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2007/07/31(火) 練習の日々
 仕事から帰り、夕食、風呂、そして練習。メンパ-も今回はえらく真剣である。この真剣さが欲しかった(笑)。

2007/07/30(月) またまた今夜も練習
 仕事が終わりまっすぐに練習に行く。コブクロ、やはり歌が面倒である。あの二人のボ−カルは微妙にハモっている。それが魅力なのだろう。歌もいい。特に「ここにか咲かない花」はいい歌である。
 それにしても今夜は全員ノリがいまいちだった。こういうときがある。これから毎晩練習という計画だが、ま、あまり遅くならないようにしよう。
 10時過ぎに帰ると娘もジャズダンスの帰りらしく、風呂に入っている。やがて夜遊びから帰ってきたチロが騒ぎ出す。息子も部屋から出てきてチロと遊んでやる。猫は夜行性である。昼間は文字通り寝る子でネコである。

2007/07/29(日) 茶碗
 茶碗といっても別にお茶を本格的にやっているわけではない。お茶もたてるが、自己流で適当である。だいたい、あの堅苦しいのがいやである。戦国時代の武士が密談するのに利用したように、荒々しくありたいと思う。
 茶碗は作るほうであるが、そもそもこの茶碗、作るにしても結構決まりがある。茶だまりだとか、高台だとかいろいろとあり面倒である。一応自分なりに勉強もしたが、大きさからしていろいろとある。形も井戸、天目、筒型、夏茶碗などなどとあり、休日の今日は4種類の茶碗を久しぶりに一通り作ってみた。
 この粘土いじりは非常にストレス解消となる。だからいろいろと悩み事があるときなどはこれをやるといい。なにしろ作っている間はほかの事をすべて忘れる。
 娘がよく言うのだが、お父は趣味が広いと・・・・。しかも人があまりのやらない事をやると。然りである。TVはあまり見ない。そんな無駄な時間はないのだ。一応、参議院選挙の投票日なので、投票にだけは行ってきた。こんな自分でも唯一自分が政治に参加できることである。

2007/07/28(土) 津南祭り
 本日は津南祭り、女房は夜勤でいないし、子供たちは二人ともお友達とそれぞれ出かけた。で自分はひとりビ-ルを飲みながらギタ−を抱えて「Fly me to the moon」漬けである。
 この津南祭り、例年だと国道を通行止めにして迂回路を回らせて民謡流しがあるのだが、今年は中越沖地震のために、交通量が異常に増えているために中止である。ほかのイベントは十日町市出身の若手歌手や素人の演奏がある。でも行かない。何故かというと帰るなりビ-ルを飲んでしまったからだ。そうなるともう駄目である。ひたすらギタ−を練習する。何のために・・・わからない、楽しいから、ただそれだけのような気がする。小説やドラマや映画を見るのに何のためにと考えることはない、それと同じなのだろう。
 となりで愛猫のチロがギタ−ケ-スを開けろとせがむので、開けてやる。猫はどうしてこういう狭い所がすきなのだろうか(笑)。

2007/07/27(金) Fly me to the moon
 個人的な次の練習曲は「Fly me to the moon」だ。これは「哀愁のヨ−ロッパ」に比べれば簡単である。しかし、メロディ−とメロディ−のつなぎのところが難しい。
 この曲はエヴァンゲイリオンで最近は超有名だが、自分はそんなことはまったく知らない(笑)。そんなことよりも昔からジャズやボサノバで知っていた。なかなかの名曲ではあるが、歌詞は・・・曲ほどよくはないと思うのは自分がまだまだ駄目なのかとも思うが、メロディだけのほうがいい。
 この譜面のKeyはGである。ムラマサ氏はたしかBあたりだったような気がするが、定かではない。なにしろ名曲なのでいろいろなジャンルでいろいろな人が演奏している。そしてアレンジの腕の見せ所の曲でもある。
 さぁ、あとどれくらいの期間でこの曲をマスタ−できるか・・。「哀愁のヨ−ロッパ」はできたのかというと、一応指使いはマスタ−した。早く弾けるかどうかはまた別の問題。譜面がなくてもなんとか弾ける状態かな・・?。う〜ん、アコギ、おくが深いものよ・・・。


Fly me to the moon
Let me play among those stars
Let me see what spring is like
On Jupiter and Mars
In other words, hold my hand
In other words, darling kiss me

Fill my heart with song
Let me sing forever more
You are all I long for
All I worship and adore
In other words, please be true
In other words, I love you

月まで飛んでいかせて
星と星の間で遊ばせて
木星や火星の春が
どんなものか見させて
つまり、私を抱いて
つまり、私にキスして

歌で私の心をいっぱいにして
ずっと永遠に歌わせて
私が熱望し、慕い、
熱愛するのは、あなただけ
つまり、私に忠実になって
つまり、私は愛しているの

>>>>>>>>>>>>>
スタンダ−ドな名演奏はこちらから

http://www.youtube.com/watch?v=rlU5SKE4eb4&mode=related&search=

2007/07/26(木) 日野富子と日野てる子
 女房に頼まれていたダウンロ−ド版CDがやっとできた。やっと・・・とはいっても自分が悪いのではない、ダウンロ−ドの購入希望のリストをもらったのが4日前なのだ。MORAで一曲200円で購入したもので、まぁなんとかCDが出来上がった。
 CDジャケットもイラスレ−タ−のソフトで作ってあげた。こういうのはどうも張り切ってしまう(笑)。ところで、一度印刷して女房と確認していると、あれ・・日野富子??Tomiko Hinoと打ってしまっていた。なんでそうなったのかわからないのだが、女房いわく「昔の彼女の名前??」と言われた。いや・・・・富子なんて名前は知らないなぁと、しばらく考える。そしてようやく思い出す。う・・・足利将軍の財テクかぁちゃんだ。
 ま、とにかくジャケットも完成。見つからなかった曲は「赤いレイ」と「アロハ・ウクレレ」誰の曲だったかも忘れたが、この2曲だけはいくら探してもなかった。そして、かねて疑問だった事を女房に聞く、
「レイって何だ??ハワイのユ−レイか」
「レイっていうのはあそこに下がっている首に下げる花の飾り!」
ぁ、そういうことか・・と納得。う〜ん、ハワイか・・独身の頃はハワイなんていつでも行けると思っていたが、今は常磐ハワイアンセンタ−にも行けない。これ、つらい現実(笑)。せめてウクレレでも本格的にと思っているが、う〜ん、ウクレレの名曲って何かあったっけ・・・??
 あった、あった、牧村しんじの「あ〜やんなっちゃった」(笑)。

2007/07/25(水) またまた練習
 さて、今夜もまた練習だ。みんな真面目である。特にベ-スがいつになく一生懸命である。ほぼ完成したのではないかと思う。今までの仲間内での飲み会と違い、今度は150人以上の前で演奏するのだから無理もない。
 今夜は飲まないようにと思いつつ、また生の中を一杯飲んでしまう。そのあと、どうせ一口も二口も一緒だとばかりに焼酎も飲んでしまう。あ??。

2007/07/24(火) 陶芸と地震
 またまたいきなり陶芸を始める。リクエスト作品を優先に、体験実習館において販売するものも作る。たいして売れるものではないが、小遣い稼ぎにはなっている。
 今回は手びねりで曲がった湯飲みを何個が作る。こういうのは意外と受けるのである。陶芸というものは面白いもので、腕が上達すればするほど100円ショップに近づく。そうするとわざと稚拙に作る。ところがどういうわけか、わざと稚拙に作ったものは味がない。初期の頃に一生懸命作ったもののほうが、あとで振り返るといい作品となっている。
 陶芸は出来上がるまでに大変な手間がかかる。人件費を入れるととんでもなく高いものになるだろう。だから窯に詰めるまでは気を抜けない。ある本に書いてあったが、陶芸家にとって一番怖いのは地震だそうで、これの大きいのが窯詰直前に来ると、すべてがパァになり、泣くに泣けないそうである。たしかにそうだろうなぁと思う。生活がかかっている人達には大変な災難である。 地震、本当に怖い。新潟地震、中越地震、中越沖地震、この3大新潟地震をすべて経験してしまった。幸いこの町は被害が少なかったが、いつ地震がくるのか予想がつかない。天災は忘れた頃にやってくる・・・名言である。

2007/07/23(月) バンド練習
 コンサ−ト前ということで、こまめに練習するために集まる。当然飲みながら(笑)。飲酒運転はできないので帰りは飲まない人から送ってもらうか徒歩で帰る。翌日はとうぜん歩きである。たまには歩くのもいいかと思うが、そのたまにが結構大変である。たいした距離ではないのだが(笑)。
 

2007/07/22(日) 日曜日
 午前中、陶芸サ−クルに出席、釉薬をかけて窯詰めをし、本焼の準備をする。それで午前中が終わる。結構この作業は時間がかかる。午後よりなんとなくギタ−の練習。コンサ−ト用の練習ではない。家ではコブクロとかはやらない。練習はもっぱらソロギタ−のほうである。サンタなの「哀愁のヨ−ロッパ」がなんとか形になってきた。難しいところは2箇所、セ−ハしつつハンマリング、プ−リングで流れるように弾くところである。
 3過ぎにラ−メン屋でバイトしている娘を迎えに行く。客商売は社会勉強になるので、あまりうるさくは言わない。
 夜もギタ−漬けで練習する。娘の部屋からアコギの音、息子の部屋からはエレキの音、そして屋根裏の親父の部屋ではエレアコの音。TVはほとんど見ない。今日も一日が終わっていく・・・。

2007/07/21(土) 温泉だらけ
 この町には温泉がたくさんある。どこでも掘れば温泉が出るのだろうが、深さが問題で、お金がたくさんかかる。松之山温泉と野沢温泉のちょうど中央部くらいになるのだろう。
 たまに旅行などに行くと温泉が珍しくはないので、一回も入るとあとはごろごろしている。それほど温泉がありがたくなくなってきている。 
 今夜夕食後に女房が突然温泉に行こうと言うので出かけた。場所は北野温泉、ここは長野県である。車で20分くらいである。目的地に着くと、あれ・・暗い。確認して聞いてみると、夜は8時までだそうである。われわれが着いたのはちょうど8時(笑)。帰りに別の温泉へ。ここは宝山荘という旅館で温泉を開放しているので、宿泊客でなくても入れる。
 帰りに突然ビ−ルが飲みたくなり、お買い物。我が家はどういわけか突然が多い(笑)。

2007/07/20(金) バンド練習
 バンドの発表会があるということで、本日も練習で集まる。正式にドラムスやエレキを入れるわけではないので、どうごまかして雰囲気を出すかで悩む。ほぼつめは終わったと思う。
 コブクロの「轍」という曲、ノリがいいのでラストの曲として決めた。この曲、ご存知の人はわかると思うが、ストロ−クの腕の見せ所である。特に最後のところはかっこいい。これ、考えているとできない。すべてノリである。この最後のコ-ドに初心者には魔のE♭というコ-ドがある。これ自分もハイコ-ドでないと押さえられない、というか、今までの長い人生で、このコ-ドをロ-コ-ドで押さえている人を見たことがない(笑)。このコ-ドが出てくる曲は必ずカポ変換している。これが頭に出てくる歌は、最初からカポ3でCである。
 このコ−ド変換のやり方をベ−スとサイドギタ−のメンバ−に教える。わかったかなぁ・・(笑)。これくらいわかっていないと今後の見通しが暗い。今までは変換してやっていたが、今後は自分でやってもらうことにする。

 ギタ−、よく言われることだが、小さなオ−ケストラである。クラシックをやると、まさにそのとおりで、ベ-スからメロディ、リズムまですべてが入っている。こんな楽器は他にはピアノくらいだと思う。しかし、ピアノはでかい、ギタ−はその点手軽である。いつでもどこでもできる。自分の人生でギタ−と知り合えたことは本当に幸せだと思う。
 自分は音楽が好きだ。いい音楽や歌にめぐり合うと幸せになる。聞いて幸せになると、今度はもっと幸せになりたいとも思う。つまり曲を弾けるようになりたくなる。これを世間一般では欲望と言うらしい。この欲望があるからまた一歩前進する。自分の場合、お金はないが、この欲望だけはある。たいがいの欲望というものは、その裏にお金が必要となる。お金を持たずに欲望を満たそうとすると、だいたい犯罪につながる。しかし、この音楽の欲望はお金はほとんどいらない。CDと譜面があればいい。問題はこの欲望の気持ちをどれだけ持ち続けられるかである。
 この欲望は、少し大げさだが、人生そのもののような気がする。人生、こんな大げさな言葉を持ち出せる音楽は、やはり流行の曲ではなく、クラシックなのだろう。長い、長い、時間というふるいにかけられて残された曲、それがクラシック。そうなのである。最近クラシックギタ−にまたはまっている(笑)。アルハンブラをマスタ−したら、今度は何に挑戦しようかと思う。これをやはり世間一般では「捕らぬ狸の皮算用」というらしいが(笑)。

2007/07/19(木) 譜面とTAB
 仕事が終わり地元の体験実習館へいく。広報誌のことで教えて欲しいということで、後継者の年配の人にいろいろと教える。年配といっても五十代の半ばの人。しかし、あまりパソコンになじんでいなかった人なので、教えるのも大変である。人が作ったデ−タをいじるというのもこちらとしても大変である。
 その後自宅に戻り夕食後にムラマサ氏のところへ貸してある譜面をとりにいく。しつこく悪魔の誘いのごとく酒を勧められるが、その手には乗らない(笑)。ノンアルコ−ルである。
 さて、アルハンブラの弾き方ということで、パソコンのYOU TUBEで村治佳織などを見ていただく。トレモロ部や指使などはこれを見れば一目瞭然である。
 ムラマサ氏、いわく
「いい女だよなぁ・・こけだけいい演奏を聞かせられれば、たとえブスであっても惚れちゃうよなぁ・・すばらしい」
 何がすばらしいのかよくわからないが、彼はどうもそういう眼で見ている部分がほとんどのようである(笑)。
 さて、譜面であるが、これが読めなくてはクラシックギタ−は絶対無理と言う結論に達した。あたりまえだが、その当たり前が彼の場合はなかったわけで、じゃどうやってギタ−を上達したのかと言うと、ほとんど耳コピだという。それもたいしたものだが、譜面、もしくはTABが読めなくてはいずれは行き詰るだろう。クラプトンの「クラシカルガス」もポ−ルの「Anji」も自分の場合TAB譜を手に入れたからできるようになっただけのこと。しかもこれらはすべてネットで調べたものでタダである。
 しかし、本当にやりたい曲はそういうわけには行かない。この曲をやりたい、自分ならなんとかできそうだというときには、まず譜面探しから始めなくてはいけない。ありがたいことにリット−ミュ−ジックなどで探すとほとんどがある。できれば一曲一曲で切り売りしてもらえればありがたいのだが(笑)。

2007/07/18(水) 練習、練習
 本日はFLOSKYの練習日。前回のときに某衆議院議員の親睦納涼会で余興として演奏を依頼された。自分としてはふたつ返事でやることに決めた。ほかのメンバ−はどう思ったんだろう??政治がらみはあまり自分としてはよろしくないと思うが、出演料をいただくわけではないのでまぁいいでしょう。
 結果はどうあれ、人前で演奏することのプレッシャ−がこのバンドには必要だと感じたからである。ただの酒飲みバンドではいけないと思うのだ。前向きに物事を考えていかなくては若いときと違い流されてしまう。楽しくなければいけないが、楽しいだけでもいけないと思う。
 そのための曲目の詰めを本日は行う。時間がないのでとりあえず5曲というところ。日時は8月4日の夜。ほんとに時間がない。一週間に一回の練習ではとても追いつかない。
 とりあえず恥をかいて、そこからまた始めればいいと思う。下手とか上手とかの問題ではなく、一歩前進するためのステップだと思う。

2007/07/17(火) クラシックギタ−再開
 今夜は女房がいないので楽々とギタ−を弾く。ふと思いついてクラシックギタ−の弦を張り替える。このギタ−を購入してから2回目の張替えである。やはり新しい弦はいい音がする。ナイロン弦は切れるということもないしスチ−ル弦のようにさびでざらつく事もないので、なんとなくそのまま弾いているが、これとてせめて半年に一回くらいはねぇ(笑)。松岡の1セット200円の弦だからそんなにケチらなくてもいいのだが(笑)。
 さて、張り替えたら当然のように弾きたくなる。アルハンブラを再開してみると・・・ありり??途中からぜんぜん思い出せない。ばあさんの認知症みたいなもので、からきし忘れている。そこでまたまた久しぶりに譜面を持ち出す。持ち出してから弾きだす事30分、ようやく思い出す。それから30分弾きまくると、一度はこなした部分はすべて思い出した。
 それにしても弾かないでいるとこうも忘れてしまうものだろうかと愕然とする。スチ-ルはいつも弾くのだからこちらもと思いきや、弦の幅がまるで違うのでスチ−ルってわけにはいかないのである。
 夜の10時半ごろまで弾きまくるが、さすがに近所迷惑なのでやめる。その点エレキはいいよなぁと息子の部屋から聞こえてくるエレキの音に耳をすます。うまくなったよなぁと思っていると息子がやってきた。譜面を見るなり弾き始めた。しかし・・トレモロのところがぜんぜんダメである。無理もない、ムラマサ氏でさえこれはできないのだから。でもなぜか自分は最初からできた。なぜだろう???。

2007/07/16(月) 中越沖地震
 本日は一応仕事。10時13分頃、地震が来た。ぐらぐらとゆれている。その時間が長い。実際にはもっと短かったのだろうが、一分くらいに感じた。
 震源地はどこだろうとすぐにラジオ、雑音まじりの放送から、かろうじて柏崎という地名がわかった。ここから一時間半の場所である。当地の人達には申し訳ないが、ここから離れていることに一安心する。震源地に近いほど余震が怖いからである。
 次にネットの地震情報を見てみる。柏崎は悲惨な状況のようである。中越地震からまだまる3年も経過していないのだ。それなのにまた地震、しかもまた新潟県である。
 夕方自宅に戻り、すぐにTVを見てみると、つぶれた家が眼に入った。海岸端の市なので、瓦葺が多いためにそれは悲惨なものである。死者がTVを見るたびに増えて現状は7人。お年寄りが多い。気の毒だ。中越地震を経験しているだけに、いっそうその気持ちがわかる。天災は誰が悪いわけでもないのだから、責任を問うわけにも行かない。中越地震のときは、我が家も玄関の壁と風呂場のタイルが落ちた。あのときに比べればこの町はゆれ方は緩やかだった。しかし柏崎は震度6の強、中越地震の山古志村、川口町と同じ。TVの映像を見ていて思う。まるでゴジラが家をつぶして歩いたようである。
 時の世は参議院選挙、阿部総理も応援を打切って飛んできたらしい。それにしても、この地域の立候補者たちは、こういう状況の中、どういう選挙戦を展開するのだろうか。不謹慎ながらもこれをチャンスとするか機を逃してしまうか、大きく明暗の別れるところである。いずれにしてもこの地域の投票率はかなり悪くなるだろう。正直、選挙どころではないというところ。

2007/07/15(日) あじさい
 娘がラ−メン屋にバイトに行くというので、その送迎を兼ねて女房と二人で出かけた。月に一度くらいしか休日が一緒にならないので、貴重な女房のご機嫌取りの日である(笑)。
 二人がまだ独身のときに今の女房と二人で来たことのある隣町のあじさい公園にぶらりと立ち寄る。あの頃よりきれいではなくなっていた。どうやら手入れや管理が行き届いていないみたいである。台風の影響の気まぐれな雨の中、あじさいの鑑賞にはぴったりの空模様、デジカメでちよっとアジサイを撮影。
 そのあと六日町で、安いS・ヤイリの弦を例によって10セット、ついでにモ−リスのライトの弦がジャンクボックスに投げて合ったのでこれを2セット購入。S・ヤイリは1セット200円、モ−リスのジャンクライトはなんと100円、しめて2200円で12セットも買えてしまう。ある意味いい時代だ。
 ケンタッキ−のフライドチキンをお土産に買い、ちょうどお昼時、ここで食事を済ませようかと思ったが、せっかくの二人だけのドライブなので別のところにしようと、地震で有名になった川口町まで足を伸ばす。目的は川口町のオ−トキャンプ場の下見。行く途中になかなか入りたい店がなくて、結局川口駅前の食堂に入ろうとしたが、商い中と看板がぶら下げてあるのに、なぜか鍵がかかっていて入れず。結局は国道沿いの蕎麦屋さんで済ませてしまった。
 その後オ−トキャンプ場を見学。ひとつひとつにトイレが付いていてなかなかのキャンプ場である。3組くらいキャンプをしている。よく考えてみると世間は3連休なのだ。あいにくの台風、幸いにこの地方には台風は近づかず、雨だけを降らせるも、しとしと降りである。
 久しぶりの女房と二人だけのドライブ。子供たちはバイトで明け暮れている。家族でキャンプできるのも今年を入れてあと2回くらいかとちょっとさびしい気持ちを持ちながら帰宅。

2007/07/14(土) ギタ−の弦
 弦、こいつがまたややこしい。ギタ−のリペアをやるので、安いS・ヤイリの中国製をよく使う。サドルの高さ調整にはずしたりはめたりを何回かしてしまうので、とりあえずこれで十分である。リペアが終了した時点で、もう少しいい弦に代えようと思うが、これがまたなかなか切れない。だからいつも安いS・ヤイリがついている(笑)。
 今回のリペアは以前ブリッジはがれのジャンクを修理したものだが、以前のリペアがまずかったのか、またはがれてきたので、再度ブリッジをはずして装着した。このギタ−はプロマ−チンと言う。名前がパクリなので巷ではあまりいい評価はされていないみたいだが、なかなかいい音である。結構気に入っている。
 このブリッジ、前オ−ナ−が苦心してボルトとナットで外れないようにしてあるのだが、外れるのである(笑)。あまり意味のないボルト締めだが、このせいなのかどうなのか音がいい。まとまりがあり、いぜん弾かせてもらった本家マ−チンの音のまとまりに似ている。
 今回このプロマ−チンにS・ヤイリのライトを張っているが、ますます金属音が目立って、カントリ−系の曲をやりたくなる。このプロマ−チン、モデルNoが、W−130なので当時のの定価が一万三千円だと思う。ならばこのメ−カ−の2万円以上のギタ−はもっといい音なのかと言うと、それはちょっと違うのだ(笑)。そこが楽器の難しいところで、あたりはずれがあり、高いからいい音とは限らないところに面白みもまたある。ジャンク修理のたびに音も変わっていくところが実に面白い。

2007/07/13(金) クラシックブル−ス
 以前ムラマサ氏に差し上げたクラシックギタ−がある。今夜久しぶりに彼の家に行きセッションしてみた。ところが彼はクラシックギタ−ばかり弾いていて、普通のアコギが弾けなくなったと言う。しかたなくクラシックギタ−とアコギでブル−スをあわせた。しかし・・・なんか変だ(笑)。
 自分もそうなのだが、クラシックギタ−と一般のアコギはネックの太さやピッキングの感覚がまるで違う。アルハンプラをやっていたときは自分もアコギが弾けなくなった。これは慣れの問題なのだろうが、弦の幅もまるで違うので、どうもしばらくは調子が出ないのだ。
 彼の家に行くと、何を飲むと聞くので、何もいらないと答える。一口のアルコ−ルが高い代行代になるので、今の時代、簡単に酒は飲めない。ノンアルコ−ルとナイロン弦、なんかいまいちノリの悪い夜だった。

2007/07/12(木) エレアコとアコギ
 フィンガ−ピッキングばかりやるようになってから、エレアコに注目するようになった。どんなにいい生音もPAを通して忠実に再現されなくては意味がない。そうするとエレアコで最初から音慣れしておいたほうがいいと思うのである。
 2台ともアクティブタイプのエレアコなので、音はまぁそこそこ満足できる。あとは弾きやすさだ。まぁそれもクリアしているかなと思うので、これでよし。あとは練習のみ。
 息子もどこかでライブをやるとかで燃えている。親子ともどもよくやるものである(笑)。

2007/07/11(水) めがね
 眼鏡、別の言い方をすればめがね。最近本を読むのにこいつが必要になった。寝る前の読書はまぁ長い人生の楽しみのひとつだが、古い文庫本などは活字が読みにくい。一番読みやすく感じたのが旺文社文庫で、一番読みにくいのが新潮文庫である。
 遠まわしの言い方をしたが、いわゆる老眼である(笑)。新聞などを読むのにはまだ必要ないが、文庫本ではほとんど必要である。老眼の「老」という字が結構ショックなのだが、仕方がない。
 譜面なども、結構細かいところは読みにくい。ま、譜面は一度暗譜すれば形だけ見てOKなのだが、それでも必ずル−ペに近いカメラの一眼の標準50mmレンズをおいてある。この50mmレンズ、フジノンのXマウント。ジャンクカメラで修理不能だったもので、レンズだけが残っている。机の上には必ずおいてある。一番必要なのは辞書を読むときだ。かなり文字が小さい。ほとんどはパソコンで活字の用事は足りているが、先日「犀潟」という字の「犀」が細かいところがわからなくて辞書を引いた。パソコンは立ち上がっていればすぐにできるが、立ち上がるまでが時間がかかる。そんなときは辞書のほうが早い事もある。

2007/07/10(火) 哀愁のヨ−ロッパ
 サンタナの「哀愁のヨ−ロッパ」を毎日やっている。この曲はなかなか難しい。難易度は4段階、ABCDのうちのCである。ちなみにアルハンブラは難易度Dでもっとも難しい部類である。これはちょっと中途半端でほうってある。でもなんとか2/3までは暗譜した。暗譜とは譜面を見なくて指に覚えさせた状態である。
 とにかくエレキと違いアコギはハイフレットで弦の張力が強いのでセ−ハにかなり力が要る。左手人差し指の内側が痛くなってくる。
 しかし、楽しい。難しければその分楽しみも多い。弾き語りで歌うのも楽しいが、最近は年なのだろうなぁ・・こういうことのほうが楽しい(笑)。
 ムラマサ氏とアコ−スティックユニットをやろうということでいろいろやっているが、なかなかお互いに忙しくてあわせている暇がない。それぞれ課題曲をやっているのであとはあわせるだけなのだが。まずは石川鷹彦と坂崎幸之助がやっている「Anji」をやることになっている。

http://www.youtube.com/watch?v=5PwIy-NvhCU&mode=related&search=


これはお互いに完成しているので合わせるだけ。今はいい時代で、演奏の動画が見ることができるので、メ−ルにURLを貼り付け、これやろうぜ、と言えば済むこと。便利な時代である。

 最近の楽譜はいわゆるTAB譜がついていて便利である。昔、サンタナの「君にささげるサンバ」などの譜面を手にしたときは大変だった。ドレミを理解したうえで、さらにギタ−のドレミを探していく。これに#と♭が頭についているとさらに厄介である。TABがあるから譜面を買う気になるのだが、これがなければ、この年齢で譜面を買うことはまずないだろう(笑)。

2007/07/09(月) カッタ−ウェイ
 最近練習している曲はサンタナの「哀愁のヨ−ロッパ」。この曲はご本家はエレキでやっているが、このアコギバ−ジョンの譜面を手に入れた。
 ところがこの曲、Capo3である。そのほうが運指が楽だという事であるが、なんとそうなると16フレットまでいってしまう。そこでカッタ−ウェイの登場なのだが、よく考えてみるとそういう形のギタ−は一台しかない。あいかわらずのジャンク修理品のモ-リスのエレアコ。やっぱし弾きやすいなぁ(笑)。
 

2007/07/08(日) 蜥蜴とともに寝る毎日
 日曜日、珍しく女房も休みなので、植木鉢の手入れやらをする。というか、させられる。で、女房は自分の寝ている掛け布団の洗濯をしようとカバ−をはがしたら、なんととかげの腐ったものが出てきた。飼い猫のチロが捕まえてきて、どうやら布団の中に逃がしたらしい。とかげも死にたくないから必死である。布団のカバ−のわずかな隙間を見つけて逃げ切れたのはいいのだが、今度は出口がみつからずにそのまま息絶えたらしい。つまり自分は何日間かとかげと一緒に寝ていたみたいである。もしかしらつぶしたのかもしれない。うう・・・(泣)。
 お昼頃高崎より兄が来日。おみやげに泡盛といも焼酎を持ってくる。ありがたし。今夜も18円の冷奴か・・・。ついでにとかげの成仏を祈ろう。仮にも何夜かをともにした仲である。チロちゃん、本能とはいえあまり殺生をしないでねと言い聞かせる。

2007/07/07(土) 七夕
 今夜は七夕である。子供たちが小さい頃はよく七夕を飾った。これが結構大変だった。なぜ大変なのかと言うと、隣のKobaさんの家に竹林があり、そこから毎年いただくのだが、そこの家のおじいさんは親切で、なんと大きい孟宗竹を一本まるごと切ってくれる。その心は・・・七夕が終わっても、真ん中の竹は何かに利用できるからだという。さて、その大きい七夕用の孟宗竹に飾るためには、かなり多くの飾りをつけなくてはならない。たぶん、このあたりでは一番豪華な七夕飾りだったと思う(笑)。

 今はもう子供たちも高校生になったので七夕どころではなく、友達と隣町の七夕まつりに出かけている。こちらもじいさんのバイクが壊れたというので、その購入の下見がてら出かける。黒沢というところにある大きなバイク屋さんで中古を見てみると、なんと40Kmしか走っていない程度のいいスズキの2サイクルを見つけた。すぐに契約書を書く。
 そのあと七夕まつりだが、なんか女房とじいさんを連れて行ってもぜんぜん面白くない。買うものもないし、ぶらぶらするだけである。ストリ−トミュ−ジシャンの下手なギタ−を聞いたあとに12時までやっているス−パ−へ行く。なんでもそこは弁当のおかず、冷凍食品の4割引をやっているらしく、どうも女房は最初からそれが狙いだったみたいだ(笑)。
 付き合いでなんとなくス−パ−をブラブラと・・・と、そこに豆腐のとんでもなく安いものを発見。豆腐半丁でなんと18円。78円の間違いではないかと何回も見直すが、やっぱり18円。これを4個買う。ついでにビ−ル、ではなく第3種のアルコ−ル入り炭酸飲料も買う。豆腐の冷奴で一杯という計画である。
 自宅に戻り、早速18円の豆腐の味見。別にまずくはない。合格。この価格でこの味ならば百点満点。それにしていも考えてしまう。いったいいくらで仕入れているのかと・・・。

2007/07/06(金) すきゃろぷとブレ−ジング
 本日は、せっかくはずしたのだからお決まりのスキャロプトにしようと削り始めた。う〜ん、どうしようか・・・ま、適当でいいか(笑)。安いジャンクギタ−のいいところは、惜しみなくいじれること、これにつきる。

2007/07/05(木) リペア2
 本日はやっと裏板をはずした。はずしてみると思ったとおりブリッジのバックボ−ドが変形している。これをはずしてと・・・。ヤマキカスタムのときも同じリペアをした。ということはどうも初期のヤマキはここが弱いようである。ほかのメ−カ−と比べると、ブリッジバックボ−ドがあきらかに薄い。これを丈夫な合板に交換しよう。本日はここまで(笑)・・われながらよくやるよなぁ・・・(笑)。

2007/07/04(水) リペア
 以前から気になっていたヤマキのデラックス。ブリッジが浮いてきて、おまけにお腹も膨らんできた。そこで毎日暇を見ては裏板をはずすリペアをしている。カッタ−で切れ込みを慎重に入れていき、そのあと蒸気をあてながらバインディングをはがしている。本日はここまで。じっくりゆっくりとやるのがコツである。
 このヤマキのデラックス、当時の価格で一万円くらい、二万円のヤマキカスタムとは格段に音質が落ちる。それにしてもヤマキらしくない鳴りであるし、その原因はどうもブリッジの浮きとポリウレタン塗装にあるようである。毎日じっくりと少しずつ・・・これもまた楽しみである。

2007/07/03(火) 水上勉のこと
 最近ブックオフで買ってきた100円本であるが、水上勉の「負い籠の細道」が寝る前の読書の友となっている。水上勉の著作はほとんど読んでいるはずだが、紀行文的な今回のような本は読んでいない。ほかに対談集やエッセイなどもしかりである。
 ところでこの本は、出版社と水上勉が相談して、珍しい場所や作者が行ってみたいと思う場所に旅をして紀行文的にして連載したものをまとめたものだが、まさに水上ワ−ルドの真髄である。作者は、かなりの数、一人旅をしつつ小説のヒントをいろいろな場所で得ていると思うが、基本は同じである。裏日本や東北のひなびたところでの歴史と生活がテ−マとなっている。そしてその地域の女性の苦労がちりばめられている。
 作者自身、小説のごとくに苦労人ではあるが、ひとつは生活のために小説を書いたという面が初期の作品には多い。生活のためなどと言うとたぶんに芸術的ではないという見方が一般的だが、まったくその逆で、生活のために身を削って書き、昇華させたというべきもので、自分は初期の作品が大好きである。人の生きるという執念をテ−マに名作を世に出している。
 「飢餓海峡」は代表作だが、これなどは推理小説の分類に入ると思うし、どことなく清張に似ている。清張も初期の作品は反社会的なものが多いが、水上勉の小説は社会というほどの大きなものではなく、一個人の心情を中心にしている。最後は正直者が馬鹿を見るみたいなことになるが、それでも主人公は満足しているということが多い。だから好きなのだが(笑)。

 100円でこれだけ楽しめる時代、ブックオフ万歳というところ。ところでこのブックオフ、一度だけ古本を売りに行ったことがある。50冊くらい持ち込んで、30冊くらいの価格が3500円くらい。ま、いい買取価格のほうであろう。2冊くらい相田みつおの本があったのが高くなったのが理由だと思うが。残りの20冊はかなり汚くて買取してもらえなかった。そのときに、
「こちらはお値段が付きませんでした。どういたしますか?お持ち帰りになられますか、それともこちらで処分いたしましょうか」
と、マニュアルどおりの言葉が店員からきかされた。持って帰るのもいやなので処分の道を選んだ。この新手の古本屋は、本の内容とかは一切評価しない。新しいか古いかだけである。たとえば漱石の初版本を持ち込んでも買い取り価格は10円くらいであろう。そして店頭には100円として並ぶ。もっとも最近の人達は初版本をありがたがるということもないだろうからこれでいいのだろう。

 

2007/07/02(月) 練習
 今晩はFLOSKYの練習日。うん、自分としてはまじめに練習に参加しているほうである。ほかのメンバ−もまたしかりである。どうしてまじめにしているかというと、飲みながら練習しているという一言に尽きる(笑)。
 結構一週間に一回の練習を楽しみにしている自分に気がつく。コブクロは自分たちより一世代若い世代の歌じゃないかということをメンバ−が言う。たしかにそうだと自分も思う。コブクロばかりやっていたら、昔の拓郎や陽水が歌えなくなってしまった。もちろん歌えるんだけど、なぜか面白くない。
 ギタ−はあいかわらずリペアをやっている。これも楽しい。安いジャンクを手に入れていじる。いじるたびに音がよくなっていく。70年代当時の一万円のギタ−でも、すばらしくいい鳴りをしてくれる。もっとも当時一万円というと今の相場でいえば5万円くらいになると思う。ましてや当時3万円のギタ−というとすばらしいにつきる。
 面白いのは、あまり音のよくないギタ−を友達から借りて弾いたりすると、どうしたらもっと音がよくなるのかと考えてしまう癖が付いてしまった。合板と単板というが、歌の伴奏という意味では合板のほうが箱鳴りがしていいような気がする。
 一番いいギタ−という基準は、そのときの気分で音が変わるギタ−じゃないかと実は思っている。悲しいときには悲しい音を出してくれて、楽しいときには楽しい音をだしてくれるギタ−、これが最高である。本当は自分の問題でしかないのだが、なぜかギタ−のせいにしてしまう(笑)。
 

2007/07/01(日) 施設入所
 仕事を一日休みにして甥のKを施設に連れて行く。甥は姉の子供であり、障害児である。自分の息子と同級生になる。普通の子供ならば高校2年生の青春真っ盛り。しかしKには青春というものがない。いや、あるのかもしれない。男の子なので声変わりもしているし、はにかむしぐさもあり、母親をうるさいという気持ちも持っている。
 Kは大学病院で生まれた。地元の病院の産婦人科で、絶対安静ということで入院していたが、流産の恐れありということで救急車で100Km以上はなれた大学病院へ搬送された。その翌日にKは生まれた。体重が700gだった。せめてあと一ヶ月、母親のおなかの中にいればということだったが、神はそれを許さなかった。
 ガラスケ−スに入ったKを見たとき眼を疑った。これは人間の子供なのかと・・・。犬か猫の赤ちゃんのように小さいのだ。これで育つのだろうかと心配した。宇宙飛行士のアスラノ−ツのごとくに管だらけであった。
 あれから17年、いまだに歩けないし、知能は2歳児より少しましな程度である。中学までは義務教育ということもあり地元の学校に通ったが、それからは自宅と一時預かり施設で対応してきた。今までにも入所の機会があったが、そのたびに断られた。断る理由は、中途半端ということである。寝たきり、もしくは動けない状態であればいくらでもそういう施設はあるし、軽作業ができる程度であれば、それなりの施設はあるのだが、Kの場合はどちらにもあてはまらない状態であった。今回とつぜん国立の施設に空きがあったということで、急遽入所ということになった。
 入所のための各種の手続きが終わり、帰宅のときがちょうどお昼時、食事をするところを見学していきますかと勧められたが、それを断り帰宅する。後追いをされたときのことを考えたのだ。姉も同じ事を考えていたらしく、同意見だった。帰宅の車の中、後部座席で姉はずっと泣いていた。何も言ってやることができなかった。こういう子供はいずれは手放さなくてはいけない・・いつでも覚悟はできている・・とは言っていたが・・・。17年間ずっと面倒を見てきた。いろいろな思い出が頭の中をよぎったであろう。
 しかし、障害児でなくとも別れは同じだ。小学校で分かれる子供、中学で別れる子供、いろいろあるが、ほとんどは18歳の高校卒業で専門学校か大学に行かせるわけで、それを考えればちょっと早いかなというくらいでしかない。
 姉にしてみればまた違う感情であろうが、今、施設に空きがでたときに入所できなければ、またいつになるかわからない。一生面倒を見てやるわけにはいかないのだ。
 もちろん面会にはいつでもいける。車でも電車でも一時間くらいの距離である。そんな意味ではまだ幸せなのかもしれないと姉に言った。それだけしか言えなかったが・・・・。


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