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2007/05/19(土)
荷物
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オギャ−と生まれた瞬間から人は荷物をしょっている。そのときから縁と言う荷物がある。その瞬間に母親、父親、親戚と、いろいろなしがらみの荷物を抱え込む。動物にはない人間だけの荷物である。 そして成長するにつれてどんどん荷物は増えていく。両親の期待という荷物がまずある。そして、今度は自分でどんどん荷物をしょっていいく。2本足で歩くときから荷物は徐々に重くなる。重くなる代わりに、それに耐えるだけの体力が出てくる。それが自然だ。しかし、時として人によってはこの荷物に耐えられなくなる場合がある。そんなときは、ふたつの道がある。自殺か蒸発である。巷にあふれるホ−ムレスの人達はそんな人達なのだろう。 自分も少し荷物が重いので、最近は荷物を軽くすることを考えている。いろいろな会長職をやめたのはそういう理由である。役員もずいぶん降りた。軽くしていったときに何が残るのかというと、そこに自分が残るのだと考えたからだ。裸の自分である。そして、服の重みを感じながら、改めてリュックの中身を確かめてみると、やっぱり結構中身が詰まっている。 荷物を軽くしたときに、見えてくるものがある。路傍に咲く花の美しさと、人の心の美しさと・・・。
などと珍しくまじめなことを書いたが、このことは実は仏教にある基本だったりして(笑)。宗教のことは面倒だが、どの新興宗教で基本はたいがい同じである。しかし、何も神や仏などといわなくても、本来そういうものは人間に備わっているものであろう。ただ残念なことに忙しいとその基本が見えなくなる。だから忙しくならないように心がけなくてはいけない。暇であること、これが基本である。暇だと、いろいろなことに気がつく。
そう思ってなんとなく聴いている音楽であるが、クラシックは長い歴史のふるいにかけられてきただけあり、すばらしい。パッヘルベルのカノン、これは名曲であると思うが、なんとエバンゲィリオンのアニメ映画の最後に使われていた(笑)。なるほど。
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