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2007/06/22(金)
ギタ−練習 最終回
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音楽にはジャンルというものがある。まずはクラシックとポップス、そしてジャズやブル−スなど。そして歌謡曲、そして演歌まで。これ、よく考えてみると不自然である。同じ音楽なのにどうしてこうやって仕切ろうとするのだろう。 年代というものは仕方ないにしても、そういうものにこだわって自分で壁を作ってしまうことが残念である。演歌をやり始めると、ロックなどをやっている人はそれだけで白い目で見る。これはどうも変だ。自分は中学生の頃に、受け狙いでピンカラトリオの「女の道」などもよく歌ったものである。自分の親父くらいの年代に受けるのである。だからときどきそういうものを練習してレパ−トリ−に入れておいた。あの頃のノ−トが存在していたら面白いだろうなぁと思うのはそういうことである。拓郎のとなりのペ−ジに「女の操」なんてのが書いてあったりするのだ。めちゃくちゃ(笑)。 ブル−スと演歌、最近よく思うのは大衆音楽というものは基本が似ているということ。だいたい3コ−ドである。単純でパタ−ンが同じ。そのくせ奥がものすごく深い。 演歌に関しては、五木寛之が「海峡物語」やいろいろなエッセイで書いているのだが。演歌、艶歌、援歌という漢字で、いろいろなものが存在する。自分が小学生の頃「三百六十五歩のマ−チ」という歌を水前寺清子が歌っていた。高度経済成長、金の卵の時代に、あの歌で勇気付けられた人はたくさんいると思う。これは演歌ではなく援歌。 自分が好きな歌は、演歌でいえば、小林幸子の「雪椿」、そして吉幾三の「雪国」などである。どちらも東京にいたとき頭の中で繰り返して歌っていた。雪国の生まれだということもあるが、それよりも詩とメロディ−のバランスが非常にいいのだ。 対してブル−ス、こちらはブル−ノ−トを基本としたもの。これもいい。好きである。人の感情というものは複雑なものである。それほど単純ではない。悲しい、うれしい、楽しいという感情の中に、いつも不安感がつきまとう。たとえば、サラリ−マンが念願の一軒家をボ−ナス払い併用で、通勤時間2時間のところにやっとのことで、ロ−ンを組み手に入れたとして、これはうれしいことであるが、同時に20年、30年ロ−ンの支払いが待っているとしたら、単純にうれしいと喜べるだろうか。 現在人はだいたいこういう相反するふたつの感情を持っていると思う。その感情は時代とともに変化していく。戦後の貧しい中から、とにかくがんばれがんばれと励まして生きてきた時代は、意外と単純であったと思う。洗濯機が買えた、TVが買えたと、段階的に自分たちの生活が豊かになっていくのがはっきりしていた。だから演歌でいいのだ。 そういう感情は時代とともにメロディ−となって表れる。だんだんと複雑となるのだ。これがブル−スのブル−ノ−トと重なってくる。単純ではない。歌謡曲という大衆音楽はこれらを取り入れるのが早い。ブル−ノ−トは70年代にはすでに歌謡曲の中に入ってきている。このことが、演歌と区別される要素となっていると思う。 日本でフォ−クと呼ばれるジャンルが確立された頃、ボブディランにあこがれたミュ−ジシャンがスタイルとして確立したものに「字あまり」がある。英語と比べて、日本語はどうしてもメロディ−に乗せようとすると、字あまりになる。今ではあたりまえとなって、ま、無理をしてこじつければ、字あまりはラップの中に息づいているといえると思う。
ずいぶん話が横道にそれたけど、ジャンルの話に戻る。演歌が過去の古い音楽のジャンルになったとはいえ、ところどころに演歌の基本は残っていると思う。コブクロの「蕾」などはかなり演歌に近い。サビのところの「きっと、きっと、きっと」と3回繰り返すところなど、これは演歌の手法にかなり近いと思う。 世の中には自分の好きなジャンル以外の音楽を否定する人が多くいる。そういう人達とは自分は付き合わないことにしている。演歌がすべてなどと言うつもりは毛頭ないが、演歌という過去のジャンルの土台に乗っかっていることは間違いがないのだ。たとえば絢香の「三日月」などは、歌い回しが今風であり、ひとつは宇多田ヒカルの「オ−トマチック」の流れからきているとみている。しかし、この歌い方、演歌のコブシというものに似ている。 結局我々は東洋人であり、日本人なのである。演歌を馬鹿にする人達は自分たちの父母や祖父母を馬鹿にしていることと同じ。そんな連中からいい音楽が生まれるはずがないと思う。 ギタ−を弾く上で大切なのは(やっと元に戻った・・笑)、ジャンルにこだわらないこと。これ、すごく大切である。クラシックもいいでしょう、ジャズもいいでしょうと素直になってみることが大切だろうと考えている。
ということで好きなことだけを書いているうちに、たまっていたブログがなんとか埋った(笑)。またたまるかも・・(笑)。
おわり
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