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2007/06/30(土) ピザ
 陶芸の仲間がお昼にピザパ−ティをするというので出かける。ピザなどはそんな食べたいと思わなかったが、陶芸のH先生のところへいくと、なんと本格的なマキを使ったオ−ブンが出来上がっていた。陶芸の窯の不要となった耐火レンガを積んで作ったものである。
 早速いただきますとほおばると・・・うまい。ピザってこんなにおいしかったんだと感動する。いつものはス−パ−で売っている出来合いのものを電気のオ−ブント−スタ−で焼いたものしか食べたことがなかったから、これはちょっと感動モノであった。
 だいたい陶芸などをかじる人は、男女にかかわらず、凝り性の人が多い。この仲間が集まると、あんぼ、そば、うどんなど本格的にやってしまう。
 会費はと聞くと、1000円でいいという。おつりも出るけど、面倒なので会費に入れておくということ。ま、これだけのピザを食べて1000円というのも安いものである。今回は昼間でもありノンアルコ−ルである。これもまたいいものである。
 

2007/06/29(金) 生きること
 最近なぜかテ−マが重い。どうも自分には躁うつ病の傾向があるのではと思う。今日もうつ・・・なのかなぁ(笑)。
 人が生きていく事、人はそこに意味をみつけようとする。しかし、犬や猫はそんなことは意識していない。精一杯生きて、そして終わりがきたらそれをそのまま受け入れる。飼い猫のチロをなぜているとそんなことを感じた。チンタは死んだ・・老衰だった。20年を思い切り生きた。そして死んだ。それだけのことだ。
 自分もそうありたいと思う。生きていくうえで必要なことは何か・・・。そんなことを考えているうちはダメなんだと思う。考えないこと、そして今を生きること。そのためには目の前にぶら下がっている問題をひとつひとつ片付けていくこと。ただそれだけなんだと思う。

2007/06/28(木)
 時々夢を見る。だいたい朝方にはその夢の内容は覚えているのだが、一時間も経つと忘れる。今朝見た夢もなんともいえない不安をかきたてる夢だった。
 朝食をとりながら考える。自分の心の奥底に何か気がかりなことがあり夢に出てくるのだろうと。そして最終的に考えることは死への恐怖なのだろう。いずれは誰でも死ぬ。その事実は誰でも逃れることはできない。しかし、その事実を人は忘れようとする。忘れてはいけないのだが。
 昨年はチンタや知り合いや仲人や従姉がなくなったりして、たくさんの死を見てきた。いやでも死ぬのだ。この死ぬという事実から逃れる方法を考えたのが釈迦の説く原始仏教だったのではないだろうか。
 永久に永遠になどということは何事においても考えられない。色即是空、空即是色、このたった八文字の現実は結構重い

2007/06/27(水) 練習曲
 一応練習日ということで今夜も例の場所へ。ギタ−を積んで譜面を持って・・・。今夜は飲まないからと言いつつ家を出る。
 店に入るとすでにみなさんの前には生の中・・ごくっ!!。
「 マスタ−、これと同じやつひとつ・・」

 さて、飲みながら譜面を広げる。まずはコブクロの「蕾」、最初はいいのだがサビで声が出なくなる。「ここにしか咲かない花」も同じ。唯一歌えるのは「永遠にともに」だけ。そしてスピッツ、「ロビンソン」Key一音下げ、「チェリ−」同じく一音下げる。ま、なんとか・・・(笑)。

 練習がひととおり終わると世間話。選挙の話とか仕事の話とかをいろいろと・・・。飲んだので車はおいて帰る。つくづく声が欲しいと思った。こればかりはねぇ・・(笑)。

2007/06/26(火) ブリッジ装着工具
 早速作ってみた。ボルトは2種類買ってきた。もちろん蝶番ねじも2種類。これはブリッジの穴の大きさにより取り替える予定である。端の高さはブリッジにより高さが異なるために固定はしないで、その都度厚みをかえる。
 ちなみに画像の下のプライヤ−は先端に丸い切込みを入れてある。何に使うかというと、ブリッジピンを抜くときに使う専用のものである。これも自分で加工した。
 こういう工具からこつこつと作っていくのも楽しいものである。

2007/06/25(月) ギタ−リペア工具
 ギタ−のリペアを始めてからずいぶんたくさんのギタ−を修理してきた。リペアをしつつ上達していく。さすがに一台を0から作ることはできないが、ある程度の材料があれば作れないことはないかなぁと思えるようになった。
 ジャンクで一番多いのがブリッジのはがれである。70年代の後半あたりは、ギタ−は作れば売れる時代があり、かなりいいかげんな作りのギタ−も出回っていたみたいである。そんななかで一番大切なところのブリッジ、ここには6弦ギタ−で約70Kg近い力がかかっている。ここの接着が結構いい加減なものが多い。塗装の上から専用ボンドでつけてあるものは、経年変化でまずはがれるだろう。安いギタ−にはこれが多い。
 今夜何気なくオ−クション見ていたら、ギタ−治具がでていた。価格は800円と安いのだが、よく見ると、こんなのは自分で作れることに気がつく。ブリッジの形状により高さ調整が必要だが、ほとんどホ-ムセンタ−で間に合うものばかりである。よし
・・・明日作ろう。

2007/06/24(日) 小さな命
 女房の実家に子猫を見せてもらいに出掛ける。やんちゃ盛りの二匹。か〜わいい!! 飛んだりはねたり転がったりと忙しい。
 考えてみれば、チンタを飼い始めたのもこのくらいの頃だったと、ふと思い出してしまう。女房もそうだが、自分でも猫のいない生活はほとんど考えられない。物心ついたころから猫がいたし、猫が縁で女房と一緒になった。ちいさな命大切にしていきたいものである。
 ところでこの二匹、女房の弟の嫁さんが市役所の関係で仕事をしていたとき見つけたもので、状況からして保健所がからんでいるらしく、この二匹を飼う条件が、避妊手術と去勢手術をすることと条件が付けられている。ある程度成長したら、手術をして保健所に証明書を届けなくてはいけない。なかなか面倒なのである。この手術も自発的に飼い主が行うのと、保健所から強制的に言われるのは気分がちがう(笑)。

 

2007/06/23(土) 時には母のない子のように

 日本は高度経済成長の変貌を続ける中で、社会運動が盛んになる。アメリカではベトナム戦争反対のそのテ−マソングが「風に吹かれて」であったように、日本では岡林の「友よ」がその代表曲となる。そして大学紛争へ突入。
 大学紛争がふたつ終わって、段階の世代の彼らには何が残ったのだろう。そんなふうに彼らの感情を見事に歌にあらわしたのが、カルメン・マキの「時には母のない子のように」だと自分は考えている。あの当時、大学に行っていたのは、いいとこのおじょうちゃん、お坊ちゃんである。そんな連中が社会を変えようとしても変わるものではない。結局は何も残らない内紛として日本の歴史の中では片付けられるものとなっている。そんな彼らの感情を「時には母のない子のように」は見事に歌にしている。考えてみれば、本当に母のいない人には、この歌はどううつるのだろう。苦労を知らない人が、苦労をしてみたいといっているのと同じである。そして、この歌の最後はこうしめくくる
「母のない子になったなら、誰にも愛を語れない」
そう、もともと母のいない人には、誰にも愛を語れないのである。本当は語れないのでなく、そのことさえも意識していないのである。まさに時代が作り出した歌だと今聞くと感心している。これはこれで名曲である。

2007/06/22(金) ギタ−練習 最終回
 音楽にはジャンルというものがある。まずはクラシックとポップス、そしてジャズやブル−スなど。そして歌謡曲、そして演歌まで。これ、よく考えてみると不自然である。同じ音楽なのにどうしてこうやって仕切ろうとするのだろう。
 年代というものは仕方ないにしても、そういうものにこだわって自分で壁を作ってしまうことが残念である。演歌をやり始めると、ロックなどをやっている人はそれだけで白い目で見る。これはどうも変だ。自分は中学生の頃に、受け狙いでピンカラトリオの「女の道」などもよく歌ったものである。自分の親父くらいの年代に受けるのである。だからときどきそういうものを練習してレパ−トリ−に入れておいた。あの頃のノ−トが存在していたら面白いだろうなぁと思うのはそういうことである。拓郎のとなりのペ−ジに「女の操」なんてのが書いてあったりするのだ。めちゃくちゃ(笑)。
 ブル−スと演歌、最近よく思うのは大衆音楽というものは基本が似ているということ。だいたい3コ−ドである。単純でパタ−ンが同じ。そのくせ奥がものすごく深い。
 演歌に関しては、五木寛之が「海峡物語」やいろいろなエッセイで書いているのだが。演歌、艶歌、援歌という漢字で、いろいろなものが存在する。自分が小学生の頃「三百六十五歩のマ−チ」という歌を水前寺清子が歌っていた。高度経済成長、金の卵の時代に、あの歌で勇気付けられた人はたくさんいると思う。これは演歌ではなく援歌。
 自分が好きな歌は、演歌でいえば、小林幸子の「雪椿」、そして吉幾三の「雪国」などである。どちらも東京にいたとき頭の中で繰り返して歌っていた。雪国の生まれだということもあるが、それよりも詩とメロディ−のバランスが非常にいいのだ。
 対してブル−ス、こちらはブル−ノ−トを基本としたもの。これもいい。好きである。人の感情というものは複雑なものである。それほど単純ではない。悲しい、うれしい、楽しいという感情の中に、いつも不安感がつきまとう。たとえば、サラリ−マンが念願の一軒家をボ−ナス払い併用で、通勤時間2時間のところにやっとのことで、ロ−ンを組み手に入れたとして、これはうれしいことであるが、同時に20年、30年ロ−ンの支払いが待っているとしたら、単純にうれしいと喜べるだろうか。
 現在人はだいたいこういう相反するふたつの感情を持っていると思う。その感情は時代とともに変化していく。戦後の貧しい中から、とにかくがんばれがんばれと励まして生きてきた時代は、意外と単純であったと思う。洗濯機が買えた、TVが買えたと、段階的に自分たちの生活が豊かになっていくのがはっきりしていた。だから演歌でいいのだ。
 そういう感情は時代とともにメロディ−となって表れる。だんだんと複雑となるのだ。これがブル−スのブル−ノ−トと重なってくる。単純ではない。歌謡曲という大衆音楽はこれらを取り入れるのが早い。ブル−ノ−トは70年代にはすでに歌謡曲の中に入ってきている。このことが、演歌と区別される要素となっていると思う。
 日本でフォ−クと呼ばれるジャンルが確立された頃、ボブディランにあこがれたミュ−ジシャンがスタイルとして確立したものに「字あまり」がある。英語と比べて、日本語はどうしてもメロディ−に乗せようとすると、字あまりになる。今ではあたりまえとなって、ま、無理をしてこじつければ、字あまりはラップの中に息づいているといえると思う。

 ずいぶん話が横道にそれたけど、ジャンルの話に戻る。演歌が過去の古い音楽のジャンルになったとはいえ、ところどころに演歌の基本は残っていると思う。コブクロの「蕾」などはかなり演歌に近い。サビのところの「きっと、きっと、きっと」と3回繰り返すところなど、これは演歌の手法にかなり近いと思う。
 世の中には自分の好きなジャンル以外の音楽を否定する人が多くいる。そういう人達とは自分は付き合わないことにしている。演歌がすべてなどと言うつもりは毛頭ないが、演歌という過去のジャンルの土台に乗っかっていることは間違いがないのだ。たとえば絢香の「三日月」などは、歌い回しが今風であり、ひとつは宇多田ヒカルの「オ−トマチック」の流れからきているとみている。しかし、この歌い方、演歌のコブシというものに似ている。
 結局我々は東洋人であり、日本人なのである。演歌を馬鹿にする人達は自分たちの父母や祖父母を馬鹿にしていることと同じ。そんな連中からいい音楽が生まれるはずがないと思う。
 ギタ−を弾く上で大切なのは(やっと元に戻った・・笑)、ジャンルにこだわらないこと。これ、すごく大切である。クラシックもいいでしょう、ジャズもいいでしょうと素直になってみることが大切だろうと考えている。

 ということで好きなことだけを書いているうちに、たまっていたブログがなんとか埋った(笑)。またたまるかも・・(笑)。

おわり

2007/06/21(木) ギタ−練習 その六
 昨晩久しぶりに娘が屋根裏に上がってきた。娘がここに来るときはパソコンの印刷かネットで何かを買って欲しいときである。ところが今夜は数あるアコギの中から一本を取り出した。ヤマキである。そして、ポロポロ弾いていたら、
「う〜ん・・・これもなかなかだね・・」
などと一人前の事を言った。これだけアコギがあると子供たちも比較ができるのである。自然とどれがいい音かということがわかってくるのだろう。スキャロプトブレ−シングに改造したタカミネのエリ−トは、息子がこれ持っていくよ、といいながら自分の部屋に持っていった。いい音だと直感的に感じているのだ。
 さて、娘が何しにきたかというと、どうもアコギをうまくなりたいらしい。自分もなんとなくアコギを取り出してポロンポロン始めた。そのとき、ふと娘の目をみると輝いている。あ、こいつ、いよいよ本気になったな・・と親父は考える(笑)。
 親父のお得意、十八番のAnjiを弾き始めると、それが弾きたいといい始めた。え、これ・・・しばし唖然する。う〜んと考えた。3フィンガ−がろくにできないのに、まずAnjiは無理である。
 このことからいえるのだが、とにかく基本である。この基本ができていないとダメ。すべての習い事とギタ−も一緒。ストロ−クを2時間弾きまくるようなつまらない練習、アルペジオだけを変化をつけて一時間も同じ事を繰り返す練習、こういうものが息子や娘にはない。かっこいいところ、おいしところだけをチョイスしてやっているからト−タルとしての完成度がないのだ。
 このことはFLOSKYのメンバ−にもいえるわけで、基本をやりつつ、いろいろな曲をチャレンジしていくという方法をとっている。たとえばコブクロの「轍」。この曲、ストロ−クの基本ができていないと絶対にダメである。ちょうどいいのでこの曲をやりつつストロ−クの練習を兼ねてみる。こういう曲はノリと雰囲気が勝負である。
 こんなふうに書いていると自分がすごくうまいみたいだが、それほどでもない(笑)。ただ基本をいやになるほどやっているので、そういう点でト−タルバランスはいいと自負している。だから飲みながらギタ−を持つと、水を得た魚のようなもの(笑)。プル−スから演歌までやってしまう。ナツメロ大会である(笑)。ジャンルにこだわらないこと、これすごく大切である。
 
つづく
 

2007/06/20(水) ギタ−練習 その五
 アコギとエレキ、どちらを選択するかは難しい問題である。若いときはどちらでもいい、どちらも同じである。どちらを専門にやっても結局行き着くところは同じである。しいていえば弦の固さくらなものである。
 ただしエレキには欠点がある。アンプを通さないと音が出ないこと。今のギタ−アンプにはヘッドフォン端子がほとんどついているので極端な話、夜中でもエレキを練習することができる。われわれの頃はそれが付いていなかった。器用なやつは改造してつけていたが(笑)。
 その点アコギは気楽である。何もいらないでギタ−一本で音が出る。我々くらいになるとエレキは疲れる。どうしてか考えてみると、音が疲れるというより、音を作らなくてはいけないからだと気が付く。まず音量、そしてト−ン。はたまたエフェクタ−ときりもなく音をいじっていく。若いときはこれが面白い。自分の息子が今そういう状態である。息子は同時にピックアップをいじりはじめた。ま、それもいい経験だろう。
 息子は確かにうまくなった。ギタ−始めてまだ一年、この期間でこれだけ上達するとは思わなかった。では息子はどうやってうまくなったのか・・・、やはりヘッドフォンである。夜中に練習している。同時に時代の申し子というか、パソコンとネットを200%活用する。タダでいただけるものは外国のサイトから譜面をみつけてくる。それもひとつの才能である(笑)。
 練習のコツは、当たり前たが繰り返すこと。それも一回に集中するのではなく、段階的に繰り返す。30分弾いたら、一時間弾かずにほかの事をする。そしてまた30分弾く。そうするとうろ覚えのことはたいがい忘れてしまう。そこでまた弾き始める。練習する。この繰り返しである。息子はどうもこれを自然とやっていたようだ。まるで一日中ギタ−を弾いているように見えるが、30分ギタ−、そして一時間勉強、そしてまたギタ−。これは非常に効率のいい練習方法である。
 娘の高校では軽音楽クラブがやっと認められようとしている。男子が中心らしいが、ほとんどがエレキ。アコギを馬鹿にしているという。しかし、兄よりうまい人はいないそうである。娘はできればアコギをやりたいと考えている。もちろんエレキもアンプも娘に与えてあるのでどちらでも選択OKなのだが、アコギのほうが性に合うのだろう。

つづく

2007/06/19(火) ギタ−練習 その四
 拓郎、陽水にはまっていた頃、兄がエレキを買った。ついでに基本練習にベンチャ−ズがいいとばかり今で言うバンドスコアを何冊か買ってきた。ダイヤモンドヘッド、パイプラインなどおなじみの曲である。
 もちろん自分もそれに伴いアコギで練習した。やがて兄がエレキを買ってくれた。グレコである。うれしかった。今までは兄のお下がりだったが、今度は新品である。テレキャスタ−ボディにハムバッキングのピックアップを搭載したモデルである。
 フォ−ク少年はいきなりロック少年に変貌をとげる。ジェフベック、ツェッペリン、クラプトンと遍歴を続けているうちにだんだん黒っぽい音楽に惹かれていく。基本的にブリティッシュブル−スとかホワイトブル−スと皮肉られていた部類から、だんだんジャズに興味を持って、ペットなども吹くようになるんだけど、それはまだ後の話。
 とりあえずブル−スに染まるわけで、いろいろと乏しい小遣いでレコ−ドを買う。今はダウンロ−ドという便利なものがあるし、一曲単位で買うことができるが、当時はアルバムといいレコ−ドのみがすべてであった。それをとりあえずはカセットに録音する。そしてカセットのみで聴くわけである。レコ−ドがすり減らないようにという配慮である。それと耳コピするには一時停止機能の付いたカセットのほうが便利だったせいもある。
 ほとんどはエレキになり、アコギはあまり弾かない。ちょうど今の自分の息子のようなもので、ひずませてガンガンやっていた。今はアコギのほうがいいのだが、それは単なる年齢のせいだと思う(笑)。

つづく

2007/06/18(月) ギタ−練習 その三
 ある日、隣町の社員寮にいた姉が一枚のレコ−ドを持ってきた。このレコ−ドに針を落としたときに流れてきたのが、吉田拓郎の「人間なんて」である。これはショックを受けた。姉は寮に帰ってもブレイヤ−もステレオもなかったので、そのままレコ−ドを置いて帰った。さぁそれからが大変である。何度も何度もLPを聴いた。聴きながら思ったのはこんなふうに弾いてみたいということ。
 やがて時期をほぼ同じくして兄が拓郎の譜面集を楽器屋さんから買ったきた。ドレミ出版のもので「たくろう・おん・すて-じ・第一集」という本である。兄がいないときにこれをこっそり借りてきて、自分のノ−トに書き写した。こんなふうにノ−トに書き写したものが中学当時だけで10冊くらいはたまった思う。今あのノ−トがあれば面白いだろうと思うが、残念ながら引越しのたびに少しずつ無くしてしまい、今手元には一冊もない。
 ストロ−クはとにかく、同時進行でやっていたのがアルペジオ、別名、分散和音。当時のお決まりの練習曲「ドナドナ」が最初だ。Amが基本で実に簡単なのだが、初心者にはしんどい。アルペジオの基本がほとんどできるようになると、今度は3フィンガ−となるが、当時はまだカントリ−系の特別な弾き方という認識で、日本のフォ−クに浸透してくるのはかぐや姫が売れてくるあたりからである。
 アルベジオをマスタ−したころ、Tさんがきて次から次へといろいろな奏法教えてくれた。ちゃんと基本どおりに2フィンガ−から3フィンガ−へと教えてくれて、カ−タ−ファミリ−ピッキングなども教えてくれた。当時の日本のフォ−クは岡林を代表とする関西フォ−クと拓郎、陽水、かぐや姫などのメジャ−フォ−ク、そして高田渡などのアングラ系フォ−クと分かれていた。しかし、Tさんより基本から教えてもらっていた自分はほとんどを弾けるようになっていた。

つづく

2007/06/17(日) ギタ−練習 その二
 最初に弾き語りでやったのは古井戸の「さなえちゃん」という歌である。どうしてこの曲を選んだのかは、実に簡単、コ−ドが簡単だったからである。
 中学一年の頃、仲間と3人でとりあえずフォ−クグル−プを作った。グル−プ名は「ラ−メンライス」。課題曲は「さなえちゃん」と六文銭の「面影橋から」のたった2曲。どちらもコ−ドが少なく簡単だっただけである。中学の視聴覚室にクラシックギタ−があり、それを隠れるように放課後弾いていたら、長髪のボ−っとした感じの2年生が入ってきた。怒られるかなぁとビクビクしていたら、自分の弾くのをじっと見ている。しばらくするとぼそっと言った。
「それ、違うんだよなぁ・・それと指を立てて弾かなきゃダメだよ、指の腹じゃなくて指の先、つまり頭で押さえなきゃ・・」
 とアドバイスしてくれた。そしてジャカジャカと弾いた。・・・うまい。感動してしまった。そしてまた風のように去っていった。この長髪の一年先輩がムラマサ氏である。

 その頃兄もギタ−をやっていたので、その友達が夜になるとギタ−を教えてくれるということで毎晩のように遊びに来た。ストロ−クの基本をみっちり教えてくれたのはこの人、T・Kさんである。ストロ−クだけで兄とTさんと自分で2時間弾きっぱなし。
 最初はC・Am・F・G7の繰り返し。面白くもなんともないのだが、考えてみたらこのときの練習が今の自分の基礎になっている。初心者の常で指が痛くてどうしようもないが、そんなことはお構いなし。もちろんFのセ−ハ(バレ−)もろくにできないので音は汚い。そんなこんなで一週間か二週間か過ぎた頃、そろそろいいだろうと譜面というか、ノ−トに歌詞を書いてコ−ドをつけたものを持ってきた。当時は今のようにコピ−もなければパソコンもないので、すべてを自分のノ−トに書いて写した。
 その最初の課題曲が「戦争を知らない子供たち」、なんと今まで延々と繰り返したきたコ−ド進行そのまま(笑)。今度は歌が入るので実に楽しい。
 そんなある日、一人でこの曲をやってみた。そうしたらなんとFのコ−ドがきれいに出ている。いつのまにかFも簡単に押さえられるようになっていた。ストロ−クもきれいに弾ける様になっていたのである。あの時はうれしかった。とうぜんBmなども苦もなく押さえられるようになっていた。
 それからは歌いながらギタ−を弾くのが楽しくて楽しくて(笑)。当時、明星とか平凡とかの芸能雑誌があり、どちらも別冊で歌本が付録としてついてきた。そして親切なことにコ−ドが歌詞にふってある。これを片っ端から弾いて歌った。もちろん学校の勉強などはそっちのけで、とうぜんギタ−の上達と反比例するように成績は下がって行った(笑)。

つづく

2007/06/16(土) ギタ−練習 その一
 本日は練習日ということで例の場所。このときばかりはストレス解消である。メンバ−に基礎練習をてもらう。みんな我流で覚えているので、まずその癖を直してもらう。
 たとえばストロ−クだが、ピックを人差し指と親指でつかみ手首のスナップを弦に対して平行に振る。意外とこれができないのである。これをやらないと6本の弦がピックに触れない。だから汚い音になる。
 昔は自分もそれがわからなかった。ただひたすらでかい音を出して弾いていた。それでいいと思っていた。あるとき兄の友達が遊びに来ていた。隣の部屋でギタ−の音を聞いていた自分は愕然とした。きれいなストロ−クの音なのである。次に遊びに来たときいろいろと教えていただいた。
 教則本などは当時なかなか買えなかったが、かわりにギタ−雑誌がたくさんあった。ヤングギタ−やヤングフォ−クとかを兄が時々買ったきた。兄の留守のときにこっそりと借りて練習をした。中学生、にきびの花盛りの頃である。
 どうやってギタ−を覚えたのかと言う質問をよくされる。はて?自分でも改めて考えるとよくわからない。ちょうどブログが何日分もたまっているので、それを振り返ってみたい。

2007/06/15(金) 心の中のゴミ
 今度の日曜日、家中の不燃ごみをゴミ焼却場に持ち込もうと計画している。毎月月末は休日営業で持ち込みOKなのである。
 さて、そんなことを考えていたら、もしかしたら自分の心中にも捨ててもいいゴミがあるのではと思いついた。
 子供の頃のゴミは思春期にすべて捨てたつもりである。捨てることで大人への階段を一段一段上ってきたからだ。しかし、いつのころからゴミを捨てることを忘れた。どんどんゴミがたまっていくような気がする。しかもそのゴミは一歩間違うとウィルスのように増加していく。これも困るが、一番困るのは、腐敗していく生ゴミである。こいつが自分の心の中にも少しはある。早急に捨てなくはいけない。

 

2007/06/14(木) あたかも小説のごとく
 平穏無事という言葉がある。しかし、なかなか人生はそううまくはいかない。自分のことよりもほかの事で次から次へといろいろなことがぶつかってくる。
 屈託、心配事、いろいろとあり、しかもそれは自分の問題ではないのだから始末が悪い。人はただ生きているだけで罪を作るものなのかなどと考えてしまう。信じた人が馬鹿を見る世の中、こんな世の中で信じるやつが馬鹿なのか。いずれにしても自分の家族の問題ではないことでまた苦労しそうである。
 ま、人生いろいろある。ぶつかってきたことを処理していくしかない。それにしても、下手な小説よりも面白い小説がかけそうだ。あたかも小説のごとくに。

2007/06/13(水) 動物の避妊手術
 女房の実家の嫁さんが子猫を2匹拾ってきた。ダンボ−ルの中に入れて捨てられていたらしい。女房の実家ではもうすでに猫が一匹いる。以前は2匹いたのだが、近くの道路が拡幅されて車の通りが激しくなったときに交通事故で死んでしまった。つまり現在3匹の猫がいることになる。
 自分が捨て猫をみつけたらどうだろうと考えてみる。無視できるか・・・難しいところである。しかし、心を鬼にして・・やはりつらいだろうと思う。

 今我が家にいるチロは避妊手術をしてある。犬は基本的につながれているために方法はいくらでもあるが、猫はそうはいかない。ましてや隠れて子猫を生んだ場合にはどんどん増えていく。そして多くの場合はノラ猫になり、それはとりもなおさず不幸になる。
 本当の意味で猫が好きであるなら、責任をもって飼ってほしい。いい加減な気持ちで飼って欲しくないと思う。ただかわいいからというだけで飼っている人達が世の中にはたくさんいる。多くは無責任である。猫の一生を面倒見る気持ちはもちろんだが、避妊手術、去勢手術をぜひしていただきたい。それが本当の愛猫家だと思う。

2007/06/12(火) チンタ追想
 最近よくチンタの夢を見る。チンタが死んでから一年、チロという猫もすっかり我が家のアイドルとなった。しかしふと気がつくとチロの一挙一動にチンタの面影を探している自分に気がつく。
 チロがちょんと座っているときに、問いかけたことがある。「チロ、お前はチンタの生まれ変わりだろう!」と。チロはそんなとき眼を細める。もしかしたらそうなのかもしれない。我が家にチロがはじめてきたとき、トイレもすぐに覚えたし、まるで自分の家のように最初から行動した。
 チンタが死んだのが、4月16日、チロが生まれたのが推定で5月の初め。少なくともつじつまは合う。
 ま、それはわからないがとにかくそう思うことにしている。チンタ2世、ようこそ我が家へと。

2007/06/11(月) 生きる悲しみ
 生きていくこと・・・それだけの中に悲しみは存在する。生きるためにはほかの命を犠牲にして、そのエネルギ−を摂取しなくてはいけない。われわれが何気なく食べているス−パ−のパックされたお肉も魚も、誰かが殺したものである。
 魚はとにかく、牛や豚や鶏は自分には殺すことができない。しかし、当たり前のように食べている。これは自分でも矛盾であると思う。それにしても食肉にされるために生まれてきたような生物は哀れである。人間は命のサイクルをコントロ−ルするようになった。生命の循環の最終末路が人間だとすれば、そのときから人はお互いを憎むことを余儀なくされたのかもしれない。

 日本人が本来持っていた美徳「もったいない」を最近の時代は履き違えている気がする。もったいないはケチということではない。命を大切にしろという意味だと思う。捨てることの美学をテ−マにした本が出回っている。モノのあふれたこの時代、そういう美学もあるのかもしれないが、ゴミは捨てなくてはいけない。しかしモノに心があるとしたら、どうだろう。リサイクルという言葉は市民権を得て久しいが、本来のリサイクルと言う意味からは程遠い。
 命、これもリサイクルである。そして最後に捨てなくてはいけない命・・・それは人間である。これほどみにくく、つまらない生き物はほかには見当たらない。

2007/06/10(日) 陶芸
 いっそのこと陶芸をやめてしまおうと考えたのだが、なんだかんだでまた作っている。この土いじりはストレス解消にもってこいである。
 日曜日、午前中は陶芸サ−クルに出かける。○好カメラより依頼された土器風の湯飲みを作る。思わず夢中になり結局夕方まで没頭。素焼きは来来週の日曜日。

2007/06/09(土) 老眼
 最近本を読むときに老眼鏡をかけるようになった。枕元には老眼鏡がふたつある。どちらも100円ショップのもので、一番軽いものだが、最初これをかけたときに驚いた。よく見える・・・(笑)。それからはもう手放せない。
 ところで先日○好カメラに久しぶりに顔を出したら、待ってましたとばかりにいろいろと頼まれた。まず最初にお客さんからあずかったオリンパスOM2Nがなんとかならないかということ。シャッタ−が切れない。そこで早速手にしてみるとなるほどミラ−が上がりっぱなし。シャッタ−ダイヤルをガチャガチャと回し、Bのところへ持っていくとカシャッと戻った。単なる電池切れである。主人はOM2は機械式だと勘違いしていた。電池を入れたらなんのことはないシャッタ−が切れた。
 次に頼まれたのはミノルタのAF、α707siの裏蓋の爪のひっかかるところのボディ側が折れて蓋が閉まらない。これは・・・結構大変である。お客さんの預かり品で修理に出すと3万円近くかかるという。馬鹿らしいから返してもらったそうである。よく見ると爪の折れたところはプラである。こんな大事なところをプラで作るあたり、コストダウンもいいところである。いくら大量消費社会とはいえ、ひどすぎる。とりあえず店にある303siを借りて、場合によってはパ−ツ交換だねといい、2台を預かってくる。
 さて次、陶芸をまだやっていると言われたので、やってると答えると、湯のみを5つ作ってくれと頼まれる。なんでも同窓会があるらしく、先生方が5人参加してくれるそうで、何か記念品を考えている、と。で考えたのが、この町らしい記念品、縄文土器風の湯飲みがいいだろうということになり、自分が来店するのを待っていたという。了解と返事をする。ところで予算はいくらと聞くと、あまりないので一個1000円くらいで、、、と言うので、これもOK。恩師へのプレゼント、なかなかいい話である。こういう大義名分のある話にはつい協力してしまう。
 さて、本日のタイトルは老眼鏡だった・・忘れていた。つまりこのミノルタの修理に老眼鏡がなくてはならない必需品となってしまったのだ。これが言いたかったためにずいぶん遠回りをした。俗に「眼に来て、歯に来てマラに来る」という。眼も歯もすでにダメ。あとはマラか・・・これもだめかなぁ(笑)。

2007/06/08(金) エレアコ
 エレアコはもうたくさんだと思いつつ、エレアコをアンプにつないでみる。息子はマルチエフェクタ−で、エレキをアコギに近づける音作りをやっている。なんだかへんな親子である(笑)。
 音というものは主観的なものであるから、具体的にどういうのがいい音なのかというのはわからない。たとしたら、アコギを手にして、いい音だと感じたときには、客観的に言えば「自分にとってはいい音だ」もしくは「自分の好みの音だ」といわなくてはいけない。などと理屈をこねていないで寝よう・・・・。

2007/06/07(木) 写真の整理
 やっと女房の撮影した体育祭の写真の整理が終わった。その後女房と揉める。つまり全部サ−ビス判に焼いて選択するというのだ。冗談ではない、300枚である。同じようなショットが何十枚もある。経費かけすぎ(笑)。
 次にサムネイルでベタ焼きにできないかという。できるがサ−ビス判付録のものはちいさすぎる。それじゃ本物の8×10で作るかと考えた。フォトショで作れば簡単だが、はたと考える。恥をさらすような・・・こんな事言うとまた怒られるか(笑)。

 なにはともあれ、トリミングを予定して画素数を高くしておいた。予想通り引いた写真が多い。やたらとトリミング。どうせモノクロの印刷で、大きくても巾5センチ程度なので、なんでもありである。
 300枚中80枚を自分がトリミングしながら選択。これだけサ−ビス判で焼いてもらい、会議に持ち込む。元の300枚と80枚のJPEGデ−タをCD-Rに焼いて渡す。どうせまたデ−タにするんだから、このほうが印刷屋さんもありがたいだろう(笑)。

 ベストショットがこれ。もちろんトリミングしました(笑)。

 

2007/06/06(水) デジカメ写真
 夕食後、女房殿の撮影してきた高校の体育祭の写真をパソコンに取り込む。何枚撮ったのと聞くと、う〜ん30枚くらいかなぁと言う。しかしなぜか電池がなくなってスペアに交換したという?
 パソコンに入れてみると・・なんと300枚くらい。こ、これ誰が整理するの(汗)。電池がなくなるわけだ。しかもかなり引いた撮影。腕章をつけてグランドの中に入れるんだからもっと寄ればいいのにと思う。仕方ない、画素数は高めに設定しておいたので、トリミングである。ん・・結局自分が整理することになるか(汗)。

 画像の中に横じまのシャツを着たカメラマンが登場する。女房は、この人すごく一生懸命撮影していたよと言う。次の写真で判明、Y写真館の人である。昔、商店のチラシ作りのときかなり無理を聞いていただいた人だ。しかも、われわれの結婚式のときの写真も撮影してくれている。女房は覚えていないという。自分は写真が趣味だけにしっかりと覚えている。フジの中判GX680を使っていた。
 この人、いわゆる卒業アルバムの製作を引き受けているわけで、PTAではない。いわゆるプロ中のプロ。

 ほかにも、K写真館、S写真館、自分が関係した写真館はすべてフジのGX680である。決してハッセルなどは使っていない。それがプロと言うものなのだろう。ライカもハッセルもリンホフもすべて金もちの道楽用である。どうしてそうかというとメンテナンスに金がかかりすぎるからだろう。お客様を撮影して失敗しましたとは絶対に言えない。だから故障したらすぐにメンテできて、いざとなればリ−スもできるフジのカメラになるのだ。げに、すべての世界においてプロとはすごいものである。すべての分野のプロに敬意を表したい。

2007/06/05(火) 練習日
 本日の夜、練習日なのだが、広報の仕事等で練習に行くのに遅れる。ヤマハL-5のオ−ナ−にギタ−を渡す。おっいい音になったと言ってくれる。弦のサスティ-ンは明らかに伸びるようになった。
 今夜はまたコブクロをやってみる。サブボ-カルが奥さんの実家の不幸で喪中、欠席。仕方ないのでコブクロのボ-カルをちょっとやってみる。「ここにしか咲かない花」「永遠にともに」の2曲。く、苦しい。とにかく彼らの曲は歌えそうで歌えないという難しい曲である。Keyが高いうえに曲が長い。一番はなんとか歌っても2番の中頃からかなりきつくなる。たばこをやめればという声が、なぜか女房の声となって頭の中でリフレイン(笑)。しかし、今夜は一滴もアルコ-ルを口にしないで帰宅。偉い・・・(笑)。
 帰宅後、アルコ-ルがないので眠れない。「竹中半兵衛」が今の愛読書だが結構面白く興奮。その勢いで結局焼酎を一口、二口・・一杯、二杯・・あれ・・・結局休肝日にはならず(笑)。すでに依存症か・・(汗)。

2007/06/04(月) 広報誌
 青少年育成町民会議の総務部長も今年で2年目・・自分に一番ふさわしくない(笑)。管轄はなじょもんもそうなのだが教育委員会である。教育委員会、教職の先生方が一番恐れる組織。なんで自分が町の教育委員会に関係しているのかよくわからないが、とにかく関係している。
 この広報誌作りだが、昨年度よりがらりとイメ-ジを変えた。町全体に全戸配布されるのでかなりの発行部数なのだが、町民はきちんと読んでいるのかなと疑問に思う。そうかといって手は抜けない。昨年度もスペ-スが空いたので、編集後記と題して、戦前の教育勅語について書いた。天皇制はとにかく、それを省けば、あの内容はすばらしい内容だったのではないかと書いたのだ。それに関して、ある会社の社長からお褒めの言葉をいただいた。
 今の時代、憲法改正論が論議されている。だとしたらアメリカさんからもらった民主主義も見直すべきだろう。日本人がかつて持っていたすばらしい精神、お互いが助け合う心、もったいないという節約の心などをもう一度取り戻したらどうだろう・・・というような内容だったと思う。

 自分が恵まれていると思うのは、印刷業界、新聞業界の知り合いが多いこと。これは大切な宝物である。だからと言うわけではないが、いろいろとボランティア仕事が回ってくる(笑)。これにもしっかりと応えていく。そして自分も成長していく。問題なのはお金につながらないこと(笑)。ま、いいか・・・。お金をいただくということはプロということ。自分はとてもプロにはなれない。なぜならプロの厳しさを自分が一番よく知っているからである。
 

2007/06/03(日) 12時間耐久レ−ス
 本日は地元集落の運動会。自分の参加競技は5つ。ふたつは嫌がる娘に頼み込んで代わってもらう。お昼よりご苦労会で飲み始め、途中でなじょもん友の会に出席。その後役員と一緒にまたご苦労会で飲む。2次会まで流れてしまい、帰宅は12時ちかくに。12時間アルコ−ル付け。そろそろ年も考えなくてはと反省。
 その2次会で、30年くらい前に因縁のある人物と飲んでいることに気がつく。あぁ、あのときの・・・。お互いにびっくりする。ま、いろいろあったのだが、すべては時が解決したということだろう。その内容についてはここでは書けないが、2度と会うこともないだろうし、2度と会いたくもない人の兄であった。過去のこと、すべて過去に流れてしまったことだ。時は喜びも悲しみも、うらみつらみもすべて遠くに流していく。気がつけば自分ひとりがそこに立っている。
 あの時、あの場所でああなっていたら・・・などと考えてみるが、これほど無駄なことはない。今・・・今である。
 帰宅してバタンキュ−で眠る。眠る前に過去の因縁のある人物と飲んでいたと女房に話したが、もちろん女房も知らないこと。酒飲んで記憶がなくなったことにして、ひとつのことを完全に忘れようと思う。今度こそ・・・・・。

2007/06/02(土) 携帯の忘れ物
 日中、JRよりTELあり。娘が携帯を電車の中に忘れたらしい。夕食後に家族でとりに行く。場所は飯山線との乗換駅、越後川口。ここは電車では行ったことはあるが車では初めて。ところが国道117号からどうやっていくのかわからない。あまり縁のない道なのだ。
 ぐるぐる回りながら漸くたどり着く。迷った道をネットの地図で確認。ふむふむ。息子の携帯には衛星からの現地点を確認することができないが、電車の中を一人旅した娘の携帯にはそれが付いている。逆ならよかったんだが(笑)。
 しかし、知らない道をさまようのは結構面白かった。BGMは息子が買ったギタ−雑誌の付録のCD、クラシックをエレキでやっているもので、これがベストマッチ。未知の空間に迷い込んだみたいで実に面白い。「千と千尋の神隠し」さながらに楽しめた。

2007/06/01(金) 6月
 6月のイメ−ジ、かえる、梅雨、花嫁、田植えなどなど。梅雨に入る前のわずかな時期、もはや初夏である。この6月という季節は自分の前から何度通り過ぎたのだろう。意外と覚えていないのが6月の時期である。そのあとの夏のイメ-ジが強すぎるせいだろうか。
 春を眺める余裕もなく、夏を乗り切る力もなく・・・と唄ったのは泉谷しげるだが、なんか今自分がそんな感じである。少々いろいろなことに疲れたという感じである。これは・・やっぱり年なのかなと思う(笑)。
 


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