから、今が一番幸せなんだよと誰かが言っているような気がするし、これからもっともっと幸せになるんだよと言っているような気もする。いずれにしても先のことはわからないわけで、突然明日あたりにぽっくりと死んでしまったりするかもしれない。でも今を精一杯生きることしかないわけで、結局・・・・。 チロが女房に抱かれて寝ている。それを見ているととても幸せな気分になれる。26才の頃、東京の路地裏の日の当たらないアパ−トで、学校とバイトで明け暮れて、恋人もいなかった頃を思い出す。あのとき、なけなしの金でモ−リスのアコギを一本買った。2万円くらいだった。たまに小さな音でポロンポロン弾いていた。そのギタ−は帰るとき世話になった知人にあげてきた。 今が幸せだと感じられることが大切なんだと、何かの宗教書に書いてあったが、チロの寝顔を見ているとそれを実感している。
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