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2007/06/11(月)
生きる悲しみ
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生きていくこと・・・それだけの中に悲しみは存在する。生きるためにはほかの命を犠牲にして、そのエネルギ−を摂取しなくてはいけない。われわれが何気なく食べているス−パ−のパックされたお肉も魚も、誰かが殺したものである。 魚はとにかく、牛や豚や鶏は自分には殺すことができない。しかし、当たり前のように食べている。これは自分でも矛盾であると思う。それにしても食肉にされるために生まれてきたような生物は哀れである。人間は命のサイクルをコントロ−ルするようになった。生命の循環の最終末路が人間だとすれば、そのときから人はお互いを憎むことを余儀なくされたのかもしれない。
日本人が本来持っていた美徳「もったいない」を最近の時代は履き違えている気がする。もったいないはケチということではない。命を大切にしろという意味だと思う。捨てることの美学をテ−マにした本が出回っている。モノのあふれたこの時代、そういう美学もあるのかもしれないが、ゴミは捨てなくてはいけない。しかしモノに心があるとしたら、どうだろう。リサイクルという言葉は市民権を得て久しいが、本来のリサイクルと言う意味からは程遠い。 命、これもリサイクルである。そして最後に捨てなくてはいけない命・・・それは人間である。これほどみにくく、つまらない生き物はほかには見当たらない。
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