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2007/06/23(土) 時には母のない子のように

 日本は高度経済成長の変貌を続ける中で、社会運動が盛んになる。アメリカではベトナム戦争反対のそのテ−マソングが「風に吹かれて」であったように、日本では岡林の「友よ」がその代表曲となる。そして大学紛争へ突入。
 大学紛争がふたつ終わって、段階の世代の彼らには何が残ったのだろう。そんなふうに彼らの感情を見事に歌にあらわしたのが、カルメン・マキの「時には母のない子のように」だと自分は考えている。あの当時、大学に行っていたのは、いいとこのおじょうちゃん、お坊ちゃんである。そんな連中が社会を変えようとしても変わるものではない。結局は何も残らない内紛として日本の歴史の中では片付けられるものとなっている。そんな彼らの感情を「時には母のない子のように」は見事に歌にしている。考えてみれば、本当に母のいない人には、この歌はどううつるのだろう。苦労を知らない人が、苦労をしてみたいといっているのと同じである。そして、この歌の最後はこうしめくくる
「母のない子になったなら、誰にも愛を語れない」
そう、もともと母のいない人には、誰にも愛を語れないのである。本当は語れないのでなく、そのことさえも意識していないのである。まさに時代が作り出した歌だと今聞くと感心している。これはこれで名曲である。


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